「…今度お見合いをすることになりました」

突然、彼女が言った。

「へ?」

「たぶん…結婚…させられます」

「は?」

頭の中が?マークで埋め尽くされた僕は訳がわからないまま立ち尽くしていた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

【BAR children】
 

第七夜

 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 

ふとその階段が目に入った。

どうしてだかわからないけどその階段を下りたくなり、そして気付いたらドアの前にいた。

ドアにかかった看板に店の名前が刻まれていた。

 
 
 
 

BAR children

 
 
 
 

扉を開けると変わった作りの店だった。

くの字型かな?その店内でくの字の内側にカウンターが同じようにくの字に配置されていて、そのカウンターの前にテーブルが並んでいる。それぞれ二つ、計4つのテーブル。

棚にはやたらめったらたくさんのお酒がならんでいる。隅にはビア樽まで置いてある。

まあ初めて行った時はそこまで詳しく見てたわけじゃないけどね。

 

「いらっしゃいませ」

声のした方を見るとお盆を抱えたウェイターさんが立っていた。

気持ちのいい笑みを浮かべている。僕はその時どんな顔をしていたんだろう?少なくともそのウェイターさんとは似ても似つかない顔だったと思う。

ウェイターさんはちょうど近くのテーブルに料理を運んだところだったようだ。…もっとも実際は僕が中を見回すのをじっと待っていたらしいけど。

「どうぞ」

そのままウェイターさんは僕を向かって左側のカウンターに案内した。

確かにテーブルは満席だったがカウンター席はどちらも空いていた。でも、別にどこに座ってもいいと思う。そう思ったんだけど…気付くと何故か椅子に座っていた。そして目の前には水とおしぼりが置かれている。なんとなく一瞬意識がとんだ様な気がした。

 
 

…え?

ふっと顔を上げた。

店内には静かなそれでいて心の中を揺さぶるような不思議なメロディーが流れている。それに耳を傾けていた僕は知らぬ間に…知らぬ間にどうなったんだろう?

思えば不思議なお店だった。今はそんなことはないけど最初に行ったあの日は何度も何度も意識を失った様な気がする。実際はそんなことはないし、酔っていたわけでもない。なのにそんな気がしたのだ。

あの店を初めて訪れた者には魔法がかかる。誰かにそう言われたら僕はきっと賛同しただろう。

 
 
 

僕を見つめていたのは紅い瞳だった。

頭がすぅっと冷えていくような感覚。なんなんだろうか?

「…何にするの?」

“彼女”がもう一度言った。

微かなざわめきが聞こえてくる。

失われていた五感が戻ってきたような感覚。

はっきりしてきた視界で彼女を見る。

水色の髪、透き通るように白い肌、そして紅い瞳。

僕は返事を忘れて見入っていた。

 
 
 

数分の後、バーテン…らしい女性は再び問いを発した。我慢強いのか慣れているのか、とにかく返事がなかったことは気にしていないみたいだった。

「…何にするの?」

さすがに今度は正気に戻り返事を返した。

きりっとした制服に身を包んだバーテンさんはかすかにうなずいて返した。

 
 
 
 

「それでよ?それであいつなんて言ったって思う!?」

「『へぇよかったねアスカ』、でしょ?」

「そうなのよ!」

「やっぱりシンちゃんよねぇ〜」

「そこで『じゃあ今度の日曜一緒に行こうか?』とかくらい言ってみろってのよ!」
 
 
 
 

 

………

なんだか落着かない。

目の前ではバーテンさんがてきぱきと、だが、決して急がずカクテルを作っている。

自分より年上にも年下にも見える。

なんだか不思議な感覚がずっとつきまとっている。

…そういえば彼女もそうだっけ。

ふと思い出す。

外見は大人びて年上のお姉さんって感じだったけど話してみればずっと年下の女の子のような。確か…

 
 
 
 
 
 
 

…え?

ふっと顔を上げた。

どうやら寝てしまっていたらしい。空はもう赤くなっていた。

そんな僕を見つめる黒い瞳が二つ。

どきどきするような感覚。なんなんだろうか?

「風邪をひきますよ?」

“彼女”がもう一度言った。

微かなざわめきが聞こえてくる。

失われていた五感が戻ってきたような感覚。

はっきりしてきた視界で彼女を見る。

長い黒髪。清楚な白のサマードレス。大人びているようでいて可愛い顔。

それが僕と彼女の出会いだった。
 
 
 

 

コトン

微かな音が僕を引き戻す。

頼んだカクテルとは違うカクテルが置かれていた。

バーテンさんはまるで僕など存在していないかのように次の仕事にかかっている。

なぜだか文句を言う気もおきず、僕はカクテルに手を伸ばした。

カクテルは甘くて、少し苦かった。

 
 
 
 
 
 

僕は確かに友人達が言うとおり鈍かった。

毎日イチョウの木の下で読書している僕を、彼女がいつも見つめていた事も知らなかった。

知り合ってからあれこれ話すようになったけど、彼女が内気で人と話すのが苦手だった事も知らなかった。

彼女が大企業の重役の娘であることも知らなかった。

まして、彼女が自分を好きなことどころか、自分が彼女を好きになっていることすら気づいていなかった。

それでも僕達はいつもイチョウの木の下で同じ時間を過ごしていた。

端から見れば僕たちは恋人以外のなにものでもなかったらしい。

 
 
 
 
 

「そう、よかったわね」
 
 
 
 

 

…え?

声が聞こえたような気がして我に返る。

バーテンさんをちらりと見てみるが無表情なのでよくわからない。

仕方がないのでグラスに視線を戻すとグラスが空になっていることに気づいた。

なんとはなしにグラスを眺めながら聞いてみる。

…えーと、僕何か言ってたかな?

けどバーテンさんはそれには答えず、空のグラスを下げると新しいグラスを置いた。中にはオレンジ色のカクテルが入っている。

不思議そうにグラスを眺める僕をよそにバーテンさんは仕事に戻る。わからない人だ。

 
 
 
 
 
 

「まぁシンちゃん鈍感だから」

「鈍いにもほどがあるわよ!」

「でもアスカはそういうシンちゃんがいいのよねぇ?」

「………」

「おーおー赤くなっちゃって」

「う、うるさいわね。だいたい…」

すっと割り込む声が一つ。

「ブランデー、借りていくから」

「あ、いいけど…あいつ?」

「ええ」

「…じゃ、こっちの方にしときなさい」

アスカはレイの手から瓶を取り上げると別の瓶を渡した。しばらくブランデーの銘柄とアスカを見ていたレイは一つうなずくと言った

「…そう」

 
 

 
 
 

…結局、あれはどういうことなんだろう?

「…何が?」

…わっ!

いきなり合いの手が入ったので僕は驚いた。

「………」

バーテンさんはやはり無言で仕事を続けている。やはり相変わらず無表情なので何を考えているのかわからない。

でもたぶん話しかけてきたのは本当だと思う。

…いや、彼女があんなことを言った意味。

なぜか自然に口を開いていた。

いきなりこんなことを言っても訳がわからないだろうに。

でもその時はなぜか口が動いたんだ。

バーテンさんは相変わらず仕事をしていて、視線もこっちには向いていないけど今度はバーテンさんの口が動くのが見えた。

「…あなたはどう考えているの?」

ちょっと考えてみる。考えてみて口にした。

…だから、もうお別れですって意味かな?

「…本当にそう思うの?」

…本当にって…

バーテンさんは磨いていたグラスをすっと置く。

「…あなたはやめようとしている」

…え?

「…考えることをやめようとしている」

…そんな、ことは

そうなんだろうか?

「…どうしていいかわからない。だから考えるのをやめようとしている」

………

そうなんだろうか?

「…本当はわかっているのに…心を閉ざそうとしている」

………

そうなんだろうか?

バーテンさんの声はあくまで淡々としていて、それが余計に心の奥まで響いた。

 
 
 

うつむいてしまった僕が再び顔を上げると、バーテンさんと目があった。

その真紅の瞳はさっきまでと違いまっすぐに僕を見ている。

とても真摯で、奥が深くて、そしてどこか暖かい。

言葉ではわからない何かが瞳から伝わる。

言葉には出さない本当の何か。

昔の人はよく言ったものだ。

…目は口ほどに物を言い、か

苦笑する。

「?」

バーテンさんが首をかしげる。

その一瞬、わずかな一瞬、ふと可愛らしく見えた。
 

僕は言葉を続けた。

…いや、本当はわかってたんだ。彼女の目を見たときに。

簡単には気づけないことがある。

でもすぐにわかることもある。

ただ、それをどう受け止めるかは…

グラスを傾けるとカランと氷が鳴った。
 
 
 
 

 

確かに最初は僕はなにもわかっていなかった。でも、やがて彼女が好きなことに気付いた。そして彼女も…

お互い気持ちを伝えた事はなかった。でも、それをもどかしいとか思った事はなかった。たぶん彼女もそうだったと思う。

言葉はなくてもお互いわかっていたから。それ以上は必要なかったから。

 

 

…でも彼女は言葉にした

そう、あえて言葉を告げた。

「…どうして?」

…きっと言葉にした内容とは別の事を僕に伝えたかったんだよ

「…それは?」

…そんな恥ずかしい事、人には言えないよ

僕が顔を赤くするとバーテンさんが微笑んだ。

初めて見る感情のこもった表情。

とてもとても暖かい笑み。

心の底から何かが…
 
 

 

バーテンさんは新しいカクテルを置くとそれ以上何も言わずに離れていった。

しばらくすると僕の耳にバーテンさんの歌声が響き始めた。



 

『…And I'm so afraid, there's nothing to comfort us.

  What am I, if I can't be yours…』

 
 

どこか哀しい歌詞の歌。

もしかすると悲恋の歌なのかも知れない。

でもそれも聴く者の受け止め方次第なんだろうと思う。

カクテルを一口飲んでみる。

甘くも無く、苦くも無く、透き通るような味わいだった。
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 

…うまかったよ

「…わかったの?」

バーテンさんが尋ねると、僕はそう、とだけ言った。

 

そう、今の僕にはわかっている。

彼女が僕に声をかけるのにどれだけ勇気をふりしぼったか、

縁談の事を話すのにどれだけ悩んだか。

そして彼女が僕のことをどれだけ想ってくれているか。

だから…今度は僕の番なんだ。
 
 
 

 

…ごちそうさま

「…行くの?」

…ああ、行くよ。成すべき事を成すために。

「そう、よかったわね」

素っ気ない言葉。

言葉だけならどう思うかわからない。たぶん悪い印象を持つだろう。

でも、僕が顔を上げるとバーテンさんはもう一度微笑んでくれた。

 
 
 
 
 
 
 
 

 

行った事は当然ない。

なんといっても女性が一人暮らしをしている部屋だ。

でも住所はしっかり覚えている。そんなに遠くはない。

僕は階段を上り終えると一気に駆け出した。

 
 

「あらあら元気なお客さんね」

ミサトは近くを駆け抜けていった男性を見て呟いた。

 
 
 
 
 
 

 

「突然どうしたの?」

深夜の来訪にも関わらず彼女はそう聞いた。

特に慌てた様子も何もない。そう、彼女の外面だけしか見てない人間にはわからない。

僕は懸命に息を落ち着ける。

「君に…会いたくて。それから!」

「………」

「それからっ、言いたい事が、あって!」

必死に言葉を絞り出す。

途切れ途切れになりながらも伝えたい事をしっかりと告げた。

その間、ずっと彼女の瞳を見つめたままで…
 
 

「はぁはぁ…これで全部言えたかな?」

彼女の目が見開かれていた。

あの時とは違って喜びに満ち溢れ、そして涙がこぼれた。

「へ、返事を聞かせてくれる?」

彼女の返事を聞いた僕はふっと気が抜けてそこに座り込んでしまった。

床は冷たかったけど、ひどく冷たかったけど、腕の中に彼女がいたから、そんなことは気にならなかった。

 

 
 
 
 

「ねぇシンジ」

「なにアスカ、もう片づけ終わったの?」

「…違うわよ」

「じゃさっさと…」

「いいから!はい、これっ!!」

「…さっきの招待券?」

「今度の日曜日10:00!いいわね!?」

「いいわねって…」

しょうがないなぁと頭を掻くシンジ。

「………」

無言で掃除を続けるレイ。

「ほらレイ、あんたの分!」

「…わたし?」

「そうよ!日曜日!三人で遊園地!わかった!?」

しばし無言のレイ。だが、

「………ありがとうアスカ」

笑顔を浮かべるとそう言った。

「た、たまたま3人分あっただけよ!さ、さっさと後片付けすませて帰るわよ!」

くるっと背中を見せて掃除に戻るアスカをレイはしばらくの間見つめ続けていた。

 

 
 
 
 
 

 

イチョウの木の下で僕は彼女を待っている。いつものように。

少し風が冷たいけど彼女が来ると思えば気にならない。

彼女の縁談はあっさりと白紙に返った。なんでもあの性格では一生彼氏もできないだろうと彼女の家族が気を利かせただけだったそうだ。それを聞いた僕達は恥ずかしいやらなにやらどうしていいかわからなかった。
 
 

わかってみればなんでもないことだけど、もう少しで一生後悔するところだった。

大事なのはきっとそういうことに気付けたことなんだろう。

控えめな足音がした。振り返ると彼女が微笑んでいた。

特別言葉は交わさない。だけどそれでいい。

ふとあのバーテンさんのことを思い出す。
 
 
 
 
 

 

BAR children

 
 
 
 
 
 

それがあの店の名前。

これから二人で買い物をして終わったらあの店に行こうと思う。

彼女にも魔法がかかるのかどうかはわからないけど、たぶんかからないんじゃないだろうか?

魔法のかかる人、かけてもらえる人達は、皆あの時の僕と同じなんだ。たぶん、きっと…

さぁ、今度はこっちがバーテンさんに微笑んであげる番だ。
 
 
 
 

 

 
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