「あれ、青葉君は?」

帰り支度を済ませて発令所をのぞいたミサトが尋ねた。

「ああ、あいつなら今日はもう上がりましたよ。なんせ水曜日ですから」

手元の漫画を置くと日向が言った。

「そっか水曜日か。どうりで朝から機嫌がいいわけね〜」

合点がいった様子でミサトが言った。

「なんせ水曜日ですから」

この一言で全てカタがつくらしい。

「じゃ、あたしも帰るわ。当直ご苦労さん」

「お疲れさまでした!」

ミサトの姿が消えると再び発令所には静寂が訪れた

「ぷくくくくく

でもないらしい。

 

その夜もネルフ本部は平和だった。

 

 

 

 

 

【BAR children】

 

第二夜

 

 

 












ふとその階段が目に入った。

なぜだかわからないがその階段を下りたくなった。

気付いたらドアの前にいた。

 
 
 
 
 

BAR children

 
 
 
 
 

その店はいくつかの忠告と気合いと幸せを僕にくれた。

 
 
 
 
 
 
 

 

「いらっしゃいませ」

自分で言うのも何だが僕は指図されるのは嫌いな方だ。

だから、いつの間にか右のカウンターに座らされていたときは驚いた。

静かに流れる音楽がささくれだっていた心を少しずつほぐしてくれていた。

「何にいたしましょうか?」

ウェイターが言った。

初めてはっきりと相手を見た。

思えば僕は他人をあまり気にかけない嫌な奴だった。

ウェイターは僕と同じくらいの身長で女みたいな顔だったが、それは見方の問題でいい男なのは疑いない。

とりあえず水割りでももらおうか

「銘柄はなにかご指定が?」

何でもいいや

「かしこまりました」

そういうとウェイターは僕の前から去った。

ふぅ

僕はとりあえず肘をつくとため息をついた。

 

「アスカ」

「ん?何?」

アスカは手を止めるとシンジを見た。

ちなみに今やっていたのは新しいカクテルの調合実験だ。まだ客の入りが少ないときじゃないと出来ない。

レイがいつ実験してるのかは謎だ。何もしてないようでアスカと同じペースで新しいカクテルを作る。常々不思議に思うアスカだった。

「あのお客さん、水割りだって。あと頼むよ」

「ん?」

アスカが一瞬眉をひそめたのを見逃すシンジではなかった。

「アスカ?」

「大丈夫よ」

アスカは軽く手を振ると客の応対に向かった。

 
 
 

うん?

かすかな音に顔を向けるとグラスが置かれていた。

置いたのは僕の正面から一歩横に立つバーテンらしい。

それから数秒間、僕はグラスの中身よりバーテンに興味を持っていた。

今まで見た中で2番目に美人だった。

あえて付け加えるならそのときは1番だと思った。

もっとも赤毛の美女はそんな視線には慣れているのか全く意に介した様子もなくグラスを磨いていた。

美人は性格が悪いと言うが、ならばこの美女はさぞかし我ながらそのときは命知らずなことを考えていたものだ。

あるとき彼女が巨漢の外人を蹴り一つで黙らせた光景は今でも夢に見る。

ちなみに彼女の第一声はロマンとはかけ離れていた。

「早く飲まないと不味くなるわよ」

なぜかその言葉に従ってしまう自分が情けなかった。

 

「言いたいことがあるならさっさと言いなさいよ」

よくよく考えれば客に対する言葉遣いではない。

ついでに僕も不機嫌だったはずだ。

なのに、それで喧嘩にならなかったのはなぜだろうか?

それはともかく確かに僕は聞きたいことがあった。

つくづくそのときは僕らしくなかった。

歳、いくつ?

僕は別にナンパするつもりだったわけじゃない。念のため。

女性に年齢を聞くとはいい度胸ね」

ガン、と音を立てて水割りのおかわりが置かれた。

何杯目だったろう?

ちなみに美味だった。

ちょっと気になっただけだ。知り合いの女性と同じくらいかなと思ってね

「21よ、ちょっと汚いわね」

思わず僕は吹き出した。

言われてみればそんな感じもしないでもなかったが

一流のバーテンがそんな歳だったら驚くだろう普通?

なお、テーブルを拭いたのはなぜか僕だった。

 

「で、あんたは何?平日の夜に飲みに来るなんていいご身分ね」

この口調も慣れれば気にならなくなる。

良くも悪くもこの店は客を選ぶ。

金持ちだろうが政治家だろうが気に入らない相手にはお引き取り願うが、そうでなければ誰であろうと一切対応に変わりはない。

僕はあの店で飲ませてもらえることを喜びに思う。

もっともその時はそんなことは知らないし思いもしなかった。

自嘲気味の言葉を吐く。

別に、仕事にしくじったからヤケになっているだけさ

「ふぅーん」

そう言ってバーテンが置いたグラスには少しオレンジ色かかったカクテルが入っていた。

少し甘くてそしてちょっぴり苦かった。

 

 

やる気はあった。

野望も少しくらいはあった。

何より仕事をして認められることが嬉しかった。

幸か不幸か出世も早いほうだった。

いろんなプロジェクトをまかされ会議の度にみんなに自分を印象づけていった。

徹底的実力主義のその会社では大事なことだ。

 

 

「それで?」

まったく意に介さないという風情でバーテンが合いの手を挟んだ。

何だ、うらやましいとか、自惚れている奴は嫌いとか、言うと思ったけど?

僕は率直に言った。

アルコールで気がゆるんでいたのか、もしくはあの店の魔力か。

「別に似たような話を聞いたことがあるだけよ」

カラン

グラスに一個氷が落ちた。

 

 

彼女が入社したのは今年の春。

さわやかに笑う女の子だった。

彼女が僕の補佐についたとき同僚達は騒いでいたが僕はこれといって気にしてなかった。

僕には仕事の方が気になったから。

 

彼女は実に有能だった。

僕の頼む仕事をそつなくこなし、僕の気がつかなかった点を指摘してミスを防いでくれた。別の視点から見てくれる人が出来たことで僕の仕事は改善されていった。各種プロジェクトは磨きが掛かり能率も向上していった。

入社当時の僕よりも彼女は優秀だったかも知れない。

一度、そう言ったら彼女は、

「素晴らしい見本がそばにあったからです」

と言って笑った。

僕には何のことかわからなかった。

 

 

「鈍感」

そう言うとバーテンは僕の目の前に置きかけたグラスを戻し中身を捨てた。

かわりに置かれたグラスの中身は苦かった。

 

 

彼女は何度も注意をしてくれていた。

でも、僕は当初のプランにこだわった。

ここ数ヶ月を費やした大きなプロジェクトだ。

これに成功すれば僕はまた一段と飛躍できる。

出世が目的だったわけではないが認められた証として他に目指すべきものがなかった。

人とのつきあいもかなり制限しプロジェクトに打ち込んだ。

休日返上で働く僕に彼女は休みを取るように言ったが、僕は聞かなかった。

だいたい、そういう彼女も僕につきあって休日を返上しているのだ。説得力に欠けるだろう?

先週、会社を病欠した彼女を僕は見舞いにも行かなかった。

 

 

ドン

………

ますますアルコールがきつくなっていくのは気のせいだろうか?

どう見ても不機嫌そうに見えるバーテンはそれでも話を聞いてくれていた。

話をしている間にもお客は入ってくるのにバーテンは僕の応対をしてくれていた。

でも、相変わらず僕は何にも気がついていなかった。

 

 

追い込み時に最高の補佐を失ったためだけではないだろう。

僕のプロジェクトはお偉方に不評だった。

午後一からの会議は始まってすぐにお偉方の機嫌を悪くさせた。

失望のため息が聞こえてきそうだった。

僕も少しずつミスに気付いていった。

それでも説明を続ける姿は余計に気に障ったのだろう。

良くも悪くもこの会社は徹底的実力主義である。

社長が口を開こうとした。

僕は覚悟を決めた。

そのとき彼女が先に口を開いた。

 

彼女は僕のプロジェクトの問題点を懇切丁寧に説明し、その上で代替案となりうるいくつかのプロジェクト構想を説明した。

その上でそれらの構想の長所・短所を説明し、やはり僕のプロジェクトがもっとも効果的であると結論付け、僕のプロジェクトの問題を補正するアイデアのいくつかを説明した。

同じ女性である社長はこの流れを気に入ったのか彼女にプロジェクトの補正を命じた。

かくして会議はお開きとなり、僕と彼女だけが会議室に残された。

「あ、あの

彼女が申し訳なさそうな顔で口を開いた。

だが、何を聞いても惨めな気持ちになるだろうと思った。

彼女の方が優れていると思い知らされたからだ。

僕はたぶんなにかひどい言葉か自虐的な台詞を吐くと彼女を残して会議室を立ち去った。

 

 

………

次に置かれたのは熱燗だった。

無論、僕は注文などしていない。

付け加えるなら店に来てから先のウェイター以外に何も注文していないのだ。

だいいち、バーにきて日本酒を注文したりするものか。

だが、徳利とお銚子が目の前に静かにたたずんでいるのもまた事実。

なぜこんなものがあるのだろう?

不思議な店だ。

結局、僕は熱燗も御馳走になった。

 

ちなみにとても辛口の酒だった。

 

「それでも飲みながらあれを見てみるのね」

バーテンの示す方角を見るとステージみたいな所に長髪の男性が椅子を置いていた。

ギターを抱えると椅子に腰掛ける。

店に流れていた音楽が止まるとギターの調べに乗って歌が流れ始めた。

 

「素直に感じるのよ」

バーテンが小声で言った。

素直に、ね。

僕はしばし耳を傾けることとした。

 

 

後半へ