私は焦っていた。

やや性急に事を進めすぎたのかもしれない。

私は被告にこう尋ねた。

「…では、あなたは彼女のその言葉を聞いたときどう感じましたか?」

「異議あり!」

弁護側が異議を申し立てた。

「検察側の質問は本件に対し直接的関係がないものと思われます」

「異議を認めます。検察側は質問を変更するように」

裁判長がそう告げた。

私は失策を悟った。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

【BAR children】

 

第五夜

 
 
 
 
 
 
 

 

 

ふとその階段が目に入った。

なぜだかわからないがその階段を下りたくなった。

気付いたらドアの前にいた。

ドアにかかった看板に店の名前が刻まれていた。

 
 
 
 
 
 

BAR children
 
 
 
 
 
 
 

 

店の扉を開けると変則的な店内が目に入った。

少し不思議な作りの店だ。

くの字型…とでも言うのかしら?

その店内でくの字の内側にカウンターがくの字状に配置されている。

きっと内側にはキッチンなどがあるんだろう。

カウンターの前にはテーブルが並んでいる。

意図はわからないがどうやら左右にお客を分ける配置になっているらしい。

それぞれテーブルが2席とカウンター。

結構な量の酒瓶が棚に並んでいる。

右隅に置かれた“えびちゅ”と大きく書かれたビア樽がなんだか妙だったけど。

入り口でどうしたものかと悩んでいたけど、

「いらっしゃいませ」

ウェイターらしき男性の一言で解決した。

ひょっとするとお客を座らせたい場所に座らせるためにこういう造りにしてあるのかもしれないわね。

ウェイター君に案内されたのは入って右のカウンターだった。

 

ウェイター君はおしぼりとお水を置くと、

「ごゆっくりどうぞ」

そう言って去って行った。

水を一口飲む。

…美味しい

そのあとおしぼりに手を伸ばしたところでふと気付く。

…あのウェイター君。ひょっとしてものすごくハンサムじゃない?

そう思ってちらりとウェイターさんの方を見る。

やっぱりそうだ。

どちらかというと女性的な感じも受ける美形だ。

身長も高いしすらりとしている。

学生時代に戻ったみたいに少し胸がときめいた。

 

「何にします?」

綺麗な声にカウンターの方に向き直った。

…まあ

私は間抜けな声を上げた。

「何か?」

彼女…そう女性のバーテンだ…が言った。

…ふふ、あんまり綺麗な女の子だったんで驚いちゃった

本当に綺麗な子だった。

青い瞳に白い肌。赤みがかった髪。

気品すら感じる整った顔立ち。

長身でいて思わずため息が出るようなプロポーション。

白人の血が混ざっているのだろう、日本人離れした美少女…失礼、美女ね。

 

「それはどうも」

慣れているのだろう。彼女は軽く受け流した。もっとも高慢な印象も受けない。

「それで、何にします?」

…そうね。ちょっと格好つけてブラッディーマリーでももらおうかしら?

「かしこまりました」

そう言うと彼女は仕事にかかる。

私はその間に店を見回した。

テーブル席は満員。

左側のカウンターにも何人か座っている。

繁盛しているみたいだ。

従業員はさっきのウェイター君とこの綺麗なバーテンさんの他に…

…あら

私はまた間抜けな声を出した。

左のカウンターにバーテンが一人。

こちらも女性だ。

しかも、こっちの彼女とは別系統だが遠目にも美人とわかる。

…美人っているところにはいるのねぇ

私は思わずそうもらす。

「はいどうぞ」

トンという音と共に私の前にカクテルが置かれた。

…ありがとう…あら、美味しい

「どうも」

そう言うと彼女はグラスを磨きだした。

何とも様になっている。

美男子のウェイター君に美女のバーテンさんが二人かぁ、いいわねぇ。

ふと思い立って聞いてみた。

…ねぇあのウェイター君ってどっちの彼氏?

「へっ!?…わったったった!」

何気ない質問だったのだが彼女は慌てふためいた。

年相応の顔になると落としたグラスを慌てて受け止める。

心持ち顔が赤い。

…な、なにか不味いこと聞いたかしら?

「い、いえ、お気遣い無く…そ、それより次は何にしましょうか?」

彼女はその場を取り繕うように注文を聞いてきた。

ま、いいけど。

…そうね。何か強いのをお願い。

一瞬、彼女の手が止まった。

「…かしこまりました」

 

 

「レイ」

「…なに?」

アスカの声にグラスを磨く手を休めるレイ。

「ジン…えーと名前忘れた。ちょっと切らしてるの。借りてくわね」

「…上から3段目、右から5番目」

背後を振り返ることなく答えるレイ。

「へ?………あ、これこれ。よくわかったわね?」

「…なんとなく…そんな気…したから」

「………そ」

アスカは一つ頷くと自分の仕事場に帰っていく。

レイは再びグラスを磨く手を動かし始めた。

 

 

彼女が作った二杯目のカクテルは私の頭を直撃した。

まさに注文通りの品物だった。

…す、すごくきつかったわね。

それでいてすいすいと口通りがいい。

女の子を酔わすならこれだろう。

「そうですか?」

すました顔で彼女は答える。

だが、その後ひどく大人じみた顔と声に変わって言った。

「酔っぱらいたいんでしょう?」

………

自分がひどく子供に感じた。

なぜかしら?

「それで嫌なことを忘れられるから?でも…」

その後は言わない。

彼女も私も言わなくてもわかっている。

所詮、忘れられるのも一晩だけ。

明日が来ればまた元に戻る。

二日酔いが残るだけ損だ。

誰だってわかっている。

…それでも忘れたいって時があるじゃない?

そう言ったら彼女は答えなかった。

 

 

それから何杯もカクテルを飲んだ。

アルコールに関してはもう麻痺しているので、ほとんどジュースみたいなもの。

…ふふ、駄目ね。30も過ぎて若い女の子みたいに

「30過ぎてもいつまでも子供みたいな奴もいるわよ」

…ふーん、そうなんだ。いいわね〜

アルコールが回っていい気持ちになってきた。

でも、頭の隅の方にはやっぱりみじめな気持ちが残っている。

 

…ねぇ愚痴を言ってもいいかしら?

「言いたきゃ勝手に言えば?聞きたくなきゃ無視するわよ」

ぶっきらぼうに彼女は言った。

…正直ね〜そういう子って好きよ。こういう仕事してるとね

「こういう仕事?」

…そ、こういう仕事

 

 

…私は検事。

…裁判で弁護士と張り合って犯罪を立証する側。

…ほら、よく弁護側とか検察側とかって言うでしょう?

…あの検察側って方ね。
 

彼女にはそんな説明はまったく必要なかったそうだけど、酔っぱらいには何を言っても無駄と知っているらしくただ耳を傾けてくれていた。

…TVドラマとかじゃ女検事とか女弁護士とか結構いるけど現実はそんなに甘くないのよ
 

努力に努力を重ねて何とかたどりついた。

しかしたどりついたらたどりついたでそこに留まるのは更に厳しい。

…ただ、女ってだけであれこれあれこれって

世間ではやれ勝っただのやれ負けただの、体のいい見せ物ぐらいにしか思っていない。

女性が被害者の事件を担当しようものなら女性をひいきするだの男性に厳しいだの。

そんな中を必死の思いで勝ち続けてきた。

実力を示すことでいらぬ揶揄を排してきた。

…結構大変なんだから、部下だって男だからね〜でも

 

…でも、とうとう負けちゃった。

 

近頃じゃありふれた殺人事件。

被害者は女性。容疑者はふられた元彼氏。

男女の痴情のもつれと思われた。

…油断してたのよね。弁護側も腕利きだけどこっちの証拠固めもいまいちだったわ

だいたい自分ももう容疑者が犯人だとは思わなくなっている。

それでも犯人だと思って戦わなければならない。

…でも、たぶん次の公判で

 

カラン

氷が音を立てた。

 

私は無意識にグラスに手を伸ばして一口飲んだ。

すっと頭が冴え渡って行くような不思議な感覚。

…ねぇ、これお酒?

そう尋ねたら彼女は店の中央の方を向いたままで答えた。

「それで少しは頭を冷やして聞きなさい」

…聞く?

ふと周りを見ると他の客達はみんな会話をやめて店の中央を見ていた。

流れていた音楽もいつの間にか止まっている。

…?

店の中央には小さなステージの様なものがあった。

そこに…チェロ、かしら?

楽器を持ってウェイター君が座っていた。

私がグラスを置くのと同時に流れるような調べが店内に満ちていった。

 

 

素敵な音色だった。

どこか心の奥底までも洗われていくような清らかでそれでいて暖かい…

 

 

…とても素敵な演奏だったわね

拍手が鳴りやむと私は彼女に言った。

だが、彼女はどこか厳しい表情を浮かべていた。

…どうかした?

 

「あんた思いっきり勘違いしてるわね」

 

厳しい口調だった。

親に叱られた子供のように思わず身が縮んだ。

 

「あんたの仕事って何?」

 

ものすごい威圧感を感じた。

 

…は、犯罪を立証して、

 

「そして弁護側に勝つ?」

 

…そ、そう。

 

「………あんた馬鹿?」

 

私は思わずカッとなって身を乗り出した。

だが、彼女は一歩も引かず私をにらみ返した。

その目に…負けた。

負けたと思う。

 

私が椅子に座り直すと彼女は幾分口調を和らげて聞いた。

 

「一つ聞くけど、負けちゃいけないわけ?」

 

…え?

私はしばらく答えられなかった。

 

「負けたらいけない理由があるわけ?」

…それは、

 

「世間がどうだ、女がどうだなんて言ったら張っ倒すわよ」

彼女なら本当にやる。

そう確信があった。

…だって、

私はなんとか口を開く。

が、それもあっさりと遮られる。

 

「世間がこう、女がどう…そんなこと気にしている自分が一番自分を馬鹿にしてるのよ」

 

 

 

私は先生に叱られた小学生の様にしょんぼりとしていた。

ここまで叱られたのは何年ぶりかしら。

しかも反論できないところがすごい。

 

「…それをふまえてもう一度聞くけどあんたの仕事って何?」

 

私はぼそぼそと口を開く。

…犯罪を立証

 

「馬鹿」

身も蓋もない物言いに私はがっくりと肩を落とした。

 

 

「アスカ」

ウェイター君が彼女のことをそう呼んだ。

そのまま黙って彼女を見る。

それだけで何を言いたいか通じたらしい。

「…わかったわよ」

彼女は少し不満そうな顔で言った。

ウェイター君は一つ頷くと仕事に戻っていく。

 

「文句があるならそう言いなさい」

彼女はそう前置きしてから口を開いた。

 

「あんたの仕事は事実を明らかにすること、違う?」

 

…へ?

 

「そりゃ弁護士の仕事は何が何でも無罪にするか、刑を軽くするかだけど、あんたの仕事は違うでしょ?それともそんなに無実の人間を犯罪者に仕立て上げたいわけ?」

…そんなこと
 

「じゃ、いいじゃない。さっさと負ければ」

彼女はいともたやすく言った。
 

「それよりそのエネルギーをためておくのね。真犯人のくせして無罪になろうとしてる奴をやっつけるときの為に」

 

コクン

私は知らずに頷いていた。

 

「何よ、いい歳してその間の抜けたような顔は?」

…いい歳は余計よ。まだまだ女盛りよ

そんな軽口が口をついて出る。

彼女がにやりと笑った。

どこか不敵な笑みだ。

でも、すごく好感が持てる。

「まだ酔ってるみたいね。いいわ、自分がどれだけ歳を取ったか痛感させて上げる」

…ふふ、やれるものならやってみなさい

「こういうのは他人の方がよくわかるものよ。だいたい思い出話が一番ね。私と同じ内容について話せば歳がばれるわ」

…へぇそれで?

「そうね、まずは大学生ぐらいの時の話をしてみましょうか」

…あら卒業したのはまだちょっと前くらいよ?

私も調子に乗ってきた。

「ふーん?ま、いいわ。じゃなんでこの道を選んだか」

…検事の志望動機くらいからね。ふふ、まだ記憶が新しいから長くなるわよ

「あら、夜はまだまだ長いわ」

…いいわ。じゃあね、えーと

 
 
 
 
 
 
 

 

 

午前2時過ぎ、3人は店の後片付けをしていた。

この手の店にしては閉店時間はやや早い。

ふと見るとカウンターを拭いていたアスカの手が止まっている。

「アスカ?」

「え?」

シンジの声に顔を上げるアスカ。少し表情が暗い。

「どうかした?」

「え?別に何でも………でもないかな」

うつむくアスカ。

しばらくうつむいているとなにやらシンジがゴソゴソ音を立てている。

「…シンジ?」

シンジがチェロを取り出してカウンターの椅子に座っていた。

「お嬢さん一曲いかがです?」

そういって照れくさそうに笑う。

アスカも微笑む。

「ふふ…そうね、あれ弾いてくれる?」

「あれ、だね」

そう言うとシンジはアスカに初めて聞いてもらった曲を奏でだした。

しばしその調べに身を委ねるアスカ。

トン

アスカが手元を見ると湯気をあげるマグカップが置かれていた。

「…暖まるわ」

そう言うとレイも瞳を閉じ、曲に身を委ねた。

「………サンキュ、レイ」
 
 
 
 

 

 

 

あれから随分と経つがあの店にはまだ行ってない。
 

大忙しだったからだ。
 

負ける予定の公判はさっさと告訴を取り下げた。

あれこれ周りが騒いでいたがそんなのお構いなし。

渋る捜査陣を動かして事件を洗い直してもらった所、新しい容疑者を割り出せた。

ほぼ真犯人と見て間違いない。

事がこちらの手に移ったところで証拠固めに奔走。

前回は負けてもよかった。

勝たなきゃならない所がわかったから負けてもいい所もわかった。

だから、今回は負けるわけにはいかない。

必ず真相を明らかにして勝つ。

そして勝ったら…いいえ勝ってあの店に飲みに行く。

そうそうみんなも必死で頑張ってくれてるし、一緒に連れていってあげなきゃね。

そう思って可愛い女の子がいる店に連れていってあげると言ったらみんな大喜びしていた。

…何か勘違いしてなきゃいいけど
 
 
 
 
 

 

BAR children
 
 
 
 
 
 

 

それがあのお店の名前。

私を叱ってくれる子のいるお店。

また、叱って欲しくなったら遊びにいかなくっちゃ。
 
 
 

 

 
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