【新世界エヴァンゲリオン・外伝】

 

 

 

 

「ママーママー」

小さな男の子が泣きながら歩いている。どうやら母親とはぐれてしまったようだ。

それは見れば誰にでもわかることだ。だが、通り過ぎる人々は気にはしても、そのまま通り過ぎてしまう。

「ママーママー」

用事がある、忙しい、まぁいろいろ自分なりに理由付けをしてはいるが要するに今一歩踏み出す勇気が足りないのだろう。

「ママーママー」

第三新東京市は都会だ。20年ほど前までならいざ知らず、世界でも有数の人口を誇る大都市である。その商業地帯ともなれば…

「ママーママー」

小さな子供が自力で見つけることはほぼ不可能であろう。あとは運よく警察関係者に見つけてもらうことを祈るのみである。

「ママーママー」

ザッザッザッザッザ

「ママーママー」

ザッザッザッザッザ

また一人男の子のそばを通り過ぎる。

「ママーママー」

ザッザッザ、ズシャ。

足音が止まる。

ザッザッザッザッザ

足音が引き返すとまっすぐ男の子の方へ向かっていった。

「ママーママー」

「やかましいっ!!」

「ひぐっ!」

突然怒鳴られて男の子が縮み上がった。それは男の子だけではなく周囲の大人達も同じだったようで一様に何事かと視線を向けた。

「男のくせにぴーぴー泣くな!」

皮ジャンにジーパンの少年が男の子の襟元を引き寄せて怒鳴っていた。

凛々しいがどこか女性的な顔立ちをしており、笑っていればかなり奇麗だろう。もっとも怒鳴られている側はそれ所ではない。男の子はさっきにもまして涙顔である。

『おいおいそりゃいくらなんでも可哀相だろ』

そう思いながらもやはり口にするものはいない。遠巻きに見ているだけである。

「名前は!?」

「ゆ、ゆうき」

「声が小さい!」

「こ、こんどうゆうき!」

それだけ聞くと少年はいきなり男の子を持ち上げると肩車した。

『おや?』

首をかしげる一同。

「こらーっ!! こんどうゆうきの母親でてこーい!!」

少年はぐるりと辺りを見回しながら叫んだ。

「こらこんどうゆうき! 何をだまってる! お前も叫べ!」

「えっ………うん!」

きょとんとしていた男の子がうなずいた。

「ママーどこー」

「声が小さい!」

「ママー!」

「それでいい」

うなずくと少年は肩車をしたまま駆け出した。慌てて人込みが割れていく。

「こんどうゆうきのははおやーっ! とっととでてこい!!」

「ママー!」

そうして走り回ること数分。

「ゆうきっ!」

「ママッ!」

 

 

 

「本当にありがとうございました」

母親が深々と頭を下げた。

「別に。ただ、こいつの泣き声がうるさかっただけだ」

少年はつっけんどんに言うと、男の子の眼前にずいっと顔を寄せた。

「いいか? 男のくせに簡単に泣くな。それに今度から迷子になるときは他の場所でなれ。オレの近くで迷子になられたら迷惑だ。わかったな?」

「うん、ありがとう!」

「…わかってんのか。ま、いいや。じゃーな」

そういって少年は去っていく。その後ろ姿にもう一度母親が頭を下げた。

「ばいばいおにーちゃん!!」

ガクッ

なにやら肩を落として立ち止まる少年。

「「?」」

顔を見合わせる男の子と母親。

少年はしばらくそのままだったが、少しすると気を取り直したのか去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

【外伝第拾壱話 これまでと違うお話】

 

 

 

 

 

 

プシュー

扉が開くと長身の女性が入ってきた。赤いジャケットを着て、ビシッとした空気を漂わせている。

プシュー

扉が閉じると女性は大きな樹が描かれた部屋の中を見回す。中には目的の人物一人しかいないことを確認するとふっと身に纏う空気が変わった。それはどこか穏やかで安らかな空気だ。

「今日の新聞ごらんになりました?」

答えは聞かなくてもわかっている。相手は常に最新情報をリアルタイムで受け取っている、というより受け取らなければならない立場だ。新聞など読む時間があったら他の仕事に回す。では、なぜ彼女はこんなことを聞いたのか?そこまで瞬時に思考し彼は答えを返した。

「…なにか面白い記事でもあったかい?」

「そうでなければわざわざ持ってきたりしませんわ」

そういうと彼女は新聞のコピーを差し出した。

マーキングされた記事を一読すると彼は口元をほころばせた。それは見るものを引き付けずにはおられない笑顔だ。

「おやおや」

「相変わらずでしょう、あの子」

「君に似たのかな?」

「もちろん、あなたに似たんですわ」

そうして二人は笑いあった。

 

 

 

 

第三新東京市立第一中学校は第三新東京市と共に歴史を見て来た学校である。市が何度か戦闘に巻き込まれた後もどうにかこうにか生き残り昔のままのたたずまいを見せている。これからもずっとそうであるだろう。

そしてその日の朝もいつもの様に生徒達が校門を抜け校舎へと歩いていた。

第一中の女子の制服は伝統的にジャンパースカートである。一時はセーラー服などの導入も検討されたが諸々の事情により今まで変更されずに来ている。だが、同じ服を着ていても存在感は人によって違うものだ。校門を抜けてその人物が姿を見せると一斉に視線が向けられた。

その人物は視線を跳ね返すかのようにスカートを翻し颯爽と歩いていく。中学生にしては長身でプロポーションも良く、モデルのように見える一方、凛々しい若武者といった雰囲気も漂わせている。

その人物は自分のクラスの下駄箱にたどり着くと自分の下駄箱に手をかけた。そこで一瞬ためらう。しかし、それは本当に一瞬の事で、意を決すると下駄箱を開けた。

バサバサバサバサバサバサ!

足元に白い物体が大量に落下した。もっともその人物は見る気も起きないらしく立ち尽くしている。周囲の生徒達はなるべく遠回りして避けて通るかとりあえずそのまま次のアクションを待っているようだ。

そこへその場の雰囲気に全くそぐわない軽い声がかけられた。

「おはようアイ。どうやら今日も大漁のようだね」

アイと呼ばれた少女はキッと鋭い視線を向けた。その方向にいた無関係の生徒達が思わず後ずさるほどキツイ視線であったが、声の主である少年の白い顔には動揺のかけらもない。

「おやおや朝からご機嫌ななめだね」

「…誰のせいだと思っている?」

「僕のせいじゃないとは思うけどね…えーと、白地の定型封筒にハートマークのシールの定番は男子諸君だとして、バリエーション豊かな何割かは麗しき御婦人達のお手紙のようだね」

手紙を2、3通拾い上げて少年が言った。

「分析するなっ!!」

「いやいや今日も今日とて男女を問わず愛されているね、さすがは我が校の誇る碇アイ嬢だ」

少女…碇アイは少年の相手をするのが面倒になったのか折りたたんだ防水性の袋を鞄から取り出すとラブレターの山の回収を始めた。

「律義だね〜」

そういいつつ少年は自分の下駄箱を開いた。

「人の事が言えるのか?」

今度は少年の下駄箱から大量にラブレターが溢れ出す。もっともアイよりは少なく少年は器用に片手ですべて受け止めた。

「ま、僕は博愛主義者だから」

「うそつけ」

「ふふふ、やきもちかいアイ?」

「…墓石に刻む文句は何がいい?」

アイの視線に殺気がこもる。

「冗談だよマイフレンド。僕のモットーはすべての女性に優しくだからね」

そういって少年…汐ミチルはトレードマークとも言える笑みを浮かべた。アイの背後で女子生徒数名が腰砕けになるがアイは反応すらしなかった。

「お前と知り合いという汚点はオレに一生ついてまわるんだろうな」

「切っても切れない赤い糸…おっとそろそろ教室に向かうとするかな」

再び殺気を感じたミチルはそそくさとその場を立ち去った。

「ふぅ!」

アイは深く息を吐き出すと残りのラブレターを袋に放り込みミチルの後を追った。

碇アイ。14歳。第一中学2−A在籍。成績優秀、スポーツ万能。人付き合いは少なく、友人はクラスメートで幼なじみの汐ミチルのみ。自分の意見をはっきりと、かつきつい口調で言うため、やや周囲から浮いている所がある。両親の血を濃く受け継いでいるためか日本人としては長身かつ美人で容姿は中学生離れしている。

なお、父親は特務機関ネルフ総司令碇シンジ、母親は同本部作戦部長惣流アスカラングレーである。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

オレの両親が一般市民と異なるということを初めて認識したのは小学校の入学式の日だった。どういうわけかオレと両親に視線が集中し、両親の扱いも他の保護者とは明らかに違っていた。更に教室にいっても担任がどこかオレに気をつかっているように感じた。それを敏感に感じてしまったオレはその理由を解明するべく行動し、その結果…
 

 

 

<二時間目終了後の休み時間>

 

「かくて碇アイは悩める少年とあいなりました、とさ」

「…誰が少年だ」

自分の机に無造作に腰掛けるミチルをにらむアイ。

二人とも容姿がずば抜けているので非常に絵になっており、毎日懲りずに見とれている生徒達が多いのだが少なくとも片方はまったく気づいていなかった。この辺は父親譲りだろう。

 

アイとミチルは小学校に入る前から友達だった。アイの母親の親友が経営するレストランにミチルの両親が勤めていたのがきっかけである。小学校に入った後もミチルは態度を変えることもなくそれゆえアイの親友となりえた。ミチルはミチルでアルビノという体質で容姿が普通の人とは異なっていたこともあり、ある意味アイの仲間といえたし、そもそもミチルは精神年齢がまわりの子供たちよりはるかに高かったので余裕があった。現在はその容姿を活かして女の子達に囲まれている。もっともアイが知る限り特定の子と付き合ったことはないようだが。

 

アイは勉強もスポーツも良く出来た。しかし、そこには『さすがは……のお子さんね』という言葉がついて回った。アイは劣等感やコンプレックスに苛まれるようなやわな精神力の持ち主ではなかったが、やはりそういう空気は嫌いであり、かくてアイは大人達から距離を置くようになる。また精神年齢もミチルほどではないにしろ高かった。おまけに美人でなんでもよくできる。友達というものは対等の関係でなければ成り立たない。人気がありつつも結局アイはミチル以外の子供とも距離を置くようになる。

 

 

 

<昼休み 中庭>

 

「優秀すぎるのも考えものだねぇ」

紅い瞳でアイを見つめながらミチルは言った。

アイは木陰で静かに読書をしていた。遠巻きに見てはいても踏み込む勇気のある者はいない。まぁ一部には怒った方がもっと奇麗などという意見も存在するが。

アイの気分など気にしないミチルがその中に分け入って今度は女子の観客を増やす結果になっている。

「お前はどうなんだ?」

ミチルの言葉に少しすねたように答えるアイ。それは母親に似てとても可愛い表情だったりするのだが、周囲の視線を把握して表情を他人には見られない様に顔を動かしている。しかも、無意識に。

「僕は控えめにしてるから」

ミチルは微笑んで答えた。ちなみに試験の成績はいつも首席がアイが次点がミチルである。

「手抜きができないという性格も難儀だねぇ」

そういうミチルは女の子達の勉強を見てあげることで結果的に手抜きを行っている。この辺りが二人の違いだろう。

アイは持って生まれた性格と小さい頃の教育により、『やるからには徹底的に』をモットーとしていた。手抜きなど言語道断である。その代わりに結果はどうなってもかまわない。やることさえやりつくせば結果がビリであってもまったく気にしない。とはいえこういった姿勢で事に臨んでいて能力もある人物がビリになどなるはずはないのだが。

 

「友人が駄目なら恋人という手も有るんだけどね」

ミチルはそう語る。実際、アイの両親が初めて出会ったのも今のアイの年齢ぐらいの時だと聞く。アイも彼氏くらいいてもおかしくはない年である。とはいえ条件は過酷である。仮に能力という点を問わないとしても、人間的魅力・人格面において最高級の人材がアイの周りには揃いすぎていた。アイと同じくらいの年齢でその域まで達することを期待するのはまず無理である。唯一、ミチルは合格点なのだが…

「アイ? うん、美人だし魅力的な女の子だと思うよ。でも、僕はそれ以上の価値を親友としての彼女に見出しているんでね」

「ふん。まぁあいつのことは認めているさ。腐れ縁の悪友でも友人は友人だからな」

という具合にお互い異性としての魅力も人間的魅力も認め合っていて、多少は恋愛感情めいたものもあるかも知れないが、それ以前に彼らは強い友情で結ばれた親友なのであった。

そんなわけで二人の下には毎日こりずにラブレターの山が届けられることになる。
 
 
 
 

 

 

<放課後、 第三新東京大学 某研究室>

 

「はぁぁ」

「ため息を一つつくと幸せが一つ逃げていくって言うわよ?」

そうアイに注意したのは白衣を着たショートカットの女性で、名前を碇レイといい、アイの叔母に当たる人物である。第三新東京大学に籍を置き博士号を取るべく研究している現在20代なかばの研究生であり、アイと同じ悩みを共有できる数少ない人物でもあった。

容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能、家族は世界トップクラスのVIP、おまけに周りには素晴らしい男性が多すぎて普通の男なんて恋愛の対象とは考えられない…

「まぁあたしの場合、その筆頭がお兄ちゃんだったから。典型的なブラコンよねぇ」

そういって苦笑するレイ。

姪のアイから見ても魅力的な女性で望めば引く手あまたであろう。

「はぁ。レイさん早く結婚してよ。そうじゃないとオレ結婚どころか恋愛すらする自信がないよ」

「オレ、はやめろって前からいってるでしょ。無理にとは言わないけどもっと女の子らしい格好したら?」

そういってジーパン姿の姪を眺める。皮ジャンは椅子に無造作に引っかけられている。

「もったいないわね。あたしだって中学生の頃はそんなにプロポーションよくなかったのに。やっぱりお姉ちゃんの遺伝かな?」

「…男共に値踏みされるのはやだ」

ぶすっとした顔で答えるアイ。

「そんなだから男の子と間違われるのよ。ま、いっけどさ」

苦言を呈し忠告は与えるが、基本的には自分で考えて決めさせる。これが碇家の家風である。もとよりアイの両親は今のアイの言動をまったく気にしていない。

アイはぶつぶつと文句をならべている。レイはアイが甘えているだけと知っているので気を悪くすることもない。

(甘えられる相手が少ないというのはやっぱり大変よね。あたしはもうちょっとましだったかな?)

「だいたいあたしが結婚するのなんか待ってても無駄よ」

不意にレイが言った。

「え?」

「あたしはしばらく前にふっきれちゃったの」

「ていうと?」

「母さんが父さんと結婚したのは30過ぎてからよ。ま、父さんは再婚だったしね。ミサトさんも20代のときに加持さんと一度別れてから10年後に結婚したし。青葉さんとマヤさんは結局、籍を入れないままだし。あたしもジタバタしないことにしたの」

そういってなにやら悟った様子の叔母をしばし眺めるアイ。

「うちの両親って高校の時に籍入れたんだってね」

ぼそりと呟いたアイの声にピクッと震えるレイ。

「鈴原さんとこってレイさんと同い年くらいで結婚したんだっけ?」

「………」

レポートを書いていた手が止まっている。

「ミチルん所って確か20代はじめ…」

「アイ!!」

「はい!」

びしっと立ち上がるアイ。

「実はちょっと実験したい薬があったの。お願いできる?だいじょーぶ、確率は1/2くらいだから」

レイはゆっくりと席を立つとすり足でアイに歩み寄る。慌てて間合いをとるアイ。

レイは無造作に両手を白衣につっこんでにこにこと歩いてくるだけだが、既にアイの背中には冷たいものが流れている。アイもそれなりに心得はあるつもりだが、レイはアイよりはるかに格闘技に精通している。まだアイの実力ではレイには勝てない。何事も経験がものをいう世界だ。

「なんの確率よなんの!」

そう言い残すとアイはジャケットを引っつかみ慌てて研究室を逃げ出した。

「あ、雨ふってるわよ? …ってもういないか」

レイは閉まったドアを見送るとコーヒーメーカーの所へいってコーヒーを注いだ。

自分の仕事に支障を来さない範囲(普通の研究生なら既に多大な影響が出ている)でアイの相手をして時間を見計らってアイが逃げ出すような会話を展開したのであるが天気を確認してなかったのは失敗だった。

「…難しい年頃だもんね。ま、あの子なら大丈夫だろうけど…ね、綾波さん」

レイは誰もいない部屋に向かってそう言うとにっこり笑った。

 

 

 

 

 

 

 

NEON WORLD EVANGELION

Side Episode11: One of the Future

 

 

 

 

 

 

 

「クゥンクゥン」

子犬がかすかに鳴いている。

『クゥンクゥン』

訂正しよう、子犬達だ。

ダンボールの中に入れられた小さな小さな子犬達が助けを求めて鳴いている。

折りから降り出した雨は無情にも彼らを打ちすえる。その小さな命の火を消そうとして。

通行人達は見て見ぬ振りをして通り過ぎる。

助けたい、と思うものもいるが、かといって面倒を見れるわけではない。助けたら助けたなりの責任が負わされる。

忙しい、家は飼えない、いろいろ理由はあるが、結局の所もう一歩踏み出す勇気がないだけだ。

子犬達もわかっているのかかすかな声しかあげていない。

温かさも何も知らず彼らはそのわずかな一生を終えるのだろうか。

ザッザッザッザッザ

ピクンと一匹の子犬が顔をあげる。

ザッザッザッザッザ

他の子犬達も気づいたのか顔を上げた。

ザッザッザッザッザ

『キャンキャンキャンキャンキャン!!』

一斉に子犬達が声を張り上げて鳴き出した。

ザッザッザッザッザ

どうやら通りかかった少年に向かって鳴いているらしい。

ザッザッザッザッザ

『キャンキャンキャンキャンキャン!!』

だが、少年は気にした様子もなく通り過ぎていく。

ザッザッザッザッザ

『キャンキャンキャンキャンキャン!!』

それでも子犬達は必死で鳴いている。これが最後のチャンスだといわんばかりにわずかな力を振り絞る。

ザッザッザッザッザ

『キャンキャンキャンキャンキャン!!』

ザッザッザッザッザ

『キャンキャンキャンキャンキャン!!』

ザシュッ

少年の足が止まった。

『キャンキャンキャンキャンキャン!!』

少年が足の向きを変えた。

『キャンキャンキャンキャンキャン!!』

ザッザッザッザッザ

『キャンキャンキャンキャンキャン!!』

ザッザッザッザッザ

『キャンキャンキャンキャンキャン!!』

「えぇいやかましいっ!!」

少年は子犬達を見下ろすと怒鳴りつけた。

『キャンキャンキャンキャンキャン!!』

だが、子犬達は嬉しそうに尻尾を振って吠えている。

「泣いていたら助けてもらえると思ったら大間違いだぞ!」

『キャンキャンキャンキャンキャン!!』

「だいたい人に頼ろうとする根性が気に食わない!」

『キャンキャンキャンキャンキャン!!』

「………あぁもぅ!!」

少年がかがみこんだ。雨に濡れた髪から水滴が滴り落ちる。その水滴が一匹の子犬の上に落ちた。とたんに子犬達は鳴きやんだ。その場に力なくへたりこむと、かすかに、クゥンクゥンと鳴く。

「…たくっ」

しばらく後、少年が立ち去った後には空のダンボールだけが取り残された。

 
 
 
 
 
 

ピンポーン。

チャイムが鳴った。家の主は歳に似合わぬしっかりとした足取りで玄関に向かう。

「はいどちらさま…あらアイ」

開けたドアの向こうにはずぶぬれの孫が立っていた。もっとも、若い頃から沈着冷静で知られる碇リツコがこの程度のことで驚くことはない。

「どうしたのそんな有り様で?」

「ごめんばあちゃん、その…」

「その?」

アイの胸元でなにかがもぞもぞと動くと小さな子犬が顔を出した。

「クゥン」

「あら」

「その…また頼んでもいいかな?」

申し訳なさそうな顔のアイにリツコは微笑んだ。

「さっさと入って着替えなさい。風邪をひくわよ」
 
 
 

 

「しかしアイは相変わらずね」

シャワーを浴びて下着姿で現れた孫に向かってリツコが言った。

「…人間は簡単に変わるもんじゃない、また簡単に変わるべきでもない」

「誰の言葉だったかしら?」

「忘れた。オレの周りには哲学者もどきが多いからね」

そう言いながらアイはタオルで髪を拭いている。

「だからオレっていうのはやめなさい」

「いいじゃん、別に」

浴衣に手を通しながらすねたように言うアイ。リツコの目がきらりと光る。

「あら、そんなことを言ってもいいのかしら?」

「え?」

「みんな来てもいいわよ」

リツコがそう言って襖を開けた瞬間、『にゃおーん!』という鳴き声と共に一斉に毛皮の群れがアイに襲いかかった。

「わーっ!!」

『にゃーん!』『にゃおーん!』『にゃあにゃあ!』

アイを覆い尽くさんばかりの猫の群れが飛びかかりアイを押し倒す。

「こら、お前らやめろ!」

アイの言葉がわかっているのかいないのか、猫達はめいめい好き勝手にアイの顔をなめるなどしてじゃれついている。

「ばあちゃん助けて!」

「大丈夫よ、何も取って食いやしないわ」

そういいながらリツコは子犬達にミルクを与えていた。

 

しばらくして満足したのか猫達はアイを解放した。もっとも何匹かはいまだにアイの浴衣にしがみついていて、小ぶりな一匹はアイの頭の上にのったままだ。

「たくっ、じいちゃんが死んでからますます猫屋敷ぶりに磨きがかかったんじゃないの?」

「何言ってるの。あなたが拾ってきた子達ばかりじゃない」

「………」

「犬でも猫でも鳥でもなんでも拾ってくるんだから、まぁレイはほとんど研究室につめているから部屋も空いてるしちょうどいいけど」

「悪かったよ」

「悪いとは言っていないわ。それで?この子達もネルフの掲示板に載せておけばいいの?」

そういって子犬達を見るリツコ。子犬達は安らかな寝息を立てている。

アイは正座で座り直すと背筋を伸ばして頭を下げた。

「お願いします」

そう言った後、下げた頭から落っこちた猫を畳の寸前で受け止めた。

アイは小さい頃から捨てられている動物を見るといつも連れて帰ってきた。犬でも猫でも鳥でもなんでもである。リツコが好きなこともあり猫は碇家で面倒を見ているが、その他の動物はネルフの広報掲示板に掲載して引き取り主を探すようにしている。

『ガルルルル』

アイが受け止めた猫を頭の上に載せ直した所で吠え声が聞こえた。

「ん?」

『ガォォォ!』

吠え声と共に大きな影がアイにのしかかった。

「わっ!」

ズズーン!

大きな音と共に部屋が震えた。アイにしがみついていた猫達が慌てて離れる。

「こらドゥン! やめろ!」

『ガルガル』

アイは懸命に逃げようとするがドゥンと呼ばれた相手はアイをつかまえて話さない。そのまま大きな舌でアイの頬をなめる。

「お前は洒落にならないって!」

ちなみにドゥンと呼ばれた猫はいちおう猫ではある。学名はなんとかタイガーになったりするが…要するに虎である。

「あらあらドゥンもアイの前では甘えん坊ね」

「ちょっとばあちゃん!」

「昔みたいに首根っこをつかんでもちあげてあげなさいな」

そういってリツコは笑っている。

ドゥンはアイが拾ってきた子猫である。たしかに拾ってきたときは子猫であったが、育ってみれば、飼い主が捨てた理由がわかるというものだ。

虎としては小柄だが一般の人間にとっては大差ない。普通は檻の中にでも入れておくようなものだが、

「番犬代わりにちょうどいいわ」とリツコは言い、

「しつけはできてるし問題ないでしょ」とレイが言った。

どのみち碇家はネルフ保安部が厳重に監視しているのでドゥンが外へ出るようなことはありえない。

「えぇい、いいかげんにしろ!」

『ガォガォ!』

ドゥンの首に腕を回して締め上げるアイ。ドゥンは爪もしまっていて噛付こうともしていないし、まわりの猫がのんきに見ている所からしてもじゃれあっているというのが正しいのだろう。
 
 

「あたしがちゃんと面倒みるからドゥンを殺さないで!」

ドゥンが虎と判明しどうするか話し合いが持たれたときアイは泣きながらそう言った。

とはいえ、使徒やエヴァと戦ってきたような人間達がする話し合いである。たかが虎の一匹や二匹ごときで騒ぐようなことはまずないのだが、アイにはそこまではわからず、それでも虎が危険だという認識ができる程度には頭がよかった。そのあとアイはドゥンをどう世話するかについて懸命に説明した。一同ははなからどうこうするつもりはなかったのだが、アイが感情で虎を救おうとしているだけでなく、後の処理をどうするかまで考えているということに感心して聞いていたものだ。

ちなみにアイの面倒見のよさはドゥンに限ったことではなく、引き取り主が見つからずジオフロント内の自然ブロックに放された動物達がその後どうなったのか定期的に確認に行っている。

ただ優しいだけではない。自分の行為によって生じたことへの責任をしっかりとる。碇アイはそういう少女であった。

「まったく、誰に似たのかしらね…」

「なんか言ったぁ?」

「なんでもないわ。さてと、そろそろ夕食の支度をしなくてはね。アイも食べていくでしょ」

「あ、うん!」

『ガオガオ!』

浴衣姿の美少女が虎に四方固めをかけているというかなりファンタスティックな光景を気にもせずリツコは台所へと向かった。

 
 
 


<翌日 放課後 新聞部>

 

「汐さん、こんな所でどうです?」

「うん、偶然撮った写真にしてはいい出来だね」

部員の言葉にミチルがうなずいた。

「たまたま部員の一人が碇さんを見かけたんですよ」

「これも一種の才能だね」

ちなみにミチルは帰宅部であるが、どういうわけだかあちこちの部に顔が利いた。特に新聞部にはよく入り浸っている。

机の上に広げられた新聞の原稿には、ずぶ濡れのアイが子犬を拾っている写真と簡単な記事が載っている。

「でも一面に載せてもいいと思うんですけどね」

「前にも言っただろう? 目立ちすぎず控えめすぎず、これが一番なんだよ」

指をふりつつ言うミチル。

「どっちにしてもまた碇さんの好感度が跳ね上がりますね」

「本人にもっと人気者としての自覚があるといいんだけどね」

ミチルが呟いた。

「この前の迷子の一件が新東京新聞に載っているのも知らないみたいですね」

「彼女は普通の新聞や週刊誌を読まないという致命的な欠点があるからね」

やれやれと肩をすくめるミチル。

「さ、無駄話はこのくらいにしておこう」

「よし! 印刷にかかれ!」

『おーっ!!』

一斉に仕事にかかる新聞部員達。

「うーん、いい仕事ぶりだ。好意に値するよ」

汐ミチル。碇アイの数少ない友人である彼が次回の生徒会選挙にアイを推薦していることをアイは知らない。もちろん、彼の綿密な計画により、既に自分が生徒会長に当選確実とされていることなど想像だにしていない。

「さあ、どうするアイ?」

ラブレターなどと違い、全生徒に純粋に好意をもたれていることを知ったときアイがどう反応するか? これまで通り距離をとるのか、見事吹っ切ることができるか。つまるところミチルの興味はその一点につきる。

(…もっとも君に期待を裏切られたことは一度もないけどね)

きっと今日も彼女は彼女らしく街を歩いているに違いない。
 
 
 
 

 

 

チルドレンのお部屋−気まぐれ編−



アイ「ん? オレか? …碇アイだ」

ミチル「僕の名はミチル。汐ミチルだよ。ああ、名字はうしおと読んでくれないか」

アイ「だからなんだよ?」

ミチル「駄目だよアイ。自己紹介はちゃんとしておかないと」

アイ「あのな。お前はもちろんオレのことだって外伝をしっかり読んでいる奴じゃなきゃわからんだろ?」

ミチル「そういう人には改めて、そうでない人には外伝を読んでもらう。なにか問題があるかい?」

アイ「へいへい」

ミチル「というわけで今回は碇アイの恥ずかしい日常についてのお話でした」

アイ「おいっ」(怒)

ミチル「おや、恥ずかしくなかったのかい?」

アイ「い、いや、それは、その」

ミチル「いいじゃないか。所詮作者の気まぐれ、一回限りのお楽しみなんだから」

アイ「そういう問題か!?」

ミチル「そういう問題だよ」(きっぱり)

アイ「………」(駄目だ。口じゃこいつに勝てない)

ミチル「これでも渚さんの一番弟子を自任しているからね」

アイ「勝手に人の心を読むな!!」スパン!

ミチル「あうっ………痛いじゃないかアイ。僕は渚さんと違ってATフィールドを張れないんだから」

アイ「ほう? じゃあ今、頭をはたく直前になにか壁みたいなものにぶちあたったのはどういうことだ?」

ミチル「まぁいわゆるひとつの念動シールドとでもいっておこ…ぐげぼげぼ」(首をしめられている)

アイ「だいたいなんでこんなところでお前と二人きりで話さなきゃならないんだ!?」

ミチル「けほっけほっ、しょうがないじゃないか、ボケとツッコミでしめるのが伝統なんだから…それにオレはやめなって」

アイ「なんの伝統だなんの! それにオレがどんな一人称を使おうがオレの勝手だろうが!」

ミチル「全国のアイちゃんファンが泣くよ」

アイ「…そんなのいるか」(心持ちうつむく)

ミチル「ふふ…君の心はガラスの様に繊細だね。好意に値するよ」

アイ「…やっぱ殺す」(怒)

ミチル「いやぁ困ったなぁ。僕も瞬間移動はまだできなくてね」

二人、画面外に走って消える。

 

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 

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