「ふぅ〜」
シンジは息を吐くと肩の力を抜いた。LCLの中に気泡が溶け込む。
僅差でシンジは男の子と崩れる瓦礫の間にエヴァを割り込ませることに成功した。
「君、大丈夫?」
外部スピーカで呼びかけるが、男の子はビルの恐怖か間近で見たエヴァの姿のせいか震えるだけで反応しない。
(…違う。)
『大丈夫かい?』
シンジは中国語の記憶を呼び覚ますと優しい口調で淀みない中国語を発した。
男の子はきょとんとした後、コクコクと頷いた。
『そう、よかった』
シンジが続けると男の子がにっこりと笑って立ち上がった。
「シンジ、大丈夫か?」
トウジから通信が入る。
「大丈夫だよ。ただ、男の子が中にいるんだ。だから瓦礫がどくまでじっとしているよ」
「そうやろな、まわりにわんさか人が集まってきおったわ」
シンジは暫し考え込む。
(…あまり時間をかけるのは得策じゃないか)
「トウジ、中国語話せる?」
「わかりきったことを聞くんやないで」
憮然とした顔でトウジが答える。
「じゃあ僕が話すから六号機の外部スピーカに出して」
「わかった」
シンジは集まった人々に離れてくれるよう言った後、男の子の方に注意を戻した。
『この手の上に乗って』
そう言って男の子の前に左手を差し出す。
男の子はしばらくためらった後、手の上にはい上がる。
その上に右手を重ねて包み込む。
「トウジ大丈夫?」
「おう。いつでもええで」
「じゃあいくよ」
シンジは伍号機を立ち上がらせた。瓦礫の山を振り落とし伍号機が姿を現す。
土煙が一段落すると右手をどけて左手の男の子をゆっくりと人々の前に下ろした。
『はい、気を付けておりてね』
男の子がぴょんと飛び降りるとシンジは苦笑した。
『今度から危ないところに近づいちゃ駄目だよ』
そう言うとトウジの所に戻る。
「悪うないな」
笑みを浮かべてトウジが言った。
「何が?」
「後ろを見てみ」
「?」
プラグ内で後ろを振り返るシンジ。
さっき助けた男の子が肩車されそれを中心に歓声が上がっていた。
「そうだね」
シンジも微笑んだ。
「やれやれうまく逃げられると思ったんだがな」
加持は肩をすくめてぼやいた。
「ちょっち甘かったわねぇ」
ミサトも右にならう。
「アタシの方は先に延びたけどそれを口実にしようなんて二人ともまだまだ甘いわよ」
そういうアスカの手はなぜか手錠を振り回している。
ここは第三新東京市市役所の駐車場、加持とミサトの婚姻届を提出した帰りである。
「で、気分はどう? 加持ミサトさん?」
アスカはにんまりと笑うとミサトに聞いた。
「てへへへ」
照れて笑うミサトであった。
「シンジ達は今何してる頃?」
「まだ向こうは明るいからな。作業にいそしんでるんじゃないか?」
「ふーん」
車の外は既に夜の帳が降りていた。
「大丈夫よアスカ。とりあえず3日間の予定だから」
「ま、それだけあればあらかた片が付くだろう」
「3日ねぇ…変な物食べて腹壊さなきゃいいけど」
(なんで素直に言えないのかしらね)
ミサトは苦笑する。
「シンジ君、鈴原君。休憩にしてくれ」
日向から連絡が入ったのは太陽が消えようとしているときだった。
プラグを半分だけ排出してエヴァの背中に出る二人。
「やれやれだね」
「まったくや。それにしても腹減ったなぁ」
さすがのエヴァといえども食料を保存しておくスペースまでは用意されていない。
もっとも今後は改善されていくだろうが。
「日付が変わるまでにはなんとか晩御飯が食べれると思うよ」
トウジの食事量を思い出し笑うシンジ。
「ま、この有様じゃ食いもんどころじゃない連中も多いやろからな。贅沢は言えんわ」
と口では言ったものの腹の虫が騒ぎ出すのは時間の問題だろう。
「プラグの中に戻ったら? 一応LCLで多少の栄養は補給されるはずだよ」
「あんなぁ…やっぱり口で物を食わんと食った気がせぇへんのじゃ」
「贅沢だなぁ」
「せやな」
笑い合う二人。
そのとき下から声がした。
声の聞こえた辺りを見下ろす二人。
「なんや、シンジが助けたボウズやないか?」
「そうみたいだね」
男の子と何人かの人がお盆を持って呼んでいる。
「降りて来てって言ってるね」
「どないする?」
「まぁ特に問題はないと思うよ」
そう言うとザイルを下ろして降りていくシンジ。トウジも続く。
下の人々は思ったより若い二人に驚いてたようだったが、すぐに温厚そうな中年女性が湯気をあげるお椀が二つのったお盆を差し出した。
「どうぞめしあがれだって」
「そりゃ見ればわかるわ。で、どうなんや?」
一応、二人は独立して行動しているため現場の判断はシンジに委ねられている。
「どうって…」
ぎゅるるると音を立ててトウジのおなかが鳴った。
集まってきた人たちに笑いが起こる。
さすがに恥ずかしいのか赤くなるトウジ。
「じゃ、ありがたくいただこうか」
シンジはお礼を言ってお盆を受け取るとトウジを座らせ食事を始めた。
食えるときに食う。
これは生き残るための鉄則である。
シンジは身をもってそれを学ばされていた。
周囲の視線を気にせずどんどん食べる。
「…お前、ほんまにかわったなぁ」
トウジが呟くがお構いなし。すぐにトウジも若者らしく猛烈に食べ始めた。
「うまい! やっぱ本場の中華はちゃうわ!!」
ご飯粒をつけたままで断言するトウジ。
年相応の表情で食事をする二人に警戒心を抱く者はもうおらず人々もめいめいに食事を始めた。
食事を終えたシンジは和やかな雰囲気を楽しみながら空を見上げた。日本で見るのと同じく美しい満月が天に昇っていた。
<葛城家リビング>
ミサトはビール片手に日向からの一次報告書を眺めていた。今のところ問題はない。ミサトも目でなぞっているだけで頭は別のことを考えていた。
『シンジくんも俺も別に嫌がってるわけじゃない。ただ事が片づくまでは延期したいと思っているだけさ。ご婦人方には申し訳ないがね』
婚姻届を出した後、加持はそんなことを言っていた。
ミサトも自分が舞い上がっていて失念していたことを思い出した。
…敵はまだいる。
「ざまぁないわね。これでネルフの作戦部長でございってんだから」
自嘲気味に呟く。
考えれば確かにその通りだ。加持はプロポーズしてくれたし、シンジくんがアスカを待たせたりするはずがない。だが行方不明の残り4体のエヴァが片づくまでは安心できないということ。
「アスカ、気を抜くんじゃないわよ………あたしもね」