龍ヶ窪 Ryugakubo 津南町



津南町の北部を流れる信濃川の両岸には、典型的な河岸段丘が発達している。「竜ヶ窪の水」は、その右岸の標高450mの葦ヶ崎台地の谷内集落と岡集落の境界に立地し、通称「立石の池」と呼ばれていた。
池は南西から北東に長い形をしており、長さ180m、幅70m、水深1.5~2.0m、面積7579㎡、かつては大樹が茂り昼なお暗い神秘を含む池であった。
池の最奥部にある湧水口※ストリートビューからは、真夏でも7度以下という冷水が脈々と湧き出ている。このほかに、池てい・岸辺など10数か所から湧水があり、水の量は大変に多く、1日に4万3000リットルといわれている。その量は1日1回池の水全体の水が入れ替わっているのと同じ量!そのため池の水はいつでもとても透明で綺麗で、水質にも優れ、飲料水としても人気が高く、自由に持ち帰ることができる。
津南町に湧水が多いのは、この地方が日本有数の豪雪地帯であることが大きく関係している。一冬の積雪量は20mを超え、一晩に1m積もることも決して珍しくない。その雪は多くは雪どけとともに川へ流れるが、一部は地面に染み込んで地下水となる。それが、長い時間を経て、段丘の崖から涌き水となって出てくるのである。
昔からどんなに雨の少ない年でも、決して涸れることがなかった竜ヶ窪の水の水汲み場は、駐車場近くと龍ヶ窪神社の2ヵ所にあり、休日には行列ができる。
この水は飲料水として用いられ、また農業用水として広く利用されてきた。昭和30年代に施工された水道も、この池に水源を求めている。
池の周囲には、広葉樹や針葉樹の変化に富んだ森林が分布し、特に東側にはブナの自然林が見られる。他にミズナラ、ホノキなど10数種の高木が茂る。一帯は早くから禁猟区に指定され、自然環境保全地域となっている。このため野鳥特に水鳥が多く住み、野鳥の宝庫といわれ36種が確認されて、探鳥会には最適の地となっている。
池の周囲に1kmにも満たない遊歩道があり一周すると、オオルリキビタキクロツグミ等を主体とする夏鳥がさえずり合う。
池と周辺にはオシドリカイツブリカルガモなどの水鳥がが営巣場所として利用している。
また、池には、モリアオガエル、トワダカワゲラ、クロサンショウウオや、県内ではあまりみられていないカワマスなどが生息している。
景勝地としても水源地としても信仰に近い親しみを持つこの池には、上下両池畔に谷内 、岡の人達が祭る社があり、7月始めの巳の日は「巳まつり」と称して祭典がある。龍ヶ窪は、昭和59年(1984)に環境庁が実施した「名水百選」に選定され、その清冽なゆう水を求めて多数の人々が訪れている。
津南町ではこれより早く、昭和47年(1972)6月、町の名称天然記念物に指定している。また昭和49年(1974)に県の自然環境保全地域に指定されている。

現地案内看板
龍ヶ窪自然環境保全地域

本地域は、河岸段丘にあり、湧水池”龍ヶ窪”を中心とする面積8.36ヘクタールの地域である。
龍ヶ窪は水源が湧水で、季節による水温差が少なく、また水量が豊富なため、旱天でも涸れることがないといわれている。この池には、本県では少ないカワマスが繁殖するが、これを含め池は昔から神域として保存されており、常に良好な湖沼の自然を保っている。
また池の周囲の森林は、針葉樹、広葉樹と林相が変化に富んでおり、本地域には野鳥など野鳥など多数の動物が棲息する。
このようなすぐれた自然環境を維持する為、新潟県自然環境保全地域に指定し、保全する。

昭和49年7月9日 新潟県、津南町






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☆ 龍の伝説 ☆
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《伝承》
昔、越後の国(新潟県)の南のはずれに、妻有の里・芦ヶ崎という村がありました。
ある年、長い日照りが続き村人はヒエやアワどころか水一滴なく苦しい生活をして いました。
ある時、一人の青年が、天上山へ何か食べるものはないかとさがしに出かけました 。すると、昼寝をしている龍を見つけました。龍のそばに卵があったので、龍が眠って いるすきに卵を盗み出しました。 そして、その大きな卵を村に持ち帰り、村人と相談 した結果せめて年寄りと子どもだけでも食べさせることにしました。 卵を割り始める と、卵の中の龍の子が母親流に助けを求めました。するとそこへ怒り狂った龍が現れ村 人を食い殺ろそうとしました。 庄屋をはじめ村人は、「子どもだけは助けてほしい。 」と龍に頼みました。 龍は必死の村人に心を打たれ、村人のために三日三晩雨を降ら せ、池を作ってやりました。 村人たちは喜んで龍にお礼を言うと、龍は、「この池は おまえたちの美しい心の象徴だ。 しかし、人の心の曇るとき、この池はかれてしまう であろう。」と言い残して消えました。 村人は、この池を「竜ヶ窪」と名付けて大切 にし、神社を建てて龍神様をおまつりしたということです。
津南町立芦ヶ崎小学校編 「竜ヶ窪に伝わるお話」より
http://www1.ocn.ne.jp/~asisyo/densetsu.htm



現地案内看板

名水百選「竜ヶ窪」に伝わる 竜神伝説

竜神伝説 その1
昔、このあたりに芦ヶ崎という村があった。ある年、長い日照りが続き村人は食べ物はおろか、水一滴すら飲めない苦しい生活していた。あるとき、一人の青年が天上山へ食べ物を探しに出かけたが、そこで見たのは、昼寝をする恐ろしい龍の姿。恐怖でおののく青年は、そばにある卵に気付き、年寄りと子どもだけにでも食べさせようと、こっそり盗んでなんとか村へ持ち帰った。
卵を割り始めると中から出てきた龍の子が母親に助けを求めた。
すると、怒り狂った龍が直ぐさま現れ、村人を皆食い殺そうとした。村人たちはせめて子どもだけは助けてほしいと必死にお願いし、村人達の必死さに心を打たれた龍は、三日三晩雨を降らせ、池を作ってやった。村人達が礼を言うと龍は「この池はお前達の美しい心の象徴だ。しかし、人の心の曇るとき、この池は涸れるだろう。」と言い残し消えたと云う。
村人はこの池を「龍ヶ窪」と名づけて大切にし、神社を建てて龍神様をお奉りしたという。

竜神伝説 その2
この地域では、水が豊富なため雨乞いは、ほとんど行われないが、この池(竜ヶ窪)に松之山や南魚沼地方から水をもらいにくる習わしが続いた。日照りが続くと、一升樽に酒を入れそれを竹竿の先につけてかつぎ、二人か三人で訪れる。竜ヶ窪の弁天様にこれを上げ、ぼん様がお経を上げる。集落の役員も参列しあとで酒を飲む。空になった樽に池の水を入れ、竹の先につけそれに御幣をつけて持ち帰った。雨を降らせたい処へその水を撒けば、必ず雨が降り人々は皆お礼に再び池へ訪れた。
水を持ち帰る際は、一休みする時も、肩から決して降ろしてはならず、地面に置いつしまうとそのその場所に雨が降ると伝えられた。

竜神伝説 その3
その昔、ある晴れた暑い日、信州の北野の天神参りに行った帰り道、暑気をさまそうと、竜ヶ窪の池に飛び込んだ。
中ほどまで泳いで行くと、不気味に霧が立ち始めた。あわてて岸へ引き返したが、霧はみりみる深くなり、空には暗雲が立ちこめた。着物を着る暇もなく、慌てて家へ逃げ帰るが、逃げる通りに、黒雲と雨は、何処までも追いかけ続け、その人は原因不明の病に倒れ、死んでしまった。
これは竜が窪の池の主に追われて死んだのだと云う。

竜神伝説 その4
竜ヶ窪の池も昔は大樹老木に覆われて、陽光も通わぬほどだったという。その昔、お寺の建立の話がまとまり四方から木材が集められ、竜ヶ窪の老木も切ることになった。
倒すとき思うようにならず、老木は池の中に転がり込んだ。人手を借りて一度引き上げるのだが、翌日行ってみると、また前と同じ池の中に入っている。池の主の許しがないものと、引き上げることを諦めた。その老木は今も池の底で朽ちることなく、その姿をとどめていると云う。