金北山 Mt. Kinpokusan 佐渡市
新潟県佐渡島中北部,大佐渡山地の主峰で佐渡の最高峰。標高1172m。大久保長安によって、佐渡金山が発見されたとき、「金北山」と名付けられた。 「御山」、「北山」、「越の高嶺」、「雪の高嶺」と呼ばれ、古くから島の総鎮守として親しまれてきた。佐渡おけさにも「佐渡の 金北山はお洒落な山だヨ いつも加茂湖で 水鏡」と唄われている。 山体は新第三世紀火砕岩類、紫蘇輝石安山岩からなっている。 古くから山岳信仰の霊山として開かれ、あがめられてきた。 昔は女人禁制とされ、島の男子が7歳になると、「初お山」といって山頂にのぼり、頂上にある金北山神社に参詣し、シャクナゲの枝を持ち帰ったり、成人に達すると金北山から壇特山、金剛山までを「三山がけ」するという風習があった。 現在、ほぼ維持されている登山道は、両津加茂歌代、横山、金井安養寺、新保(姫が沢と粟が沢)、沢口、中興、佐和田真光寺と、国仲の全域に渡る。 山頂には立派な金北山神社が建立されていて、祭神は大彦の尊、将軍地蔵も併置されている。金北山が島民の信仰を集めたのは、米の出来不出来を支配する「水の供給源」だからであろう。雪形は各地で農耕と関連した目安となっているが、金北山には「種蒔き猿」の伝説がある。 佐渡島は沖を流れる対馬暖流の影響で、冬は暖かく、夏は涼しい。そのため金北山は、1000m級の山では通常みられない高山植物が分布する珍しい植生を持っている。 金山山神社の沿道にはカタクリ、シラネアオイ、ショウジョウバカマ、ヤマエンゴサク、サンカヨウ、エゾアジサイ、フキノトウ、タムシバ、ミズバショウなどが咲く。 頂上からの願望はすばらしい。 眼下に国中平野や加茂湖、両津港、真野湾が地図を見るようにひろがり、天候に恵まれれば小佐渡のかなたに本州の朝日岳・谷川岳・立山連峰などが望見できる。(案内図) 🔶横山口コース登山口の標識からすぐに林内の道になるが、最初は滑りやすい道を登る。野水地蔵の水場から道は下り気味になり、安養寺分岐、新保分岐を過ぎると平坦な歩きで、じゅさい池に着く。ブナの巨木で右に折れると祓川に着く。石の流しと新しく奉納された不動明王がある。左の急坂を上って鳥居をくぐり、ブナの純林を進み、神小岩に到着し、初めて国仲平野の展望が開ける。ここからは稜線道になり、ネマガリダケの生い茂る縦走路へ出るとドンデン山からの道になり、左へ進むと山頂である。🔶ドンデン山荘コース山荘脇の道から入山し、尻立山を目指す。尻立山頂上に立つと草原的景観のドンデン高原をはじめ、金北山や金剛山などが一望できる。車道を5分ほど歩くと金北縦走路入口に着く。マトネまでは展望のない樹林帯の中を進む。マトネ(孫次郎)に着くと前方の展望が開け、石花越分岐に下り、本格的な尾根歩きが始まる。徐々に標高を上げていく。イモリの頭、天狗の休み場を過ぎ、役の行者へ。あやめ池を過ぎると最終の登りにはいり金北山頂上に着く。🔶沢口登山口コース沢口登山口がある防衛相管理道路から右の道路に入り初盛ダム方向へ車で進む。車を置けるスペースがある。「金北山道」の標識がある。石切場跡と沢に沿って歩いていく。沢の終点に「たて池の清水」があり、傍らに苔で覆われた石仏が2座鎮座している。 水場の右手には佐渡最大のミズバショウの群生池がある。カタクリ、ショウジョウバカマ、タチツボスミレ、エゾエンゴサク、エンレイソウ、イチリンソウ、キクザキイチリンソウなどが林床を彩っている。 新保分岐で横山登山口からの道と合流する。標高500m付近の「ジュサイ池」へと続く。初夏には見事なカキツバタが咲き、登山路に沿って ザゼンソウの群落、ブナの巨木も見え始める。550m付近の水場が祓川である。昔、金北山登拝の際には、この水場で一息入れ、体を清めて登っていったといわれている。800m付近の神子岩では、展望が開ける。ブナが主役の尾根道は急登である、山頂は間近である。タムシバ、レンゲツツジ、ハクサンシャクナゲが尾根筋の登山道を見事に彩っている。
🌌金北山のブナ林島内では最も規模が大きい天然のブナ純林がある。およそ樹齢は100年、面積8ha。大佐渡山地は、冬季の強い季節風や雪の影響で植物の生育には厳しい環境にあり、高木性の樹木はなかなか上に伸びることが出来ず、変形して伸びるものが多い。 しかし、金北山のブナ林は、スラリと伸びた幹で、20mの高さに育っている。山頂から見ると、このブナ林はまるで緑のように浮かび上がって見え、春の新緑や秋の紅葉の頃の眺めは素晴らしい。 金北山神社古くは「北山」と呼ばれ、朝廷の祈願所であった金北山。神亀元年(724)の創建と伝わる古社。奥社は山頂にあり、冬は参拝できないので里社を建立。天正17年(1589)、越後の上杉景勝が佐渡を配下とした際に真光寺を創建し、真光寺に金北山神社の祭祀権を移したと伝えられ、江戸時代には境内に東照宮を建立、歴代将軍の位牌が祀られていた。真光寺の前身は、本坊沢の地にあった修験の成就院とされている。 真光寺は相川金山の発見後に益々信仰を集め、隆盛を極め、末寺門徒を多数有したとあり、小木地区小比叡の蓮華峰寺に次ぐ名刹であったという。山頂社が焼失した時には官費で造営されたとか。 明治元年(1868)の神仏分離令により廃寺となり、279年間続いた山容は姿を消した。 戦前男子が数えで7歳になると親に連れられて山へ参拝し、成長と大成を祈願する「初山掛」という習わしがあった。厄除けとしてシャクナゲの枝を持ち帰ったという。
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