「ねぇアキト…大丈夫だよね?」
二人きりの上部ブリッジデッキでユリカが聞いた。
「…なにが?」
不安げな様子のユリカの顔を見るアキト。
「ルリちゃんのことに決まってるじゃない」
「ルリちゃんが?」
「もし、もしよ? ルリちゃんが前と違う方を選んじゃったりしたらどうする?」
「え?」
「だってだって、もしかしたらこっちじゃ事情が違うかも」
「いや、そんなこと言ったって…そうなっちまったら俺達にはどうしようもないだろ」
「あーっアキトの馬鹿! こういう時は、『心配すんなユリカ、大丈夫だ』とか言って私を励ましてくれなきゃ駄目じゃない!」
「なっ…それを言うならお前こそいつもみたいに、『信じてますから!』とかって根拠もなく断言してほっとさせろよ!」
「二人っきりの時はアキトの役目じゃない! それに根拠はちゃんとあるもん!」
「俺の役目…って、こう俺が暗くなってるときに励ますことこそお前の役目だろ!」
「それは逆!」
「いいや、そうだ!」
「違うもん!」
わいわいわいわい、となにやら上で騒いでいるのを見上げるメグミとミナト。
「…ほっといていいんでしょうか?」
レシーバーに手を当てたままミナトに聞いてみるメグミ
「どーせ、いつものふーふげんかでしょ」
重ねた手に顎を乗せてのんきに答えるミナト。
「あはははは」
苦笑するメグミ
「ほーんとなにやってんだか」
ミナトは目を閉じると笑みを浮かべた。
機動戦艦ナデシコ 五つの花びらと共に
「アキトさん」
ルリの声に隣に座る男に呼びかけた。
「どうした?」
男がバイザーで覆われた顔を向ける。
「…」
感情を伴わない声に一瞬沈黙するルリ。それに気付いて頭をかく相手。
「ごめんごめん」
バイザーを取ったテンカワ・アキトはばつが悪そうな顔で謝った。
<民間航空機ヨーロッパ便機内>
「スチュワーデスさんも引いていましたし、機内では外しておいた方がいいですよ」
クリーム色のワンピースの上に行儀よく両手を揃えて、ルリは指摘した。
「そうするよ」
素直に応じるとアキトはバイザーを懐にしまった。
それだけなのに、黒いマントで覆われた怪しい格好はそのままなのに、不思議と温かい空気をルリは感じる。
「それでなんだいルリちゃん?」
「あ ……その、テンカワさんの御両親ってどんな方ですか?」
「んー、あんまり覚えてないかな」
指で頬を掻くアキト。
「え?」
「俺がガキの頃に死んじゃったからさ」
「あ…」
言葉を失うルリ。
よく考えるべきだった。両親がいないのは自分だけではない。いつも一緒に仕事をしているラピスは言うまでもなく、他にも同じような人はたくさんいるだろう。あんなに明るいユリカも母親はいない。
(…あ、でもミスマル提督なら二人分くらい…)
実際問題、艦内の交友関係が狭いルリの場合、まともに家族のことを聞いた事があるのはユリカとウリバタケくらいのものである。
「まあ、うちの両親結構金持ちで遺産が合ったからまだましだったけど、やっぱガキ一人じゃ生きていくのに必死でさ」
アキトは特に気にした様子も無い。
「…すみません」
「気にしなくていいよ。生まれた時から親がいない奴もいるし、実際、ルリちゃんだって今まで知らなかったんだろ?」
「はい」
頷くルリの後ろ、窓の向こうは分厚い雲に覆われて何も見えなかった。
第15話 『そこがあなたの生きる場所?』
<一週間前 ナデシコ会議室>
「ホシノ・ルリの親?」
ムネタケは怪訝そうな表情を浮かべた。
「はい」
会議の際の報告者とほぼ決まっているジュンが説明とデータの表示を行う。
「彼女はナデシコへ配属されるまでは養父母の所にいたわけですが、こちらは本来の肉親、つまり受精卵の遺伝上の親ですね」
「へ〜 ルリちゃんのご両親」
うんうん、と頷きながら表示された両親のデータを見るユリカ。
その様子を眺めるプロスペクターとアカツキ。
(さてさて、今回の件はご存知だったのでしょうか)
(いやいや、ここにいると飽きが来なくていいねえ)
「よりにもよってピースランド?」
エリナは眉をしかめている。
元々ルリは、身元不明の受精卵をとある研究所が生育させ、それをある研究機関が買い取って養育し、それをまたネルガルが買い取った。人身売買もいいところだが、こういう業界ではそう珍しいことでもない。ラピスもほぼ同様である。既に研究機関にルリの身柄に対する権利はなく、また、ルリ自身もネルガルと正規の契約を交わし、契約金と給料を支払われている以上、少なくとも作戦行動中においそれと艦を離れることはできない…できないのだが、要求されている。
「あそこは大きいからねえ…銀行」
アカツキが言った。
最初、なぜ自分が呼ばれたのかわからなかったが、データを見ればわかる。ルリの肉親はピースランド王家。世界有数のピースランド銀行の経営者と同義である。いくらネルガルでも銀行との揉め事は避けて通りたい。
(とはいえ…)
どうしてルリ…すなわち受精卵が身元不明になったか、とピースランドの捜索活動経過について、報告しているジュンと、ピースランド王家のデータを見ながらそれを聞いているムネタケを見る。
別にこちらから正体を明かした覚えは無い。だが、特に違和感も無く二人はアカツキが席につくのを認めている。
(テンカワ君はああ言っていたが、調べようとしなければ…いや、調べようと動く気にならなければ、何もわからないものだよ?)
「ピースランドの要求を拒否することはできませんな。金融界を動かされても困るし、マスコミを使って騒がれてはもっと困ります」
プロスペクターが言った。
「仕方ないですね。それではしばらくの間、ラピス君一人でオペレータ業務を行ってもらって、彼女に一旦ピースランドへ行ってもらうと…」
「それであの子は帰ってこられるの?」
ジュンの言葉をムネタケが遮った。
「親に泣きつかれて帰ってこられなくなるかもしれないわよ。だいたい、まがりなりにもあの子なしでもこの艦が動ける以上、向こうが強硬に言い張った時、ネルガルは彼女を連れ戻せるのかしら?」
「それは…」
「難しいでしょうなぁ」
契約が、と言いかけたエリナを遮ってプロスペクターが言った。
「契約を盾に取っても、違約金を払うなり、損害賠償をするなり、まぁピースランド銀行にとってははした金でしょう」
「ネルガルも営利企業だからお金には弱いしねぇ」
アカツキがのんきに言った。
「ちょっと!」
「まぁまぁエリナ君」
「で、それでいいの艦長?」
ムネタケは隣のユリカの顔をうかがった。
オペレータとしてのみならずユリカが個人としてルリと親しいのは周知の事実である。
「よくはありません。でも…」
「でも?」
「信じてますから!」
ユリカはにっこり笑った。それを見て口元をほころばせるムネタケ。
「そ。…ま、いいわ。じゃあ、あたしも信じてみようかしらね」
「はい!」
笑みを交わすムネタケとユリカを不思議な気持ちで見る一同。
(おやおや、なにかありましたかな?)
(おやおや、彼も艦長に毒されたかな?)
(もう、相変わらず何の根拠も無い事を…なんなのよこいつらは!)
三者三様の感想をおぼえるネルガル重役陣。
「では、実際の段取りだが…」
ゴートが実務に移る。
「作戦行動中のナデシコを地球に下ろすのは論外だ。彼女には一旦月かどこかのコロニーで降りてもらい、通常の定期連絡便で …この場合も一応里帰りか?」
ピースランド王家からは迎えの船をなどという話もあったが、軍の作戦区域をちょろちょろされても困る…というか迷惑以外の何物でもないのでさすがに拒否している。
「次の補給のタイミングで降りてもらいましょう。地球に降りさえすればどこでもピースランドまでの連絡便はたくさんありますから通常便でいいでしょう」
ジュンが次の寄港日程を表示する。頷くプロスペクター。
「本人には私からお知らせしましょうか? それとも艦長が?」
「あ、それでしたら私が…」
「どうでもいいけどあんたたち、まさかあんな小さな子を一人旅させる気?」
『え?』
ムネタケの言葉に手を止める一同。
「そりゃあの子なら一人で地球のどこにでも行くでしょうけどね。でも、いくら優秀でも子供には違いないんだから誰か…、…ちょっと何よあんたたち?」
ニヤニヤしながら自分を見る一同に眉をひそめるムネタケ。
「勘違いしないように言っておくけど、あたしは軍事機密の漏洩を防ぐために… ちょっとあんたたち聞きなさい!!」
なにやらひそひそ話を始めた一同を見て顔を赤くして怒るムネタケ。
「あの子もナデシコのクルーなんだからあたしは提督として!」
「えぇえぇ、提督のおっしゃることもごもっともです。ネルガルの方で適当な護衛を手配しましょう」
「あ、それなら適任がいます」
プロスペクターの言葉を聞いてユリカが手を上げた。
<ブリッジ>
「……まぁ、一応聞いとくけどさ、なんで俺なんだ?」
頭を掻きながらアキトが言った。
たった今、ユリカからルリの護衛を命令された所である。
件のルリはブリッジ要員や他のパイロットの面々に取り囲まれている。
誰か行くなら自分の他はないと思っていたし、それは望む所だが、それでもパイロット兼コックの自分を外すにはそれなりの理由が要る。
「それはもちろん!」
「それはもちろん?」
「お姫様を守るのは王子様って決まってるもの!」
びしっとVサインを突き出すユリカ。
「………」
かくっ、と頭を垂れるアキト。
「ルリ…かえるの?」
一通り一同の質問攻めが終るとラピスが言った。
「はい。…帰る、というのが正確かどうかわかりませんけど、行かないとみなさんにご迷惑がかかるみたいですし、ひとまず会って来ます」
「もー、ルリルリそんなこと言わないで、これまでのお小遣いでもせびって来なさいよ」
「そうですよルリちゃん」
相変わらず淡々としたルリの様子に苦笑しながらミナトとメグミが言った。
「かえってくる?」
ラピスは静かに聞いた。
「え?」
「ナデシコにかえってくる?」
ラピスが再度言った言葉にその場が急に静まりかえる。
「コホン。あー、まぁいいんじゃねぇか? せっかく親がいたっつんだからよ」
「そ、そーだよね。ま、込み入った話は向こうについてからでも」
「………生きてるうちが華だよ」
『い?』
適当にごまかそうとしていたリョーコとヒカルの後からぼそっと突っ込まれた妙に重みのある言葉に発言の主に向き直る一同。
「死んで花見が咲くものか〜」 ポロン
ウクレレを弾くイズミ。
『………』
無言の一同。
「ルリ」
ちょいちょいとルリの袖を引っ張るラピス。
「あ…」
我に返ってラピスに向き直るルリ。
「………ラピス、私が帰ってくるまでオモイカネとお留守番お願いします」
「………うん」
うなずくラピス。
ルリもうなずくとアキトとユリカのもとに向かう。
「あの、アキトさん」
「ん?」
ルリの声にアキトは顔を上げた。
「…よろしくお願いします」
ぺこり、と頭を下げるルリ。
「…うん、王子様とはいかないけどしっかり勤めさせてもらうよ」
<少し遡って会議室>
無論、パイロットであるアキトを護衛にする事に関しては全員が反対した。
「でも、いざとなったらジャンプして帰ってこれますし…」
そう言って反論するユリカ。
「あの、艦長?」
アキトがボソンジャンプできることを、事のついでのように何気なくムネタケとジュンにばらしてしまったユリカにさすがのプロスペクターも一筋汗を流す。
実際にはゴートもこれまでの経緯から推測はしてはいたのだが…。
「やっぱり知らない人よりもアキトの方がルリちゃんも気楽だと思いますし…」
「そりゃそうだろうけどユリカ…ってその前にテンカワがジャンプって…」
ジュンの言葉を聞き流し、続けるユリカ。
「それに…いくら肉親でも今まで会ったことの無い人達と行ったことの無い所で過ごすんです。きっと心細いです…だから、アキトです」
『………』
沈黙する一同。
「いいわ。テンカワ・アキトをホシノ・ルリの護衛として同行させましょう。ま、実際、強行脱出ということになるかもしれないものね」
提督であるムネタケが艦長であるユリカの提案を承認した以上、これは決定事項である。
「じゃ、あとはネルガルに任せるわ。…で、次の件」
「はい?」
首をかしげるユリカ。
「…テンカワがジャンプってどういうことよ?」
「あ、ついうっかり」
口元を押さえてあからさまにしまったという顔をするユリカ。
『わざとやっているのか天然なのかどっちかはっきりしろ!!』
一同、心の叫び。
というわけで私服姿のルリと黒装束のアキトは連絡艇、シャトル経由で地球に降り、現在飛行機でピースランドに向かっている所である。なお、アキトは武装しているため、面倒が無いように全てネルガル系列の便を利用している。
<夜、ユリカの部屋>
「……むにゃ…」
ぎゅう〜〜〜〜〜〜っ
寝ぼけてラピスを抱きしめるユリカ。
「すぅすぅ」
かなり強く抱きしめられているにも関わらず、ラピスは気持ちよさそうに寝ている。
ミスマル家に滞在中に慣れてしまっている。
意外と丈夫なラピスであった。
アキトがいないと寂しいでしょ、とユリカが言って、ラピスはユリカの部屋に移っている。どっちが寂しいのかは知らないが、だったら最初からユリカの部屋でよかったのではという意見も一部には存在する。
<同、ナデシコ食堂>
「野暮なことは言いなさんな」
アキト不在で一番忙しいはずのホウメイの言葉である。
「元々はテンカワなしで切り盛りする予定だったんだし、どうってことはないさね」
そう言った後、付け加える。
「たまにはテンカワものんびりできるといいね」
アキトのレシピを元にラーメンのスープを作っている最中である。
「そうね、ふふ」
一人カウンターで夜食を食しているのはイネスである。
「そういや、イネス先生も最近夜食が多いね。また、何かやってんのかい?」
「まあ、今はチェックのお手伝いと言う所かしらね。後はもうウリバタケさん達に任せちゃってるし」
「おっと、そう言えばそろそろ格納庫に出前を届けないといけないね」
大きな出前箱を二つテーブルに取り出すホウメイ。
「悪いね先生」
夕食を片付けた後はホウメイガールズ達も引き上げるので、夜食の出前はもっぱらアキトの仕事となっている。したがって今はホウメイが行くしかない。
「お構いなく」
そう言うとイネスはデザートのみかんに手を伸ばした。
<深夜、ブリッジ上部デッキ>
ユリカの指揮卓に宿直のジュンがいた。
現在ナデシコは現在位置を維持して待機中のため操舵士もいない。従ってブリッジには他に誰もいない。
「…うーん、ちょっと難しいか。オモイカネ、ちょっと手伝ってくれないかい?」
データを検索していたジュンは諦めるとオモイカネに呼びかけた。
『了解』 ピコン
「ありがとう。とりあえずはCC…チューリップクリスタ…」
プシュー
「あら?」
「わっ!?」
ハッチの開く音に慌てて振り返るジュン。
「ちょっと人をおばけみたいに…」
苦笑しつつ入ってくるムネタケ。
「あ、提督でしたか」
「宿直ご苦労様」
軽く手を挙げるムネタケ。
「…どうされたんです?」
「ちょっと寝つきが悪いんで艦内を散歩しているだけよ。いい運動になるしね」
そう言ってジュンに歩み寄ったムネタケは検索キーワード待ちのウィンドウに気づく。
「あ、いや、これは…」
「…火星、クーデター、そしてテンカワ博士」
「え?」
ムネタケが言い終わるとオモイカネがネット上でサーチを開始する。
「じゃあ、おやすみなさい」
手を振るとムネタケは出て行った。
「あ、お疲れ様でした」
プシュー
ハッチが閉まるとジュンは首をひねった。
「まぁいいか。で、検索結果は…え?」
ウィンドウに向き直ったジュンは表示された過去の記事に眉を寄せた。
<ピースランド王宮内貴賓室>
「………」
趣味はそう悪くないのだが、やたらに豪華に飾られた客室を見回すアキト。
とりあえずマントをベッドの上に脱ぎ捨て、その上にバイザーと拳銃の入ったホルスターを放り出した。
じかに床に座ると背中からベッドにもたれかかった。
「ふぅ…」
一息つくアキト。
(やっと落ち着いた。まぁわかるけど堅っ苦しいんだよな)
本当なら地を出して思い切り身体を伸ばしたいところだが、さすがに監視カメラくらいあるだろうからそれは我慢する。
「…それにしても」
ルリに悪いと思いつつ笑いをもらすアキト。
「何度見ても、すげぇなあの連中」
王族…ルリの両親と弟軍団に対面した時のことを思い出す。前回はルリの家族ということで落ち着いて観察する余裕もなかったが、冷静に対面すると…笑えた。ルリの肉親だけあって容姿は悪くない。むしろ皆、美形の範疇に入るだろう。だが、イメージがあまりにも。
(トランプの絵柄じゃないだろ)
ルリに悪い、悪いと思うと余計に笑いがこみ上げてきて、ポーカーフェースを維持するのが大変だった。
<ルリの部屋>
「………」
自分が10人くらい寝そべれそうなベッドの上にぽつんと一人座るルリ。
普通の部屋と比較する気にもならない広さの部屋は豪華絢爛に輝いているが特に感慨は受けなかった。
これまた豪華なネグリジェだかなんだかに着替えさせられそうになったが、なんだか風邪を引きそうだったので普通のパジャマを用意してもらった。
両親や弟達はまだまだ話したそうだったが、初日ということもあり気を利かせてくれたのか一人にしてくれている。…まぁ実際には部屋の外には1ダースに及ぶメイドや一個中隊位の衛兵がいそうな雰囲気ではあるが。
(どうしましょうか?)
まだ、眠くはない。
それなりに疲れてはいるはずだが、いろいろあってなかなか落ち着けないのだろう。
辺りを見回し、自分を見る。全てがいつもと違う状況で一つだけいつもと同じ物があった。左手を持ち上げる。コミュニケの端末がいつもどおりそこにあった。
知らず笑みが浮かぶルリ。
「オモイカネ」
ピコン
間髪入れずウィンドウが現れた。
「…え?」
ウィンドウの表示に一瞬、言葉を失うルリ。
『ただいま戦闘中のため回線を封鎖しております。しばらく経ってからおかけ直しください』
<ナデシコブリッジ>
「………ふぅ」
いくつかの記録を読み終えたジュンは一息つくと背中を伸ばした。
(そういうことか… じゃあ、ネルガルは? ……ナデシコは?)
頭の中で何かがつながりかけていた。だが、まだ足りない。
(…交替まではまだ時間があるか。どうするかな?)
腕のコミュニケ端末の時計表示を確認した後、ジュンは何気なくナデシコの前方を見た。
「?」
何かが光った気がした。
目を細めるジュン。
(特に何も…ない…か?)
「…オモイカネ、索敵モード変更。そうだな…11時の方向を重点的に頼むよ」
考えすぎかな、と思いつつも指示を出すジュン。
だが、その考えはすぐさま実証された。
『光源確認』
『熱反応接近中』
『解析結果表示』
「!!」
表示された大型の対艦ミサイルにジュンの顔が引きつった。
「フィールド出力最大!」
『了解』
ドン!
ズズーン!!
ジュンの指示とオモイカネの応答の直後ナデシコが盛大に揺れた。同時にYユニット先端部近くのフィールド上に大爆発が起こる。
「くそっ! 敵艦索敵ならびに第一戦闘配置! 警報を鳴らせ!」
<ピースランド王宮内貴賓室>
「…」
大勢の足音が近づいているのに気づいたアキトはベッドから起き上がるとバイザーとホルスターを身に付けた。
バン!
マントを手に取った所でドアが開け放たれた。
「ノックも無しとは礼儀知らずな……あれルリちゃん?」
予想していた大勢の衛兵、その先頭に立っていたのはルリだった。
ルリはアキトに駆け寄る。
「大変ですアキトさん!」
「え?」
「アキトさん、ナデシコが!」
その様子に状況を察したアキトは膝をつくとルリの前にかがんだ。
「落ち着いてルリちゃん。ナデシコがどうしたんだい?」
「ナデシコが戦闘中です! オモイカネにもつながらなくて!」
「うん。それで?」
「それで…」
「うん。それがどうしたんだい?」
「それで、その…」
冷静なアキトの口調に落ち着いてくるルリ。
「ナデシコは戦艦で作戦行動中なんだ。戦闘になることは当たり前、だろ?」
「それは…そうです」
何を慌てなければいけなかったのか、自分がいないとナデシコは負けるのか? いや、ルリはいまだかつてそんなことは考えたこともなかった。自分は乗組員の一人に過ぎない。こんなところで一体何を慌てて…
「あ、あの、すみませんアキトさん、夜遅くに…」
ぺこりと頭を下げたルリの頭にぽん、と手を置くアキト。
「へ?」
顔を上げたルリの前にバイザーを外して微笑むアキトの顔があった。
「アキトさん?」
「ねぇルリちゃん。俺、今、すっごく嬉しいんだけど、なんでだかわかるかい?」
「? ………いいえ」
素直に答えるルリ。
「いつも冷静なルリちゃんが慌てて俺のところに来るくらい心配したんだよね」
「え…はい」
事実なので否定できない。
「それって、ルリちゃんがナデシコを、ナデシコのみんなをものすごく好きってことじゃないかな?」
「…あ」
顔を赤くするルリを見てアキトはもう一度微笑んだ。
<ナデシコブリッジ>
「取り舵いっぱーい!!」
「オッケー!!」
パジャマ姿で指示を飛ばすユリカと同じくパジャマ姿で応じるミナト。
「3時方向ミサイル連続発射!!」
すかさずゴートが続けると右舷でナデシコのミサイルに迎撃された敵の対艦ミサイルが盛大に爆発する。
「…ツギくる」
次弾の対艦ミサイルの軌道予測を終えたラピスがユリカの前にウィンドウを送る。
すかさず指示を飛ばすユリカ。
「面舵30度、推力70%で前進! 右側にロールかけてください!!」
「了解!!」
先程からこの調子で対艦ミサイルの大半を回避しているのである。
厳密には至近に来ればミサイルは爆発するが、回避行動で距離を取り、また、対空砲火の迎撃時間を稼いでいる。…さすがに艦内の重力制御機構は悲鳴を上げているが。
「エステバリス隊発進準備よし!」
「直ちに発進してください!!」
「え、あのでも…どこに?」
まだ、敵艦の位置は判明していない。
戸惑うメグミにジュンが答えた。
「敵艦がいなくてもミサイルが飛んで来る方向はわかってる! 最低でもミサイルの迎撃はできる! …そうだろ、ユリカ?」
「そうです!」
うなずくユリカ。
<ピースランド王宮内貴賓室>
紅茶のいい香りが漂っていた。
ティーカップを持ったまま何とはなしに月を眺めるアキトとルリ。
「うまいな」
「そうですね」
市井の名物料理はともかく、王宮内ではさすがにいい葉を使ったおいしい紅茶を飲めるようだ。
王宮内で一番の古株と言う侍従長は、一人で全てを準備した後、ドアのそばで完璧に気配を消している。そして、飲み終わってお代わりが欲しいなと思った時には、二人のそばでティーポットを持って構えていたりする。
(下手な工作員よりよっぽどすごいな)
これも貴族とかなんとかといった人に仕える人たちには必須の技能なのかもしれない。
ちなみに、なんだかんだ言っても気になって眠れないので戦闘終了を待っているところである。
「…アキトさん」
「なんだい?」
「…私、どうしたらいいと思いますか?」
「………」
すこし考えるアキト。
「ん〜まぁ一応、俺には俺の希望があるんだけど」
侍従長の方をうかがいながら言うアキト。
「…聞いてもいいですか?」
「…たぶん、それは言うべきことじゃないな…ルリちゃんが自分で決めればそれでいいんじゃないかな?」
「…」
「ルリちゃんが自分で決めたことならみんな喜んでくれるさ。もちろん、俺もね」
「…」
「よく考えるといいよ」
「…はい」
<ナデシコブリッジ>
「つまり、敵はミサイルとそれを発射する制御装置としての人間…まぁ一応、小型シャトルを兼ねたコックピットになっているけど、はっきり言って丸裸も同然よね…その二つを遠距離から射出。あとは初速のみで微調整を行い、ナデシコに気づかれずに近距離まで接近。そこからミサイルを発射というわけ。戦法としてはおもしろいわね。実際、連合軍の戦艦なら沈めていたかもしれないわ。でも、無事、敵艦を破壊できればいいけど、そうでなければ生身で敵の前に放り出される。そもそも、ミサイル抱いて、自由落下というのも相当勇気がいるわ。木連の優人部隊、まずはその精神力…根性に拍手を、といったところかしらね?」
エステバリスから送られてきた敵の映像を前に説明を終えたイネスを変な目で見る一同。
「あの、イネスさん」
「なに艦長?」
「その頭とぬいぐるみ…」
頭にぼんぼんつきの帽子を被って熊のぬいぐるみを抱えたパジャマ姿のイネス…それでも白衣は一応身に着けている…を見るユリカ。
「落ち着いてよく眠れるのよ…ふわぁぁ」
盛大に欠伸をするイネス。
基本的にブリッジでは、エリナを除く女性陣は寝間着姿なのでさほどの違和感はない…たぶん。対照的に男性陣はいつもどおりの服装で一部の隙もない。
「それで、どうするの艦長?」
ムネタケが示したウィンドウには一列につながって白旗を揚げている優人部隊の兵達が映っている。
「さしたる被害もありませんし、白旗揚げてるから私達の勝ちってことで」
「…見逃すっていうのね。でも、捕虜にすれば情報が得られるんじゃなくて?」
「ナデシコには多数の捕虜用の適切な設備がありません。この前は白鳥さん達にも逃げられちゃいましたし」
「捕虜をとらないというのなら殺すべきよ。私達は戦争をしているんだから。…それでもあえて見逃すからにはそれなりの理由がいるんじゃなくて?」
「えーと、確かに敵の戦力を削ぐのは大事ですけど、味方の戦力を維持するのも大事です。ここで、無防備の人を撃っちゃったりするとみんな嫌な気持ちになって戦力ダウンして私も困っちゃいます!」
にっこり笑うユリカ。
「確かにそれは困るわね」
苦笑するムネタケ。
「ですよね。じゃ、そういうことで。…エステバリス隊帰還して下さい」
ユリカは 『二度とくんなーっ!』 などと叫んでいるパイロット達を呼び戻す様に指示を出した。
<翌日 木連優人部隊戦艦かんなづき艦橋>
「おう、アララギ。無事で何より、安堵したぞ」
艦橋の中央に立つ男はスクリーンに同僚の顔を認めるとそう呼びかけた。
「いやぁ秋山さん、やられました」
スクリーン内で頭をかくアララギ。ナデシコへのミサイル突撃作戦を指揮した優人部隊の指揮官である。
「やられたというわりには元気そうな顔だな」
ごつい笑みを浮かべて答える男の名は秋山源八郎。優人部隊の中でも白鳥、月臣と並んで称される若手きっての腕利きである。
「本艦は戦闘には直接参加はしていませんから」
そこで一度言葉を切って表情を改めるアララギ。
「…それに私は今回の戦術、それ自体は必ずしも失敗ではなかったと考えています。自分の力不足を言い訳するわけではありませんが、相手が普通の艦であればおそらく落せたでしょう」
「ほう」
「それに、実は戦死者どころか負傷者一人いないものですから」
どうやらそれが元気な理由らしい。
「それは僥倖だったな。みな、武運があったということか、いや、一応は負け戦だからそうとも言えんか、はっはっは」
「ええ。実際は、悔しいですが、敵に感謝するほかないというところです」
苦笑するアララギ
「? どういうことだ?」
「ミサイルを撃ち終えた部下達には白旗を挙げて投降するように言っておいたのですが、それを見逃したのみならず、どうも発射前のミサイルを破壊する際にも部下達に被害が及ばぬようにわざわざ狙って破壊した節があると部下達が申しております」
少し考えている様子のアララギ。
「ほう」
「ただの気まぐれか、それともあの艦の軍人は特別なのか… いや、余計なことでした。次は秋山さんとうかがっています。御武運を」
敬礼するアララギ。
「うむ」
秋山が答礼するとスクリーンが消えた。
「あの艦の軍人は特別、か。…どう思う三郎太?」
秋山は後ろに控えていた副長に尋ねた。
「アララギさんには失礼かもしれませんが、自分は偶然であると考えます。何と言っても、奴らは極悪非道の地球人です!」
木連軍人の見本と言わんばかりに背筋を伸ばし断言する高杉三郎太。実際、彼は一般的な木連軍人の模範と目されている。戦功を重ねれば、すぐに秋山、月臣、白鳥に続くだろうと言われていた。
「ふむ、そうだな。まぁいい、明日は明日の風が吹けば桶屋が儲かる、と言うしな。いずれにせよ戦ってみればわかることだ。三郎太、発進だ。作戦区域へ向かう」
「はっ!」
<北欧 人間研究所跡近くの川辺>
「………」
ルリはしゃがんで川面を見ていた。
飛び跳ねながら、川を遡っていく鮭の群れを長い間じっと眺めていた。
水の音を、ただ、聞いていた。
『考えて』
それが、今もっとも親しい女性の願い。
ヒュルルル
冷たい風が吹いても、背後に立つ、今もっとも親しい男性が、防いでくれた。
風になびいたマントが視界に入った。
ルリは立ち上がると口を開いた。
「アキトさん」
「なんだい?」
「…帰りましょう、ナデシコへ」
ルリは振り返ると笑顔で言った。
<インド洋上>
「ねージュン君」
だらけきった声でユリカが言った。
「…なんだいユリカ?」
「暇だねー」
指揮卓に突っ伏したユリカを見て肩を落すジュン。
「ユリカ、戦闘中なんだからさ…」
「だってぇ」
前方を指差すユリカ。
はるか水平線上の辺りにかろうじて砲火が確認できた。
「………」
黙り込むジュン。
増援としてインド洋上に降下したはずのナデシコだったが、部隊はナデシコを戦場のはるか後方に移動するよう指示した後、なんら連絡もよこしてこない。木星蜥蜴は木星蜥蜴でわざわざ部隊を割いてこちらに派遣する必要を認めていないらしく、ナデシコは完全にのけものにされている。
「そんなことでどうするの! 機会があればいつでも踊りこんでナデシコの存在をアピールしなきゃいけないでしょ!」
一人意気盛んなエリナが言った。
そうは言っても、それに即時対応して戦場に雪崩れ込むことが可能なナデシコである。はっきり言って遊んでいて問題なく、実際ブリッジで待機してはいるものの、パイロット、オペレータ問わず、本を読んだり、ゲームをしたりと、めいめい自分の好き勝手なことをして暇つぶしをしている。以前までは一人びしっと待機していたイツキもうつらうつらと船を漕いでいる辺りかなりナデシコに馴染んできている様子だ。
「まぁ、そう怒らない怒らない」
今にもユリカにかみつきそうな勢いのエリナの前に割って入る声。
「プロスさん?」
「何よ?」
プロスペクターは腕を後ろで組んだまま、戦況図を眺める。
「軍にも軍の面子というものがありますからねぇ。いくらナデシコがいた方が有利とはいえ、力を借りてばかりだと、彼らの矜持が傷つくのでしょう。今日の戦闘なら戦力比からしてもよほどヘマをしない限り勝てるでしょうし、そういうことならナデシコには引っ込んでいてもらいたいと、そんなところでしょう」
「はぁ」
わかっているのか予想済みなのか、判断しづらい様子で頷くユリカ。
「ま、戦闘に参加しなければ、経費も節減できますし、、こちらに敵が来ない限りは…」
「!」
突然、読んでいた本を放り出すメグミ。
「連合軍より入電!」
真剣な顔になって報告するメグミ。
「チューリップより新たに出現した敵戦艦が本艦へ向かって接近中とのことです!」
「カンナイ、ぼそんリュウシハンノウゾウダイ」
「え、アキト?」
ラピスの報告に思わず呟くユリカ。直後、
ズズズーン!
ナデシコが大きく揺れた。
「何事!?」
「Yユニット右舷C区画にて爆発発生! 被害確認中!」
ムネタケの問いに答えるゴート。
「敵の攻撃か? ディストーションフィールドは!?」
ジュンが確認するがラピスは否定する。
「テキのコウゲキはカクニンしてない。ふぃーるどシュツリョクセイジョウ、イジョウなし」
「どうやら内部からの爆発による被害らしい」
「どういうことかしら?」
ゴートの報告に眉をひそめるムネタケ。
「…イネスさん?」
ユリカは手元に小さく開いたウィンドウの中のイネスに問い掛ける。
『OKよ。いつでも…』
『なんだなんだ! 今の爆発は!?』
イネスの言葉はウリバタケの大声に遮られた。
『ディストーションブロックが無かったら一大事だったぜ!』
「「「「「ディストーションブロック??????」」」」」
思わず問い返す一同。
『よくぞ聞いてくれた! ディストーションブロックとは…』
意気揚揚とディストーションブロックの説明を始めるウリバタケに苦笑する一同。
「あ、あのイネスさん」
小声でイネスの機嫌を伺うユリカ。
『いいの、気持ちはわかるわ』
寛容に頷くイネス。
『こんなこともあろうかと、こんなこともあろうかと! こんなこともあろうかと!!!』
背後でウリバタケが『こんなこともあろうかと』を連呼している。
イネスとの打ち合わせを終えるとユリカは指示を出す。
「とりあえず逃げちゃいましょう。ミナトさん、最大出力で上昇して下さい」
「いーけど…それだと宇宙に出ちゃうわよ?」
我に返って問い返すミナト。
「構いません。フルスピードでお願いします」
<ピースランド領内商業地区>
「アキトさん」
コミュニケのウィンドウを閉じるとルリはアキトに声をかけた。
「ん? なんだいルリちゃん?」
悩んでいたアキトはとりあえず振り返ってルリの顔を見る。
「インド洋で戦闘に参加中だったナデシコですけど、緊急事態が発生して宇宙に飛び出すので、またしばらく連絡が取れないそうです」
「緊急事態………あ、なるほど、そうか。うん、わかった」
記憶を思い出したアキトは納得したように頷く。
「大丈夫、でしょうか?」
「うーん、まぁ、大丈夫だと思うよ。二度目だし、ガイもイツキちゃんもいるし」
「はぁ」
「ところでルリちゃん」
「はい?」
「本当にこの中から選ぶの?」
ルリより二回りほど大きいぬいぐるみの数々を前に再確認するアキト。
「ええ」
お土産リストをチェックしているルリ。
「イネスさんはできるだけ大きいぬいぐるみとおっしゃってました」
「…あ、そう」
「あと、できれば熊さんがいいというお話で…」
「…はぁ」
見ながらアキトはため息をついた。
<ナデシコブリッジ前部デッキ>
紙芝居屋のコスプレをしたイネスが敵艦の武装について説明をしていた。
「トランスフォーム砲ってご存知かしら? 20世紀、それも人類が月に到達する10年以上前から延々延々延々と続いているドイツのSF小説シリーズの100話頃から登場した兵器の名称で、簡単に言うと転送機で核ミサイル、というより核弾頭そのものを敵艦のすぐ側に送り込んで爆発させる兵器なの。優秀なミサイル迎撃システムを装備している敵であっても確実に命中させることができるわけ。だって、瞬間移動だから光速のレーザーより早いものね。しかも、一般的に使用されていたのはギガトン級の核爆弾だから破壊力もレーザー以上。無論、敵が転送を阻害できるバリアなりなんなりを装備していなければ敵艦の中に送り込むことも可能なはずよね。
今回の敵の攻撃方法も基本は同じ、敵は爆弾をボソンジャンプさせてナデシコの艦内に実体化させた。ディストーションフィールドではボソンジャンプは阻止できないということね。まぁ、敵もそんなに大火力の爆弾を大量に運用するのは自分の艦が被弾したときの誘爆の危険性があるから爆弾の火力はある程度限定されるし、ディストーションブロックがあったおかげで被害を小規模に抑えられたというわけ」駄菓子を食べながら説明を聞いて頷く一同。
その敵艦に追いかけられている最中だというのにのんきである。
「それで? 対抗手段はあるのかしら?」 バリバリ
ラムネを噛みながらムネタケが聞いた。
「残念ながらボソンジャンプのシステムすらわからない現在の我々では、短時間でボソンジャンプを阻止する手段は開発できないわ。もし、阻止する方法があったとして、だけどね」
「じゃあ、黙って殴られるの?」 プー、パン!
喋った後でフーセンガムを膨らませて割るヒカル。
「冗談じゃねぇ、そんなんだったら正面から突っ込んでやられる方がましだぜ」 バキバキ
口の中の黒飴を奥歯で砕きながらリョーコが言った。
「いいえ、この武器にも弱点はあるわ」
「あ…もしかして、射程、ですか?」
一人駄菓子を食っていないイツキ。
「そう。一定距離を保っている限りはこの武器はまったく無効。つまり長距離の砲撃戦に徹するなら今迄と何も変わらない。はい、ごほうび」
「あ、ありがとうございます」
断わりきれずにあられの入った袋を受け取るイツキ。
「でも、それじゃグラビティブラストの撃ち合いになるだけで決着はつきませんね」 パリ
薄い海老せんべいを割りながらジュンが言う。
「じゃあ、いつまでも追いかけっこ続けるのぉ?」
操舵中のため一人席を離れられないミナトが遠くから言った。
「作戦はあるかい艦長?」
杏を口に放り込みながらアカツキが聞いた。
「あります」
うなずくユリカ。
「どんな作戦かしら?」
ムネタケが聞いた。
「釣りです!」
「「「「「「釣りぃ?」」」」」」
「そう、釣りです」
そう言うとユリカは釣竿に見立てたペロペロキャンディをぐっと掲げた。
<ピースランド領内商業地区>
ファーストフード内のボックス席、異彩を放つ二人組が座ってハンバーガーをかじっていた。
(やはり、この手のものならどこでも同じ味で安心できる)
アキトは名物料理店の数々を外から一瞥しただけで、さっさとルリをここに連れ込んだ。
ルリは逆に今迄ファーストフードを食べる機会がなかったので珍しいのか特に気にしていない様子である。
一足先に食べ終わったアキトは珈琲を飲みながら考え事をしていた。ちなみに土産の数々は別便で発送済みである。
(途中で木連に墜とされなきゃいいけど…それはそれとして)
「…動きが早いな」
つい口に出すアキト。
「え?」
アキトの声に手を止めるルリ。
「あ、ごめん。なんでもないから気にしないで」
「はい」
素直に食事に戻るルリ。
アキトは腕を組んで考えを続ける。
(優人部隊の動きが前より早いな。ミサイル攻撃はピースランドから帰ってから後だったと思ったし、ボソン砲もそれから結構間があった。…でも、ボソン砲が投入された戦闘自体は同じだから、全体の戦況の推移が早いってことなのか? でも、何ヶ月もってわけじゃなかった。参ったな、全体の戦況なんて前は全然知らなかったし…ユリカ覚えてっかな?)
<ナデシコブリッジ>
無重力状態のブリッジの中を正座した姿勢で漂う影一つ。
「スイダラタッタ〜スイダラタッタ〜スイダラタッタ〜 …スイ」
のんきに釣りの歌を歌っていたユリカが顔をあげた。
<かんなづき周辺宙域>
「来たっ!!」
叫びざまソーラーセイルを切り離し飛び出すリョーコ機。
「ビンゴォ!」
「備前、備中、備後!」
即座に続くヒカル、イズミ機。その前方にかんなづきの艦底があった。
同時にかんなづきの上部に向かって上方から急降下する三機のエステバリス。
「いきますっ!」
「ナデシコ応答せよ! こちらアカツキ、本日は大漁だ。繰り返す本日は大漁だ!!」
「いっくぜぇっ、ゲキ・ガンガー!!」
<ナデシコブリッジ>
「エステバリス隊より入電! 敵艦を捕捉、攻撃開始しました!」
メグミの報告に続いてユリカが命令を発する。
「相転移エンジン始動! 各エステバリスに重力エネルギーライン接続! ディストーションフィールド展開、出力最大へ! 最大速度で突撃開始、目標、敵戦艦!」
<かんなづき艦橋>
「本艦、下方、並びに上方より人型戦闘機急速接近!その数、六機!」
「何!?」
驚きの声を上げる三郎太。
「敵戦闘機、本艦の時空歪曲場に取り付きました!」
「うりゃぁっ!!」
「突き刺しまくってやるぜ!」
かんなづきのディストーションフィールドに一斉にフィールドランサーを突き立てるエステバリス隊。ランサーの穂先が開き、フィールドを歪ませていく。
「……これは? 敵戦闘機、本艦の時空歪曲場に干渉…中和しています!」
「何だと!?」
うめく三郎太。
秋山は腕を組んでかんなづきの正面を映し出すスクリーンを見た。
ディストーションフィールドを展開したナデシコが凄まじい速度で突っ込んでくる所だ。
「…やられたな。敵の狙いは始めから本艦を人型戦闘機の戦闘可能領域におびきよせることだったのだ」
「艦長!」
「迎撃用意! 虫型戦闘機隊発進!」
「どぅおりゃぁぁぁ!!」
気合一閃、ガイ機が先頭を切ってディストーションフィールド内に突入した。
「よーし、探すぞぉ!」
下方からヒカルが侵入する。
突入に成功すると一斉にフィールドランサーのカートリッジを交換する一同。すぐさま散開する。
「エステバリス隊フィールド内侵入成功!」
「グラビティブラスト発射」
「「「え?」」」
「リョウカイ」
ラピスは問い返す一同に構わずユリカの命令どおりグラビティブラストを発射する。
「重力波接近!」
ドォォォォン!
グラビティブラストの直撃を受けて震えるかんなづき艦橋。
「時空歪曲場の状態は?」
「健在です!」
「しかし威力は敵の方が上か…やや不利か?」
「敵人型戦闘機、時空歪曲場内に侵入!」
「艦長!」
「慌てるな、敵戦闘機の迎撃は虫型戦闘機に任せて、本艦は敵艦への攻撃に専念するのだ」
「はっ! 反撃だ! こちらも重力波砲、発射!」
「ぐらびてぃぶらすと、くる」
「構いません、全速前進!」
ズズズズズン!
「艦長、このままだとボソン砲の射程に入ることになるが?」
「そのとおりです!」
「は?」
思わずユリカの顔を振り返るゴート。
「ミナトさん、ぶっとばしちゃってください!」
「いーけど、それってまずくない?」
「現状で、ボソン砲の防衛手段はないよユリカ?」
「肉を斬らせて骨を断つってところかしら?」
『え?』
ムネタケに振り返る一同。頷くユリカ。
「斬られずにすむと、嬉しいんですけどね」
隣に並んだイネスが説明した。
「今、パイロットのみんなはボソン砲を探している。でも、私達はボソン砲の場所も形も知らない。唯一、わかるのはボソン砲が使用される際にはボソンジャンプと同じくボース粒子の反応が増大すること」
「わざと撃たせて、ボソン砲を見つけやすくするってことかい?」
「今後もあることですし、ここは一番頑丈なナデシコで確認しておいた方がいいと思います」
「はぁ…コストが。さっきのミサイルだって安くないんですが」
ぱちぱちと宇宙そろばんを弾くプロスペクター。
「敵艦更に接近!」
「跳躍砲の射程に入りました!」
「ようし、跳躍砲発射準備!」
命令を発する。三郎太の目に余裕が戻る。
「……」
だが、対照的に秋山の顔は険しさを増していく。
「ボース粒子反応増加確認! あそこです!!」
イツキ機が指差すまでも無く、かんなづきの左舷についている円筒状のブロックの下部に円盤状のフィールドが形成されていく。
「ヒカル! イズミ!」
言いざま突っ込んでいくリョーコ機。
「りょうかいっ!」
「撃たせて頂きます!」
すぐさま続くヒカル機、イズミ機。
「こっちは敵を引き付けるよ!」
「任せろぃ!」
「はいっ!」
散開してジョロ部隊に突っ込んでいく3機。
「敵人型戦闘機、跳躍砲に接近!」
「なんとしてもくいとめろ!」
ボソン砲の前面、リョーコ機の正面にジョロ部隊が集結、リョーコ機に向かって一斉に攻撃を開始する。
「邪魔だ、どきやがれぇ!!」
フィールドに攻撃が命中するのも構わず突っ込むリョーコ。直後、部隊の中央で盛大に爆発が起こる。
そこに出来た隙間を2機のエステバリスが飛びぬけると、ボソン砲の正面に向かう。すかさずその背後について敵を牽制するリョーコ機。
円盤状のフィールド内にナデシコの格納庫が映る。
「いただきっ!」
「山のてっぺん、それは、いっただきぃ」
二機のエステバリスはミサイルを一斉に発射するとライフルを連射した。
爆発の轟音と共に、大きく震えるかんなづき艦橋。
「跳躍砲…全壊!」
「虫型戦闘機隊、半数を切りました!」
「くっ! デンジンを借ります!」
叫ぶなり秋山のそばを離れると、上着を脱ぎながら艦橋の後部扉から駆け出していく三郎太。
「三郎太!」
「やったぜ!」
「いやぁ、うまくいくもんだねぇ」
「待って下さい! 新たにボソン粒子反応増大!」
イツキの報告と前後して三機の中央に独特の発光現象が生じる。
「全機、散開!!」
「正義は勝つ!」
『ヴォォォォン!!』
三郎太の叫びに呼応してか、唸り声を上げるデンジン。
「んだとぉ!? 正義の味方はこっちだろうが!」
「そういう問題じゃないと思うがね」
「でも確かにあっちの方がなんか悪者っぽい感じが…」
「ゲキガン・ビーム!!」
聞く耳持たずといった感じでグラビティブラストを放射するデンジン。
<ナデシコブリッジ>
ウィンドウ内にはかんなづきのフィールド内でデンジンと交戦中の6機のエステバリスが映し出されていた。
ナデシコはかんなづきとグラビティブラストを撃ち合ったが、双方、効果なしと見て砲撃をやめている。今は後退するかんなづきをナデシコが追いかけている所だ。元々、速力はナデシコが上だし、かんなづきは転進する間がないのでバックしている状態なので徐々に距離は短くなっている。
「あ、そういえばあれって高杉さんが乗ってるんじゃ…」
不意にユリカが言った。
「高杉君?」
気付いたイネスが問い返す。
「はい。初めて会った時にそんなこと言ってたような」
「あら、そうなの? 前回はよく無事だったわね。今回も大丈夫かしら?」
デンジンの背中をアカツキ機のフィールドランサーが捉えた。
「そうだといいですね、あっちの高杉君にはルリちゃんがお世話になってますし」
あちこちが誘爆しているデンジンがボソンジャンプ特有の光輝に包まれる。
「そうねぇ」
「ルリちゃん元気にしてるかな…」
ドォォォォーン!!
かんなづきから緊急跳躍で離れたデンジンが盛大に爆発した。
<連合宇宙軍総司令部>
「ぶぇっくしょん!!!」
三郎太は部屋中に響き渡るような大きなくしゃみをした。といってもこの部屋にはナデシコCの要員しかいないので特に困るものでもないが。
「うわっ! やめてくださいよ!」
ウィンドウ越しにくしゃみを浴びたハーリーが抗議する。
「もう、ひどいですよ三郎太さん」
ティッシュを取ると顔を拭くハーリー。
「悪いハーリー、あんまりいきなり来たんでな」
「…風邪ですか三郎太さん?」
上座のデスクからルリが聞いた。少し口元がほころんでいるのはちょっと前に同じような質問を三郎太にされたのを思い出したからだろう。
「あ、いやいや違いますよ艦長」
顔の前で両手を振って否定する三郎太。
「これでも軍人になってこのかた病気にはなったことがないですから。ほら、昔からいうじゃないですか…」
「馬鹿は風邪引かない…あ痛っ!」
「お前が言うな」
手を伸ばしてハーリーの頭を小突いた三郎太が言った。
「痛いじゃないですか!」
「口は災いの元ってな」
「あなただけには言われたくありませんよ!」
いつもの風景を眺めながらルリが意見を述べる。
「花粉症かも知れませんよ。今年もたくさん飛んでるそうですし」
「あれってアレルギーの類かなにかでしょう? そういうのも大丈夫なはずですけど」
ちなみにここにいる三人は全員身体に何らかの調整を受けているのでそういう類にはそこそこ強い。
「じゃあ、誰かが噂して…くしゅん!」
可愛いくしゃみをするルリ。
「艦長も誰かに噂されてるみたいっすね」
ハーリーの机からティッシュの箱を取って差し出す三郎太。
「…はい」
ルリは顔を赤くしてティッシュを取った。
<月面ネルガル重工所有区画発着場>
アキトとルリの前方に強襲揚陸艦ヒナギクが静かに降り立った。
ハッチが閉じ、気密状態が復帰すると、発着場の要員がわらわらと駆け出していく。
「俺は、ちょっと貨物の積み込みの方を見てくるからルリちゃんは先に乗ってなよ」
「はい、わかりました」
アキトと別れて搭乗ハッチの方へ向かうルリ。
「?」
ふとルリは足を止めた。ハッチが中から開いていく。
(パイロットの人が気を利かせてくれたのでしょうか?)
とすると、今回のパイロットはイツキ辺りだろうかと思いながらハッチに近づくルリ。
「………」
再び足を止めるルリ。ハッチの前に大小二つの人影が立っていた。
「おかえりなさい、ルリちゃん」
「おかえり、ルリ」
笑顔のユリカとほんのわずかだが笑顔のラピスが言った言葉。
不意にルリは胸が熱くなった。
そして今度こそ確信した。
(…ここが、私の…)
ルリは笑顔を浮かべると口を開く。
「ただい…」
「ねぇ聞いてよルリちゃん!!」
「へ?」
感動的情景を打ち破り、駆け寄ってきたユリカに戸惑うルリ。
「秋山さんたらひどいんだよ! こんなに若くてぴっちぴちの可愛い女の子を捕まえて『快男児!!』なんてまた言うんだよ! もぅユリカってばぷんぷーん!! あ、アキトー!!」
『聞いてよーっ!』と叫びながらアキトの方へと駆けて行くユリカを唖然と見送るルリ。
「…?」
背後でなにやらドサドサドサと物が落ちる音がしたのにも気付かず考え込むルリ。
(秋山さんって誰ですか? かいだんじってどういう意味ですか? それに、また、またって? ていうかそもそも若くてぴっちぴち…いえ、これ以上は危険です)
とりあえずラピスに事情を聞こうと視線を戻すルリ。
その目が大きく開かれる。
「いてぇじゃねぇか! 馬鹿野郎!」
「どこのどいつだ! 俺様を押しやがったのは!」
「えー、あたしじゃないよぉ。っていうかぁ、早くどいてぇ〜」
「まんじゅーまんじゅー」
「あのイズミさん、えーと…その心は?」
「おしくらまんじゅう、おされて鳴くな。ぷっくくく、あはははは!」 ドンドンドン
「あ、おかえりルリルリ」 ヒラヒラ
ハッチから一斉に出ようとして失敗して倒れてこけて山になった、という風情のパイロット陣やウリバタケ、ミナト達が潰れて折り重なっていた。くじ引きで当たりくじを引いたお出迎えメンバー一同である。
運良く難を逃れたのか、みんなが懸命に身をよじって避けたのか、その中央にラピス一人が立ったままどうしたものかと左右を見ていた。その目が再びルリを捉える。
「「………」」
くすっ
ルリとラピスは同時に笑みをもらした。
「「ほんとばかばっか」」
積み込まれていく荷物の陰から覗き見ているアキトとユリカ。
「…ルリちゃんに失礼かな?」
呟くアキト。
「何のこと?」
アキトの顔を見上げるユリカ。
頬を掻いて目をそらすアキト。
「俺がここに帰りたいって思った気持ちと同じかなって」
「………」
「俺はただ逃げ出しただけだからな。一緒にしちゃルリちゃんがかわいそうだよな」
「…違わないよ」
「え?」
「アキトはみんなのいる所に帰りたかった。私はアキトの所へ帰りたかった。ただそれだけ。きっとルリちゃんも一緒だよ」
「いや、俺はみんなの所じゃなくて、昔、みんなと一緒にいた頃へ…思い出の中へ逃げ…」
口にユリカの人差し指を当てられて、黙り込むアキト。
ユリカは目でわかってる、と伝えて頷いた。
「いいから一緒にしとこ、ね? アキト。今はそれよりも…」
「それよりも?」
「よかったねアキト」
そう言って満面の笑みを浮かべるユリカ。
「へ?」
「よかったよねアキト。ルリちゃんが帰ってきてくれて」
「………そう、だな」
(それが良かったのか悪かったのかは、これからのルリちゃんと俺達次第だけど、そうだけど…)
「…よかったなユリカ」
「うん!」