【BARchildren】

 

 

前夜祭

 

 

 

 

 

 

 

私がその店を見つけたのは偶然だった。

実際は他になにかきっかけがあったのかも知れないし、かの店の主人達の力かもしれないがやはり偶然としておこう。

木曜の夜、仕事が一段落した私は、夕食には遅く、飲みに行くには少し早い中途半端な時間に街をさまよっていた。通りがかった商店街はざわめいていて喧噪を逃れるように歩いた私は気づくととある階段の前に立っていた。

建物の間にひっそりとたたずむ地下への階段は(後でわかることだが、出来て間もないにも関わらず、既に)街に溶け込んでいた。汚くもなく綺麗すぎもせず、どこか誘い込まれるような階段だった。

私は辺りを見回したが看板のようなものは見あたらなかった。だが、明るすぎずかといって階段を行き来するのに問題ないほどの光を投げかけているランプの様な電灯の下に木製と思われる扉があり、なにやら看板らしき物も見えた。その時、私が階段を下りたのは、単に何の店なのか知りたかっただけだと思う。

扉はオーク材をつかったしっかりした物だった。目立たないが扉にも取っ手にも精巧な細工が彫り込まれている。そしてやはり扉には看板が掛かっていた。


 
 





BAR children












中からはわずかに人の話し声と何かの音楽のメロディーが聞こえていた。とりあえず客は入っているらしい。最近は居酒屋にばかり行くことが多かったこともあり、私はその店に入ってみることにした。夕食も軽い物ならあるだろう。

扉を開けて入った途端、ざわめきが襲ってきた。あの扉は思ったよりも防音効果が高かったのだと気づく。店の中に静かに流れているのはジャズか何かの音楽だろうか、あまり聞いたことのない類の物だ。

思ったよりも広い店内はL字状に配置されていた。L字の内側にはカウンターがあり、その背後にいくつもの酒瓶が並べられている。L字のそれぞれの辺の外側にテーブルが2個ずつ並べられていて、それぞれ既に客が座っていた。盛況のようだ。ちなみにL字の角の部分を斜めに切った部分にちょうど入り口があり、左右を見渡せるようになっている。

入り口の正面にはなにやらステージの様なものがあったが、カラオケらしい設備はなかったので少し安心する。おそらく店の方で何か演奏するのだろう。全般に言えることだが清潔な店の様だ。薄暗い明かりでも手入れがきちんと行き届いているのがわかった。

そんなことをあれこれ考えながら入り口で立ち止まっていた私に、なぜか視線が集中していた。常連客しか来ないような店なのだろうか?ちょっと居心地の悪さを感じたが、向かって右のカウンターの方から店員が私に声をかけるとすぐに彼らは自分たちの話に戻ってしまった。

(なぜ注目されたのかは後にわかる)

「いらっしゃいませ」

実のところ私は左右どちらのカウンターの席に座ろうか迷っていたので店員に声をかけてもらって助かった。普通カウンターはつなげるべきではないだろうか?ともあれ、その男性の店員の前、右のカウンターの一番端(中央寄り)に私は座った。

「何にしましょうか?」

店員は音も立てずに水の入ったコップをすっと差し出した。悪くない手際だ。

髪はこざっぱりと切っている。ある種の制服だろうか白のワイシャツと黒のベストにスラックスに黒いネクタイをしている。全体的に細く見えるせいだけでもないだろうが背は高い。私よりも高そうだから180くらいだろうか。(後で気づいたが思ったよりがっしりした体つきをしていた)

顔はどちらかというと女性的で、男の私が言うのも何だがハンサムだった。女性同伴では来たくないものだ。

…そうだな。まだ、夕食がまだだから何か軽い物を

「かしこまりました」

男性はそう言って軽く微笑むと奥に下がっていった。右のカウンターの背後の棚にも酒瓶は並んでいるのだが、途中に棚が途切れている場所があった。そこからキッチンに通じているらしい。

とりあえず水を一口飲んだ私はそのおいしさに驚いた。なにやら体に染みいるような喉越しで、ここに来るまでに乾いていた喉がすっと潤った。良くも悪くもこの街は管理されており水道水以外はなかなか手に入りにくいのだが、お冷やの為にいちいちミネラルウォーターを買ってくるのだろうか?

ひと心地ついた私はあらためてカウンターを眺めた。こちらの右のカウンターには赤い髪の女性が立っていた。仕事の邪魔になるからだろうか、長い髪を首の後ろでひとまとめにしている。先ほどの男性と同じ服装ではあるが、いや逆にそのためか見事なプロポーションが目に入る。こちら側を向いた時に顔が見えたが鼻も高くどこか日本人離れした美女だった。(後に聞いた話ではクォーターだとか)

まだ20歳すぎくらいと見受けられたがそれでも既に大人の魅力を身につけている。なんでこんなバーにいるのかわからないような美女だ。バーテンらしいその女性は下準備を終えると力強くシェイカーを振り始めた。170近い長身、どことなくきつめの印象を受ける顔と相まってなかなか迫力がある。すると先ほどの男性はバーテンではなくただのウェイターか。

一通り観察を終えると左側のカウンターに目をやる。こちらは対照的に物静かなバーテンが立っていた。カクテルを作る時さえも静寂感が漂う。こちらのバーテンもまた女性だった。服装も同じで右側の女性には及ばないもののスマートで魅力的な体型をしている。ショートカットで、無表情なのが残念だが、神秘的な美しさを感じた。それからしばらくしていくつかのことに気づいた。純粋な日本人らしいが髪は水色で肌は右側の女性よりも白かった。まるでしばらく前からこの日本に再び降るようになった雪の様だ。なにより瞳の色が紅いというのに驚いた。

(聞けばアルビノで生まれつきこうなのだそうだが、美しさを損なうどころかより神秘的な雰囲気に拍車をかけている)

先ほどのウェイターといい、世の中ひょんなところに美男美女が転がっているものだ。

(通うようになってしばらく経ってからファッション誌やモデル関係の仕事をしている知り合いを連れてきていいか尋ねたが、客として来るのでない限りは丁重にお引き取り願うとの事だった)

「お待たせしました」

ウェイターが皿を置いた。

いつ来たのだろう?

左の方を見ていた私は全然気がつかなかった。

「何かありましたらお呼び下さい」

そういうとウェイターはカウンターの中央の方に移動した。

小声でも届き、かつ気にならない程度の距離を把握しているらしい。

私は皿に注意を戻した。ウィンナーと野菜を炒めたようなものが並んでいる。味にはうるさい方だが知識はない私には何処の料理かはわからない。

(後でウェイター君に聞いたが特にこだわってはいないらしくその場で考えて作るそうだ…つまり、ウェイター君はコックも兼ねているらしい)

ふと気づいたのは小さなカップにスープが入っていたことだ。コンソメか何からしいが、こんなものを出して、客が酒を飲まずに帰ったらどうするのだろう?喉が乾くような料理を出して酒を飲みたいと思わせるのが商売だと思うが。

(これも後で聞いたら何も考えてないらしい。料理を頼まれたら料理を食べてもらう。それで帰られても一向に構わないらしい)

野菜炒めもどきを口に運んでまた私はうなった。どうやら料理雑誌関係の知り合いにも連絡をしなければならないらしい。まったく飾り気のない家庭的な味なのだがそれがたとえようもないくらい味覚を刺激する。だんだんレストランに来た気になってくる。

(どうやらこのウェイター君は料理が得意らしく、一度何かのパーティでオードブルを作った時にお裾分けに預かったが見栄えも味も最高だった)

何も飾っていないにも関わらず最高の物を提供してくれる店。そのように結論をまとめつつあった私は、水で料理の後味をとるとこの店の一番の売り物であるはずのお酒を頼むことにした。

右側のテーブルは左側のテーブルに比べて騒がしくバーテンも右の女性の方が圧倒的に忙しそうだったので私はウェイター君に言って左側のカウンターに移ることにした。

「…何にします?」

バーテンが静かに尋ねた。小さな声であるにも関わらず不思議とよく通る声だった。なぜか彼女を見ていると神秘的という単語がしつこいくらいに頭の中を駆けめぐる。私は適当に頼むとバーテンを眺めていた。バーテンは決して急がず、それでいて無駄のない手つきでシェイカーに酒を注ぐと目を閉じ振った。写真にとっておきたいくらいその様は絵になっていた。

(何回か来た後に二人のバーテンさんのイメージについてウェイター君と話したが、彼曰く右の女性が太陽で左の女性は月とのことで私も納得した)

少しして私の前に静かにグラスが置かれた。一口飲んだ私はここを行きつけの場所にすることとこの記事を書くことを決めた。

それから私は他の客を観察することにした。失礼とは思ったがこれも商売のうちである。まずは反対側の右側の一番奥。バーテンの前の席だ。見たところ大学生らしい3人組だ。思うに一番場違いな客かも知れない(おっと失礼)。一人は長身でがっしりした男の子。黒のなにやらスポーツウェアらしきものを着ている。私も少しは腕に覚えのある方だが喧嘩するのはやめた方が懸命だろう。酒よりも食べ物の方がいいらしくウェイター君が忙しそうだ。その隣に女の子。美女とは言わないが可愛い子だ。典型的日本女性の顔立ちをしている。おとなしい服装をしているためあまり目立たないが結構人に好かれる方だろう。最後の一人は丸眼鏡の男の子。若く見えなかったら私の仕事仲間と勘違いしただろう。ダウンジャケットにカメラをぶら下げている。かなりいい代物だ。すくなくともその道のプロなのは間違いない。ときたまシャッターを切っているが概ね静かに酒を飲んでいる。

次のテーブルはぐっと大人の雰囲気が漂っている。古いなじみの友人同士といった所だろうか。一人はひょろっとした男性。伸ばした髪を後ろで無造作に縛っている。シャツもネクタイもよれよれだが不潔な感じは受けない。(さすがにこの場では気がつかなかったがいつも無精ひげが生えているそうだ)様子からするとなにやら隣の女性をからかっているらしい。

そのからかわれている女性はセミロングの黒髪の女性だった。おそらくそのプロポーションはこの場でも最高の物だろう。筆者もしばらく見とれていたが、大ジョッキを一息で空けるところを見てなにやら毒気を抜かれた。店の中を探すと隅に山積みになったジョッキとビア樽が鎮座していた。えびちゅ、とひらがながマジックで書かれている。だんだん、どういう店なのかわからなくなってきた…

3人目も女性で髪を金色に染めている。学者とか研究者とかいった感じを受けた。どうやら時折つっこんでいるらしく、先の女性が時々怒った顔を見せていたが、冷静にあしらっているようだ。ちなみにこの女性もさっきの女性もかなりの美女である。つくづく不思議な店だ。

かわって左のカウンター。入り口側のテーブルには仕事帰りの同僚とでもいったグループが座っている。こちらは普通の談笑をしているらしく時々笑うほかは普通の音量で話をしている。一人目は髪をオールバックにして眼鏡をかけた青年。精悍でりりしい印象を受ける。まじめなエリート社員とでもいったところだろうか。もっとも時々上司の事で嘆くようなことを言っていたから苦労をしているのかも知れない。

二人目はショートカットの女性。年齢は20代半ばはすぎているだろうがなにやら女子大生とでも言った雰囲気を感じる。かわいらしいという言葉がよく合いそうだ。小柄だが目を見る限り自分の意見を述べるしっかりした子でもあるようだ。

三人目は長髪の青年。これもどういうわけか不潔な印象を受けない。それにどういうわけだか一番真面目そうな印象を受ける。この店がどこか不思議な雰囲気を醸し出しているためだろうか?ときどき何かを弾くような真似をしていた。ギターかなにかをやっているらしい。

最後に奥のテーブルだが、ここが一番落ち着いていた。酒もあまり飲まずに話をたのしんでいるらしい。

一人は白髪で初老の紳士。先生、と呼びたくなる雰囲気がある。大学の教授とか弁護士が似合ってそうだ。この紳士が作っているらしい落ち着いた雰囲気が右のテーブルの方の騒がしい空気をうち消してちょうどよい雰囲気にしているらしい。

その対面にはショートカットの女性が座っていた。女性ではおそらく最高齢なのだろうがひどく若く見えた。それにどことなく左のバーテンにも似ている。姉妹か何かだろうか。こちらはなにやら暖かい雰囲気を作っていた。似た感じの美女とはいえバーテンとは違ってなにやら母性的なものを感じた。一度、目が合うと素敵な笑顔で微笑まれ、同席しないかと誘われた。誘惑に駆られそうになったがさすがにそれは野暮なので遠慮させてもらうこととした。しかしこの二人はどういう関係なのだろうか?(後で聞いた話では教師と教え子だそうである)

とにかく和やかなムードな店だった。私もなんとなく話し相手がほしくなったが、それを察したのだろうか?手が空いたらしいウェイター君が来ていろいろと話をしてくれた。

「実は開店は明日の夜で、今日は前夜祭ということで知り合いに来てもらったんです」

…それは悪いことをしたな、それで入った時にみんなに注目されたのか

「いえ。一日早くお客に来てもらえてうれしいです」

…はは、ありがとう。すると私以外みんな知り合いかい?

「はい」

…ふーん。どういうつながりなんだい?年齢層もばらばらだし

「ちょっとそれは…」

ウェイター君は困った顔をした。聞いてはまずいことだったらしい。

…ああ、すまない。立ち入ったことを聞いたようだね

「いえ、お気遣いなく」

…まあ、事情はともかく美女が多くてうらやましいね。ついでに美男子も多いが

「言われてみればそうですね」

初めて気づいたという風情でウェイター君が言った。少し、感覚がずれているのだろうか?

意外と美女ばかり見ていて感覚が麻痺しているのかも知れない。

…この店は、君たち3人だけでやるのかい?

「ええ、従業員は一応3人でやっていくつもりです。たまにバイトが来たりするかもしれませんが」

…ふーん。君たちはどういう知り合い、って聞くのはまずかったね。じゃ、どういう関係?

「………」

ウェイター君はそれまでと違い腕を組むと私のことを忘れたかのように真剣に考え始めた。

私はそんなにまずいことを聞いたのだろうか?友人とか兄弟とかそういう答えを期待しただけなのだが…少し心配になってきた私はバーテンを呼ぼうかと顔を向けた。すると赤い瞳がこちらを見ていた。何となく怖いものを感じた私は反対側のバーテンを見た。すると今度は青い瞳がこちらを見ていた。なにやら私の背中に冷や汗が流れてきた。正確には二人のバーテンは私ではなくウェイター君を見ているというか、彼の答えを待っていると気づいたのはしばらく後だった。が、肝心の答えといえば…

「すいません。うまく言えません」

私はどっと力が抜けた。

同時に後ろからふぅっ、とため息をつくような音が大音量で襲ってきたためびっくりした。客達もウェイター君の答えを待っていたらしい。いつのまにか静かになっていたのに気づかなかったがどうやら息をのんでいたらしい。

客達はすぐに元の話を再開し、バーテンの女性二人は仕事に戻った。左の女性は相変わらず無表情だったが右の女性はさらに力を込めてシェイカーを振っていた。なにか気に障ることでもあったのだろうか?

 

 
 
 
 

後半