宮島郁芳 柏崎市



■宮島郁芳 <柏崎市上方 明治27年(1894)〜昭和47年(1972) 77歳>

農家の父久米吉の六男、本名敬二。小学校卒業後の明治43年、一家は田畑を手放し上京する。新聞配達、歯医者の書生、印刷工などの末、順天中学校(現順天高等学校)卒業後、苦学しながら早稲田大学文科予科に入学。苦学生として社会の底辺を知った邦芳は当時大正デモクラシーと共に隆盛した社会主義思想に共鳴し、その実践運動にも参加した。そのため特高警察に検挙され、”豚箱”といわれた留置場へぶち込まれリンチを受けること数回、ついに大学の授業料も払えず、早稲田お中退を余儀なくされた。

 邦芳は生活のため自分で作詞作曲し、自分でバイオリンを弾きながら歌い歩く演歌師となった。大正7年24歳、浅草で芝居「金色夜叉」が好評なことから想を得て「金色夜叉」の歌を作詞作曲。公園などでバイオリンを弾きながら歌うと爆発的なブームを呼んだ。その後「流浪の旅」、「馬賊の歌」など発表。また、熱海市で毎年1月17日に行われる尾崎紅葉を偲ぶ紅葉祭に招待された。

晩年、昭和43年中村哲郎が発起人となり、柏崎市米山大橋わき青海川の鴎ガ鼻に「金色夜叉」の歌碑が建てられた。この除幕式には74歳の郁芳も列席、故里を愛した姿の最後となった。


「金色夜叉」記念碑
〔所在地〕柏崎市青海川 恋人岬
〔アクセス〕
  • 電車…JR信越本線青海川駅から2km 徒歩27分
「金色夜叉(こんじきやしゃ)」
宮島郁芳/後藤紫雲作詞・作曲

熱海の海岸 散歩する
貫一お宮の 二人連れ
共に歩むも 今日限り
共に語るも 今日限り

僕が学校 おわるまで
何故(なぜ)に宮さん 待たなんだ
夫に不足が 出来たのか
さもなきゃお金が 欲しいのか

夫に不足は ないけれど
あなたを洋行(ようこう) さすが為
父母の教えに 従って
富山一家に 嫁(かしず)かん

如何に宮さん 貫一は
これでも一個の 男子なり
理想の妻を 金に替え
洋行するよな 僕じゃない

宮さん必ず 来年の
今月今夜 この月は
僕の涙で くもらして
見せるよ男子(おのこ) 意気地(いきじ)から

ダイヤモンドに 目がくれて
乗ってはならぬ 玉の輿(こし)
人は身持が 第一よ
お金はこの世の まわり物

恋に破れし 貫一は
すがるお宮を つきはなし
無念の涙 はらはらと
残るなぎさに 月さびし










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宮島郁芳

エコレストラン サンタモニカ
ジャンル:洋食屋
アクセス:JR信越本線(直江津-長岡)青海川駅 徒歩18分
住所:〒949-3661 新潟県柏崎市青海川884(地図
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情報掲載日:2015年12月2日


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金色夜叉起草旅館 清琴楼 - 宿泊予約は<じゃらん>
栃木県 塩原
明治の文豪「尾崎紅葉」のゆかりのお宿。宿の名前は「金色夜叉」の作中よりいただいたものです。客室はすべて川の見えるお部屋です。四季折々の眺めをご堪能ください。