【新世界エヴァンゲリオン・外伝】

 

 

 

『エヴァ伍号機リフトアップ完了。地上班は速やかに輸送作業に移行して下さい』

『エヴァ七号機輸送準備開始。整備班は…』

『葛城一佐。発令所までお戻り下さい』

 

久しぶりにネルフ本部が騒々しい。

昨年のゼーレとの最終決戦以来おおよそ一年ぶりの出撃準備である。

もっとも前回の場合と違い迎撃が目的ではなく、そもそも積極的に戦闘を行うつもりもない。

今回の“出動”は国連の正式の要請による治安出動である。目的は中央アジア地域で勃発した小国間の紛争の鎮定だ。

現在のネルフが本来果たすべき役割を果たす初めての機会である。

華々しいスタートを飾り平和維持の新しい歴史の幕開けとするか、泥沼状態に追い込み過去と変わらぬ歴史を繰り返すか、その意義は非常に大きい。大きいのだが…

 

相も変わらず暗い部屋に男が二人。

「…小さな仕事だ。一個師団も必要とせずに制圧できるような小規模紛争とはな」

「まだ国連も我々を完全に信頼していないということだよ。大規模な紛争に我々を投入したとして、成功すればいいが、しくじれば国連の面目は丸つぶれだからな」

「臆病な連中の考えそうなことだ」

「臆病者で一向にかまわんじゃないか。どちらにしろ流れる血の量は少ないに越したことはない」

「随分お優しくなったことだな」

「なに、お前程じゃないよ」

「………」

 

 

 

【3周年(←当時)記念外伝】

【どうしても手に入らないもの】

 

 

ネルフ本部内。メインとなる通路群から脇にそれた小通路の一角、行き止まりになっている一角にカップ飲料の販売機と小さなベンチが設置されている。

(…この樹って空気清浄の目的で置かれてんのかしら? まさかねぇ…)

アイボリーの制服に覆われた魅力的な肢体を折り曲げて、鉢植えからまっすぐ伸びる観葉植物を眺めている女性が一人。本部の職員であれば、顔や認識証を確認しなくても彼女が誰かは容易に知れる。その女性の名は惣流アスカラングレー18歳。ネルフ本部に所属する最年少の女性であり、かつ人妻である。

 

アスカは顔を上げると軽いステップでベンチの前に移動するとちょこんと座った。いつもなら優雅に足を組み、かつ腕組みして挑発的な視線を浮かべるところだが、今はつつましくおとなしく座っている。

「はいアスカ」

「ありがと」

彼女にカップを渡した(ちなみに彼女はブラックのアイスコーヒーを頼んだはずだがなぜか暖かいココアが湯気を上げている)人物は静かに彼女の隣に座った。長身、細身、黒い髪、黒い目、純日本人の容貌でこれといった特徴もない。アスカと違い顔を見るか声を聞くかしないと誰であるか判別は困難であろう。その人物の名は碇シンジ19歳。だが、その名はネルフに、世界に非常に重い意味を持つ。彼がネルフの後継者ということを知る者がごく限られている現在においても。しかし、そんなことはアスカにとってはどうでもいいことだ。彼が自分の最愛の夫であり、自分の本名が碇アスカであるということに比べれば。

 

 

紛争自体はありふれたものだ。なるべくしてなったというところで突発事態というわけでもない。出動のシミュレーション自体は何度も行われており、初回の出動はシンジとアスカということも決まっていた。使徒に比べれば敵とすら考えられない相手だ。気を付ける点と言えばせいぜい可能な限り人命を尊重することだけ。

不安要素は特にない。

 

それでも、アスカは出動前にシンジをここに誘い、シンジはアスカにホットココアを選んだ。

お互いのことを全てわかるとは言わない。それでもかなりのことはわかっている。だからアスカは単刀直入に聞いた。

「…ねぇシンジ」

「なんだいアスカ?」

「…これでよかったの?」

「…これって?」

「………サードインパクト」

 

 

 

「輸送準備は順調です。予定より少し早いくらいですね」

日向の報告にうなずくミサト。

マグカップのコーヒーを飲むと一息つく。そのまま発令所を見回してふと気付く。

折り畳み式のパイプ椅子が4つ。1つにはトウジが座って居眠りしているが、残りの3つは空席だ。

「3人は?」

「シンジ君とアスカはちょっと休憩にと先程出て行きました。渚君はその少し後に」

「ふーん」

首を少し傾け考え込む仕草を見せるミサト。

「時間は十分ありますから」

「まぁ…ね」

今更出撃前に怖じ気づくような子達ではない。

「時間は…あるのよね」

そうつぶやくと背後のドアに向かう。

「葛城さん?」

「少しの間お願いね」

「どちらへ?」

「ちょっと休憩、よ」

 

 

シンジは天井を見ている。アスカはココアの水面を眺めている。

ややあってシンジが問い返した。

「サードインパクト?」

「そう。……あれが結局どういうことだったのかアタシには、アタシ達にはたぶん完全に理解することは一生出来ないんじゃないかと思う」

それはアスカにとって少し悔しい事実でもあった。

「………」

「でも……でもシンジはあの時自分の好きな様に世界を造り変えられたんでしょう? いちいちこんな出動をしなくても…それどころかゼーレとの戦いすら無い、完全な平和な世界が作れたんじゃないの?」

別にアスカは出動が面倒くさくてこんなことを言っているのではないだろう。学生時代に終わりを告げて新しいスタートを切るに当たってちょうどいい機会だ。だから、今まで聞けなかったことを聞いてみよう。

シンジはアスカの考えをそう推測して、答えを返す。

「…じゃあ、わざわざこんな世界のままにした僕は大悪人だね」

「それは!」

確かにそういう考え方もある。

それはアスカが今までシンジにサードインパクトについて一度たりと質問しなかった原因の一つだ。サードインパクトについてシンジに尋ねることはもしかしてシンジを糾弾することにつながるのではないか、と。

シンジは考えをまとめる。

(…考えてみれば僕にもいい機会だ。あまり振り返ったこともなかった。現在を、未来を生きていくことの方が大事だから。でも、過去に学ぶことを怠ってはいけない)

たとえ偶然であっても適当な時点でこういうことを問いかけてくれる。つくづく自分とパートナーの相性はいいらしい。そんなことを考えているとはまったく顔に出さずシンジは続ける。

「…確かに僕はあの時好きなように世界を造り変えられたのかも知れない。人類補完計画とは違った形での完全な平和な世界とかね」

「………」

「でも、僕はそうしなかった。というより……たぶん単にできなかったんじゃないかな?」

「どうして?」

「だってそんなこと考えられるほど頭の出来はよくなかったから」

「へ?」

思わずコケかけたアスカに構わずシンジは続ける。

「…実際いくつか世界を見たんだ。ただ、そこには僕がいなかった…いなかったような気がする」

「…シンジがいない?」

「世界を造った神様がいても神様自身は決してその世界には降りられないってことかも知れない…案外そんなものなのかも知れないね」

「………」

「ただ、僕が思ったのは…アスカに、みんなに会いたい。ただそれだけだったんだよ、きっと…」

 

 

 

NEON WORLD EVANGELION

Side Episode Special: Are you happy?

 

 

 

 

「アタシはレイが……あの子が見せてくれた世界しか知らない。赤と白の世界しか…」

「それは…」

アスカの心だよ、と言いそうになってシンジは止めた。アスカは知らない。アスカの心の中を、アスカの心が造ったいくつもの世界をシンジが旅したことを。

「ただ、みんなに会いたい、か。バカシンジらしいわね」

「そうかな?」

「そうよ。だからあんたもいるんでしょ?」

『そうね』

いつの間にかベンチに座る人影は三つになっていた。

『碇くんは私がいる世界を願ってくれた』

「ふーん」

(…でも、それはあっちのレイなんでしょ?)

いい加減考えるだけ面倒になってきたと思いつつアスカはシンジの方に顔を向ける。

「でも今なら、頭のいい今のシンジなら、考えてよりよい世界を目指すことができるんじゃない? フォースインパクトを起こして」

「バカシンジなのに?」

「揚げ足を取るんじゃないわよ」

クスクス

笑いをもらすレイを見てこちらも笑うシンジとアスカ。

「ま、旦那様をバカ呼ばわりはよくないわね」

「ふふふ、そうだね。でもだからこそフォースインパクトなんて起こす気にならないかな」

「どういうこと?」

「ねぇアスカ、完全な平和ってなんなんだろうね」

「それは戦争のない…」

「そうなのかな? でも結局戦争って人と人の争いの一つに過ぎないだろ?」

「じゃあ争い事のない世界?」

「だからそれだよ。人が人である限り争いはたぶんなくならないんじゃないかな」

「どうしてよ?」

『ヒトには感情がある。多くの想いを抱くからこそ人間だから』

「そうだね」

「………」

「…たとえば一人の女性を二人の男が好きになったとする。女性が片方の男を選んだとしてもう片方の男はどう思うかな?」

少し考え込むアスカ。レイはきょとんとして見ている。

ややあって顔を上げるアスカ。

「…それって完全な逆恨みじゃない」

うなずくシンジ。

「うん。でもたとえその結果どんな想いを抱くことになったとしても、その女性を好きになった時の男の想いはたぶんとても純粋なものだと思うんだ。それ自体にまったく罪は無いはずなんだ。でもだからこそ争いのもととなることもある」

ふぅ、と息をはくアスカ。

「なるほどね…だからって人を好きになるな、なんて言えないものね」

「うん。だから人が人である限り本当の意味での争いのない世界なんて無いんだよ。もし、僕がフォースインパクトを起こして、まったく争いのない世界を造ったとしても、それはたぶん人の住む世界じゃない」

「じゃあアタシ達のやっていることって意味があるの? 結局何をやったって争いはなくならないんでしょう?」

「そんなことはないよアスカ」

そう言ってシンジはいつもの笑顔を見せる。

 

 

「…希望、なんだよ。人はわかりあえる、というね」

彼はそう呟くと満足げに笑みを浮かべた。

3人がいる通路の入り口近く。彼はズボンのポケットに両手をつっこんで壁にもたれている。

先刻から多くの人間がそこを通っているにも関わらず、誰も彼に気付かず素通りし、脇の通路に入ろうともしない。まるで通路がそもそも存在すらしていないかのように。

 

 

「…さっきのたとえ話だけど、同じようにその女性を愛していたからこそ、二人の男は互いを理解しわかりあうことができるんじゃないかと思う。もちろん仲直りできないかも知れないし、わだかまりを残すかも知れない。けど、親友になることもできるんだ。お互いが少し努力すればね」

「…他人を拒絶するだけじゃダメってことね」

『………』

「…僕は、少しでいいからその手伝いがしたいだけなんだ」

「ふーん」

アスカはずっと持ったままだったカップを持ち上げ、そして…飲もうとして止めた。

カードを取り出すと販売機の前に立つ。

「レイ、何にする?」

レイは少し考え込むと言った。

『…ココア』

 

 

「フンフンフンフンフンフンフンフンフンフンフンフンフーフン」

(…文章だけだと読者のみなさんにリズムが伝わらないのが残念だね)

意味不明なことを考えているカヲル。

「なんだかご機嫌ね」

「おや?」

顔をあげるとミサトが立っていた。

(…おやおや)

「シンジ君とアスカを知らない?」

「この奥ですよ」

「…そう」

通路を見つめてなにやら思案げなミサト。そのミサトを見つめてカヲルは思う。

(…なるほど。彼女にはこの先に行く資格があるということだね)

しばらくしてミサトは結論を下した。

「…30分後には発令所に集合して」

「わかりました」

立ち去っていくミサトの後ろ姿を見ていたカヲルだったが不意に口を開いた。

「ミサトさん」

つい、と足を止めて振り返るミサト。

「…あなたにそう呼ばれるのって初めてじゃないかしら?」

かすかに笑みを浮かべるミサト。

「お嫌ですか?」

「いいえ構わないわ。それで何?」

「完全な平和というものについてどうお考えです?」

「…現実的な質問? それとも哲学的な質問?」

「ご想像にお任せします」

「………」

じっとカヲルを見つめるミサト。カヲルの顔には変わらず笑顔が貼り付いている。

(…この笑顔がくせ者よねぇ。タイプは違ってもさすがシンジくんの親友だわ)

その後、真面目に考えてみる。よくよく考えてみれば平和なんてものを考えたことはなかった。結局、自分は軍人なのだと思う。

「そうねぇ……車ってどうやって前に進むかわかる?」

「車輪……タイヤを回して、ですか?」

珍しく戸惑いの表情を見せるカヲルにほくそ笑むミサト。

「じゃあなんでタイヤが回ると前に進むの?」

「それは地面の上をタイヤが進むからでしょう?」

「じゃあどうやってタイヤが進むの? 丸いんだしつるつるすべってもおかしくないでしょ?」

「タイヤと地面の間に摩擦があるからでは?」

「そ、タイヤを地面に擦りつけてタイヤをすり減らすかわりに車は前に進むの。それが答えよ」

そう言ってミサトは笑みを浮かべた。

 

ややあってカヲルはうなずく。

「…なるほど」

そしてカヲルもまた再び笑顔を浮かべた。

「じゃ」

立ち去るミサトを今度は呼び止めなかった。ただ呟く。

「…好意に値するね」

 

 

 

 

座席でベルトをしめるとミサトは元気よくマイクに言った。

「さぁてそれじゃあ行くわよ!」

『はい』

『はぁーい』

「日向君、お留守番よろしく!」

『お気をつけて』

「出動!!」

エヴァ二機を従えた輸送機部隊が青い空に飛び立っていった。

この後、長く歴史に語り継がれる平和維持部隊としてのネルフの初出動の日の事である。

 

 

おわり

 

 

 

 

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