しばらく経ってから客が一人入ってきた。

私みたいなのが他に居るとも思えないから一応は知り合いなのだろうが、その男性が入ってきた時は一同がしばらく注目していた。その男性は長身で黒い服に身を包み白の手袋をつけていた。顎髭をはやし眼鏡をかけている。

男性は私から少し離れたカウンター席に座ると肘をつき顔の前で両手を重ねた。

左奥のテーブルの女性が笑った様な気がしたがなんだったのだろうか?

とりあえず、男性が座ると他の客達は談笑に戻った。

ウェイター君は私に一言断るとその男性の所へ向かった。基本的に最初の接客はウェイター君が担当するらしい。

「いらっしゃいませ」

たぶん知り合いなのだろうがウェイター君は私に対するのと同じ様な態度で接した。男性の方もそれで構わないらしい。

「何にいたしましょうか?」

「…お前にまかせる」

「かしこまりました」

ウェイター君は慣れた手つきで水割りを作ると男性の前に置いた。バーテンの女性が手を出さなかったところを見るとその客に対してはウェイター君が応対することになっているようだ。

「どうぞ」

ウェイター君がそう言うと男性は軽くグラスを傾けた。

「…いかがでしょうか?」

「…ああ、問題ない」

男性がそう言うとウェイター君は微笑んだ。

「ごゆっくりどうぞ」

そう言って男性の元を離れ私の所に戻ってきた。

そのとき男性がわずかに口元をゆるめたのに気づいていただろうか?

しばらくウェイター君と私は話していたが時計が9時をまわったところでバーテンの女性がウェイター君に話しかけた。

「…碇君。時間よ」

「…え?あ、もう?…ありがとう綾波」

「…いいえ」

そう言うとバーテンは仕事に戻る。どうやらウェイター君は碇、バーテンの女性は綾波というらしい。おっと、これは記事からは削除しないとな。

ウェイター君は私に一言ことわると中央のステージらしき所に向かった。壁の一部を開き椅子となにやら大きな楽器のケースを取り出した。店に流れていた音楽も止まる。

ステージを見ていると小さなボードがかかっていて、チョークで、

『金曜の夜 チェロ演奏 土曜の夜 ソロ歌唱』

と書いてあった。してみるとウェイター君がいまからチェロを演奏するのだろうか。ということは歌を歌うのも3人の従業員の誰かなのだろうか。

(余談ではあるが、後から 水曜の夜 ギター演奏 というのが追加された)

しばらくするとチェロの音色が店を満たした。音響効果も考えて設計してあるのか綺麗に反響して音の深みを増している。他の客達は話をやめて静かに聞き入っている。かくいう私も飲むのを忘れ聞き入っていた。演奏がうまいのかどうかわからないが何か心に響くものがあった。音楽は人の心に訴えるものがあるという言葉を私も持論にしていたのだが実際に心に響くのは初めてだった。

演奏が終わるとウェイター君が立ち上がりぺこりと頭を下げた。惜しみない拍手が送られる。ただその後でなにやらウェイター君が右のバーテンの女性に謝っていた。

「ごめんアスカ………ぱり、アスカが褒めてくれ………番、自信をもって演奏でき…」

「ま、まぁ仕方ないわね、あ………からって言うのはもっともな理………でも、あたしだけ…かったな」

「今度……げるよ」

なにやらもじもじと話していたが右のテーブルの美女が冷やかすとアスカと呼ばれた女性が激しく反論していた。なかなか楽しい人達だ。

あまり身内の集まりを邪魔するのも悪いと思った私は早々と引き上げることにした。

ウェイター君はもっとゆっくりしていけと言っていたが、何も今日しか来れないわけでもないので私は帰ることとした。無論、明日の夜のカウンターの席を予約したのは言うまでもない。

会計をすませ店の営業時間を確認すると私は扉を開けて外へ出た。扉を閉じると急に静かになった。秋も終わりが近づいているため夜風は冷たくなっていたが、私は何か暖かさに満たされて家路についた。今夜はよく眠れることだろう。


 
 



BAR children








店の名前を思い出すと私は今夜のちょっとした幸運に感謝した。


 
 
 

著者より)

・この店は静かにお酒を飲んだり会話を楽しんだりする場所です。

・演奏や歌を聞きに来るのは構わないそうですが彼らはミュージシャンではありません。

・彼らは概ね寛容ですがマナーの悪い客には遠慮しません。著者も一度そのような場面に遭遇しました。知らずに入ってきた酔っぱらいのチンピラ5人連れが10秒と経たずに叩き出されたのは爽快でした。

・モデルのスカウト等もご遠慮下さい。著者の知人は往復ビンタを受けた後出入り禁止となりました。(著者もしばらく肩身が狭かったです)

・尚、あまり儲けを考えていないため料金はひどく良心的です。若者や女性のみなさんも気軽にどうぞ。


 

編注)作者はこの記事について1ヶ月も隠し通すという行為に及びました。よって、店のオープン時期は1月号発売日より2ヶ月ほど前になります。


 
 



諜報部定期報告15−23

以上、シティ情報誌「TOKYO−3」1月号に掲載

検閲済み




















「ねぇリツコ」

「なに、ミサト?」

リツコの研究室でコーヒーを飲みながら報告書を読んでいたミサトが言った。

「この報告っていうか記事なんだけどさ…」

「ええ、私も驚いたわ。あの時の男の人ってその筋では有名な評論家なんですってね。でも、いいんじゃない?観察眼も確かだし、結果的にお店も繁盛しているそうじゃない。ま、放っておいても何か月かすればネルフの職員の口コミで広まるとは思っていたけどね」

「そこなのよ、なんか釈然としないのは」

「何が?」

「できすぎとは思わない?たまたま開店の前の日に私たちが飲んでいるところに、偶然そんな人がやってくるなんて…な〜んかひっかかるのよね」

ミサトの勘が侮れないことは知っているリツコもそう言われて自分なりに考えてみる。

しばらくすると何やら答えらしきものが浮かんできた。

「………まさか」

「リツコとあたしが同じ結論に達したならほぼ間違いないと思うんだけどね〜」

どうやら最初から見当をつけていたらしいミサトが言った。

「…確かにやりかねないわね」


 
 
 

「………そうか、ご苦労」

カチャリと音を立てて受話器が置かれた。

受話器から放した手を顔の前に戻すと男はニヤリと笑った。
 
 
 
 

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