遠藤 実 Minoru Endo



1932(昭和7)年7月6日〔生〕 - 2008(平成20)年12月6日〔没〕

遠藤実は、1932年(昭和7)7月6日、東京・向島に生まれる。 戦時中、両親の故郷内野町(現新潟市西区内野)に疎開する。
当時の内野町で実少年は、深い雪や春の雪解け、畑に咲く菜の花や美しい夕焼けを見て、感動を受けたのだろう。千昌夫に書いた『雪国の春』には、その心象風景が見られるようだ。
生活は貧しかったという。地回りの楽団などで歌を歌っていたが、1949年(昭和24)7月24日、歌い手になりたくて東京に上京する。
東京では、荻窪界隈でギターで流す演歌師となる。歌手としての道に、見切りをつけて、作曲家を目指す。
1952年レコード会社マーキュリーの専属作曲家となる。
そして、1957年(昭和32)、藤島恒夫のヒット曲『お月さん今晩は』を発表する。その後は、世に送り出した楽曲は5000曲以上(その大部分は演歌)といわれ、舟木一夫、千昌夫など多くの歌手を育てた。
1994年(平成6)11月故郷新潟市越前浜に遠藤実記念館実唱館 を開館する。


🔶墓所
〔所在地〕東京都西東京市田無町3-8-12 田無山 総持寺


🔶遠藤実記念館・実唱館
〔所在地〕新潟県新潟市西蒲区越前浜6913-1
〔アクセス〕
  • 🚅…JR越後線「巻駅」より車で約20分
  • 🚘…北陸自動車道「巻潟東IC」より車で約25分
〔特徴〕「くちなしの花」や「北国の春」等のヒット曲で知られる日本歌謡界の大御所、遠藤実。 「実唱館」は遠藤実の少年期から、現在までの数々の作品や 思い出の品等、歌作りの足跡を展示する。

主な作品
・おしんの子守唄・お月さん今晩は・男の哀歌・男の人生・男の花道・男の別れ歌~わかれ花~・おとこ花おんな花・おひまなら来てね・おまえが出番・おまえとおれ・想い酒・おもいで北千住・想い出づくり・おもいで日記・想い出のからたち日記・想い出のひと・おもいで螢・面影の女・父親(おやじ)・おやじ先生・親星子星・俺は藤吉郎・オロロン慕情・温泉かぞえ唄・おんな傘・女・十年・女のこよみ・女のさだめ・女のまつり・おんなみれん・風車・風が吹くまま・風の子守唄・蟹工船・からたち日記・可愛いおまえ・寒椿・乾杯しようぜ・学園広場・きずな・北国の春・北のふるさと・北港・希望の詩・君がすべてさ・君たちがいて僕がいた・君は人のために死ねるか・君を信じて・夾竹桃・ギター仁義・銀婚式・くちなしの花・くれない草紙・恋しぐれ・恋女房・高校三年生・心燃えさせて・来不彼雨・こぼれ陽・こまっちゃうナ・困るのことヨ・これでいいんだよ・ごめんね・酒場のすずめ・「さくら吹雪」より 夫婦桜・せんせい・千年杉・ソーラン渡り鳥・大安吉日・蓼科エレジー・七夕おどり・他人酒・旅鴉・旅鴉(たびがらす)・旅鴉半次郎 ふりむけば夕陽・旅路の雨・大東京音頭・父は待つ・中学三年生・ついて来るかい・津軽慕情・ツキツキ節・つめたい指・つゆ草の女・東京へ戻っておいでよ・東京ラテン十八番街・東京流転笠・通り雨・ときめきワルツ・嫁いだ娘の幸せを・同級生・泣いてゆずった恋なんだ・仲間たち・泣くな玄太郎・なさけ川・浪花夜曲・涙のとなり・涙のラーメン・なやみ・二度目の春を信じます・二度目の操 ~セカンドバージン~・日本人応援歌・日本橋のうた・ねんねん船唄・野菊・博多しぐれ・博多情話・博多舟・初恋マドロス・波止場通りなみだ町・花一輪・花影の母・花咲く乙女たち・花も実もある人生航路・母影・母灯台・春子・春蝉・春という名の女・春の来ない冬はない・春を待つ少女・比叡の風・日暮れ坂・ひとりぼっち・ひとり・ひとりぼっちのガキ大将・火の酒・ひろしのさくら音頭・夫婦きどり・風紋・福寿草・ふたりの明日・ふたりの坂道・ふたりの春・ふたり舟・ふたりぽっち・不断草・冬仕度・冬の月・フラワー&グリーン(花の輪音頭)・ふるさとの四季をうたう・ふるさとの祭り・ふるさとは心の駅・北越雪譜~雪のロマンを歌うまえに~・星影のワルツ・ぼけたらあかん長生きしなはれ・ポッポー船・窓・瞼の母・満天の星・見返り花・御輿・水色のひと・水割り・みちづれ・道連れ・南風・都忘れの花のように・未練ごころ・無理をするなよ・めぐり逢いしのび逢い・地下鉄(メトロ)は今日も終電車・もうさよならですか・燃える男・最上川恋唄・靖国の母・夕顔の雨・優子・夕焼け・夕焼けの空・雪国の女・雪椿・雪の宿・雪のれん・雪わり草・夢追い酒・夢ごころ・夢の中まで・夢よもういちど・夜汽車で帰ろう・ヨコハマ物語・良太郎節・りんごっ子三味線・若い明日・若い君若い僕・若い太陽・若いふたり・若き日の歌・わかれ花・わかれ道・忘れてほしい・・・





略歴
・1949年、上京、流しの演歌師になる
・1956年、『お月さん今晩わ』にて作曲家としてデビュー
・1965年、太平音響株式会社の設立に加わり専務取締役となる
・1966年、『太陽も笑っている』が映画化、『太陽に突っ走れ』 のタイトルで東映から製作配給
・1968年、ミノルフォンの社長に就任
・1972年、買収され徳間ジャパンに改組
・1988年、ハワイで心臓のバイパス手術を受ける。
・1989年、テレビ朝日で『玉置宏の歌謡日本』放送開始。
・1994年、遠藤実歌謡音楽振興財団設立。西蒲区越前浜に「遠藤実記念館」をオープン。
・2003年、文化功労者に選出。
・2008年12月6日10時54分、急性心筋梗塞のため東京都内の病院で逝去した。76歳没。

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・2008年12月19日、正四位に叙し、旭日重光章を授与
・2008年12月26日、国民栄誉賞を授与することを閣議に於いて正式決定
・2009年8月1日に、新潟市の地下街『西堀ROSA』の一角に遠藤実メモリアル・ルームが開設
・2017年3月26日、顕彰碑が、少年時代を過ごした新潟市西区のJR内野駅前に設置され除幕式が行われる。
・2023年5月、「遠藤実歌謡音楽振興財団」が新レーベル「Minoru Endo Music Foundation」を始動することを発表した。


記念碑

遠藤実顕彰碑 宮田亮平書

【略歴】 歌謡界で、初の文化功労者、没後には国民栄誉賞を受賞した作曲家・遠藤実さん(一九三二~二〇〇八)は、戦争激化に伴い、一九四三年に東京から両親の出身地・旧西蒲原郡曽根町(新潟市西蒲区)に疎開、その後旧内野町(同市西区)に引越し、慣れない土地で小学校時代を過ごしました。後年、「あの日本海で過ごした少年時代が無かったら、人の心に訴える歌は書けなかったし、作曲家にもならなかった」と語っています。情感あふれる遠藤メロディーを育んだ原点が日本海・内野の浜でした。 戦後七十年を過ぎ、アジア地域の政治情勢が緊迫する中「北国の春」(千昌夫)「高校三年生」(舟木一夫)に代表される遠藤メロディーは、国境を越えて中国、韓国などアジア各国をはじめ、世界三十数カ国で歌い継がれています。新潟県に関わる曲も、「大新潟音頭」(三波春夫)「雪椿」「越後絶唱」(小林幸子)「ふるさとよありがとう」(遠藤実)など数多く、新潟市西内野小学校校歌や南魚沼市歌も作曲しました。


南魚沼市市歌「時代新たに」の歌碑

遠藤実の直筆楽譜が金属板に刻まれている。近くの坂戸山をイメージしたデザインで、魚沼市合併5周年を記念し、2011年に市役所本庁舎前に建立された。詩は公募で選ばれ、千昌夫「北国の春」、杉良太郎「すきま風」の作詞家いではくが補作詞している。





遠藤実記念館実唱館 ※地図 ※ストリートビュー
遠藤実顕彰碑 ※地図 ※ストリートビュー
南魚沼市市歌「時代新たに」の歌碑 ※地図 ※ストリートビュー








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