中原邸は江戸時代末期に建てられ、敷地面積は約1万3千200平方メートル。 中原家の先祖が漁業や水運業を営み、財を成したことから家紋に「投網の紋」が使われました。江戸時代には、大名がこの近辺を通る際、本陣としての役割を担いました。江戸後期、中原家は「乳の潟」の新田開発を行い、その新田は藤蔵新田と呼ばれました。 中原家は、新田開発や幕府への献金などにより名字帯刀を許され、中原久成は初代赤塚村の村長となりました。中原家は赤塚周辺と鱸・内野地域の土地を持っていました。 1878年には明治天皇が北陸巡幸の際、昼食のために立ち寄った。 特徴として 中原邸の敷地は現在約4,000坪あります、 ①当時の姿で現存する明治天皇行在所 ②明治時代のレンガ塀 ③明治・大正の建築 ④敷地の半分近い広さをもつ竹林が挙げられます。 地元住民らでつくる赤塚・中原邸保存会などが主催し、年に2回、春と秋に一般公開している。 地図 ストリートビュー |
The Nakahara residence was built at the end of the Edo period (1603-1867) and covers an area of about 13,200 square meters. In the late Edo period, the Nakahara family developed new rice fields in the "Chichi no Lagoon" area,which were called "Fujikura Shinden" (new rice fields). |