銀山平 奥只見ダム Ginzandaira and Okutadami Dam 魚沼市



☆銀山平☆ ※動画

シルバーラインは3月下旬に開通する(年によって多少遅くなる)。銀山平はまだ深い雪である。山の斜面を探すとあちこちにのんびり木の枝を食べるカモシカの姿を見ることが出来る。
銀山平の名前は、江戸時代こに銀鉱山があったことから名づけられた。1641年(寛永18)7月9日のこと、折立村の源蔵という人が、いつものように只見川で川鱒漁をしていたところ、水中に白く光る石を発見したのが開発のきっかけとなった。左岸は越後側に属していて上田銀山と呼ばれ、右岸は会津側で白峯銀山と呼ばれていた。銀山は、江戸時代初期から末期の間に断続的に経営され、当時は採掘のために人々が集まり大変賑わったという。
明治時代になると、銀山での採掘はほとんど行なわれなくなり、その後、豪雪地帯で平坦地も少ない魚沼地方では農地が不足していて、農家の二、三男対策に苦慮していたのでそこで、只見川や北ノ又川沿いに伸びる細長い平坦地を開墾する人が現れた。開拓が始まったのは明治43年(1910)からで、主導したのは銀山拓殖株式会社であった。
開拓村ができ、狩猟や、山菜取り、木工品づくりで生計が維持されていた。
ダムが完成すると、只見川上流の鷹ノ巣と北ノ又川上流の石抱を残して全ての開拓村が水没することになった。同時に、かつての人々が鱒獲りにはげみ、銀山開発で賑わった地も湖底に沈んでしまった。その様子は奥只見ダムの電力館にて写真で見ることができる。
現在、鷹ノ巣周辺では、民宿の経営や、山菜採り・畑作を行なっているので、かつての開拓村の姿を伺うことができる。
輝く新緑、野鳥のさえずり、満天の星、燃え盛る紅葉、冬を待つばかりの静かな林・・・、四季折々の自然が訪れる人を癒してくれる。
奥只見にはイヌワシクマタカオオタカハチクマトビノスリハイタカツミサシバなどが生息する他、冬はオジロワシが飛来する。


銀山平温泉


中荒沢の万年雪


銀山平キャンプ場


尾瀬三郎像

奥只見シルバーライン ※動画 ※GOOGLE 画像

奥只見ダムを作るために、その資材運搬専用道路として建設された奥只見シルバーライン。大湯温泉手前の上折立から奥只見ダムまでの区間19のトンネルが続き、全長22kmのうち18kmがトンネルという、国内でもまれな道路。トンネルは急カーブ・急勾配・素堀部分・湧水が随所にあり、さらに交差点がトンネル内に設けられているなど、一般にみられるような道路トンネルとは大きく異なる極めて特徴的かつ特異なものとなっている。
昭和29年(1954)着工、昭和32年(1957)完成。昭和44年(1969)に新潟県に譲渡され、昭和46年(1971)に有料道路と して一般車の通行が開始。昭和52年(1977)に無料化。


☆ 奥只見ダム☆

現地案内看板

奥只見ダム概要
型式 重力コンクリートダム
流域面積 595.1K㎡
総貯水量 601,000,000㎡
ダム長 480.00m
高さ 157.00m
体積 1,636,300㎥


奥只見発電所概要
水車型式 縦軸単輪単流フランシス
最大出力 560,000kW
(1,2,3号機 120,000kW×3基)
(4号機 200,000kW×1基)
有効落差 1,2,3号機 170,000m
4号機 164.20m
新潟県と福島県にまたがる奥只見地区に、只見川を堰き止めて造られた高さ157m、長さ480m、有効貯水容量4億5,800万立方メートルの重力式コンクリートダムがある。昭和27年(1952)に着工、9年後の昭和36年(1961)に完成し、現在まで貯水量日本一を誇っている。
奥只見地区はダムの建設には地形と気象条件からいって最も困難といわれていた。昭和32年(1957)6月の基礎掘削から、翌昭和33年(1958)9月までのコンクリート打ち込みまでの工事は冬営の4ヶ月間の雪との斗いをはさんで進められた。

このダムの建設は、日清戦争後、国運の高まりと村合併の機運とで探検隊が結成され銀山平の資源が注目され調査されたことにはじまる。
戦後、復興のかぎを握るエネルギーは電力であった。なかでも水力が「白い石炭」と期待され、その開発が急務となった。
只見川電源開発事業の具体化は昭和21年(1946)日本発送電㈱の只見、阿賀本流沿いにダム式発電所を造る(後の本流案)計画から始まった。それに対し、当時の岡田新潟県知事は奥只見のダムから黒又川に水を落とし(分流案)、発電と灌漑に充てる計画を立て、福島県と激しく対立した。
結局、昭和28年(1953)、政府は年間7300トンの分水をするという案を示し、岡田知事もこれを認め「タダノミ川」と揶揄された政争は終わった(のち分流案廃止)。
昭和28年(1953)、電源開発株式会社が電源開発調整審議会の決定を経て只見川上流に奥只見電源開発工事に着手した。ダム工事は昭和32年(1957)から昭和36年(1961)まで、発電所工事は昭和32年(1957)から35年(1960)までかかり、発電量は36万キロワット/アワーである。昭和37年(1962)6月8日竣工式。9年間の歳月と400万人の労働力、117名の殉職者を出した世紀の大工事が終わった。総工費は390億円を要した。このうち40億円は道路建設にあてられた。現在のシルバーラインがそれである。全長20キロのうち、16キロがトンネルとなっている。なお、ダムの工事により浪拝温泉や銀山関係の史跡が水没してしまった。

大湯温泉から枝折峠へ向かう途中に三島由紀夫の小説『沈める滝』の碑がある。昭和29(1954)年春、電発須原口事務所に尊大 な男が現れ職員の度肝を抜く。取材で現れた三島であった。三島の碑は平成4年(1992)、大島 月庵の揮毫で建立される。
また峠を越 え下ったところには開高健の碑が建っている。平成3年(1991)、奥只見の魚を育てる会によって建立さ れた。
(歴史紀行 小千谷・北魚沼郡編より)参考:奥只見観光開発㈱






奥只見湖 ※GOOGLE 画像

面積1150ha、最高深度150m、貯水量6億tを超える、日本屈指の巨大人造湖。別名「銀山湖」とも呼ばれてる。日本紅葉の名所100選に選ばれている新潟屈指の紅葉スポットで、シーズンになるとブナの原生林の黄葉や茶葉、カエデ系の赤、紅、紫、朱、など色鮮やかな紅葉を楽しめる。
遊覧船も運航しており、湖上から湖面に映し出された色鮮やかな紅葉を楽しむことができる。

奥只見湖遊覧船
〔所在地〕新潟県魚沼市湯之谷芋川大鳥1317−3 ※GOOGLE 画像
〔HP〕http://www.okutadami.co.jp/boat/index.html
〔乗り場〕



















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