堀口大学 Daigaku Horiguchi 長岡市



1892年(明治25)1月8日〔生〕 - 1981年(昭和56)3月15日〔没〕

大正-昭和時代の詩人,翻訳家。堀口大学は、東京帝大在学の堀口九萬一の長男として東京市で生れる。在学中の子だったことから大学と名付けられた。外交官となった父の仕事の都合で、実家のある長岡に転居した。
幼少期から17歳まで長岡市で過ごし、太平洋戦争中の45年、妻の実家があった妙高市に疎開し、その後、46~50年に旧高田市の借家で家族と過ごした。詩訳集「月下の一群」や詩集「月光とピエロ」で昭和の詩壇に大きな影響を与えた。
明治25(1892)年1月8日、堀口九万一(くまいち)の長男として、東京・本郷に生まれる。幼児期から少年期にかけては、新潟県長岡で過ごす。旧制長岡中学校を卒業し、上京。
明治43(1910)年、慶應義塾大学文学部予科に入学。明治末から青年期の十数年を外交官の父とともに海外ですごすこととなり、慶応義塾中退。
慶應大学の学生であった頃、小泉信三、久保田万太郎、佐藤春夫、堀口大学、水上滝太郎、小島政二郎ら学生が銀座のブラジルコーヒーカフェ『銀座パウリスタ』に通ったことから『銀ブラ』という言葉が生まれた。
明治44(1911)年 7月、父の任地メキシコ赴任の途中喀血、ホノルルで入院。メキシコ滞在 でフランス文学に関心をふかめ,仏語を勉強 。
大正8(1919)年、 処女詩集「月光とピエロ」、処女歌集「パンの笛」刊行。以後、昭和の詩壇におおきな影響をあたえた。
芸術院会員。
昭和20(1945)年に妙高山麓(旧関川村)の妻の実家に疎開。 この年父が死去
昭和21(1946)年、高田市南城町に移り、1950年まで居住する
昭和54(1979)年、文化勲章。
昭和56(1981)年3月15日、死去。89歳。

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(没後)
☯平成9年(1997)、長岡市立中央図書館が「堀口大學コレクション」を開設



🔶代表作 詩集「砂の枕(まくら)」,歌集「パンの笛」など。

🔶記念碑
🔶墓所
神奈川県鎌倉市十二所512 鎌倉霊園


















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