小林幸子 Sachiko Kobayashi



1953(昭和28)年12月5日〔生〕-

小林 幸子(こばやし さちこ)は新潟県新潟市出身の演歌歌手である。本名、林 幸子。旧姓、小林。血液型はA型。 身長165cm。レコード会社コロムビアミュージックエンタテインメント所属。
漫画家の小林まこととは親戚である。

  • 1963年、TBS「歌まね絵本」でグランドチャンピオンとなり、審査委員長の古賀政男にスカウトされる。
  • 1964年、古賀作曲の『うそつき鴎』でデビュー。
  • 1979(昭和54)年発表『おもいで酒』の大ヒットで、この年の暮れNHK「紅白歌合戦」に初出場。
  • 2006年10月、旧山古志村の中越地震からの復興シンボルとして、山古志住民の田んぼ「小林幸子田(でん)」が作られ、 小林と地区住民で稲刈りが行われた。
  • 2007年3月、復興への想いを込め「越後絶唱」の歌詩を刻み込んだ『感謝の碑』を建立
  • 2007年9月、「新潟市観光大使」、「新潟米大使」に任命される。
  • 2011年11月、会社社長の林明男氏と結婚。
  • 2012年4月、幸子プロモーション社長関根良江氏を解任する
  • 2019年9月24日、網膜剥離手術を受け成功、失明の危機であった。

小林幸子の苦難

2012年3月、長年苦楽をともにした事務所スタッフ2人が退社。報道が過熱し大きな騒動にまで発展した。この年33年連続で出場した紅白歌合戦に落選した。レコード会社から告げられたのは突然の新曲の発売延期や決まっていた仕事は相次いでキャンセルになった。
負のスパイラルに落ちた幸子に手を差し伸べたのが、動画配信サービス「ニコニコ動画」からの出演依頼だった。初めての投稿からわずか3日間で再生回数は100万回を突破。当時、ニコニコ動画史上、最速記録を樹立し、話題となった。
2015年、紅白から出演オファーがあり、特別枠として2012年の紅白落選から4年ぶりに返り咲いた。




🔶略歴
・1963年、TBS『歌まね読本』でグランドチャンピオン
・1964年、古賀作曲の『ウソツキ鴎』でデビュー
・1968年、青春ドラマ『青い太陽』に主演
・1974年、第一プロダクションに移籍
・1979年、『おもいで酒』が200万枚の大ヒット、『第30回NHK紅白歌合戦』に初出場
・1980年、シングル『とまり木』も大ヒット
・1983年5月、ロサンゼルス、ブラジルなどで初めての海外公演を行い、新宿コマ劇場で初の単独座長公演
・1987年、幸子プロモーションを設立
・1996年、日本コロムビアに移籍
・1997年、第9回日本ジュエリーベストドレッサー賞受賞
・1998年、芸能生活35周年を迎え、ライブ「35th ANNIVERSARY Boogie&Blues」を開催
・2000年、日本レコード大賞 美空ひばりメモリアル選奨受賞
・2001年、『夢の涯て〜子午線の夢』で、日本レコード大賞編曲賞受賞
・2003年、芸能生活40周年、加茂市に「雪椿」の歌碑が建立、藤田まさと賞大賞受賞
・2004年、第55回NHK紅白歌合戦で、初の大トリを務める
・2005年、新潟市、長岡市より特別感謝状を授与。日本レコード大賞特別表彰
・2006年、第27回松尾芸能賞大賞受賞、紺綬褒章を受章
・2007年、長岡市に『越後絶唱』の歌碑が建立
・2012年5月1日、日本財団主催の「被災地で活動した芸能人ベストサポート」で表彰される
・2012年4月、幸子プロモーションの女性社長と専務を解雇、8月、日本コロムビアと契約解除
・2014年、日本武道館コンサート『50周年記念小林幸子in武道館〜夢の世界〜』を開催し、公演の模様はニコニコ動画により生放送。
・2015年、母校の新潟市立日和山小学校の校歌を作詞・作曲
















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  • 作者:幸子プロモーション/猪原賽/國立アルバ
  • 出版社:秋田書店
  • 発売日: 2024年04月08日