豪農の館 保阪邸 Hosaka Residence 上越市



保阪家は県内屈指中野目の大地主で、もとは越後国頸城郡上杉村の高田藩領大光寺集落(後の三和村)にいた。
初代徳右衛門が元禄のころ(1700年前後)荒川(関川)の舟運に便利な高田の稲田に移って、米穀商を営み、別邸を戸野目においた。酒造・金融・飯屋などの経営に手を広げるようになるとともに、本拠を戸野目に移した。
高田藩主榊原政令時代の文政年間(1818~1830)6代当主武助は藩の御用をつとめ、財を蓄積し、村役人をつとめ郷士の家格を持つにいたる。中江用水の余荷金を5万両融通している。
弘化4年(1847)の大地震や水害、天候不順による凶作続きで高田榊原藩が財政窮乏の折、大肝煎として多額の冥加金等を拠出した。
1871年(明治4)の廃藩置県時には、8代当主貞吉は戊辰戦争や凶作で悪化した高田藩の財政再建や士族授産のために私財を投じ、高田城の外堀へ蓮を植えさせて蓮根栽培事業を始めた。
榊原家が東京へ移住するとき金融その他の面倒を見たため、それと引き換えに多くの財宝をもらいうけた。
1892年(明治25)の貞吉の田地所有面積は600町歩余、1,000人の小作人を抱え、上越では群を抜いた巨大地主となった。
貞吉の子9代当主潤冶は1908年(明治41)貴族院議員に選ばれ、また書画・美術品の収集でも知られた。
戦後の農地解放による土地制度の変革によって没落し、ほとんどの財産が人手に渡り、怡顔亭(旧保阪邸)など邸宅も相続税の捻出のため、10代当主隣三郎によって売却されている。
現在、保阪邸は怡顔亭(旧保阪邸)などの管理をまかされた保阪家によって春・秋の年2回公開されている。




紅葉
建物を囲む庭は、7年かけて作庭したという回遊式庭園。広さは4000坪に及び森のような雰囲気を醸し出す。お屋敷は普段は非公開であるが、春と夏、秋の数日公開される。
〔見頃〕11月中旬から下旬





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The lotus in Takada Joshi Park was originally grown and sold by Sadakichi Hosaka,the great-grandfather of the current head of the family,for the livelihood of the samurai of the Takada clan. The detached Igan Residence is a wealthy farmer's residence with a temple-style entrance and a sukiya-style main house. Both houses have numerous delicate interior decorations. The Hosaka family were also art collectors,and many of their possessions are fascinating and rare.