【新世界エヴァンゲリオン・外伝】

 

 

初老の…いやそろそろ本人も認めはじめたことだし…

「コホン」

男は一つ咳払いすると襟元を直した。

「この制服も随分と久しぶりだな」

そうつぶやいた後、心の中で付け加える。

(…そしてここに立つのも今度こそ本当に最後だろうな)

 

「総員起立!!」

日向が号令をかける。

一斉に立ち上がる発令所並びに周辺の職員一同。

「副司令に敬礼―っ!!」

ザッ

一部の乱れも無く統率の取れた敬礼を行う職員たち。

(…ふふ、日向君。今日は副司令ではなく司令代行だぞ)

わずかに微笑みつつ冬月は答礼した。

「ご苦労。持ち場に戻ってくれ給え」

 

「以後、自分が作戦部長代行として補佐の任にあたります」

好青年と言うよりは精悍な将校といった面もちの日向マコトが申告する。実際、今日の作戦の実務部分は全て日向が仕切ることになっている。

「うむ。よろしく頼む」

「はっ」

日向が定位置に戻るのを横目に冬月はオペレータ達から報告を受ける。

「現状はどうなっている?」

「現在のところ異常はありません」

歳を経るにつれて似合わなくなるどころか更に長髪が渋みをましつつある青葉シゲル。最近は他部署の方での仕事も多くオペレータを勤めることは少ない。

「MAGIの意見は?」

「問題ありません。作戦の速やかな遂行を推奨しています」

こちらももっぱら技術部を仕切っているためオペレータ勤務は久しぶりの伊吹マヤ。童顔はやはり30台に突入しても変わらなかった。

ちなみに3人ともいまだ独身である。

「わかった」

冬月は息を吸い込んだ。

(…最近は大声を出す機会も無くなったな。)

大学の学生達には静かな雰囲気の老紳士といった印象を持たれているらしい。

(…冬月先生、か)

「総員第一種戦闘配置!」

 

 

 

 

 

 

【外伝第参話】

【その日その時その場所で】

 

 

 

 

 

<数ヶ月前>

 

特務機関ネルフ本部戦術作戦部作戦局第一課所属惣流アスカラングレー一尉。25歳、既婚。

現在、エヴァンゲリオン伍号機パイロットを兼任するいわば前線指揮官である。

その日、彼女は技術部で油を売っていた。この辺り彼女の元保護者に通じるものが多い。

相手をつとめるのは同技術開発部技術局一課所属霧島マナ三尉。同じく25歳、独身。

エリート揃いのネルフ本部においては特に有能と言えないが、生来の快活さと美貌で人気がある。

三人よれば姦しいというがこの二人の場合二人で十分姦しい。先達たるリツコとミサトの場合ミサトがハイテンションの場合でもリツコがクールダウンするためプラスマイナス0であったのだがアスカとマナの場合は共にハイなため果てしなくプラス方向に突き進む。まぁ研究室なんてところは普段静かすぎて嫌になるような場合もあるし陽気な美女が二人騒いでいるのを見るのは男でも女でも楽しいものだ。それにどうにも騒がしくなりすぎた場合はちゃんとブレーキをかける人物はいるものだ。ちなみにその名を伊吹マヤという。どうもネルフ本部は実務部分では女性の勢力が強いらしい。

 

さて、件のマヤが顔を見せたとき事態は急変した。

マヤと二言三言話して自分の仕事に戻ろうとした二人だったのだが、

「………うぷっ!」

突然アスカが口元を押さえて倒れ込む。

「アスカ!?」

マナが駆け寄って慌てて抱き起こす。

一気に騒然となる技術一部。

「大丈夫アスカ!?」

「技術一課よ! すぐに救護班を!」

叩きつけるように受話器を置きマヤもアスカに駆け寄る。

「ぐ…う…気持ち悪い…」

苦悶の表情を浮かべるアスカ。

「アスカ!」

「霧島さん動かさないで! 救護班はまだ!?」

そう言いつつもアスカの具合を見る。いくつかの候補を思い浮かべるが幸運にもどれもあてはまらないようだ。苦しいのは苦しい様だが症状としては大したことはない。動かしても問題ないだろう。

荒事には慣れたネルフ本部である。マヤが初診を終える前に担架を手に白衣の集団が駆け込んでくる。

「直ちに医務局へ!!」

「はっ!」

見る間にアスカが担架に乗せられ運ばれていく。

「副司令と葛城一佐へ急いで連絡を! 私は医務局へ! 後お願い!」

きびきびと指示を飛ばすとマヤは担架を追った。

伊達や酔狂でリツコの代行をやっている訳ではない。

階級は一尉だが彼女の持つ権限はネルフ本部でもかなり上層に位置している。

「?」

ふと気付くとマナが後に付いてきていた。

(…言っても聞かないわね)

 

 

ダダダダダダダ!!

すさまじい速度で足音が接近してくる。

プシュー!!

ドアが開き長身の男性と年輩の美女が駆け込んできた。

美女の方はともかくその男性が血相を変えるのを見たのは随分と久しぶりの気がする。

「「アスカは!?」」

二人はそろって叫んだ。

マヤは微笑むとまず患者の夫に言った。

「おめでとう。三ヶ月だそうよ」

「「へ?」」

司令の留守中ネルフ本部を預かる碇“副”司令と葛城作戦部長は間抜けな声を上げた。

 

彼は先程から部屋の中を行ったり来たりしている。

10年ほど前からはエヴァンゲリオン初号機を駆るサードチルドレンとして名を馳せ、

それから数年は正体不明の腕利き工作員として各方面に恐れられ、

そして少し前からは特務機関ネルフ副司令の肩書きをもって全世界に知られる青年。

「好きな政治家いますか?」「ネルフの碇副司令でーす!」「政治家じゃねえだろ、おい」「でも好きでーす!」等々表の世界では人気を博し、

「あれが碇の息子だと?」「信じられん」「本当にあれで親子か?」「鳶が鷹を生んだに違いない」等々裏の世界ではあれこれ言われている彼なのだが、

「なーんだシンちゃんもやることはしっかりやってたのね〜」

そうのたまいながらカルテをめくる作戦部長の一言の方が効いたりするから世の中いろいろだ。

マヤはリツコに電話している。

マナは心配して損した、と言ってさっさと引き上げていった。今頃は噂をばらまいているところだろう。

(…情報管制を敷いた方がいいのかしらね)

そんな思案を巡らすミサト。とりあえず加持夫妻は子供を作る計画はないらしい。

 

プシュー

ドアが開くとアスカが入ってきた。

シンジの足が止まる。

「………」

「………」

見つめ合うこと数秒。

「あ、あのアスカ?」

「う、うん。…その、できちゃったみたい…」

「そ、そう。よかった…」

「う、うん…」

真っ赤になってうつむく二人。

結婚してはや7年近くになろうとしている二人なのだが初々しいことこの上ない。

ミサトの背中からむずむずとひやかし虫が動き出す。

「あ〜らお二人さん、赤くなっちゃってまぁ。かわいいんだから〜このこの」

数年ぶりの苦行はリツコが到着するまで続けられた。

 

 

ダダダダダダダ!!

プシュー!!

「はーっはーっはーっ、アスカは!?」

息を荒くするリツコという見慣れないものを見てしばし絶句する一同。

最初に我に返ったのはやはりというかなんというかミサトだった。

「もうリツコったら…あんまり若くないんだから無理するんじゃないわよ“おばあちゃん”」

「!?」

会心の笑みを浮かべるミサト。

彼女としてもこんな痛快な出来事はないだろう。

対してリツコはその場で固まってしまっていた。そうまさにベークライトで固めた如く。

「先輩? しっかりしてください先輩!」

ガクガクとリツコを揺さぶるマヤ。

「…おば…おば…」

リツコの頭の中を“おばあちゃん”という単語が反響していた。

 

 

(…僕と父さんが話すと長電話になるんだけどなぁ。)

電話代の心配などというらしくないことを考えながらシンジは番号を押す。

ややあって相手が出る。

『…私だ』

相変わらず無愛想な声である。

「父さん? シンジだけど…」

『…何だ?』

「えーと、その…」

仕事に関してならテキパキと物事をこなすシンジだが事が事だけに言いよどむ。

それはどうやらゲンドウにも伝わったらしい。

『…用件は何だ? さっさと言え』

ともすれば10年程前のレベルで会話が進む親子。

「う、うん。実は…」

『………』

「そ、そのアスカが妊娠したみたいなんだ…」

『………』

「さ、三ヶ月だって…」

『………』

「あ、あの父さん?」

『………』

「聞いてる? ねえ父さん」

『………』

「父さん!?」

『………あ、ああ聞こえている』

やや間があって答えが返ってくる。

「そ、そう? とりあえず一応報告しておこうかと思って」

『………そうか』

「じゃ用件はそれだけだから。ごめん、邪魔して」

『………いや、問題ない』

「それじゃ切るよ」

『………シンジ』

「なに父さん?」

『………すぐに帰る』ガチャリ

「え? ……ちょっと父さん!? 父さん!?」

無論、切れた電話からは信号音しか返ってこなかった。

 

その日の夜半、スケジュールを全て放棄して帰国したゲンドウはリツコに“おじいちゃん”と呼ばれて数時間、異世界をさまようこととなる。

 

 

 

<再び現在>

 

昨年、冬月はシンジにその席を譲り職を退いた。

以後は第三新東京市の大学に籍を置く非常勤の講師のようなことをしている。

もっともそれは身体をなまらせないためで遊んで余生を送るくらいの資産はある。

が、冬月は再びこの場所に立っていた。

もちろん指揮をとるために。

「まったく、碇め厄介事を押しつけおって」

そういう口元はゆるんでいる。

相変わらず司令の席には座らずその横に立っている。

そのかわりに椅子の上にはシンジがお詫びがてら持ってきたお弁当が載っている。

そういう事を思いつく辺りがシンジらしくて笑みがこぼれる。

「エヴァ六号機発進準備よし!」

「現状のまま待機」

サブモニターにはプラグスーツに身を包むトウジの姿が映っている。

こちらもどちらかといえば笑いを浮かべていた。

「ホンマ、ネルフっちゅうのはおかしなトコやなぁ」

LCLの中につぶやきが漏れた。

 

 

医務局は本部所属の陸戦隊が警備にあたっていた。

完全武装である。突破するには戦自のような本職の兵隊が本気でかからなくては無理だろう。

「フンフンフンフンフンフンフンフン♪」

鼻歌を口ずさみつつ人気のない廊下を闊歩する青年が一人。

言わずと知れた渚カヲルである。プラグスーツはおろか制服すら着ておらず見舞いに来た一般人といった感じだ。

「あれカヲル? ケイジで待機じゃなかったの?」

同じく廊下に出ていたマナがカヲルを見つけていった。

「やあ、マナじゃないか。君も来ていたのかい?」

医務局は現在戒厳下にあり、出入りにはかなり厳しい規制がかかっている。一般職員であるマナは普通入ってこれない。

「私はアスカの親友だからね。特別扱い。もっともヒカリが来たから任せちゃったけど」

「洞木さんが来ているのかい?」

「ええ。まあ民間人だけど…ヒカリは、ね?」

「そうだね」

うなずくカヲル。

「それでカヲルはどうしてこんなところをうろうろしてるの?」

「ま、警備のお手伝いってところかな」

「………エヴァに乗ること以外に取り柄あったっけ?」

「それはひどいな。僕の心もいたく傷つくというものだよ」

全然傷ついた風のないカヲルの笑顔をにらむマナ。

マナには知る由もないところだが実際の所カヲルは最後の守りである。

カヲルが動員されるような事態はまず起こり得ないだろうがもしそうなったらカヲルは全力で介入する心づもりだ。その場合エヴァでも持ち出さない限り突破は不可能だろう。

「ま、いいわ。シンジの方は?」

「そわそわしていて所在ないことこのうえないね」

「さすがのシンジもそう? ま、その方がシンジらしくていいけど」

少し表情をかげらせるマナ。

「心中複雑といったところかい? 本当に好意に値するよマナ」

「!?」

怒鳴りかけたマナだったがカヲルの顔を見るとふっと顔を和らげた。何年経ってもこの台詞が口から出る。

「ふふっ、本当に変な奴ね…」

「どうもありがとう」

 

 

「しかしまぁここまで親馬鹿ぶりをやってみせられると呆れるより感心するわね」

仮の詰め所でミサトはそうもらした。警備指揮官の加持も苦笑する。

「まったくだな。出産予定日に実戦訓練の予定を持ってくるとはな」

まぁ確かにネルフ首脳部の家族が出産するのである。テロの可能性がないとは言わないが常識的に考えてやりすぎであるのは疑いようのない事実だ。

「戦闘配置よ! 戦闘配置! エヴァの出撃準備までして…」

「そう言うお前はこんなところで油を売っていていいのか?」

「副司令が指揮をとっているんだからアタシなんかいなくたって平気よ。それにしても副司令もよく引き受けたわね」

「今日は副司令じゃなくて司令代行だぞ」

「そんな細かいことどうでもいいでしょ。どっちにしたって今の副司令は民間人なんだから」

「まぁな。ま、何にしても副司令も事が事だから喜々として受けたんじゃないか?」

「事が事ねぇ」

「おおかた孫が生まれた時の碇司令の顔でも見に来たんだろう」

「そーそーそれよそれ! すごく楽しみにしてんのよね〜」

いきなり陽気になるミサト。

「やれやれ、それが本音か…」

 

 

NEON WORLD EVANGELION

Side Episode3: Her Name is …

 

 

 

カッカッカッカッカッ、カッ

クルリ

カッカッカッカッカッ、カッ

クルリ

カッカッカッカッカッ、カッ

クルリ

カッカッカッカッカッ、カッ

クルリ

カッカッカッカッカッ、カッ

クルリ

 

「シンジくん…少しは落ち着いたら?」

リツコが湯飲みに茶を注ぎながら言った。

行ったり来たりを繰り返していたシンジが足を止めて振り返る。

「…僕もそうは思うんですが足が勝手に動くんですよ」

情けない顔をするシンジ。

(…あらあら)

微笑むリツコ。

最初、シンジは出産への立ち会いを望んだのだがアスカと話し合った結果外でおとなしく待つこととした。

(…まぁ確かにこんな落ち着きがないのがそばにいても邪魔だとは思うけどさ)

『あのねぇ、あんたが産むんじゃないのよ?』

結婚してこのかたアスカにあんな情けない顔を見せたのは初めてだと思う。

代わりといっては何だがヒカリが立ち会いを望んで許可された。

こういうとき女性は強いと思う。

ちなみにミサトはシンジと同じく邪魔だからという理由で、リツコはついつい口を出してしまうという理由でおとなしく引き下がった。

「…情けない奴だ」

「…父さん」

ゲンドウはいつものように手を組んでシンジを見据えた。

「…おとなしく座って待っていろ」

「…そうだね」

シンジは微笑むと席に着いた。

リツコは自分の分の茶を注ぎながら笑いを噛み殺した。

(…ゲンドウさん、足が震えているのが丸見えですよ)

もっともシンジは逆にそれを見て落ち着いたようだが。

 

「それでもう名前は決めたの?」

手持ちぶさたのリツコが尋ねる。

アスカの診察には世界でも最先端の技術と第一線の人材が携わっている。胎児が女の子であるということ位はすぐに判明している。余談だが非常に健康な女の子のようだ。

「ええ、アスカと話して決めました」

「………」

名付け親になりたかったのでやや残念なゲンドウ。

「聞いてもいいかしら?」

「ええいいですよ。女の子ですからね。アスカの名前にからめようと思って…」

「…ほう」

やや身をのりだすゲンドウ。

「まぁ、いろいろ紆余屈折したんだえすけど、それで出来た名前、意味のほうもいいんじゃないかって…」

「それで何て言うの?」

「えーと碇…」

その時、3人の耳に声が届いた。

 

「おや?」

ふとカヲルが立ち止まった。

「どうしたのカヲル? …あ」

マナもそれに気付く。

 

「どうやら…」

「そのようね…」

加持とミサトは顔を見合わせた。

 

「はい、はい。そうですか、わかりました。どうもありがとうございます」

通話を終えるとマヤが立ち上がる。

冬月が顔を向けるとマヤは大声で報告した。

「無事生まれましたーっ!!」

同時に発令所のスピーカが医務局につながる。

『おぎゃーおぎゃーおぎゃーおぎゃー!』

元気な産声が響きわたると歓声が上がった。

『よっしゃぁ!!』

プラグ内で叫ぶトウジ。

 

「ふっ」

冬月は微笑むと戦闘配置の解除を命じた。

 

 

 

 

コンコン

ドアが控えめにノックされる。

「あ…碇君。どうぞ」

「あ、ありがとう。委員長、じゃなかった洞木さん」

「どういたしまして。それじゃごゆっくり」

ヒカリは微笑むと気を利かして病室を出た。静かにドアを閉めると振り返る。

「ひっ!」

途端に悲鳴を上げるヒカリ。

ドアの前にゲンドウ、リツコを筆頭にミサト達ネルフ上層部一同がずらりと勢揃いしていた。

 

「…リツコ」

「…駄目ですよゲンドウさん。最低でも15分は我慢して下さい」

「…しかしだな」

「…おとなしくしていろ、碇」

「…冬月先生」

「…早くみたいわね二人の子供」

「…赤ん坊の時なんてみんな一緒だろ?」

「…赤ちゃんはいいね。リリンの生み出した愛の結晶だよ」

「…相変わらず訳わかんないこと言っているわね」

 

「こ、これは」

「おうヒカリ、こっちやこっち」

トウジの手招きにこれ幸いとその場を離れるヒカリ。

「なんかすごいわね…」

「ネルフはシンジ達のファンクラブみたいなもんやからな」

プラグスーツのままで肩をすくめるトウジ。

「そ、それもなんていうか…」

「それよりヒカリもご苦労やったな、ほれ」

そう言ってジュースの入った紙コップを差し出すトウジ。

ヒカリが受け取ると自分の分に口を付ける。

しばし飲むことに集中した後口を開く。

「……まあ何にしてもお産ちゅうのは女の戦いやからな。男としては礼を言うことぐらいしかできん」

「気持ちだけでも十分よ。それにこれって女の喜びでもあるもの」

優しい眼差しを病室に向けるヒカリ。

「女の喜びか…そうかもしれへんな」

「鈴原?」

やや真剣な面もちのトウジに怪訝そうな顔をするヒカリ。

「…ヒカリ、お前も産んでみるか?」

「!? な、なに馬鹿な事言って……………あ、鈴原。今の、その、もしかして…?」

「………」

真っ赤な顔をしてそっぽを向くトウジ。

ヒカリも同じく真っ赤になる。

「な、なんでもあらへん。ただの冗談やじょうだ…」

ごまかそうとしたトウジを遮るヒカリ。

「…鈴原の、子供だったら…産んでも…いいかな…」

「!?」

「………」

「…ほ、ほーか。そ、そのおーきにヒカリ…」

「…う、ううん。私の方こそ…」

そのまま口を閉じる二人。何とも言えない沈黙が横たわる。

「そう言うことならアタシにお任せよん(はあと)」

突如、二人の間に顔を出し、二人の肩に手を回すミサト。

「「ミ、ミサトさん!?」」

「そーと決まったら早い方がいいわね〜二人だったら式はやっぱり神式かな?」

「ちょっちょっと待ったって下さいミサトさん!!」

「そ、そうです私たち別に!!」

「照れなくてもいいのよ。いやー鈴原君のプロポーズってやっぱり日本男児よね〜」

 

 

「盛り上がっているようだね」

「…そうみたいね」

ミサトが二人を弄ぶ様を眺めるカヲルとマナ。

「どうぞ」

マナにコーヒーを手渡すカヲル。

「ん…ありがと」

しばし黙り込む二人。

「ねえカヲル」

「なんだいマナ」

「…真面目に聞くけどあなたって好きな娘とかいないの?」

「…そうだね。シンジ君は特別だから除いておこうか」

「…シンジは男でしょ」

「…ふふ、そうだね。なら答えは一つだよ」

「…?」

「マナ。君は好意に値するよ…好きってことさ」

後にマナは語る。

出会ってから8年以上、真剣な顔の渚カヲルを見たのはこのときが初めてだと。

 

 

 

「…アスカ」

シンジは愛する妻の名前を呼んだ。出産という重労働とそれまでの妊娠期間を終えてもアスカの美しさにかげりはない。伊達や酔狂でエヴァのエースパイロットをしているのでは無いというところだ。

「…シンジ」

アスカは微笑んだ。

「…よくがんばったね」

「そりゃシンジとアタシの子供のためだもの」

こんな時でも胸を張る所がアスカらしい。

「その…見てもいいかな」

「当たり前でしょ」

シンジはそっとアスカのそばで眠っている赤ん坊の顔をのぞきこんだ。

健康上の問題はなし。いたって元気な赤ん坊だそうだ。

黒い髪に白い肌。シンジとアスカの血がほどよくまざっているらしい。

(…きっとアスカみたいな美人になるんだろうな)

「抱いてみたら?」

「う、うん」

そっと赤ん坊を抱き上げるシンジ。レイで慣れているせいか手つきは慣れたものだ。もっとも生まれたてだけあってとても軽い。この小さな命がやがては成長し一人の人間となる。

「………」

赤ん坊の口からは小さな寝息が漏れている。

今は瞼を閉じているが一度開けば元気に泣き叫ぶことだろう。

(…なんて言ったってアスカの子供だもんな)

そう思ってくすりと笑うシンジ。

「何がおかしいの?」

「いや、アスカの子供だもんなって思ったらつい…クスクス」

「…何よそれ? それにその笑い方まるでレイみたいね」

「そう?」

「そうよ。それにしても…あいつ来ないわね? こういうときは出てきそうなものだけど…」

「そういえばそうだね。気をつかってるのかな綾波」

「あいつがそんなしおらしい………って、あんたねぇ」

アスカが呆れたような声をもらした。

シンジはアスカの視線を追って天井を見上げる。

「………綾波」

その少女は天井から3人を見下ろしていた。

「…いまさらだけど非常識な登場の仕方ね。ま、いいけどさ」

「下りておいでよ綾波」

そう言われて音もなく降り立つレイ。

「…よかったわね」

素っ気ない物言いだが二人にはレイの想いが伝わる。

「…ありがとう綾波」

「…もし私達が危なくなったら介入してくれるつもりだったんでしょう? ありがとうレイ」

アスカが核心をつくとかすかに顔を赤くするレイ。

「…何を言うのよ」

「あー照れてる照れてるぅ」

「………」

更に赤くなるレイ。見かねてシンジがアスカを止める。

「アスカ。その辺にしてあげなよ」

「ま、いいわ。そうだ、レイも抱いてみなさいよ」

「………え?」

予想外の事に戸惑うレイ。

「…で、でも私」

「親がいいと言っているんだからいいのよ」

「ほら綾波」

「…あ、碇くん」

赤ん坊を手渡され慌てて受け取るレイ。

「…どう? アタシ達の子供」

ややあって答えが返る。

「…あたたかい」

赤ん坊の顔に頬を寄せしばしその感触に浸るレイ。

「名前は綾波の名前に似てるんだ」

「…私の名前?」

「そう。その子…僕とアスカの娘の名前は碇アイ」

「名前の意味はわかるわよね?」

「…碇アイ………愛?」

「そう。この子がみんなの愛に包まれて育つように。そしていつかみんなに愛を与えてくれるような人間になるように…」

「それまで…この子を見守ってくれる?」

レイはしばらくアイを見つめてから二人の方に向き直る。

「…ええ」

レイが微笑み、シンジとアスカも微笑み返す。

再びアイに向けられた三人の視線は例えようもない慈愛に満ちていた。

 

 

 

<同日、碇家>

 

「本当に父さんも母さんもしょうがないんだから」

掃除機をかける少女碇レイ。

普段はリツコが家事をしているのだが、非常時に備え小学生とはいえ家事をこなすぐらいのことはしなくてはネルフのトップの娘はつとまらない。…というかそうしないといつ両親が仕事を放り出して家に帰ってくるかわからないというのが本音だ。そんなわけで家事に堪能な姉に日々教えを仰いでいる。

今日はおとなしく留守番である。ここ数日は両親も落ち着きがなかったのでたまった家事をこなしているところだ。

それはそれとしてレイも兄と姉に子供が産まれるのは嬉しかった。

家族の愛情がその子に傾くだろうとかいう嫉妬の感情は皆無である。

あくまで明朗快活を地でいく元気少女であった。

「フンフンフンフン…」

何とはなしにメロディーを口ずさむ。兄の友人がよく口ずさんでいるので自然に覚えてしまったメロディーだ。クラシックらしいが生憎そちらには興味がないので曲名は知らない。メロディーは悪くないからそれでいい。ただ姉だけはレイがこのメロディーを口ずさんでいるとなんとも嫌そうな顔をする。

「よいしょっと…」

掃除が終わると掃除機を片づける。そこではた、と気付いた。

「…ちょっと待って。お兄ちゃんとお姉ちゃんに子供が産まれるって事は…」

聞くところによると生まれるのは女の子の予定だ。

すると、自分にとっては姪に当たる。自分に姪ができるという事は…

「も、もしかしてあたしこの歳で“おばさん”!?」

それから十数分固まっていた辺りしっかりゲンドウとリツコの娘であることを証明したレイだった。

 

 

おわり

 

 

 

 

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