澤将監 ( さわしょうげん )の館 Sawa Shogen's Hall 新潟市



"初代の澤将監は本来甲斐武田信玄の家臣であった。武田氏滅亡後、上杉氏を頼って越後入り、慶長17年(1612)にこの地に来住した。澤家はそこで新田開発に力をそそぎ、澤家の名声を高めた。慶安2(1649)年に大庄屋を務めた。

旧中之口村では、史跡公園整備事業として、1994(平成6)年に、石高5千石といわれた澤大庄屋を往年の姿で復原しました。
地域の教育・文化、コミュニティー形成の場として、また観光の拠点施設として利用しています。"(案内図)




復元澤将監の館 ≪パンフレットより≫

◆澤家のあらまし

澤将監は澤家の先祖にあたり、本来は甲斐の国で武田信玄の家臣として仕えていました。武田氏滅亡後、上杉氏を頼って越後に入り慶長十七年(一六一二)に現地に来往。かつては低湿地のため水の被害をたびたび受けていたこの地の開墾に、力をつくしました。
元和二年(一六一六)に村庄屋に、慶安二年(一六四九)には村々の庄屋連中を取り締まる大庄屋に任命。大庄屋は農民階級ではなく、武士として待遇されたということで、澤家にも大きな権限が与えられました。復元された館の大本が、この頃でき上がったのではないかと思われます。

◆復元にあたって

「澤将監の館」はその遺構の大きさ、邸内の広さ、松並木の雄大さなど、近郷はおろか全国でもまれに見る規模の大庄屋の遺構です。現存する正確な家相図を基に、宮大工の手により、釘を一本も使わずに造られた建物は、木造建築としては最高の技術を施したもの。全国からよりすぐったケヤキ材をふんだんに使っています。
石高五千石とも言われた大庄屋の偉容を誇る表門は、総茅葺きの屋根。正面に向かって右側に武者窓があり、左側には農民へのおふれ書きなど掲示した高札場跡も残っています。
堂々とした建物はもちろん、ふすま絵や書、池泉回遊式庭園など、見応えのある史跡です。






澤将監の館 地図 ストリートビュー