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村雨の松 Pine of Murasame 佐渡市



村雨の松は、加茂湖と両津湾を結ぶ境川にかけられた、両津欄干橋のすぐ北側、両津保安署の敷地内にあり、昔も今も行く船の目標となっている。
江戸時代中期の宝暦年間(1751~1764)、佐渡奉行所の役人西川藤兵衛が夷番所定番役になった際、番所脇に植えたものといわれている。推定樹齢300年、樹高18.5m、幹回り6.3mの黒松の巨木である。
1956年(昭和31)3月23日、県の天然記念物に指定されている。、
番所は明治時代以後税関に変わり、今はその税関跡に両津海上保安署の建物が建つ。
2017年(平成29)8月、台風5号来襲時、一番太い幹から枝分かれした長さ約6メートル、幹回り約3メートルの枝1本が折れる被害を受けた。

[御番所の松」「御旅所の松」、とも呼ばれ、「〽松になりたや御旅所の松に枯れて落ちても離れやせぬ」と両津甚句に一節にも歌われている。「村雨の松」の名は、明治34年(1901)に訪れた尾崎紅葉が、マツが波のしぶきに濡れるありさまを「村雨に濡れる風情あり」として命名したことによるものである。

佐渡では、村雨の松に関連してお松という娘の話が伝えられている。
昔、夷(両津)に松という美しい娘が住んでいて、毎晩欄干橋の上に立って若い男を呼び止めて騙していた。その頃夷の御番所に3人の役人が勤めていたが、一番若い役人がいつしかお松を好きになり、毎晩お松に逢って歓心を買おうと通い続けた。
ある晩お松は役人に向かい、「あなたがほんとうに私を好きなら、今夜私を背負ってこの橋の下を渡ってください。」と言った。役人は大喜びでお松を背負い川の中に入って中ほどまで来た時、突然お松は隠し持った短刀で役人の脇腹を刺し、殺してしまった。
人々は、秘密を役人に知られるのを恐れて、お松が殺したのだろうと噂したという。
お松はその後も欄干橋の上に立って若い男を騙していたが、ある盆踊りの夜、若者たちは集団でお松を襲い、橋の上から突き落として殺してしまった。お松の死体は翌日川に浮かんでいたという。
それからというもの夜になると御番所の松のあたりで若い女の泣き声が聞こえるという噂が広まった。中には髪を振り乱し水にびっしょり濡れたお松の亡霊が、恨めしそうに立っている姿を見たという者も何人かいた。不思議なことにこの声を聞いたり、姿を見たりした者は、必ず欄干橋から落ちて死んだという。
両津甚句に
「〽いやだいやだよ御番所の松は 掃部お松が出て招く」
と歌われている。



≪現地案内看板≫
新潟県指定天然記念物 村雨のマツ

指定年月日 昭和三十一年三月二十三日

「村雨のマツ」はクロマツの大木で、幹周りは最大部分で約六メートルあり、樹高は約十九メートルにおよぶ。枝張りは東西約十四メートルに広がっている。
江戸時代、御番所があったことから「御番所の松」とよばれていたが、明治に佐渡を訪れた尾崎紅葉が、このマツを見て「村雨の松」と命名した。
また、「松になりたや御番所の松に 枯れて落ちても離れやせぬ」と両津甚句にも唄われている。

平成十一年六月
新潟県教育委員会
佐渡市教育委員会





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