「そんな………どうして?」

弱々しい声で聞くアスカ。

「…たぶん日本も離れることになる」

更に過酷な事を告げるシンジ。

(…シンジが一緒に戦ってくれない。見守ってさえくれない。日本を離れる? 私を置いてくの? それとも逃げ出すの? わからないわかラナイワカラナ…)

「…アスカ」

シンジが真剣な目で見つめていた。

「………」

シンジは言い訳もせず謝りもせずただじっとアスカを見つめている。

目をそらすと自分に回された両腕が目に入る。

何とはなしにその手を見るアスカ。

…指輪

シンジの左手の薬指に素朴な造りの指輪がはまっていた。夫の付ける方だから地味だけど芯の部分はしっかりしている持ち主にそっくりな指輪。

アスカは自分の手を見た。いつもつけるものだからと派手な指輪ではないけど緻密な細工をこらした指輪。

そしてもう一つの指輪。

(…そうよね。シンジのことだから悩んで悩んで私のことも散々心配してその上で決めたんだ。つまり、私をそれだけ信頼してくれてるってこと。ま、私だけを信頼してるってわけじゃないけどそれはこのさい棚に上げておこう。)

「…大切なことなのね」

「うん」

(…疑ったりしない。どうせアタシに嘘なんかつけやしないんだコイツは。)

「…しょーがないわね。こうなったら後はこのアタシにどんと任せてどこへでも行って来なさい」

強気の発言に戻るアスカ。

ほっとするシンジ。

(…これで大丈夫だ)

そう信じられる。だが、それでも…

「………ごめん」

結局謝ってしまうシンジ。

叱ってやろうとアスカは振り返ったがシンジもそれを予想したのか笑っていた。仕方がないのでアスカも笑う。

「コホン。あんたはアタシなら勝てるって信じて行くんでしょ? だったら最後まで信じなさい」

「そうだね…そのかわりと言ってはなんだけど奥の手を用意してあるから期待してて」

そういってにっこり笑うシンジ

「ふーん。ま、なんなのか知らないけどシンジがそう言うなら期待しとくわ」

「うん」

「それよりも!」

「何?」

「あんたこそ何する気か知らないけど、人を挙式前に未亡人なんかにするんじゃないわよ!」

そういうアスカの目は不安に満ちていた。

「大丈夫。こんな可愛い女の子を残して死ぬ男はいないよ」

「な…なにあたりまえのこといってんのよ!」

うろたえるアスカを見て笑うシンジ。

ピーピーピーピー

呼び出し音が鳴る。

「はい、僕です。………はい、はい。それじゃ」

携帯を切ると自分を見るアスカにうなずく。

「じゃ、行こうか」

そう言って立とうとするシンジの腕をつかんで止めるアスカ。

「アスカ?」

「え、えーと、その………」

言い出しにくそうにしているアスカを見てシンジは微笑む。

「!」

ぐっとアスカを抱き寄せ顔を近づける。

「………愛してるよアスカ」

シンジの言葉に幸福感に包まれるアスカ。

そのままアスカは目を閉じた。

(………うん、アタシも愛してるシンジ

………また二人とも生き残って幸せになろうね)

 

 

 

 

 

<発令所>

 

 

「…で、敵は?」

プラグスーツに着替えたアスカが聞いた。

表情は厳しい。

応対するミサト同様冷静な軍人としての顔になっている。

「まだよ」

「まだ?」

「そう。早くても数時間後、遅ければ数日ね。プラグスーツに着替えてもらったのは万一の備えというところ。準備する時間があるに越したことはないわ」

ミサトは話しながら召集したパイロット達の顔を見回す。

アスカの精神状態は問題ないようだ。冷静に行動し本来の実力を発揮してくれるだろう。トウジはやや緊張気味のようだ。無理もない。だが、元々の気質からして一度気合いが入れば大丈夫だろう。

カヲルは…いつものように笑っている。今回の相手は彼の、あるいは元の彼のクローンのはずだが顔からは何もうかがえない。

「なに鈴原? あんたもしかしてびびってんの?」

「な、なんやとぉ!?」

アスカに挑発されかっとなるトウジ。

「なっさけないわね。シンジなんか初めてで訳も分かんないままエヴァに乗せられたのに使徒をやっつけたのよ。シンジと同じレベルは期待してないけどアイツの100分の1くらいの力は出しなさいよ」

「くぅー言わせておけばこの女は!!」

ミサトはアスカを止めようとしたが、カヲルの合図でやめる。

カヲルは優しく二人を見守っている。

(…鈴原君の緊張を解こうとしてるのね。おまけに士気も上げようと…ふふ、やるじゃない。)

アスカの成長がうれしいミサトだった。

 

 

 

ジッ

シンジはジッパーを襟元まで上げた。

身に着けているのは見慣れたプラグスーツではない。

ネルフ本部内のような建造物内部を活動対象とした都市迷彩服のバージョン変更版だ。

分厚いブーツを履くと内側にナイフをしまう。

手袋は少し考えてからやめる。

大きなバッグを開くと台の上に並べて置いた品々をしまっていく。

全て自分でチェックを終えた装備一式だ。

一通りバッグにおさめると最後にリツコの銃と手袋を乗せて口を閉じる。

「…行こうか」

少し早く準備の終わった相方が声をかけた。

「はい」

かなりの重量となったバッグをこともなげに肩にひっさげるとシンジはドアに向かった。

 

 

 

「…無論です。その危険性は看過できません」

『では、なぜこのような要請を行うのかね?』

「簡単なことです。我々は確実に勝たなければならないからです」

『………』

「…無論、あなた方がゼーレの支配に甘んじるというのであれば話は別ですが」

傍観者を決め込んでいる冬月は人知れず嘆息した。

一見難航しているようだが最後にはゲンドウは自分の望み通りにするだろう。いつものように。

(…相変わらずだな碇。もっともそれでこそお前だが)

 

 

 

「心配かい?」

「ええ」

…そんな言葉では表せられないくらいだ

人を信じるということはとてつもなく気力を必要とする。

信じられる側より信じる側の方がよりつらいのだ。

…それでも僕はアスカを、みんなを信じることを決めたんだ

「もし自分がここにいれば…なんて考えていないかい?」

「…そんなに自惚れてはいないつもりです」

「………」

「それぞれがするべき事を果たす、そうでしょ加持さん?」

「…そうだな」

加持は口元をほころばせた。

 

 

 

 

「よっしゃ!! やったろやないか!!」

トウジがそう言い放ち口喧嘩は終わった。

先ほどまでの緊張はどこへやらアスカに一目見せてやろうという気迫が感じられる。

頃合いと見たミサトが話を再開する。

「あなた達にはエントリープラグ内で待機してもらいます。一応、交代で休憩は入れるつもりだけど敵の出方がはっきりするまでは我慢してちょうだい」

「「「了解」」」

三人が異口同音に答えた。

ひとまずの落ち着きを見せた発令所にシンジと加持が入ってくる。

「シンジ!」

シンジのそばに駆け寄るアスカ。

「遅かったなシンジ………なんやその格好は? プラグスーツはどないしたんや?」

事情を知らないトウジが疑問を口にする。

シンジは腕にしがみついたアスカを抱き寄せると口を開く。

「うん、実は…」

「行くんだねシンジ君」

確認するカヲル。笑みは消え真面目な顔だ。

「うん。行って来るよ」

シンジも真剣な顔で言った。

「そうかい。こちらの心配はいらないから心おきなく行ってくれ」

「うん。カヲル君、その…」

言いよどむシンジ。

「大丈夫、最悪の場合でもアスカ君だけは君の元に返してみせるよ」

きゅっとアスカが腕に力を込める。

「…ありがとう」

言いたかったことは別のことだったけどもういいやという気持ちになる。

シンジが微笑むとカヲルもいつもの笑顔に戻った。

「何や…話が見えんで」

トウジが言った。

「ごめんトウジ。僕は戦闘には参加しないんだ」

「エヴァがないからか? わしか渚のを使ったらどうや? わしらが乗るよりかよっぽどええやろ」

「…僕には行かなきゃならない所があるんだ」

その意味を理解し黙るトウジ。顔つきが変わりゆっくりと口を開く。

「………どないしてもか?」

「うん。これは僕がやらなきゃいけないことなんだ」

真剣な目で視線をかわす二人。

「………そらしゃあないな。センセがおらんと苦労しそうやけど…まぁまかせとけや」

トウジは明るい顔で言った。

「うん。頼むよトウジ」

「シンジくん」

加持が促す。

「はい。…じゃミサトさん、行って来ます」

「ええ。こっちはOKよ。どーんと大船に乗ったつもりで行って来なさい。浮気なんかしないでちゃーんと帰ってくるのよ」

ミサトらしい言い方だがその中に含まれた大事なことをちゃんとシンジは受け止める。

「はい。でもそれは加持さんに言った方がいいんじゃないですか?」

「あら、あたしにとってはこんな馬鹿よりシンちゃんの方がずーっと大事なのよ」

そういって笑うミサト。

「おいおい。そりゃないだろ…」

加持の情けない口調で発令所に笑いが起こる。

二人なりのやり方でみんなの緊張を解いたのだ。

シンジも心がほぐれるのを感じた。

その後でアスカに視線を移す。

「アスカ」

「うん。わかってる」

そう言って離れたアスカの腕を引き留めるシンジ。

「?」

「アスカ。今、指輪持ってる?」

「え?うん」

「あ、シンジくん、アスカ」

「葛城」

止めようとしたミサトは加持に制止された。

アスカは紐で首につるしてプラグスーツ内に入れておいた指輪を取り出した。

「ゆ、指輪やと………んぐぐぐ」

「いいところだから静かに」

トウジの口を押さえてカヲルが言った。

シンジも同じように首につるしていた指輪を紐ごとアスカに手渡した。

「シンジ?」

「少しの間返しておくよ。アスカのも返して」

「ど、どうして?」

アスカの心に不安が戻り始める。

「…帰ってきたらもう一回交換しよう。だからアスカ無事でいてね。僕は絶対に帰ってくるから」

シンジはアスカの一番好きな微笑みを浮かべた。

(…この微笑みは最後じゃない。少しの間だけ見れなくなるけど、また私の所に帰ってくる。だから、私も絶対に生き残るんだ!!)

そう決意も新たに闘志を燃やすアスカ。

「…わかったわ。でもちゃんと返しなさいよ!」

わざと怒ったように言ってシンジに指輪を渡す。

「うん、もちろんだよ」

二人は首に指輪をつるした紐をかけ直す。

その後、お互いに一歩下がって向き合うと一時の別れを告げる。

「…行って来るよ」

「…行ってらっしゃい」

 

 

 

 

<VTOL内>

 

 

『政府による特別宣言D−17が発令されました。市民の皆様は誘導に従って所定の場所に避難してください。繰り返します。政府に…』

第三新東京市上空の各所を飛ぶヘリが数年ぶりの放送を行う。特別宣言D−17、すなわち第三新東京市を中心とする半径50q圏外への避難勧告である。新しい住民達には初めての避難とあって多少の混乱も見られたが、慣れている官公庁や旧第三新東京市民は落ち着いて対処していた。

「やれやれ、使徒襲来以来の大騒ぎだな」

眼下の喧噪を見て加持が言った。

(…ケンスケや委員長、マナや山岸さんも避難している頃だな…)

シンジはじっと外を見ていた。

サイレンの音とともに芦名湖の水中や付近の山中からかつての兵装ビルに似た偽装迎撃設備がせり上がってくる。続いて市内各地のビルがジオフロントに格納されていく。第三新東京市内部そのものにはまったく武装は無い。しかし、被害を最小限におさえるべく各種の配慮はなされている。もっともこんなものは使われないに越したことはない。

(…今度で本当の最後にしなくてはならない)

 

 

 

 

<パイロット待機室>

 

 

「………………」

……ドクン……

確かな鼓動を彼は感じた。

壁にもたれて眠っていたカヲルがゆっくり目を開く。

「…目覚めたか」

 

 

 

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