「こんな家出てってやる!!」

 

その一言を叩きつけ、あたしは家を飛び出した。

ほんと馬鹿みたい。

自分でも子供だと思う。

でも雨の中に飛び出した時のあたしは頭に血がのぼってて何も考えられなかったんだ。

 

 

 

 

【BAR children】

 

第一夜

 

 

 

 

………あれ?

あたしはふと気付いた。

えーと確か日暮れ前に家を飛び出して…それからどうしたっけ?

そうそう雨でびしょぬれになって髪も服もびしょびしょ。

水もしたたるいい女、なんてなかなかいないものだ。

まだ18の小娘だものね。

ふぅ…。

髪に手をやると手触りの良いタオルの感触があった。

タオルでふいたあとはちゃんと乾かさないと…?

…タオル?

髪はほとんど乾いてた。びしょぬれになっていた服もいつのまにか着替えていた。

頭からタオルを取って辺りを見てみる。

ちょっと薄暗い。

カウンターにお酒がたくさん置かれた棚。後ろにはテーブル。

少し離れたところに入り口らしき扉があり、その向こうにちょうど対照になるようにテーブルとカウンターがある。

向こうのカウンターには何人かのお客がいて、テーブルは満席だった。

あたしはカウンターの隅の席に座っている。

目の前ではバーテンさんがなにやら湯気のあがる液体をコップに注いでいた。

あたしの視線に気付いたのかバーテンさんが顔を上げた。

赤い…ていうか紅い瞳が私をまっすぐに見た。

なんていうか綺麗だ。

「………起きた?」

そう言われてあたしはしばらく前のことを思い出した。

 

 

雨の中を駅の方角に向かって全力疾走5分と15秒。

頭が冷えるのにかかった所要時間だ。

そのあとぶるっと震えが来た。

小さい頃はこうじゃなかったけど数年前から日本にもきっちりと冬がやってくる。

おじさんやおばさんは四季が戻ったと喜んでいたけど常夏の日本しか知らないあたしたちにはたまったものじゃない。本格的に冬が来た最初の年は日本各地で学級閉鎖が相次いだそうだ。

「寒い…」

とはいえ、いまさら家に戻れたものじゃない。

とりあえず財布がポケットに入っていたのは幸運だった。

雨宿りのためにひとまず商店街に向かったんだけど、ずぶぬれで喫茶店やファーストフードに入るのも恥ずかしいし、どうしたものかと悩んでいるうちに日が暮れてしまった。

そんなときふとその階段が目に入った。

なぜだかわからないがその階段を下りたくなった。

気付いたらドアの前にいた。
 
 
 
 

 

BAR children
 
 
 
 
 
 

 

学校かどこかで聞いた覚えがあった。最近流行のお店だとかなんとか。もっともさすがに女子高生が入れる店ではないので大学に行ったらみんなでいこうねって…

大学…という言葉でなんだか腹が立った。たぶん、また頭に血がのぼったんだと思う。

気付いたら中に入っていた。

 

なんだか不思議なリズムの曲が流れていた。

お客さんは他にはいなかったと思う。

あたしは入り口にぽつねんと立ちつくしていた。

「いらっしゃいませ………?」

ウェイターさんがそう言って怪訝そうな顔をした。

それはそうだあたしは家を飛び出してきたんだからセーターにジーンズ姿だった。

おまけに髪からも服からも水が滴っている。

…あ、

ふっと頭の血が下がる。

ど、どーしよ?と、とりあえず謝って…

…あ、あの、

あたしが謝る前にウェイターさんがスタスタと歩いて目の前にやってきた。

…やだ、かっこいい

細面で女性的な感じがするハンサムさんだ。背も高い。

そのウェイターさんが微笑んだ。

あたしはさっきとは別の理由で頭に血がのぼった。

…え?

すっとウェイターさんがあたしの手を取ると中に引っ張っていく。

…え?あの?

そのままカウンターの中に連れて行かれる。

カウンターの上に載せたグラスを磨いていたお姉さん…よくわからないけどウェイトレスさんかな?

そのお姉さんが顔を上げた。

「どうしたのシンジ?それに…その手は何?」

どこか怖い響きの声でお姉さんが言った。

おそるおそる見るとすごい美人だった。

青い瞳に赤い髪。ハーフか何かだろうか?とにかく日本人離れしたお姉さんだ。ついでにスタイルも日本人離れしている。

とほほ…あたしもそこまでとは言わないけど胸がほしい

ウェイターさんが何か説明らしきものをしていたがあたしの耳には入っていなかった。

「…しょうがないわね。レイに任せてさっさと戻ってきてね」

そう言うとお姉さんは仕事に戻った。

 

奥のキッチンらしきところを通って更に奥の扉を開ける。

中に入ろうとしたウェイターさんがいきなり回れ右をした。

「ご…ごめん!」

あたしがひょっこり顔を出すとこれまた綺麗なお姉さんがシャツのボタンをしめている所だった。

「…どうかしたの?」

少ししてお姉さんが尋ねると少し慌てた口調でウェイターさんがお姉さんになにやら説明していた。あたしはまたしてもぼーっとお姉さんを眺めていた。水色の髪に紅い瞳。透けるように白い肌。さっきのお姉さんには及ばないけど均整のとれたプロポーション。

とほほ…あたしもそんな風になりたい

そのお姉さんは説明を聞くとウェイターさんを帰した。

そのあと、無表情な顔で言った。

「…脱ぎなさい、風邪をひくわ」

 

タオルを借りて、身体と髪を拭く。服を貸してもらって頭を通す。

あたしの服はエアコンの送風口の前につるされた。

その間、お姉さんはほとんどしゃべらなかった。

しゃべっても、

「…タオル」

「…これを着て」

「…乾かすわ」

おまけにまったくの無表情だから怖い。

怒っているのだろうか?仕事の邪魔をして。

勇気を出してそう聞いてみたけど、返ってきた答えは、

「………どうして?」

あたしはお姉さんの指示におとなしく従うことにした。

 

その後、左のカウンターの隅に座らされた。お姉さんはなんとバーテンらしくカウンターの中で準備を始める。

あたしはぼーっとそれを眺めていた。

何も聞かれない。

相手にされているのかもわからない。

気付いたらあたしは寝ていた。

 

 

「………起きた?」

…あ、はい。

「………そう」

バーテンさんはそう言って湯気を上げるグラスをあたしの前に置いた。

「………身体が暖まるわ」

なにやら透明な液体が入っている。

バーテンさんはさっさと仕事に戻っている。

お酒なんだろうか?まぁ、そういう店だしね

あたしはお酒への興味もあって軽く飲んでみた。

視界がぐるりと一回転した。

 

「………強かった?」

 

バーテンさんはカウンターの上を拭きながらそう言った。

あたしがお酒を吹き出した後のことだ。

一瞬、なにが起こったのかわからなかった。

血が沸騰し身体が燃え上がるようだった。

その後、けほけほとあたしはせき込んでいた。

…お、お酒ってこんなにきついものだったの?

 

さすがに気になったのかやってきたウェイターさんがバーテンさんに何を飲ませたのか聞いていた。

「…一番強いウォッカのお湯割り」

しばしウェイターさんは考え込んでいたがその後仕事に戻っていった。

…あぁ行かないで

 

「…身体は暖まった?」

…は、はい。

それは事実だ。

バーテンさんはさっきのグラスを片づけると別のグラスを置いた。

「…アルコールは入っていないわ」

本当にしゃべるときに人の顔を見ない人だ。

もっとも逆に落ち着くような気もするけど。

…あ、おいしい。

甘くていい香りがした。

「…そう、よかったわね」

 

 

少ししてからバーテンさんが聞いた。

「…傘は?」

なにやら唐突な質問だったが、要するに雨に濡れた理由を聞かれているのだろう。

もうさんざんお世話になった後だし隠すこともないや、と結論づける。

あたしは家を飛び出してきた、と言った。

「…どうして?」

つくづく言葉が少ない人だと思う。

でも、あたしは考え込んだ。

どうしてだろう?

 

きっかけは何だったろう?

あたしは高校で陸上部に所属していた。

引退前の成績は自分でもいい方だと思う。

だから大学でも続ける気でいた。

そっち方面の大学を志望した。

でも…

「そんなことはしなくていい。このご時世だ。少しでも就職口のあるところに行け」

我が家の主はそうおっしゃった。

あたしの頭が悪かったら話は違っていたかも知れない。

でも、困ったことに中途半端にあたしの成績はよかった。

無理をすればいい大学に入れるかも知れないくらいに。

 

でも、あたしは陸上をやりたかったんだ。

 

 

バーテンさんは黙々とグラスを磨いている。

まったく話を聞いてないようだけど…たぶん聞いてくれていると思う。

なんだか包み込まれるような雰囲気…お母さんみたい。

 

 

「いらっしゃい。何にする?」

「そうね。とりあえず何かお腹に入れようかしら」

「わかったよ」

そう言うとシンジはキッチンに消えた。

ユイはうれしそうにその後ろ姿を見送ると店の中を見渡した。

(…あいかわらずテーブルは満席ね。よしよし)

テーブルは前もって予約できるが既に年内は一杯。店の知名度がわかるというものだ。

「あら、ユイおばさま。いらっしゃい」

アスカがそう言ってユイの前にやってきた。

「ア〜ス〜カちゃ〜ん?」

ユイはにっこり笑いながら言った。

「あ………ユイさん、いらっしゃい」

つくづくこの女性にだけは逆らえないと思うアスカ。シンジの母親というせいもあるのだろうが…

「よろしい(はぁと)」

そう言うとユイはアスカにカクテルを注文した。

「しかし、お酒の量が増えるのも困ったものね」

「あら、ミサトのビールほどじゃありませんよ」

「まぁあれはあれで問題ね…」

息子の姉代わりだからミサトも娘みたいなものだ。少しばかり眉をひそめるユイ。

「ところで碇司令は?」

「あぁあの人なら会談が長引いているとかで今日は来れないみたいよ。そろそろ機嫌が悪くなる頃ね。相手を射殺しなきゃいいけど」

「そ、そうですか…」

思わず手元が震えるアスカ。

「…あら?かわいらしいお嬢さんがいるわね。どうしたの?」

反対側のカウンターの隅に座っている少女を見つけて言った。

「ああ…ずぶぬれで入ってきたんです。そしたらシンジが…」

「あら、相変わらず優しいわね。うちの息子は」

「単にお人好しがすぎるんです」

そこでユイは目を細める。

「…でも、そんなシンジが好きなのよね〜」

「え?わったった…!!」

慌てたアスカの手からグラスが落下する。

「おっと」

すとっとグラスを受け止めたのは片手に皿を持ったシンジだった。

「気をつけてね、アスカ」

そう言って微笑むシンジ。

ボッとのぼせあがるアスカ。

そのままギクシャクとした動きでカウンターの反対側の方向に歩いていく。

「…あんまりアスカをからかわないでよ母さん」

「あら、可愛い娘候補への愛情表現よ」

そう言ってユイは息子に勝るとも劣らない微笑みを返した。

 

 

「…それであなたはどうしたいの?」

…どうしようかな?

「…家に帰りたいの?帰りたくないの?」

…帰りたくない。

すっ

何かが動いたような気がして顔をあげるとバーテンさんがこちらを見ていた。

紅い瞳に吸い込まれそうな気がした。

「…ある少女がいたわ」

バーテンさんは唐突に話し出した。

「…その子には生まれた時から家族は存在しなかった。周りからは単なる部品として扱われその子自身もそう思っていた。その子の望みは無に帰ること。ただそれだけだった」

何の話なんだろう。

「…でも、その子にも家族と呼べる人ができた。その子の望みは無に帰ることではなくその人達と共にあることに変わった。それまでその子は家族という言葉の意味を知らなかった。でも、今はその意味を知っている。それを失いたくないと思っている」

ここに来てから一番長い話だ。

「…あなたには家族がいる。帰る家もある。それはとてもとても幸せなこと」

バーテンさんはあくまで淡々と話している。

「…なくしてしまってからでは遅いわ」

なぜか素直に聞いてしまう。

しばらく黙っていたあとバーテンさんはもう一度聞いた。

「…あなたはどうしたいの?」

 

あたしはしばらく考え込んでいた。

バーテンさんの瞳を見ているとすっと頭が冷えていろんな事を考えることができた。

…あたしはどうしたいの?

 

「綾波、時間だよ」

申し訳なさそうな声でウェイターさんが言った。

バーテンさんはうなずくと仮のステージみたいな所に歩いていく。

その間、私の方へ振り返りはしなかった。

でも、あたしのことを放っていくんじゃない。

それはわかった。

 

音楽が別のものに変わって、一段と店内が暗くなった。

そして…

バーテンさんは歌手さんにかわった。

 

Fly me to the moon And let me play amang the stars…

 

あたしはその歌声に身を任せていた。たぶん、他のお客さんもそうなんだろう…

 

 

 

帰ります、とあたしが言ってもバーテンさんは

「…そう」

と一言つぶやいただけだった。

なんとか乾いた服に着替えて財布を取り出すとバーテンさんは

「…あなたは何も注文していないわ」

そう言ったきり何を言ってもお金を受け取ってくれなかった。

結論、つくづくあたしは子供だと思う。

 

 

階段を上ったところでもう一度店を振り返った。

…あれ?

扉が開きバーテンさんが出てきた。

そのままゆっくりと階段を上ってきた。

「…傘」

そう言って一本の傘を差しだした。

あたしが何か言う前にバーテンさんが続けた。

「…ちゃんと返しに来て」

よくわからない人だ。

あたしはおとなしく傘を借りるとそこを立ち去った。

 

 

 

「…ただいま」

そう言って家に入るとお父さんが腕組みして立っていた。

あたしはそのしかめ面に何か言ってやろうと思ったのだが結局何も言えなかった。

お父さんはあたしがぼーっと突っ立っているのをしばらく眺めていたが不意に言った。

「…さっさと風呂に入れ」

そう言うと自分の部屋に戻っていった。

 

あたしはお風呂につかりながらふと思った。

…お父さんってあの格好のままずっと待ってたんだろうか?

思わず笑いがこみ上げてきた。

そしたらあの店から離れるときのことを思い出した。

 

 

 

 

傘を受け取ってそこを立ち去った後、あたしは一度だけ振り返った。

バーテンさんはさっきのまま無表情で立っていた。

いろいろ言いたいことが浮かんだけど、それを一つにまとめてあたしは叫んだ。

 

「ありがとう!!」

 

バーテンさんが笑った。笑ってくれた。

とっても素敵な笑顔だった。

 

あたしは駆け出した。

見えなくなるまでずっと見送ってくれるってなぜかわかっていた。
 
 
 
 
 
 

 

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それがあのお店の名前。たぶん…ううん、絶対忘れないんだ!
 
 
 
 

 

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