大字坊金、霧ヶ岳の西南中腹に建立された武能神社旧社地には、枝張りの径、実に26メートルに及ぶこんもりと茂った大スギがある。 このあたりは、風間信濃守信昭が越後、南朝軍の中心となって北朝軍と相対していたころ、坊金城があったといわれているところで、直峰城の偉容を望む絶景の地であった。 伝説によると、直峰城が上杉氏の支配下におかれ坊金城が廃城となったとき、直峰城の鬼門の守りとして建てられた七堂の大伽藍、すなわち「城鎮」があったという。 当時この大スギの枝にかねを吊り下げ、連打して合図したという言い伝えが残っている。 目通りの幹回り8.5メートル、樹高約25メートル、地上3メートル付近より多数の枝を出している。独立樹であるため、遠くからその全貌を見ることができます。 樹齢約800年と伝えられるが、樹勢なお旺盛である。 昭和31年、県の天然記念物に指定された。※ストリートビュー
≪現地案内看板≫
天然記念物 坊金の大スギ 昭和三十一年三月二十三日新潟県文化財指定 所在地 東頚城郡安塚町大字坊金字武能 このスギは武能の諏訪神社境内に生えた独立樹で、御神木として土地の人たちが昔から育成してきたものである。 樹齢八百年以上、目通りのまわり八・五メートル、高さ約二十五メートル、枝張りの径約二十六メートルの巨木である。 この御神木の特徴は、地上約三メートル付近から多数の枝が下方にむかって張り出していて、北側の一本の枝は地に接して、そこから派生した四本の枝が垂直に伸びている姿は奇観である。 また戦国時代上杉謙信が直峰城との連絡のためこのスギの枝に鐘を吊り下げ、それを連打して合図したと言い伝えられている。 新潟県教育委員会 安塚町教育委員会 |