プロには及ばないが演奏はうまかった。

歌の方もオリジナルだろうが割と良かった。

だが、それだけだ。

それだけなのだがそれを心に伝えるものに変えている何かがある。

嬉しそうだな

彼はなんとも嬉しそうに演奏している。

自分のやりたいことをやれること。

それを人に聞いてもらえること。

それだけのことがたとえようもなく嬉しいのだろう。

演奏が終わると僕も拍手をしていた。

拍手を受けた彼は照れていたが、輪をかけて嬉しそうだった。

 

「人に認めてもらうためじゃなく自分のためにあの人は歌ってるの」

ついでに拍手をもらえたならばなお嬉しい

「そういうこと」

何かを思い出せそうだった。

結局、人に認めてもらうためにあくせくする人間なんて、一度認めてもらえなかったらそれでおしまいよ。あとは真っ逆さま」

なにか実感のこもった口調でバーテンが言った。

やりたいからやるだけ。やる気がなくなったらさっさと他のことに切り替える。それくらい余裕がないと人生やってけないわよ」

そうかもしれないな

「もっとも、何か一つくらい大事なものがないと人生つまらないかも知れないけどね」

よく考えると僕は10歳近く年下の女の子に人生相談を受けていたわけだ。

情けない。

大事なものか

「そ、大事なもの」

君の大事なものって何?

「な、なんであんたにそんなこと教えなきゃなんないのよ!」

なぜか慌てるバーテン。

そのとき彼女がウェイターの方をちらっと見たことに僕は気がつかなかった。

「で、なんかやりたい事はないの?」

話を変えられた。

僕のやりたいこと

考えてみる。

僕が入社したときに思っていたこと。

笑われるかな?

大きい仕事をしたい

ただ、それだけ。

「何それ?あんたバカ?」

あっけらかんと言われて僕の方が笑ってしまった。

 

僕は別に出世とかしたかった訳じゃない。

単に大きな仕事をやってみたかっただけだ。

いつからすりかわってしまったんだろう?

手段と目的が。

 

「ま、それで楽しけりゃいいんじゃない?」

バーテンは続けた。

楽しければそれでいい

仕事を仕事と思うようになったのはいつ頃からだろう?

いつのまにか仕事をする人間になっていた。

楽しむことを忘れていた。

だからいろんな要素が失われていった。

でも、ここまでやってこれたのはなぜだろう?

 

「いい見本があったからでしょ」

今度の水割りは普通の味だった。

いい見本?

「仕事が楽しいとかって言ってるあんたと同じようなバカのことよ」

 

 

彼女は、

「素晴らしい見本がそばにあったからです」

と言って笑った。

 

 

アルコールを燃焼してやっと僕の頭が回りだした。

苦笑いを浮かべる。

笑い出したくなったがさすがにそれは控える。

マナーと言うものを思い出してきた。

これでは素晴らしい見本とは言えないな

「あら、少しはましな顔になってきた様ね」

それはどうも

もともと多少はましな顔のつもりだったが。

情けない

このとき初めてそう思った。

しかもご丁寧にバーテンが追い打ちをかけてくれた。

「ほんと最低ね」

かりかりと頭をかく。

どこか心に余裕が戻ってきたのを感じる。

バーテンはなにやら作っている。

さて、どうしたものかな?

彼女が意気揚々とプロジェクトの補正案を考えているとは思わない。

そんなことを考えたら本当に最低な奴になるだろう。

たぶん途方に暮れているはずだ。

もしかしたら泣いているかも

 

彼女の泣き顔を想像したらひどく胸が痛んだ。

彼女にはやはり笑顔が似合う。

そういえばここの所つらそうな顔ばかりさせてしまったな。

 

懐から携帯を取り出したがそのまま固まる。

………

「何やってんのよ、さっさとかけたら?」

バーテンがシェイカーを振りながら言った。

いや、何を言ったらいいか

シェイカーを振るスピードが上がった。

綺麗な顔がなにやら険しくなった。

ドン!

シェイカーを置くとバーテンが言った。

「頭を下げて謝りゃいいのよ!そんでもって手伝ってくれって拝み倒すのよ!」

しかし、今更そんな虫のいいことを、それに男らしくないし

「オ・ト・コらしいってのは

そこでちらっとウェイターの方を見る。

今度は僕も気付いた。

もっともウェイターはそれには気付かずにこやかにお客の応対をしている。

バーテンはふぅっと息を吐く。

「これだから男ってのは

そう言うとシェイカーの中身をグラスに注ぐ。

何やら泡がはじけているそれをぐっと差し出す。

「これでも飲んで気合い入れなさい」

カクテルの名前はスパークリングなんとか言ったか?

文字通り頭がスパークしたので覚えていない。

でも、確かに気合いが入った。

 

 

『もしもし?』

か細い声に彼女が女性だということを再認識した。

彼女は自分のデスク僕の隣のデスクだにいた。

時刻は21時を回ろうとしている。

それから何を言ったのかあまり覚えていない。

ただ、一緒に徹夜してくれるかと尋ねたら彼女は、

『喜んでお付き合いします!!』

そう言った。

彼女がいつもの彼女に戻った。

そして、僕も本当の僕に戻ることが出来た。

 

 

勘定を済ませようと財布を出した。

そうしたらバーテンがグラスを片付けながら答えた。

「ツケとくわ。仕事が終わったらその子を連れて飲みに来なさい。そしたらお金をもらってあげる」

ちなみに利子はちゃんとつくからね。

そう付け加えた彼女の物言いはひどく勝手だったが同時にとても心地よかった。

あぁさっさと終わらせて打ち上げに来るさ

そう言って僕は笑った。

バーテンは僕の顔を見ると笑った。

気持ちのいい笑顔だった。

そうしてバーテンは小さな紙袋を僕に手渡した。

「サービスよ。うちのウェイター特製の夜食。これでしくじったら許さないからね」

そういってバーテンは僕をにらんだ。

怖くはなかった。

年相応に可愛い顔だった。

もう一度言っておこう。

僕はあの店で飲ませてもらえることを喜びに思う。

 

 

客が出て行きドアが閉まった。

今日は面倒見がよかったわね」

たまたまアスカのそばに来ていたレイが言った。

「うん、まぁね。ほんのちょっぴり昔のアタシに似てたから」

昔のあなたに?」

「そ、でも今度来るときは今のアタシにちょっぴり似てるかもしれないわね」

「?」

首をかしげるレイを見てアスカは笑った。

「そうそう、シンジにも似てるかも」

 

 

 

僕は再びあの店に向かっていた。

今日は二人だ。

彼女僕の彼女になったと言ったらあのバーテンはどう反応するだろうか?

あきれかえるよりは、やっぱりね予想通りよ、と偉そうに言われる気がする。

ともあれプロジェクトはうまく言った。

酒代をどれだけ請求されるかわからないがお金の心配はしなくていいだろう。

そんなことを考えている自分がおかしくて笑い出す。

腕を組んでいる彼女が不思議そうにしていたがすぐに笑顔になると一緒に笑ってくれた。

 
 
 
 
 
 
 

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その店はいくつかの忠告と気合いと大事なものを僕にくれた。

そして今でも店に行くたびに小さな幸せを僕たちにくれる。
 
 
 
 

 
 

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