プリンセス天功 Princess Tenko 妙高市



引田天功(Hikita Tenkou 本名板倉満里子(いたくら まりこ))1959年(昭和34)6月29日 〜

二代目・引田 天功(1959年6月29日 - )は、新潟県新井市(現在の妙高市)出身の奇術師、イリュージョニスト。本名は板倉 満里子(いたくら まりこ)。別名プリンセス・テンコー (PRINCESS TENKO)。左利き(両利きとの説もある)。日本奇術協会国際交流委員長。アフリカ野生動物保護基金(AWF)日本事務局の親善大使。

未熟児で生まれ、病弱だった彼女は、医師から長くない命であると診断されていた。15歳のとき役者を夢見て、母親の遠縁をたよって上京する。両親も、長くない命なら本人の好きにさせてやろうと送り出した。

母親のいとこが初代・引田天功(故人)のいとこだった縁で、女優を目指していた天功が、 初代引田天功に1976年から師事。
1977年に倒れた初代引田天功の代役で脱出芸を行った後、1978年にマジックのできるアイドル歌手『朝風 まり』の芸名でデビューし、しばらく歌手として活動した。
しかし初代の死去後、1980年12月に20歳で二代目を襲名し先代の遺志を受け継いで、『水中大脱出』を成功させるなどして、一躍、時の人となった。『水中大脱出』では失敗して、救急車で運ばれなど、命がけのイリュージョンを展開するようになる。
1981年(昭和56)6月27日には生まれ故郷の新井市で初公演を果たした。
1980年代、ディズニー社の目に留まり、ハリウッドにあるクラブ「マジックキャッスル」から招かれて、“プリンセス・テンコー”としてアメリカでブレイクした。その後は、世界各地で公演を展開し「プリンセス・テンコー」の愛称で知られるようになる。

1990年、米国マジックアカデミーショーの大賞である「90マジシャン・オブ・イヤー」を受賞。また同年、米国でインターナショナル・ベストエスケープアーティスト大賞を受賞。
人気アニメのモデルになり、マテル社が発売したテンコー人形の売上は8百万体。人気は「逆輸入」され、国内で年間3百ステージをこなす。

1998年朝鮮民主主義人民共和国の芸術フェスティバルに招待され、話題となる。北朝鮮の金正日総書記は彼女の大ファンだと伝えられており、貴重な豊山犬を贈られ、また彼女の名を冠した奇術専門の劇場が建てられたといわれている。

2013年10月1日、森企画事務所から吉本興業へ所属事務所を移籍している。

2024年3月3日、約45年ぶりに音楽活動を再開し、yucat作詞作曲の「Magical Jungle」を配信リリースした。














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