<2201年 地球衛星軌道上>





一体の機動兵器が漂っていた。

『ブラックサレナ』

その呼称を知る者は太陽系でもわずかしかいない。

 
 

テンカワ・アキトはコックピットでまどろんでいた。

だが、それは眠っているからではなく、機体の酸素が残り少なく酸欠状態に陥りつつあるためだ。

しばらく前から酸素欠乏の警報が表示されていたが、全機器の表示を切った今は静かだ。現在動いているのはアキトのメディカルコンディションを監視しているセンサーのみである。その役目はアキトの死亡を確認すること。アキトの死亡が確認されたのちブラックサレナは最後の仕事として大気圏に突入する。太陽系で最強クラスの機動兵器であるブラックサレナと言えど、塵一つ残らず燃え尽きることだろう。

 
 
 

それでも地球で死にたいと思うのは俺のエゴか?)

 
 
 
 

そう、彼にとって最愛の人たちの住む地球で

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

機動戦艦ナデシコ 五つの花びらと共に

 

第0話 『流れ星はどこへ行く?』

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

<数週間前 戦艦ナデシコC 医務室>

 
 
 
 

ようやく落ち着いたユリカが要求したのは人払いだった。

「ルリちゃん。ちょっとイネスさんと二人でお話があるの。

 悪いんだけどあたしがいいって言うまで誰も入れないでくれる?」

そう言って微笑むユリカはルリの記憶にあるユリカそのものだった。

(けれど

ルリは平常心を保ちつつ口を開く。

「それには私も含まれるんですか、ユリカさん?」

「うーん、ルリちゃんがどうしてもっていうならしょうがないけどできたらお願い」

わかりました。オモイカネ」

『はいルリさん』

オモイカネがしゃべっているわけではない。そういう表示のウィンドウが開いただけだ。

「以後、私以外は二人の許可無く医務室への入室を禁止。内部の映像、音声も全てカットして下さい」

『はい』

「それでは、みなさん出て下さい」

そう言われて簡単に納得できるわけもない。真っ先にリョーコが抗議した。

「おいルリ!」

「艦長命令ですよ、リョーコさん」

そう宣言するルリをにらむリョーコ。

………

ルリはその視線を真っ正面から受け止めた。

ちっ、しゃーねぇなぁ!」

不満たらたらという表情でリョーコが外へ向かい、一同もそれに続いた。

「じゃあルリちゃん、また後でね」

「はい」

手を振るユリカに答えるルリの前でゆっくりとドアが閉じた。
 
 
 

 

「それで私になんの話かしら?」

そう言ってイネスは眼鏡をデスクの上に置いた。

「聞かせてほしいんです。私が眠っていた間のことをありとあらゆる視点から」

………

ユリカの真意をはかるように目を細めるイネス。

「こういうことはイネスさんが一番ですから」

ユリカは笑顔を絶やさない。

「かんち………いえ、わかったわ」

イネスは立ち上がるとホワイトボードを引き寄せた。

背筋を伸ばし、ポケットから指示棒を取り出して引き伸ばす。

そしてお決まりの台詞を告げるイネスには一部の隙もなかった。
 

「説明しましょう」

 

 

 

 
 
 



<ほぼ同時刻 月 ネルガル重工所有地地下>

 
 
 

「ラピスは?」

エリナが部屋に顔を出すなりアキトが尋ねた。

「よく眠ってるわ。さすがに疲れたものね」

「そうかなら、そのまま睡眠薬でしばらく眠らせてくれ」

どういうこと?」

怪訝そうな表情を浮かべるエリナ。

「ナノマシンの摘出手術の手配を頼む。無論、ラピスのだ」

アキトの考えがわからないエリナは顔をしかめる。

「どうする気?」

俺とのリンクを全てカットしてくれ」

「?」

記憶の操作もしてくれると助かる」

「あなた!」

ようやく事態を飲み込んだエリナの頭に血が上った。

だが、次のアキトの一言が水をかけられたかのようにエリナの頭を冷やした。

「俺は死ぬ」

………

「遠くない時期に」

それは事実だ。

それを知っているからこそエリナは何も答えられない。

口ではなんのかんのと言って、非情に徹しきれないこの女性をアキトは嫌いではなかった。

黙り込むエリナを見ながらアキトは別の人物に声をかける。

頼めるか、アカツキ?」

すっと物陰から現れるアカツキ。

エリナの後から来ておいて、中には入らずドア脇の壁にもたれたまま話を聞いていたのだ。

自分のを待っていたのかもしれないがアキトは顔に出さずに苦笑する。

やれやれ仕方がないね」

言葉どおり、仕方ないなぁという顔をするアカツキ。

「それで?テンカワ君はどうするんだい?」

「テンカワ・アキトは2年前に死んだ」

そうだったね」

アカツキは肩をすくめた。
 

アキトはわずかな荷物を手に取ると立ち上がった。

ブラックサレナは返せそうにない。悪いな」

「どうせあれを扱えるのは君しかいないからね。構わないさ」

アキトは無言でエリナの前を通り過ぎる。

………

ぎゅっと拳を握り締めるエリナの気配に気づかない振りをして部屋の外へ出る。

目を閉じて腕組みしたままのアカツキの横で一度、立ち止まる。

世話になった」

口にしたのはそれだけだった。

「ギブアンドテイク。僕にとってはビジネスに過ぎないよ」

返すアカツキの言葉はいつもどおり変わらない。

「ふっ」

わずかに笑みを浮かべるとアキトはその場を去った。

その足音が消えるまでずっと耳を凝らしていたエリナの耳にアカツキの呟きが聞こえた。
 

………勝手、だな」
 

「え?」

顔を上げたエリナが見たのはいつも通りの会長だった。

「なんでもないよ。ラピス君の件頼んだよ」

 

 

 

 
 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

星の数ほど人がいて、星の数ほど出会いがある そして別れ

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

<現在 地球 日本関東地区>





河原に座ったままのルリ。

ずっと空を見上げていたルリがふとそのままの姿勢で口を開く。

「すみません三郎太さん。せっかくのお休みなのに」

「いーってことっすよ艦長。どのみち当分は暇でしょうしね」

いつものように気楽な口調で答える三郎太。

実際問題、独立ナデシコ部隊の与えた影響は大きく、ナデシコCとルリ達の今後の処遇は難航している。宇宙軍の管轄に留まれるか、他の組織の干渉を避けるためネルガルに移籍するか

(ま、そんなどうでもいいことはおいといて

空を見上げる上司の横顔に視線を向ける三郎太。

(俺はあなたの副長なんですから、遠慮はなしですよ艦長)

艦長の考えていることを察するのが副長の条件だというのなら、今の三郎太ほど優秀な副長はいないだろう。

切ないっすね)

そこへ雰囲気を壊す能天気な声が割って入った。

「でも、艦長。一体なにしてるんですか?さっきかフグフグ」

口を押さえられてもがくハーリー。

「勝手についてきたおまけは黙ってろ」

(まったくこのあほが)

「ちょ、ひゃぶりょうたひゃん!」

「黙ってないと締め落とすぞ!」

だがルリは二人の様子に気付いた様子はなくただじっと星を見上げている。
 
 

 

 

「今度ルリちゃんに会うときはアキトも一緒だからね!」

そう言ってユリカさんはイネスさんと一緒にネルガルの研究所へ行きました。

 

 
 
 
 
 

「あ」

「ん?どうした?」

ハーリーの様子が変わったのに気付いて手を離す三郎太。

「ほら、流れ星ですよ」

ハーリーがそう言って夜空を指さす。つられて空を見上げる三郎太。

「ああ本当だな」

 

「!!」

はっと目を見開くルリ。

その瞳に一瞬、流れ星が映り、そして消えた。

 

 

 

 

 
 
 










<再び 地球衛星軌道上>

 
 
 
 

これが本当の死か)

酸欠のせいか、いつもの気が狂うような痛みも感じない。

ただひどく安らかな

心の中を走馬灯が駆け抜けていくのがわかる。

「帰りたいな

かすれた声で呟く。

楽しかったあの頃に)

ナデシコとともにあった日々に)

行けるものなら

『行けるよ!アキトが望むなら!』

え?)

『さあイメージを浮かべて!』

イメージ)

ナデシコ)

みんな)

『「ジャンプ」』

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

「ゲホッ!ゲホゲホッ!」

アキトが最初にしたのは死ぬほど空気を吸い込むことだった。

(死にそうになったから空気を吸おうとしているのにそれで死んでどうする?)

そんなことを考えている辺りかなり混乱している証である。

しばらくして落ち着いたアキトはしみじみと呟いた。

「ふぅ、空気がうまい」

冷えた夜風が顔に気持ちいい。草の匂いを嗅ぐのも随分久しぶりだ。

(昔はルリちゃんとユリカと一緒によく河原で

ってちょっと待てぇ!!」

小さな河原が目に入る。土手の草の匂いを嗅げる。涼しい夜風を感じる。

………

ちょっと嫌だけど)

地面に手を伸ばして草を掴み

………ペッペッ!!不味い!!」

アキトは慌てて草を吐き出した。

「いくらなんでも無理があったかでも」

でも、苦みを感じた。

弱っていた五感が戻っている。ほぼ完全に失われていた視覚や味覚さえも。

今更」

それでも喜びを感じている自分がいる。

どこまでも生にしがみつこうとする自分が。

「はは、ははは

こらえきれずにアキトは笑いをもらした。自分を嘲る乾いた笑いを。

 

 

 
 
 
 
 
 

「とりあえず地球のようだな」

ひとまず落ち着いたアキトは空に浮かぶ月を見上げて呟く。

いつもと違い耐Gスーツを着ずにブラックサレナに乗っていたのは幸運だった。うさんくさいことに変わりは無いがとりあえずマントの方が目立たない。おなじみのバイザーを懐から出すと顔につける。

鏡でも見てナノマシンのパターンが出ないか確認しないとな)

「ひとまずユーチャリスに戻るか

どちらにしろ死に損なったのは確かだ。もう一度死ぬにしろどうするにしろ少し考える時間が必要だ。ブラックサレナも回収しなければ

とりあえず最後にユーチャリスのあったネルガルの月面ドックをイメージする。

ジャンプ」

 

 

あんぐりと口を開ける整備員らしき男が目の前にいた。

「誰だ?」

男を詰問するアキト。

ここは特別な人間以外立ち入り禁止のはずだが?)

「あ、あひっ」

「?」

様子が変だが、とりあえず工作員か何かではないらしい。なら放っておいてもネルガルの方で処理するだろう。

アキトはとりあえず男を無視し、ドックのユーチャリスに目を向け

無いな」

いつも係留されている場所にユーチャリスはいない。アキトの目がおかしいというわずかな可能性も否定できないが、ドック内の空気の流れなどを鑑みるに本当にないというのが正しいようだ。

「ラピスか?」

だがアキトの指示無しでラピスがユーチャリスを動かすとも思えない。

ヴーヴーヴー!

いきなり警報サイレンが鳴り出した。

「騒々しいな何かあったのか?」

辺りを見回すとさっきの男の姿はなく、かわりに警備員らしき連中が走ってくるのが見えた。振り返らなくても反対方向からも同じ様な連中がやってくるのがわかる。

ひょっとして侵入者は俺なのか?」

事態を飲み込めないアキトを警備員達が包囲した。

「動くな!」

そういって銃を構える男達。

………

ふと、ドックの下方を見てみた。建造中、というよりも組立中らしい艦のフォルムが見える。その艦はどこかで見たような形をしていた。

コスモス、か?するとここは、いや、今は

手近の端末に走るアキト。

「撃て!!」

警備員達が見逃すわけも無く彼らは躊躇無く発砲した。

弾の無駄だぞ」

アキトはそう呟くとベルトのスイッチを押した。直後、ディストーションフィールドに弾かれた銃弾が辺りを跳ね回った。

「うわぁ!」「なんだぁ!?」

驚く警備員達に構わずアキトは端末を操作する。なにかデータを検索するわけではない。ただ

西暦2196年」

唖然となるアキト。もっとも唖然となったのは悟性だけである。

「うぉぉぉぉぉ!……へっ?……うわぁぁぁぁぁ!!」

警棒片手にアキトに飛び掛かった警備員は、片手を掴まれるとそのまま投げ飛ばされた。

「悪いが相手をしている暇はない」

投げ飛ばした警備員が仲間を巻き込んで転がるのを横目にアキトは懐に手を入れる。

ボール状の物体を掴み取るとすぐさま床に叩き付けた。

ボゥン!!

周囲が煙幕に包まれる。

「ジャンプアウト時の映像を消す暇はないか、仕方ないなジャンプ」

 

煙幕が晴れた後、そこには誰もいなかった。

 

 

 

 
 
 






<某日某時 ミスマル邸>




「ユリカ、いいかげんにせんか!」

「おじさん!」

今にも男二人が乱入しようとしたその時、扉が勢いよく開け放たれた。

「「ぐっ!!」」

顔面をドアが直撃し廊下に転がる男二人。

「あいたたたた?」

「ユリカいいかげ?」

小言を言おうとしていたコウイチロウは目を見張った。

直立不動の姿勢でユリカが敬礼をしていた。

………

きっちりと制服に身を包み、士官用のマントを羽織り、艦長の証である艦長帽をつけたその様は凛として一部の隙もない。

………

コウイチロウはゆっくりと背筋を伸ばすと答礼した。

行って参ります」

うむ」

手を下ろすとにっこり笑うユリカ。いつもと違いわずかに目を細めるに留めるコウイチロウ。

「さ、行こっジュン君!」

「わっちょっと待ってユリカ!それじゃおじさん失礼します!」

 

 

「我が娘、子供と思えば………ふ、立派になったなユリカ」

コウイチロウの眼下を二人を乗せた車が爆走して行った。

 

 

 

 
 
 




<東京都内某所>




「あればあったで困らないものだな

呟くアキト。キャッシュディスペンサーで当座の金を下ろした所である。

アキトが使っていた口座は、もともとネルガルのエージェント用の口座として何年も前に作られていたものであり、アキトがネルガルに雇われる前から存在していた。そしてその口座には常に一定の額が補充されている。それはこの時代でも変わらないらしい。

「とはいえさすがにその内ばれるだろうがな」

それまでには身の振り方を考えねばならない。ならないのだが

さてどうしたものか?)

アキトの思考はこの一点に集中していた。

五感は戻ったものの、だからどうしたというわけではない。今更ラーメンの屋台を引くのか?何もかも忘れて?

それは無理だ。どんなことであれ自分の人生をなかったことにはできない。そして、したくない。どんなにつらいことであっても。

 

全部チャラ。でも、一番大切なものをなくしてしまうじゃないですか』

 

でもルリちゃん、だとしたら俺はどうすればいいんだ?

 

 

 

ナデシコの出航までにはまだ日がある。ナデシコに乗る、か?

それは無理な相談だ。密航するというならともかく史実通りなら乗る余地は無い。第一、本来のテンカワ・アキトが………!?

 

「会ってみるか

 

 
 
 
 
 

 
 
 

雪村食堂と書かれた看板を見つめる。

「運命という奴はわからないものだな

たまたまこの近くに投げ出され、この食堂で働かなければおそらくナデシコに乗ることもなかっただろう。

ガラガラガラ

まだ準備中だよ」

店の戸を開けると懐かしい声がした。アキトの最初の師匠の声だ。

「そうだったな」

営業時間にはまだ早い。

「なんだ?暑苦しい兄ちゃんだな」

アキトの格好を言っているのだろう。金はあるのだから黒づくめでなくともいくらでも服は用意できるはずだが、習慣というのは怖いもので、特に不都合を感じていないアキトはそのままの格好で彷徨っていた。

なにぶんこんななりをしているんでな。他の客が来る前、店開き前に出ていった方がいいだろう」

「?」

怪訝そうな顔を浮かべるサイゾウ。

「どうかしたか?」

「テンカワか?」

………

ツカツカツカと歩いてきた才蔵がバイザー越しにアキトをにらむ。

「? あんたの知っているテンカワ・アキトという人物はコックの見習いであってこんなうさんくさい格好をした男ではないはずだ。テンカワ・アキトはいないのか?」

………死んだよ」

「なに?」

うちで働いてたテンカワ・アキトは死んだって言ってんだよ!」

「!?」

 

(どういうことだ?)

ナデシコはまだ出航していない。アキトはまだここで働いていたはず。

 

「どうもややこしいことになっているようだな

ゆっくりとバイザーを外すアキト。

………テンカワ?」

「サイゾウさん、詳しい話を聞かせてもらえませんか?」

 

 

 

サイゾウの話によると死んだアキトはやはりかつてのアキトと同様にトラウマを抱えていたらしい。木星蜥蜴が現れる度に恐怖に震えていたようだ。

それが先週、

「仕入れに行った帰りによ、蜥蜴が現れて

撃墜されたバッタが商店街に墜落した。

まだ動けたバッタは手近の物体に対して攻撃した。

「逃げ遅れた子供を見つけたあいつは、わざわざバッタの前に戻るとその子を安全な所にぶん投げたって話だ」

信じられない距離を飛ばされた子供だったが、落ちた所が段ボール箱置き場だったためかすり傷程度ですんだ。

その代わりにアキトの体は塵一つ残らず消し飛んだ。
 
 

「いっつもがたがた震えてやがったくせに、らしくねぇことしやがって死んだら何にもなんねぇだろうが

………

そう言うサイゾウを見て、本当に自分を心配してくれていたのだと思って嬉しくなるアキト。

(昔の俺は何もわかっちゃいなかったからな
 

「しかし、するってぇとてめえは誰だってことになる。お前、本当にテンカワか?」

サイゾウは半信半疑の顔のままだ。

………

しばし考え込むアキト。

やや逡巡してから口を開く。

「そうですね。詳しい事情はまた今度話すとして俺はテンカワ・アキトです。それは間違いありません」

「生きていたってことか?」

「ややこしい話になるんです。今のところはそう考えていて下さい」

サイゾウはしばらく考え込んでいたがふっと笑うと言った。

ま、生きてんならそれでいいさ。あぁ、言っとくがお前の給料は全部葬式代につかっちまったからな」

そう言ってサイゾウは笑った。アキトも葬式を出されるのは2回目なので気にならない。

「それよりサイゾウさん、なんか食わせて下さいよ。そもそも俺はそのために来たんですから。今日は俺は客ですよ?」

「金はあるんだろうな?うちはツケはきかねえぞ」

「ご心配なく」

「じゃあ仕方ねぇ待ってろ」

サイゾウが厨房に消えるとアキトは目を閉じる。

テンカワ・アキトが死んでいる)

史実が違うということは、すなわちこの世界はアキトがかつて過ごした世界とは異なる世界ということだ。

イネスさんのように単純に過去に飛ばされた訳ではないということか

どちらにしろアキトには戻るすべがない。

実のところすでに何度かジャンプを試みたのだが彼がいた時代には飛べなかった。自分の意志では時間を超えたジャンプは不可能ということか?では、何がアキトをこの世界のこの時間に飛ばしたのか?

イネスさんがいればな)

さぞかし嬉しそうに説明してくれることだろう。

ともあれアキトがいないということは、下手するとナデシコは出航前に沈みかねない。例えそうでなくともアキトがいたおかげで危機を脱したことが何度かあった。ユリカ達にもしものことがあったら

「!!」

ユリカに会える。

あの忌々しい遺跡に囚われていないユリカに。

それは例えようもない程強い衝動をアキトに与えた。

「ナデシコに乗るか

幸い(というのも抵抗があるが)この世界のテンカワ・アキトは死んでいる。アキトが代わりを勤めても問題ないだろう。かつていた世界のことは………この世界のことを片づけてから考えよう。
 
 
 

 

久しぶりに食事らしい食事をしたアキトは晴れ晴れとした顔をしていた。それはサイゾウのほうも同じらしい。

ごちそうさまでしたサイゾウさん」

「おう。ま、どこに行くんだか知らねぇがまた死んだりするんじゃねぇぞ」

「今度お会いするときはテンカワ特製ラーメンを御馳走しますよ。あまりのおいしさに腰抜かさないで下さいね」

「けっ半人前のくせしてぬかしやがる」

「それじゃ」

アキトは一礼すると去っていく。

その足取りはサイゾウが最後に見たときと違い力強くしっかりと大地を踏みしめている。

逃げるのはやめたみてぇだな」

呟くとサイゾウは店の中に戻っていった。

 
 

 

つづく


 
 
 
 

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