白山神社春季大祭 Hakusan Shrine Spring Festival 糸魚川市



大宝2年(702)まで歴史がさかのぼるといわれる白山神社。国の重要無形文化財に指定されている本殿をはじめ、国や県の文化財に指定されている宝物をのこす。

奉納される舞楽でも有名な白山神社春季大祭は、地元では『能生祭』として親しまれている。
稚児舞については、長亨2年(1488)、僧万里集九の日記「梅花無尽蔵」の中に白山神社に童舞のあったことが記されており、その始まりは永亨年間(室町時代)と伝えられています。
祭りは、4月23日の宵祭り24日の本祭り。23日夕刻、神社に参り心霊を神輿に移す。これが宵祭り。
24日午前零時、法螺貝が響き渡る。これを『一番貝』という。3時の2番貝を合図に稚児たちは起床する。古くからのしきたりで、行事のはじめには、必ず法螺貝が吹かれる。3番貝を合図に稚児行列が神社へと向かう。本祭りの始まりである。獅子舞を先頭に午前9時頃より神輿、宮司に続いて旗、小道具や稚児の行列が境内を巡行する。これを御神幸と言われている。正午近くにこの御神幸が打ち止めされ、全員で一斉に拝殿(お旅所)へ走り込む。これは「お走り」という。

この祭り一番の見ものである舞楽の奉納は24日の午後から行われる。
国の重要無形文化財に指定され、12曲が奉納される。11曲の舞楽と獅子舞の計12曲で、11曲の舞楽のうち8つが稚児舞となっている。

舞楽が披露されるのは境内の池の上に設置された水舞台で、楽屋までは橋がかけられる。祭りの先導役である大人衆による獅子舞は行列の先頭にあって悪魔邪鬼をはらう。勇壮で動きも激しく数分にして交代を余儀なくされる。
以下振舞・候礼・童羅利・地久と稚児の舞が水舞台の上で演じられる。それから能抜頭は大人、泰平楽は稚児、納曽利は大人、弓法楽・児抜頭・輪歌は稚児と、アクセントをつけて舞われる。
中でも最後に舞われる”陵王(りょうおう)”は、真紅の衣装が目にも鮮やかで印象に残る。

(陵王の舞)

「陵王の舞」は日没の時間に行われるが、舞の中に夕日を呼び戻すような動きがあることから「日招きの舞」とも呼ばれている。
その面は、古代中国の武人、蘭陵王(らんりょうおう)が戦いに用いたという陵王面に由来する。舞はその蘭陵王がその柔和な顔を隠すため獰猛な仮面をつけたという故事にのっとったもので、勇壮活発なさまを表現している。
また、現在は使用されていないが、面の裏に『寛正六天乙酉』(1465)という朱書きが見られる陵王面も残されている。ここからもこの舞の歴史の古さがうかがえる。
舞い終わりに陵王が橋掛けから楽屋へと跳ぶ(走りこむ)。時を同じくしてよい祭りで心霊を移された神輿が拝殿へ移される。心霊の還御である。祭りの象徴でもある陵王が姿を消すとともにこの祭りは終わる。

白山神社舞楽は、1973年(昭和48)11月5日記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択され、1980年(昭和55)1月28日には、天津神社の舞楽とともに糸魚川・能生の舞楽として、重要無形民俗文化財に指定されている。







白山神社   地図 ストリートビュー








Nou Hakusan Shrine Spring Festival

It is said that mai-gaku was handed down from Shitennoji Temple in Osaka in the middle of the Muromachi period (1336-1573), and that mai-gaku was dedicated to the temple. Many of the dances feature chigo (young children) as the main actors, attracting both local residents and guests from faraway places into a world of divine games. The final dance, the Ryoo-no-Mai, is the highlight of the festival.

白山神社春季大祭まで