地球に帰ってからのナデシコは大忙しでした。
たった一隻とはいえ最強クラスの戦艦ナデシコはあっちこっちでひっぱりダコです。
北極近くの舌をかみそうな名前の島で白熊さんを救出したり、南の島でバカンスを楽しんだり、いろいろと初めての体験をさせてくれるので楽しいといえば楽しいんですけど…
今日も今日とてナデシコは戦っています。
機動戦艦ナデシコ 五つの花びらと共に
ピンク色のエステバリスがアステロイドの合間を猛スピードで抜けていく。
これだけの障害物の中をかいくぐれるのは機体の性能もさることながらパイロットの技量による所も多いだろう。
「はぁはぁはぁはぁ…」
パイロットの消耗も激しい。既にかなりの時間、敵と戦いつづけている。
そう、敵。
「!」
勘とは理論と演繹と経験に裏付けられた立派な才能だ、というのは誰の言葉だったか?
いずれにしろその攻撃を避けられたのは反応速度というよりも勘の領域だろう。仰角120度でターンして急加速で離脱するエステバリスに火線が追いすがる。アステロイドの合間を縫っての射撃は精確極まりない。逃げ続けることを余儀なくされたパイロットは近くに比較的大きなアステロイドを発見するとその厚い岩盤を掩体にすべくコースを変えた。その時、
(しまった!)
回避行動に極限まで思考を使っていたせいか、はたまた疲労のせいか追いすがる火線の量が予想より少ないことに気がつかなかった。追いつめられた自分は運良く見つけたアステロイドの影にこれ幸いと隠れる。しかし…
「!」
アステロイドの影から2機のエステバリスが姿を見せた。いち早くライフルを発射するピンクのエステバリス。だが、相手の引き金も既に引かれていた。火線が交錯する。
ピンクのエステバリスの攻撃は敵エステバリスの1機に直撃し、敵は大きく体勢を崩した。ピンクのエステバリスはかろうじて敵の火線をかわしたが、そこまでだった。
背後に追いついた2機のエステバリスがピンクのエステバリスに銃火を降り注ぐ。ディストーションフィールドはかろうじてもちこたえたが、そこへ前方の無事な1機と体勢を立て直したもう1機の攻撃が加わる。アサルトビット内が警告のウィンドウで埋まっていき、そして…
ドォォォォォーン!!
ピンク色のエステバリスは爆発し大きなガス雲となりそして宇宙の藻屑と化した。
「だぁぁぁぁぁーっ!!!」
パイロットの叫びが虚空に消えていく。
観戦用のモニターに大きく『GAMEOVER』の文字が表示された。
「お、やっとアキトが墜ちたぜ」
ジュースを飲んでいたリョーコが言った。
「えーと23分32秒。新記録だね」
「あたしたちは15分で墜とされたけどね」
イズミとヒカルが感想を述べる。
「オモイカネのやろー自分に有利にしてんじゃねぇか?」
ダンベルを持ち上げながらガイが文句を言った。
「ま、それはないにしてもちょっと難易度が高いねこのシミュレーションは」
ソファでくつろいでいるアカツキが告げる。
プシュー
圧搾空気の抜ける音と共にシミュレーション用のポッドが開く。
「いーじゃねぇか、この方が訓練になるだろ。な、アキト」
汗をだらだら流しながら荒い息をつくアキト。どうやら立ち上がる元気どころかリョーコに返事する元気も無いらしい。
ちなみにこのシミュレーションによる訓練はアキトの発案によるものである。目的は無論パイロットの訓練のためではあるが、本来の目的は他にある。
「オモイカネのストレス解消、ですか?」
ルリはきょとんとした顔をした。
「うん。ま、表向きは俺達の訓練用だけどね」
アキトは説明を始めた。
説明をすすめるうちルリの顔がほころんでいった。
このシミュレーションの最中アキト達には敵がただの量産型のエステバリスに見える。一方、オモイカネにはアキト達の乗る機体が連合軍の機体として認識される様になっている。オモイカネの意識にとっては連合軍の機体を撃墜するゲームというわけである。
ちなみにオモイカネ側の操る機体の性能やパイロットの能力は直前までのアキト達自身のデータを使用しているので能力的には互角である。フォーメーションを組む、フェイクを混ぜるなど戦術面などでは生身の人間のほうが有利だが、オモイカネもそれを学習していく。また、生身のアキト達と違ってオモイカネ側には心身の疲労が無い為長期戦になればなるほどオモイカネ側に有利になっていくため、かなりハードな訓練となっている。というわけで最近はほぼオモイカネ側の勝利で終わっている。
(ま、これでオモイカネのストレスがなくならおやすい御用だけどね)
「ふぅ」
アキトが一息ついたのを見てアカツキが立ち上がる。
「さてそろそろ時間だし、人間同士で一戦して終わりにしようか」
「おう!」
「のぞむところでい!」
<艦内会議室>
幹部用の会議室は防諜設備等が整っているので密談に使われることが多い。もっともわざわざ照明を落として暗くしている理由は不明だ。
その日も首脳部が集まって密談が行われていた。本来、提督であるムネタケも同席させるべきだが姿は見えない。もっとも参加者は気づいてすらいない様だ。
「…ですか?」
ユリカが確認する。
「そうです」
首肯するプロスペクター。
「だがミスターなぜこんな時期に?」
合点がいかない様子のゴート。
「もうすぐ…でして、はい」
「あぁなるほど」
ぽんと手を打つユリカ。
「しかし我々は…」
ジュンの言葉を遮るプロスペクター。
「そう我々はサラリーマンなのです」
眼鏡がキラリと光った。
<ナデシコ食堂>
「俺、A定食ね〜」
「火星丼」
夕食時乗組員で賑わう食堂。
ピコン
ウィンドウが現れる。その中に艦長の姿を認めた一同の動きが止まる。
「というわけで全乗員に明日から一週間の休暇を命じます」
こともなげにユリカは言った。
乗組員達は一瞬硬直し、そして一斉に叫んだ。
『えーーーーーーーーっ!?』
第10話 『君が感じる風の音』
「プロスさんお願いします」
ユリカが脇にどくとプロスペクターが顔を出す。
「はい。コホン…昨年のナデシコ就航以来かれこれ1年以上になります。まぁ我々は8ヶ月ほど短縮している訳ですがそれはおいておきまして、その1年以上の間、我々はまとまった休暇というものを取っておりません。…さて、まもなくネルガル重工本社は決算期を迎える訳ですが、それに先立ちネルガル重工労働組合本部よりナデシコの乗組員に対し休暇の取得命令…もとい要請が来ております。各種特殊契約を結んでいるとはいえ乗組員のみなさんはネルガル重工の社員であり、毎年一定数の有給休暇が与えられます。ネルガル重工は社員の待遇が優れていることでも業界に名を知られておりまして、その名を汚さぬためにもろくに有給を使っていない社員の存在は許されないのです」
プロスペクターは淡々と説明を続ける。
「うちは組合が強いからねぇ」
「ちょっと!」
うんうんとうなずくアカツキをたしなめるエリナ。
「とはいえ本艦は作戦行動を行う戦艦でありますからしてバラバラに休暇を取ってもらうというわけにもいきません。つきましてはみなさんに一斉休暇を取って頂こうというわけです、はい。ではゴートさん日程の説明をお願いします」
プロスペクターに変わりゴートがウィンドウに現れる。
「本艦は明日1000横須賀港に入港し、ネルガル重工のドックで総点検を行う。その間、全乗員に休暇を取ることを命ずる。市内に宿舎代わりのホテルを用意してあるので利用してもらいたい。艦内に残ることは禁止しないが、明日0800までに申請を出すこと。休暇中はコミュニケをつけている限り自由行動とする。緊急事態の際にはコミュニケを通じて招集を行う。自由行動の範囲は半径10km圏内とするが、前日までに計画表を添えて申請を出せばこの限りではない。質問は随時受け付ける。以上だ」
最後にユリカが言った。
「それではみなさんよい休暇を」
<しばらく後ナデシコ食堂>
ザッザッザッ食事が終わり乗組員達のいなくなった食堂にキャベツを刻む音が響く。
「テンカワはどうするんだい?」
一区切りついた所でホウメイが聞いた。
「そうっすね…」
コポコポコポ
鍋の煮込み具合を見ながら答えるアキト。明日の朝食の仕込みの最中である。ホウメイガールズは休暇の計画もあるだろうしということで一足早く返している。
「…知り合いって呼べる人は佐世保にしかいませんし。まぁぶらぶらしてますよ、ラピスと一緒に」
「そうかい。ま、あんたにゃちょうどいいかもしれないね」
「のんびりしろ、ですか?」
「そういうこった」
ピコン!
『あたしはあたしは?』「だぁっ!」
いつものように唐突に割り込んで入るユリカのウィンドウ。
『ねぇねぇアキトあたしは?…あれ?アキト?どこ?』
「艦長の下だよ」
苦笑するホウメイ。
アキトはおたまを持ったまま隣に転がっている。
「あれ?お前、家に帰んないのか?お義父さ…じゃないおじさん喜ぶと思うぞ」
床に座り直したアキトが言った。
『え、あ、うーん。そうねぇ、どうしようかな〜』
アキトに言われて悩み始めたユリカをよそにアキトはウィンドウの向こうに呼びかけた。
「ルリちゃんもよかったら俺達と一緒にどう?」
『へ?』
<ブリッジ>
そっと左右に視線を向けるルリ。
ミナトはにこにこと笑っている。メグミはくすくすと笑っている。ラピスはよくわかっていないのかきょとんとしている。
最後に上を見ると、ユリカがなにやらうーんうーんと悩んでいる。どうするか考えていたのだろうが、ルリの視線に気づくとにっこり笑ってうなずいた。
ルリはかすかに赤くなると小さなウィンドウをアキトの前に開いた。
「あ、お邪魔でなければ…お願いします」
「ジュン君はどうするの?」
ユリカに問われたジュンはしばらく思案する。ユリカが艦を離れるのであれば留守を守るべきだとは思うが…
(まぁさすがに動かないナデシコにいても仕方がない、か)
「…そうだね。僕もたまには家に帰るよ」
「うん、それがいいよ」
ユリカは微笑んだ。
「メグちゃんはヤマダ君とデート?」
オートパイロットの設定をしながらミナトが聞いた。メグミは今日の仕事を終えて部屋に帰る支度をしている。
「えへへへ、それもいいですね〜。ミナトさんはどうされるんですか?」
「部屋でごろごろしてるわ。ホテルにプールがあったら日光浴なんかいいわねぇ。お昼寝したら気持ちよさそ〜」
答えながらミナトは思いっきり腕と背中をのばした。
<三人娘の部屋>
荷造りしていたヒカルは作業の手を休めると相方達に予定を聞いた。「リョーコはどうするの?」
「寝る」
そう答えたリョーコの荷物はスポーツバッグ一つで終わっている。
「…あ、そ」
ジト目になるヒカル。
「イズミちゃんは?」
「ぞうさんのお鼻、ぶらーんぶらーん、ぶらぶらー」
なにやら怪しげなことをいいながら怪しげな荷物を怪しげな袋に詰めているイズミ。
「で、そういうお前はどうすんだ?」
「もち漫画と同人誌を買い込みに!」
キラリンと目を輝かせるヒカルにリョーコはげっそりとした表情になった。
<ウリバタケの部屋>
「ウリバタケさんはどうするの?御家族がいるでしょ?」
端末を叩きながらイネスが聞いた。
あちこちのディスプレイの表示を受けて二人とも眼鏡が光っており、怪しいことこの上ない。
「ナデシコに残るよ。ドックの連中だけに整備をまかせてはおけないからな」
(冗談じゃない。せっかく逃げ出したのに戻ってたまるか)
なにかのシミュレーションを表示している画面を見ながら答えるウリバタケ。
「そういうイネス先生はどうするんだい?」
スリットから出たディスクをイネスに返しながらウリバタケは聞き返した。
「さぁ私は独り身だしどうしようかしらね」
<エリナの部屋>
端末に向かってあれこれ打ち込んでいるエリナ。どうやら何かの日程表らしい。「で、僕は?」
壁に片手をついたアカツキが聞いた。
「もちろんたまった仕事を片づけてもらうわ」
アカツキが何を望んでいるかしっかりと理解した上であえてそう答えるエリナ。
「エリナくーん」
途端にアカツキが情けない口調になった。
「駄目よ。第一、あなた組合員じゃないでしょ?」
「とほほ」
<初日>
<午前9時―ネルガル重工本社ビル重役用会議室―>
「それではこれより幹部会を開始します」
一幹部の声でネルガル重工の最後部会が始まった。一番上座にはスーツ姿のアカツキがエリナを従えて座っている。その雰囲気はナデシコにいる時とはうって変わって威圧感を感じるものだ。アカツキよりはるかに年上の重役達は汗をかきながら業績経過などについて説明している。
<午前10時半―引き続き会議室―>
「それではこれより現在のエリア拡大方針について…」
メンバーを取り替えて会議が始まった。引き続き一番上座にはエリナを従えたアカツキが座っている。その様子には一分の隙もない。会議の列席者は緊張感に押しつぶされそうになりながら説明を続けた。
<正午―更に引き続き会議室―>
「それではこれより昼食会をはじめたいと思います」
場所を変えて再び幹部会議が始まった。相変わらず上座にはアカツキが座っているがエリナに替わりプロスペクターが従っている。和気藹々と食事をしているようには見えるが幹部達はなかなか食が進んでいないようだ。
<同時刻―会長秘書室―>
「午前中にすべての決裁書類を会長室にと言ったでしょ!」
「一週間分の予定表はどこ!?」
「そんなことは昨夜伝達しておいたでしょう!!」
部屋中にエリナの怒号が響いていた。
<午後1時―会長室―>
ドン!
音を立てて書類の山が置かれた。
「………」
アカツキは横目でエリナを見る。
「なんでしょうか?」
「いや、別に」
アカツキはため息をつくとペンをとった。
<午後3時―引き続き会長室―>
「エリナくーん」
左手で右手の指をほぐしながらエリナを呼ぶ。
「なんでしょうか?」
エリナはアカツキが署名した書類を再チェックしている途中なので顔も上げない。
「おやつの時間だよ〜」
「ナデシコにはそのような時間はありません」
「………」
黙り込むアカツキをよそにエリナはテキパキと書類をさばいていく。
<午後4時―懲りずに会長室―>
「エリナくーん」
左手で右手の指をほぐしながらエリナを呼ぶ。
「なんでしょうか?」
エリナはアカツキが署名した書類を再チェックしている途中なので顔も上げない。
「僕もお休みがほしいな〜」
ギン!!
殺気すらこもった視線が向けられた。
「いえ、なんでもありません、はい」
アカツキは小さくなると再びペンをとった。
<午後6時―本社付き医務室―>
「あー」
医師は口を開きかけてやめた。
「どうせお聞きにはならんでしょうな…こちらが普通の治療用のお薬です。過労による疲れを取るための導眠剤とかですが…」
ふぅ、とため息をつくと医師はもう一つの袋を出す。
「で、こちらがおそらくお望みのお薬です」
中身は強壮剤など締め切り前の漫画家とかいった人御用達の薬の数々である。
「悪いわね」
エリナは一応、両方の薬袋を受け取った。
「ウォンさん、せっかくのお休みです。全日程休めとはいいませんが…」
「ありがとう。せめて最終日くらいは休むつもりよ」
そう言ってエリナは席をたった。
<午後8時―ネルガル重工横須賀研究所第三会議室ー>
「であるからして現状では実験の進行それ自体にも…」
白衣に身を包んだ出席者に混じって会議の内容を聞いているエリナ。
「すでに損失は…」
エリナが口を開く。
「それらは既にわかっていたことです。なんのためにフレサンジュ博士からデータの提供を受けたのですか」
「我々にも開発者としての責任がある」
「提供されたデータを鵜呑みにするわけにはいかないだろう」
「しかし、結果はデータの通りになっています。この損失は避けられたものなのでは?」
エリナの言葉に黙り込む一同。
「失礼。でも、私たちは現実にジャンプを実行している人物を確認しています。そして、データによれば人工的に加工は可能」
そう言った後一同を見回すエリナ。
「私はネルガルに損をさせるつもりはありませんわ」
<二日目>
<市内某デパート>
「…せめてユリカを連れてくるべきだった」
アキトは途方に暮れていた。
「アキト?」
「テンカワさんどうかしました?」
ルリとラピスに期待するのは間違いだろう。
ちなみに私服の手持ちが少ないルリとラピスを連れてデパートの婦人服向け売り場にきたところである。
<宿舎ホテルーリョーコの部屋―>
「むにゃ…ばっきゃろ、ふざけんじゃねぇぞテンカワ…すかー」
<デパート内婦人服売場>
「はぁぁ〜」
さすがに暇である。気のきく女性店員に少女二人が連れて行かれた後だ。予算は気にしなくていいから思う存分選んでやってくれ、というアキトの言葉に数人の店員がかかりっきりになっている。
ルリとラピスが着せ替え人形になっているのはいいことなのだが…基本的にアキトは女性の買い物に付き合ったことがない。結婚式前にユリカと衣装その他を用意した時は別だが、その時はそんなことを気にする暇などないほどの忙しさだった。
「でも、ま、これが普通の生活なんだろうなぁ」
ぼんやりとつぶやくアキト。
「ねぇねぇアキトこの服どう思う?」
「うん?似合ってるんじゃないか?」
なにげに答えるアキト。
「真面目に答えてる?」
「答えてるよ、白がユリカの健康的…どわぁぁぁぁっ!!」
アキトは飛び起きた。何事かと近くの客達が目を向ける。
「どうしたのアキト?」
白いサマードレス姿できょとんとしているユリカ。
はぁはぁはぁ、と荒い息をしながら精神を落ち着かせるアキト。
「どうしたの、じゃないだろ!いつ来たんだよ!」
「ついさっきだけど?」
「ぜ、全然気配に気がつかなかった」
がっくりと落ち込むアキト。
(いかんいかん、ここの所たるむ一方じゃないか。こんなことじゃいざというときに!)
気合を入れ直すと顔をあげる。
「ま、まぁいい。ところでなんで…あれ?」
気づくとユリカの姿はなく、今度はルリとラピスの所に行っていた。
「わぁルリちゃんかっわいいーっ…あ、ラピスもその帽子とっても似合ってる!」
「…もうどうでもいいや」
<宿舎ホテル−屋上全天候型プール−>
「どうでもいいけどプールなんだから水着くらい来たら?」
顔も上げずにミナトは言った。日光浴をしていたらしくかなり刺激的な格好で寝そべっている。平日なので他に客はいないが休日だったら注目の的だろう。
「泳ぎにきたわけじゃない」
無愛想に答えるゴート。いつも通りのスーツ姿のため、こちらはこちらでかなり浮いている。
「ま、いっけどさ。で、せっかくの休暇なのに部屋にも来てくれないミスターゴートがなんの御用かしら?」
「話がある」
仏頂面のままゴートは続けた。
<デパート内喫茶店>
「家に帰ったんじゃなかったのか?」コーヒー片手にユリカにたずねるアキト。
向かいの席ではルリとラピスがジャンボパフェと格闘している。
ちなみに荷物は山の様な量になったのでホテルに直接送りつける様に手配した。
「うん。だから今日は家から来たの」
ちなみにユリカはチョコレートパフェである。
「ふーん。ま、いっけどさ」
「艦長のお宅って近いんですか?」
ルリが手を止めて聞いた。途端にキッとルリを見るユリカ。
「駄目よルリちゃん。今日はお休みなんだから艦長はなし!」
「え?」
「艦長はなし!」
戸惑うルリに構わずユリカは続ける。
「はぁ…じゃあミスマ…」
「ぶーぶー!」
口を尖らせてブーイングをするユリカ。アキトは傍観している。
「ですが…」
「だってルリちゃん、メグミちゃんやリョーコちゃんのことは名前で呼んでるじゃない!」
「はぁ…じゃあ…ユリカ、さん?」
「………」
なぜか黙り込むユリカ。
(なにかまずかったのでしょうか?)
ユリカの希望通りにしたはずだが、少し不安になるルリ。
「あのかんちょ…」
途端にずいっと顔をよせるユリカ。
「え、あ…ユリカさん?」
再び黙り込むユリカ。
「あ、あの?」
困った様子のルリを見かねたアキトが口をはさむ。
「なにやってんだユリカ?」
「だってアキト、ルリちゃんにユリカって呼ばれたのずいぶん久しぶりなんだもん!もううれしくってうれしくって…」
両手を合わせて感動しているユリカ。
「まぁわかんなくもないけどさ…」
やれやれといった様子のアキト。
「……?」
(久しぶり…ですか?)
首をかしげるルリ。どうやら二人は気づいていないようだ。
(いえ、もしかすると気づいていないふりをしているのかもしれませんね)
「はむはむはむはむ」
口の周りにクリームをつけてラピスは一人パフェと闘っていた。
<同時刻、デパート屋上特設ステージ>
「うおりゃああ!!」
突然ステージ上にあがった青年が怪人に跳び蹴りを食らわせた。
『おおっとレッドのピンチに観客のお兄さんが乱入だ!!』
「ガイさんファイトーッ!!」
『しかも彼女の応援つきだ!いいぞ、いけーっ!!』
「くらえっゲキガンパンチ!!」
<デパート前>
「ルリちゃん、ラピス、デートの邪魔して怒ってない?」
「いえ、別に…デート?(ぼそっ)」
なにやらつぶやくルリ。
「おこってない。ユリカもいっしょのほうがたのしい」
率直に感想を述べるラピス。
「よかったぁ。あ、それでね話は変わるんだけど二人ともうちに泊まりにこない?」
「え?」
「?」
唐突に飛んだ話についていけない二人。
「ユリカ?」
アキトが聞くとユリカはアキトに向き直って言った。
「…お父様が『アキト君さえよければ泊まっていきなさい』って」
「………」
黙り込むアキト。
「アキト?」
「テンカワさん?」
ラピスとルリがアキトの顔を見上げる。気づいたアキトは頬をかいた。
「そっか。ま、おじさんの誘いじゃ断れないな。ルリちゃん、ラピス、かまわないかい?」
「私は構いません」
「私も」
「やったぁ!」
三人の返事を聞いたユリカが飛び上がった。
「そんなにうれしいんですか?」
「もちろん!」
「そうなの?」
「とーぜん!」
ユリカの返事に顔を見合わせるルリとラピス。
ややあって二人の顔がほころんだ。
<都内某所>
「うんしょふんしょ」背中と両手に大きなバッグを提げて歩いているヒカル。
「さすがにちょっと買いすぎちゃったね…うん?」
視界の橋に古本屋らしき店を発見するヒカル。
「いくっきゃないよねー!」
ずどどどど!
<ミスマル家玄関>
「ただいまお父様っ!」
「うむ、おかえり」
ユリカの挨拶にうなずくコウイチロウ。
「…お言葉に甘えて御厄介になります」
「いや…よく来てくれたなテンカワ君」
しばし視線を交える両雄。ユリカはニコニコと二人を見ている。
「お邪魔します」
「…こんにちは」
ルリの挨拶に続いてアキトの後ろに隠れるようにラピスも挨拶した。
それを見て目を細めるコウイチロウ。
「やあいらっしゃい。よく来てくれたね。遠慮はいらないから自分の家だと思ってくつろいでくれたまえ」
「ありがとうございます」
「………」
ルリの返事に合わせてこくりとうなずくラピス。
「ふふふ」
「なんですお父様?」
「なに、いつかユリカが孫を連れてくる時がきたらこんな感じかなと思ってな」
「いやですよお父様、私まだ2…えーと20歳なんですから」
「さ、こんなところで立ち話もなんだ。上がりたまえ」
<アオイ家書斎>
「27人目…ふぅ」ジュンはため息をつくと書類を閉じて机の左横に積まれた書類の束の上に重ねた。
ちなみに反対側には手付かずの束が同じくらい積まれている。
「なんでこうなるのかな、とほほ」
朝から見合い写真の束を押し付けられたジュンは疲れた表情で次の女性のプロフィールに目を通した。
<ミスマル家浴場>
「広い…ですね」「ナデシコの、おふろみたい」
ミスマル家の浴室を見て感想をもらすルリとラピス。
もうもうと湯気をあげる岩風呂は満々とお湯をたたえ、空の月を映し出している。
それは一般家庭のお風呂というよりは旅館の露天風呂というのがふさわしい。
「お父様の趣味なの。さ、二人とも背中を流してあげるね」
「ミスマル提督って優しそうな方ですね」
「うん、とっても優しいお父様よ」
ごしごしごし
答えながらルリの背中をこするユリカ。
「…こわいかおだけど、すぐにかわった」
湯船の中からラピスが言った。
「そんなに怖い顔かな?」
「あ、ユリカさん今度は私が」
「はーい」
ごしごしごし
「…ユリカさん」
「なぁにルリちゃん?」
気持ちよさそうな声でユリカが答える。
「…お聞きしてもいいですか?」
「なーに?」
ルリの手が止まる。
「…お二人の事です」
「二人って誰と誰のこと?」
とぼけるユリカ。
「テンカワさんとユリカさんのことです」
「…そうねぇ」
顎に人差し指をかけて考え込むユリカ。
「お二人が私を気にかけて下さっていることはわかります。でも、どうしてですか?…きゃっ!」
いきなり頭からお湯を浴びせられたルリが悲鳴を上げた。
ユリカは空になった桶に再びお湯を入れると今度は自分にかける。
「あの…」
「とりあえず湯船に入ろ、風邪引くよ?」
「…はい」
<ナデシコ艦内特殊研究室>
<ひらたく言うとウリバタケ試作室>
二人の天才がキーを叩く音だけが響いている。
「しかし、こいつを本当に乗りこなせるのかい?」
「全然問題ないわ。第一、『2倍にすりゃ出力も2倍だろ?』って言ったのは彼じゃないわ。無茶の度合いは彼の方が激しいわね」
「んでその言いだしっぺの方は?」
「彼女…彼女たちは問題なく乗りこなしているわ」
「ふーん。あいつらみたいな連中がそんなにいるとはねぇ…にしても」
「なにかしら?」
「イネスさんよ。このフレームはただの汎用フレームじゃないだろ?」
手を止めたウリバタケが顔をイネスに向けた。
「どうして?」
少し笑みを浮かべるイネス。
「造りをみりゃわかるよ。わざわざコンパクトにしたり方向を変えたり、あちこちのボディ形状の直し方といい、なによりハードポイントの数と位置だな」
「ま、いずれわかることではあったけど、さすがに察しがいいわね」
「で、そっちの方はいらねぇのかい?」
「そうね…まだ必要じゃないわ。需要の無いときに過剰な供給をすると市場が混乱するでしょ?」
「そういうもんかねぇ?機体が強いに超したことはねぇと思うがな?」
「強すぎるのも考えものよ。ノーマルタイプのエステバリスしかなかったのはむしろよかったのよ。彼もそう考えているんじゃないかしら」
「そうだな…とはいえノーマルじゃじきに壊れちまう。あいつは無茶するからな」
「せっかく0G戦フレームの新型が来たのに地上戦ばっかりだものね…ふふっ」
<ミスマル家居間>
「酒は飲むかな?」「いえ」
「そうか。…私には息子がいなくてね。息子と酒を飲むというのを一度味わってみたかったのだが…まぁつまみだけでも頂き給え。酒がなくとも結構いけるぞ」
「いただきます」
「ユリカは?」
「もう寝てます」
「あの、二人のお嬢さんと一緒にかな?」
「はい」
「ふふ、不思議なものだな」
「なにがです」
「ついこの前までまだまだ子供と思っていたのに、いつのまにか母親…は言い過ぎとしても大人の顔になっている」
「………」
「そして君も一人前の男の顔をしているな」
「いえ、俺は…」
「自分を卑下するのはやめたまえ。それは君を信頼する者に対して失礼というものだ」
「………」
「…私も人の上に立つ身だ。それなりに多くの人間を見てきたつもりだ。その経験から言わせてもらえば、だ……君は迷っているな」
<数時間前、浴場>
「そうねぇ、まだ話せないことばかりとは思うんだけど」「………」
「?」
湯船に浸かる3人。
「一つだけ謝っておきたいことはあるかな?」
「謝る?」
「そ。ルリちゃんと…あとラピスにも」
「わたしに?」
両側からユリカを見つめるルリとラピス。
「私…私とアキトはひょっとすると二人をないがしろにしているのかもしれないの」
「ないがしろってなに?」
「そんなことないと思います。お二人は…」
「うん。ルリちゃんの言うことはわかるし、私たちもそんなつもりはないんだけど、もしかすると私たちはルリちゃんとラピスはこうなんだ、だから私たちがこうしなくちゃならないんだって勝手な思い込みで行動しているのかもしれないの」
「思い込み…ですか?」
「ぶくぶくぶく…」
「私たちはよかれと思ってやっているつもりでも、もしかするとルリちゃんやラピスにとってひどいことをしているのかもしれない」
「そんなこと…」
「………」
「だから全部話したとき二人に嫌われないかって正直怖いの。それも今はまだ話せないって理由の一つかな?」
「………」
「………」
無言になる一同。
「あ、あともう一つ理由があって!」
「え?」
「………」
くすっとユリカが笑う。
「だってルリちゃんまだアキトのことを『テンカワさん』って呼んでるんだもの。せめて『アキトさん』って呼んでくれるようになるまではね〜」
「そ、それは関係ないと思います」
「あ、ルリちゃん赤くなってない?」
「のぼせてきただけです。それならラピスだって…あ」
「どうかした?…あ」
「きゅー」
のぼせたラピスが意識を失っていた。
<ふたたびミスマル家居間>
「え?」「何に対してというのではなく、もっと大きな意味で迷いがある」
「………」
「君自身もうすうす気づいているのではないかね?」
「………」
「ふっ」
<ネルガル重工会長室>
「うーんうーん」
机に突っ伏したままなにやらうなっているエリナ。
どうやら夢見が悪いらしい。
仕事をしている途中だったらしく机の上にはいくつものウィンドウが点っている。
ガチャリ
扉が開き人が入って来る。
「やれやれ、寝てても仕事してるのかね?」
見ると自分の机の上に整理整頓された書類の束が追加されている。どれだけ文書の電子化が進んでも紙媒体の書類というものはあるらしい。末端ではわずかでもそれが積み重なって会長という頂上まで達すれば相当な量となる。
「ま、いいけどね」
そうつぶやくとエリナのデスク上のウィンドウを閉じる。
「うーんうーん」
「もっと肩の力を抜けないものかねぇ」
自分の椅子から背広を取るとエリナにかけた。
「…すーすー」
エリナの寝息が落ち着いたものに変わった。
それを確認すると自分のデスクに座る。
「さっさと片付けないと怒られるからね」
そう呟くと書類に手を伸ばした。
<三度、ミスマル家居間>
「別に君を責めているわけではないよ。迷うことは悪いことではない」
「…悪いことではない?」
「そう。人は多かれ少なかれ悩むものだ。それがあるべき姿なのだよ。少なくともまったく悩まない人間よりは悩む人間の方が私は好きだがね」
「………」
「なにもかも自分のせいと思うのはやめたまえ。それは他人に対して失礼なだけでなく傲慢というものだ」
「ふぅ」
この人はすごい人だ。そう素直に思うことが出来る。さすがはユリカの親父さん、いや、ユリカの方がこの人の娘と考えるべきか?
「…お酒、少し頂けますか?」
「お、飲んでみるかね?」
わたしはラピス。ラピスラズリ。
それはアキトがつけてくれたなまえ。
アキトはわたしのおとうさん。
ナデシコののりくみいん。
ナデシコがアキトのいえ。
だからわたしのいえはナデシコ。
だから…
チリン
風鈴の音が聞こえた。
むくっと上半身を起こすラピス。
隣を見る。
ユリカが寝ている。その向こうにはルリが。三人ともおそろいの浴衣だ。
ラピスは寝そべる。
少し考えた後、ユリカのそばにすりよった。
ユリカのそばはあたたかい。アキトのそばもあたたかいけどちょっとちがう。
ラピスは目を閉じる。が、不意に抱き寄せられて目を開ける。
気づくとユリカの腕の中にいた。頭がユリカの胸に押し付けられている。ユリカの顔を見てみるがどうやら眠ったまま無意識でラピスを抱き寄せたらしい。
動けなくてちょっと苦しかったが不思議とさっきよりも暖かく気持ちがよかった。
「いいにおい」
わたしのいえはナデシコ。そして、このひとたちがわたしのかぞく…
ラピスは再び瞼を閉じた。
<三日目>
<ミスマル家縁側>
縁側に座るユリカとアキト。和服を着ているせいか、とても戦艦の艦長と搭載機のパイロットには見えない。ちなみにアキトはユリカの膝枕である。無論アキトは嫌がったのだが数分間に及ぶ攻防と泣き落としにより屈服した。
「なあユリカ」
「なぁにアキト?」
「俺達…いや、俺はなにやってるんだろうな」
「? お昼寝でしょ?」
「そうじゃなくってさ。こっちの世界に来てさ、ナデシコに乗って…」
「平和のために戦ってるんでしょ?」
「いや、それはそうなんだけどさ。なんていうか…なんか違うような気がするんだよな」
「どういうこと?」
「自分でもよくわかんないけど……じゃあ、ユリカは何をやってるんだ?」
「ナデシコの艦長!」
「そうじゃなくて」
急にユリカの表情が真面目なものに変わった。
「…私はただアキトと一緒にいたいだけ。アキトがナデシコに乗っているから私もナデシコに乗っている。もしアキトがナデシコを下りたら私も下りる」
「そんな事したらみんな困るだろ?」
「うん、そうだね」
あっさりとうなずくユリカ。
「第一なんでもかんでも俺に合わせてたりしたら…」
「でも私はアキトのそばにいたいから…だから私は」
「…そっか」
「うん…だから、もう一人でどこかへ…」
「行かない」
アキトは真剣な口調で言った。
「うん」
うなずくユリカ。
「二度とお前を残してどこにも行かない。約束だ」
「うん」
「…ま、それ以前にお前から逃げ切る自信がないよ」
「そう?」
「まったく異世界まで追ってくるなんて、俺もとんでもない奴に惚れちまったな」
「ふふっ」
「こんにちは」
庭先から声がかかった。その先には見慣れた白衣の人物が立っている。
「あ、お待ちしてました!」
「イネスさん?」
慌ててユリカから離れようとするアキト。
「駄目!」
すかさずアキトの首根っこを押さえるユリカ。
「ぐえっ!」
さしものアキトもこの体勢では思うように動けない。
「二人とも休暇を満喫している様ね」
イネスは笑みを浮かべた。
「イネスさんはどうして?」
玉露と茶菓子が運ばれた縁側でアキトが聞いた。
「ま、私はなりゆきかしらね。とりあえずあなたたちがこの世界に跳んだ責任の一端は私にもあるし、その分の責任を果たしたいだけよ」
「そんな、もとはといえば…」
「もとはといえば火星の後継者のせいね」
アキトの反論を封じるイネス。
「………」
「もっと自分勝手に生きてみなさいよ、お兄ちゃん」
イネスはくすくすと笑っている。アキトは頭をかいた。
「ま、それはそれとして理論上、あっちの世界に戻ることは可能よ」
「は!?」
「来れたんだから帰れるに決まってるでしょ?要は正確なイメージができればいいのよ。仮にもA級ジャンパーが3人もそろっていておまけに1人は遺跡とリンクしているのよ?」
「でも、俺こっちに来た直後に何度か跳んでみたけど跳べなかったぞ?」
「それはたぶんユリカさんのせいね」
「ユリカの?」
「え?あたし?」
「そもそもユリカさんはアキト君に会うためにジャンプしたんだから。たぶん、無意識の内にアキト君と離れ離れになるのを阻止しようとしたんじゃないかしら?いつでもジャンプフィールドを張れる装備をしていたアキト君と違ってこっちのユリカさんはCCすら持っていなかったのよ?この世界に一人残されようとするのを妨げるのは当然ね」
「あ、なるほど」
「なるほどじゃないだろ…たく」
「因果応報ね」
「コホン。…それじゃ、ひょっとして」
「ユリカさんと一緒にジャンプするという条件はつくけど今ならあっちの世界に跳べるはずよ」
「なんてこった…て、そういうイネスさんは跳んでみたのか?」
「あいにく私は数個しかCCを持っていないの。それに次もうまくこの世界に来れるとは限らないでしょ?あなたたちがあっちに帰ろうとするまではそんな危険な真似はできないわ」
「なるほど」
「で、どうするの?」
「どうするって?」
「帰るの?」
「………」
こともなげに聞いたイネスにアキトは返す言葉がなかった。
「じゃ、あたしは二人を連れて散歩に行ってくるわね」
そう言って二人の少女を連れたイネスはミスマル家を出ていった。
「あぁしているとイネスさんも普通の人ね」
「そうだな」
「どうルリちゃんラピス?野原を歩くというのもなかなかいいものでしょう?」
「うん」
「そうですね」
「ま、私も人の事は言えないけど、船の中に閉じこもりっきりっていうのはよくないものね…それにしても」
二人をしげしげと眺めるイネス。
ルリとラピスは草履に浴衣姿。白い肌に金色の瞳。野原を歩くその姿には独特の雰囲気がある。
(“電子の”なんて形容詞をつけなくてもこの子達は十分妖精ね)
<ミスマル家、ユリカの私室>
わざわざイネスに二人を連れて散歩に行ってもらったのは他でもない。
「アキト大丈夫?」
深呼吸しているアキトを見るユリカ。どうやら特殊な呼吸法かなにかで精神を落ち着けているらしい。
「あぁ…始めよう」
アキトはディスクを取り出すとプレーヤーにセットした。
ほどなくして懐かしい顔がウィンドウに現れる。
『…お久しぶりです…ユリカさん…アキトさん』
<ネルガル重工会長室>
「軍から派遣のパイロット?」
書類を見たゴートが眉を動かす。
「ええ。他にも補充要員だとか訓練要望だとかまぁいろいろと来てますな」
プロスペクターが答える。
「軍としては本当はナデシコを軍属にして軍人を大量に送り込みたい所でしょうね」
一段落して落ち着いたエリナが感想を述べる。
「もしかすると“彼ら”の方じゃ軍属にされてたのかも知れないね」
思わせぶりな口調でアカツキが言った。
「でも、ネルガルと軍は対等なんだからこちらが譲歩しない限りそんなことはないでしょう?」
「だから譲歩せざるを得ないことがあったかもしれないだろ?」
「そうですな。今度お二人に聞いてみましょうか、この程度のことなら構わないでしょうし」
「それはそれとしてミスターどうするつもりだ?」
「陸戦隊が来てくれるのはありがたいですが、いざとなったらナデシコ制圧部隊に変わるでしょうからね。ご遠慮しておきましょう」
「じゃあエステバリスのパイロットは?」
「よろしいのでは?搭載機には余裕がありますしパイロットの交代要員は大いに越したことはありません。それにエステバリスならナデシコの管制下に従う他ないでしょう」
「見た所、そういうタイプには見えないね。可愛い子じゃないか」
「ちょっと!」
「調査は続行中ですが案外うち向きの人材かも知れませんな…いいようならスカウトしましょう」
『その…お元気ですか?きっとお二人のことですから元気でしょうね』
軍服姿が似合っている。どうやら自室で録画しているらしい。彼女らしい淡々とした口調だが、アキトとユリカはどこか違和感を覚えていた。
『イネスさんの推測が正しければお二人は異世界にいるそうですね。もし、そうでなければイネスさんが居所が判明するよう手段を講じると言っていました。だから、イネスさんがいなくなってからしばらくすれば証明されるはずです』
『…異世界にいって、身体が元どおりになっていればいいんですけど、あまり心配させないでください』
『ラピスは私が引き取ることにしました。もちろんラピスがOKすればですが。ラピス一人くらいは私のお給料で十分養えます。これでもアキトさんより収入は多いんですよ?』
『私は元気です。ですから心配しないで下さい』
『ごめんなさい、私嘘吐きです』
そう言ったルリは髪を下ろしていた。しばらく中断してから録画を再会したらしい。
『嘘ついています』
『アキトさんとユリカさんは家族だって言ってくれましたね、なにも遠慮はしなくていいって…』
『もし、これが最後なんだったら…』
『アキトさんの馬鹿ぁ!!どうしていっちゃったんですか!?レシピなんてもらってもうれしくありません!味なんてどうだっていんです!アキトさんが作ってくれるから好きなんです!』
『ユリカさんも嘘吐きです!きっとアキトさんと一緒に帰ってくるっていったじゃないですか…私を残して自分だけなんてずるいです!』
『馬鹿…ばかばかばかばかばかばかーっ!!』
両目から流れるものを拭いもせずにルリは力の限り馬鹿を連呼しつづけた。
『ふぅ、すっきりしました』
ルリはにっこりと笑った。
『もう、私は大丈夫です。だから、幸せになって下さい。そうじゃないと許しません。だってだってそうじゃないと私があんまりじゃないですか。もし、幸せになってくれなかったらそっちまで追っかけますよ?』
『じゃ、最後に一つだけ嘘をつきますね。これでお別れです。さようならユリカさん、アキトさん』
しばらくの間二人は背中と背中を合わせてただ座っていた。
「ルリちゃん、強くなったね」
「…ああ」
「なんかしっかりして見違えちゃった」
「…そだな」
「私はうれしいけど、アキトは?」
「…まぁ…うれしいかな」
「そ、よかった…巣立つ雛を見送る親鳥の心境とか?」
「…馬鹿」
「えへへ」
「………」
「でも、ちゃんと私たちに本心を教えてくれたね」
「…ああ」
<宿舎ホテルプールサイド>
ビーチチェアにねそべったミナトは手にした封筒を眺めていた。
「職業選択の自由あはは…なんてね」
ミナトは封筒を両手で持つと二つに破って捨てた。
「…ばーか」
「…ユリカ」
「なにアキト」
「決めた」
「えっ?」
背中を離すとアキトに向き直るユリカ。
「俺は帰るぞあっちの世界に」
「うん!」
あっさり頷くユリカに渋い顔を向けるアキト。
「…なんでそんなにあっさり了解するんだよ?」
「いけない?」
「いけないわけじゃないけどさ。普通、どうやって?とか、こっちはどうするの?とか」
「大丈夫!」
「その根拠は?」
「だってアキトはユリカの王子様だもの!」
「はぁ…お前って奴は…本当に」
「ねぇアキト」
ユリカはがっくりと肩を落としたアキトの手を取る。
「ルリちゃん嘘をついたね」
「ん?」
「ルリちゃんも言ってたじゃない、嘘をつくって」
「…あ…そっか、そうだな」
アキトの顔に笑みが戻る。
「嘘をついたからには叱ってやらないとな」
「うん!」
ユリカも満面の笑みを浮かべた。
イネスに連れられたルリとラピスは土手に座って風に吹かれていた。
「…イネスさんは」
「なにかしら?」
目を向けるととても深い瞳がルリの視線を受け止めていた。
「…いえ、なんでも」
「そう?」
「…風が気持いいですね」
「そうね」
「すぅすぅ」
ラピスはいつのまにか仰向けに寝転がって寝息を立てていた。
「まだまだ子供だものね」
「…そうですね」
「ねぇホシノ・ルリ」
「はい?」
「悩むのもいいけどとりあえずは今を満喫しなさい」
「………」
「どうせ放っておいても決着をつけるときは来るわ。どんなことでもね」
「…はい」
「その時に信じられるだけのものを持っていられたらいいわね」
「…イネスさん、大人ですね」
「ふふ、ありがとう」
イネスは風上を向くと髪をほどいた。
「…風が気持ちいいわね」
「ええ、とっても」
二人は寝そべるとラピスにならって目を閉じた。