柏崎は、古くは水陸交通の要衝として栄えたところ。「越後富士」と呼ばれる米山が刈羽、頚城両平野に秀麗な姿を見せている。新道、鵜川神社境内にあるのは、昭和5年(1930)2月、国指定の天然記念物の大ケヤキ。 根回り約14メートル、目通りの幹回り11.5メートル。樹高は約20メートル、地上3メートルのあたり、しめ縄を巻かれた上部より四大枝に分かれ、主幹はさらに直立、上方で三つに分かれ、見ごたえ十分であったが、平成10年(1998)の台風で、主幹に被害が出ている。 樹勢が衰えるにしたがって、風による被害が増えている。大きな瘤が樹皮を突き破るように出ているのも樹勢の衰えのためだという。 記録によると、大正元年(1912)9月23日の暴風で東部の枝が大半吹き折られたという。その後、回復、勢いを盛り返したが、残念なことに昭和63年(1988)6月5日の台風で主幹の上部が折損した。※ストリートビュー さらに、平成10年(1998)9月の大風では約6mの長さの中心の枝(主幹)がへし折れ、社殿をかすめて横倒しになった。 平成3年(1991)の環境庁調査では、県内のケヤキでは幹回りで1位。調査対象のすべての巨樹の中では5位の大きさであった。 鎌倉時代の始めには、既に大木として知られていた。文治5年(1189)、源頼朝の軍勢が弟義経を討つために、鵜川神社に立ち寄り、戦勝祈願したとの言い伝えが神社に残っている。
≪現地案内看板≫
国指定文化財:記念物・天然記念物 鵜川神社大欅(昭和5年2月28日指定) この大ケヤキの樹齢は約1000年といわれ、根まわり約14m、目通り約11.5m、高さ約20mで、地上約3メートル付近で大きな4本の枝に分かれている。直立した主幹の上の部分があったが、現在は、枯れて腐食したためなくなっている。 記録によると大正元年9年23日と昭和63年の暴風によって、かなりの枝が折られた。調査によれば、全国のケヤキの中でその大きさが第8位にランクされているという。 昭和22年10月に昭和天皇が新潟県を巡幸したおり、10日から12日にかけて向かいの飯塚邸(秋幸苑と行在所)を宿泊所とされ、この大ケヤキをご覧になられた。 |
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