水島新司 Shinji Mizushima
1939(昭和14)年4月10日〔生〕 -2022年(令和4)1月10日〔没〕 水島 新司(みずしま しんじ )は、漫画家で、野球漫画の第一人者。新潟県新潟市出身。代表作に『ドカベン』など。血液型はB型。 実家は、新潟市白山で魚屋を営んでいた。白山中学の時代には、毎朝河岸に通って、家業を手伝った。中学三年の時には、出席日数が不足して、卒業も危ぶまれた。 白山中学の隣りには、後の水島の作品にも登場する明訓高校があった。家の事情で進学できなかったが、水島にとって、明訓高校の野球部は、憧れだったと思われる。 漫画は昼休みの2~3時間を利用して描きつづけていた。そして、大阪の出版社の新人杯に入選する。そして、1958年水島18歳のとき、請われて、大阪の出版社に勤めることになる。 1964年上京。 1970年、週刊少年サンデーで「男どアホウ甲子園」を発表 1972年4月、少年チャンピオンで「ドカベン」を発表など 1998年に創設された新潟市主催「にいがたマンガ大賞」では第1回開催から第11回開催まで最終審査委員長を務めるいた。 2002年12月14日、: さびれた商店街を再生させるために作られた「水島新司まんがストリート」の目玉として、人気キャラの「ドカベン」や「あぶさん」など7体のブロンズ像が設置された。 2005年4月紫綬褒章を受章。 2009年4月、市主催「にいがたマンガ大賞」最終審査員を辞任。※6月完成予定の県営野球場に「ドカベン」の名称を使う構想を県から申し込みを受け了承していたが、泉田裕彦知事の判断で事実上頓挫したことで、行政への不信感を募らせたことが原因とみられる。 2015年3月、水島プロダクション「ドカベン」や「あぶさん」など7体のブロンズ像の撤去を申し入れたことが判明する。 また、観光循環バスやマンガ・アニメ情報館に水島氏のキャラクターを使用してきたが、契約終了し、3月末で「ドカベン号」が姿を消した。 2018年6月28日、秋田書店(東京都)発行の週刊少年チャンピオンに連載中のシリーズ「ドカベン」が6月28日日発売号をもって終了した。 2020年2月11日亡くなった野村克也に対し、ドカベンのモデルは野村だと語っていた水島は、
2020年12月1日、引退を表明する。「突然の訃報に信じられません。毎日のようにテレビや新聞、雑誌で元気な近況を届けてくれていた野村さんでしたのに悲しいです。とても残念です。長い間、本当にお世話になりました。さようなら、大恩人、野村克也様。ご冥福をお祈りいたします」と語った。 2022年1月10日、肺炎のため、東京都内の病院で死去。 🔶略歴 ・1958年、貸本漫画出版社『日の丸文庫』の漫画短編誌『影』の新人漫画コンクールにデビュー作『深夜の客』を投稿 ・1964年、日の丸文庫専属を経て独立、上京 ・1969年、『エースの条件』を発表 ・1970年、『男どアホウ甲子園』、『銭っ子』を連載 ・1972年、『野球狂の詩』『ドカベン』を連載開始 ・1973年、『あぶさん』を連載開始 ・1975年、『一球さん』を連載 ・1976年、『球道くん』を連載 ・1977年、野球漫画専門誌『一球入魂』を創刊し『ある野球人の記録』を連載 ・1981年、『光の小次郎』を発表 ・1983年、高校野球漫画の集大成作品『大甲子園』を発表 ・1984年、『極道くん』 ・1987年、『虹を呼ぶ男』 ・1988年、『ストッパー』 ・1990年、『おはようKジロー』 ・1993年、『平成野球草子』 ・1995年、『ドカベン プロ野球編』 ・1997年、『野球狂の詩 平成編』 ・2000年、『新・野球狂の詩』 ・2004年、『ドカベン スーパースターズ編』 ・2005年4月、 紫綬褒章受章 ・2007年、第36回日本漫画家協会賞文部科学大臣賞受賞 ・2014年11月、 旭日小綬章受章 ・2018年6月、野球マンガ「ドカベン」シリーズが、28日発売の連載誌「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)31号で完結し、約46年の歴史に幕を下ろした。 |