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以下の小説にはBL・やおい・耽美と呼ばれる表現が含まれています。

1.優しい指先

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 世の中は夏休みらしい。しかし、社会人は別。
 景気のいい会社ならハワイとか香港とかの会話も出来るかもしれないが、夏にぐっと売上が落ちる布団業界においては絶対にありえない。
 やっていることといえば、決起集会ばかりで、役職のついている人間は頭から湯気がでる勢いだ。
「君、顔がキレイなんだから、どうだい。誰かたらし込んで売ってくるとかないのか?少しは体でも張って根性見せてみろ」
・・セクハラも飛び出す。
 新見は偏頭痛を抱えつつ、課長の小言を聞き流した。そこまでしてまで、この会社には未練はないと内心思った。
 第一、この顔で得したことはあまりない。女性は鑑賞する分なら美しいものを求めるが、付き合う人間にはそれを求めてこない。最初は気に入ってくれても、周りの陰湿なプレッシャーに押しつぶされて、結局振る。
「アクセサリーとしては最適よ」とは、現在付き合っている園田の台詞である。彼女は特定の男を作らないタイプで、TPOにあわせて男性を変える。
「だって一人の男だけなんてつまらないじゃない?人生一度きりよ」
 新見はその男らしさに惚れて彼女と付き合うことになった。もちろんアクセサリーとして。当然Hなし、部屋に入ったこともなし。友人っぽい付き合いであるが、園田が「一緒にいるときは恋人よ」と都合のいい台詞を吐いたので、新見としてはこれ幸いとばかりに彼女を引き合いに出すことにしていた。例えば、職場内で見合いの話が出ても「いや、付き合っている女性はいるんですが、まああ色々ありまして・・・」などとお茶を濁せば、だいたい上司はしたり顔で「あああ、君も苦労しているんだねえ」と納得してくれる。
 そういう意味では非常に付き合いやすい相手ではあった。元々性欲については淡白で興味もなかったので苦ではなかった。
 新見は布団会社の営業を五年やっていたが、園田がどんな職業についているのかは知らなかった。ただ新見はよく食事に呼ばれた。それもフランス料理店やら高級割烹の店やらである。その場所では、必ず相手方がいて、手元にある名刺を見るだけでも汗が出るような有名人ばかりだった。
幸い彼は食べることには興味があったので、作法を心得ていた。外見を裏切らないようなきれいな所作を心がけ、園田のアクセサリーとして役割を十分にこなしたのだった。ごく稀に新見を気に入って、布団の注文をしてくれる相手も現れる。裏がありそうな場合は断るが、善意の場合は引き受けていた。そういうことで、今のところ営業でやってこられていてリストラの対象枠から辛うじて外れている現状である。
 先ほどの上司の「たらし込んで」という発言も新見の取引先に大手が多いので何らか手を使っているのではないかという穿った見方からそう言わせていた。そんな発言がここ二年程続いている。
 あんまり目立つ売り方はやめようと、最近彼は個人訪問の営業に切り替えた。勿論売上など皆無だが、金持ちマンションなので一発逆転を狙ってのことだ。しかし、そう都合よくいくわけもなく、その日の営業もことごとく空振りに終わり、マンションを後にしたのだった。
 日はまだ高く帰社するには躊躇われた。
このところ真夏日のせいか、売上が落ちていた。新見としてはせめてガソリン代くらい稼いで帰りたいものだと、車の後部に積んであるシーツや枕カバーなどに目を走らせる。
 一枚でもいいんだけど。
 彼はほんの気まぐれから、いつも帰る道より一本手前を左折した。その道は細く、車がすれ違うのにも苦労するような場所だった。汚いアパート類が立ち並び、布団を干しているところが多くあった。
 新見は早速比較的広い道に駐車すると、車から数冊のパンフを持って表に出た。
 密集して建物が建っているせいか、日陰が多くあり、比較的涼しく感じる。あちこちの家では窓を全開にして扇風機を回している光景が目に入った。
「おい、ネエチャン、ベッピンさんだねえ」
 頭上からいきなりそんな声がした。
 新見の周辺に女性などいなかったので、自分が間違われていることにすぐに気がついた。上から見ればスーツも男女差などないのかもしれなかった。
 見上げると、昼間からビールを飲んで煙草をふかしている男がこちらを見ていた。彼は無精ひげを生やし、年の頃は四十を過ぎていると思われた。
 回りに比べても相当古いアパートの二階の窓枠に腰掛けて、片足だけぶらりと下におろしている。桟には布団が干されていて、彼はそこに尻を乗せてビールを飲んでいたのだった。
「おおい、一緒に飲まねえかあ?」
 男は新見と目が合うと、にこにこ笑ってそう言った。新見としても望むところだった。営業なんて話を聞いてもらうまでが大変なのだ。こんなチャンスを棒に振るほど愚かではない。
 課長に言い訳できるように一枚でも売りたかった新見は、頭上の男にすぐ行くと答えると走って車まで戻った。そしてパッケージされたシーツの現品を三点程度持つと、男が待つであろう古いアパートへと向かったのだった。

 階段を上がっている最中でも、その軋む音にひやりとさせられた新見だったが、ドアの前まで来て呆然とした。洗濯機は二層式で、しかも外においてある。正面のドアは斜めになり、閉まっていると言うよりは一個の蝶番で何とか支えられいてる状態だった。
 これではシーツ一枚も無理かもしれない。
 両手いっぱいに商品を持って上がったが、急に腕が痺れて来た。
「おい、早く入って来い」
 ドアの向こうから声が聞こえた。隙間だらけなので間近に聞こえる。
「い、今行きますよ・・・」
 おっかなびっくり新見はノブを回して引っ張ると、予想通り大きな音とともに木製のドアが倒れ掛かってきた。
 両手が塞がっていたので思わず目を閉じた彼だったが、予想された衝撃は襲ってこなかった。ゆっくり目を開けると、目の前に大男。
「あぶねえ。壊れてるの忘れてた」
 熊がいる、と思った。
 無精ひげで百八十はゆうに越えている。土木作業でもしてるのか、腕にはキレイな筋肉がついていた。白いランニグシャツ、穴のあいたジーンズ、咥え煙草、裸足。
「どうも、お手数掛けまして」
 呆然と新見がお礼らしいことを口にすると、男はまじまじと彼を見た。
「なんだ、あんた男じゃないか」
 ばれたら追い返されるかな、と危惧していた新見だったが、それは考えすぎだったらしい。
「まあ、男でも女でもキレイな人間は歓迎だ。まあ、上がれよ」
 新見はどうも、と頭を下げて、ドアを支える男の腕を潜った。
 入った途端に、鼻を刺激する匂い。汗と男の匂い。
「すまんな、ちょっと臭うだろう?」
 男はドアをつけるのを諦めたようで、壁にそれを立てかけると部屋に戻ってきた。
 予想通りの部屋だったので、新見は笑い「大丈夫ですよ、私の部屋もこんなものです」と言った。
 十畳程度のワンルームで、台所にはインスタント系の空き箱が置きっぱなしだ。テーブルらしいものはなく、雑然としている。真ん中だけキレイなのは、今干している布団があったのだろう。万年床。
「まあこの部屋にくる奴なんていないからなあ。大して掃除もしてないんだ」
 ははと男は笑い、薄汚れた旧式の冷蔵庫から缶ビールを取り出して新見に渡した。
「んじゃ、乾杯しようぜい」
 見知らぬ人間を部屋に上げて、何の疑いもなく乾杯?
 新見はこの人懐こい男を見て微笑んだ。
 確かにこのガタイじゃ恐れるものは何もないかもしれない。
「何笑ってんだ?」
 乾杯後もにこにこしている新見を見て不思議そうに男は小首を傾げた。
「実は私、こういうものでして」
 不躾かと思ったが新見は男に名刺を渡した。さっさと用件を済まさないと、男のペースに巻き込まれる予感があった。
「あん?なんだよ、布団屋かよ」
 煙草を灰皿に押し付けて、名刺を見るなり男は眉間に皺を寄せた。布団屋が嫌いなのではなく、新見が商売目的で自分の部屋に上がったということが彼にとっては不快だったらしい。
「すみませんね」
 新見も男の真意を察して謝った。ビールまでご馳走になって商売をするほうが図々しいのだから。
「ビールが美味しそうだったので釣られましてね」
「釣られた人間が、パンフレットごっそり持ってくるかよ」
 男は見え透いた新見の言い訳に苦笑する。そして積極的に色々な資料を手にとって眺め始めた。
「へえ、色んなものがあるんだなあ」
 意外にも興味を示したので新見をしては嬉しい誤算だった。早速商品の解説を始める。低反発マットレスから肌触りのいいシーツまで。一応、経済力に合わせて低価格のものを中心に案内した。ところが、男が興味を持って見るのは新発売の高級シーツ。
「随分変わった色だな」
「それは新発売でして。ほら、今カラーセラピーというのが女性の中で流行ってますが、人それぞれに似合う色というのが存在するんです。それでシーツにもオンリーワンのカラーをということで販売させていただいてます。肌をキレイに見せる効果がありますし、生地も最高級で肌触りも抜群なんですよ」
 高くて買ってもらえないだろうが、と新見は内心思いながらも、サンプルのシーツを取り出して広げた。淡いピンク色でさらっとしている。
「どうぞ、触ってみてください」
 男は言われるままに大きなごつごつした手で触ったが首を傾げる。
「なんか、さっきのと大して変わってない気がするぞ」
 新見は苦笑した。先ほどの安いシーツとは繊維が違う。
「そんなことはありませんよ。比べてください」
 一度仕舞った低価格のシーツをピンクのシーツに重ねて男を即すと、彼は交互に布を触り始めた。
「どうです?」と新見が笑顔で聞くと、男は複雑な顔をした。
「寝てみていいかな」
「は?」
「だからシーツなんだろ?寝た感触が重要だと思って」
 確かに寝たほうが分かるかもしれないが。
「いいですよ、どうぞ比べてみてください」
 最初は期待していなかったが、この男はどちらか気に入った方を買ってくれるかもしれない。新見は淡い期待を持ちながら大きくシーツを広げて並べた。
 男はごろんと寝転がり、最初は安い方を、次は高いほうに転がった。何度もごろごろ動くその行動は面白く、新見は笑いを堪えるのに必死だった。
 ややしばらくして、男は高いシーツに寝転がったまま天井を仰いだ。手は布を撫で続けている。
「お分かりいただけました?」
 うーんという呻きに似た呟きの後に、男は新見に目だけ向けた。
「脱いでいいかな」
「はい?」
「俺いっつも裸で寝るからさ」
 おそらくその通りなのだろう。この大男がパジャマを着るイメージがない。それにしてもそんな風にいってくる客なんて初めてだった。
「面白いこといいますね」
 思わず新見が感心したように言うと、男は起き上がって「だめか?」と真剣な顔できいてくる。
「こちらも商売させてもらってます。いいですよ。脱いで感触を確かめてください。どうせ今日の営業はここで最後なんです」
 面白い人だなと新見は笑う。ビールも貰ったことだし、それくらいのサービスをしても問題はないだろう。それで買ってくれれば万々歳である。
「おう、すまないな」
 男は楽しそうにシャツを脱いでジーンズを脱いだ。そして、トランクスにも手をかけた。
「あ、あの、真っ裸ですか」
 思わず新見が口を挟むと、男は「おうよ」と恥ずかしがることなく脱いで下着を放った。
 いくらなんでもここまで予想してなかった新見は唖然としたが、男はまるで子供のようにまたシーツに寝、ごろごろ転がった。
「ああ、気持ちイイな。高いやつ」
 ようやく分かったらしく、男は大の字で寝たままそう言った。新見は当初の目的が達成しただけで満足だった。男の行動には色々驚かせられたが。
 それにしても。と新見は寝転がる男を見て思った。
「あの、すみません」
「ん?なんだ?」
 目を開けて男は新見を見る。男は少しうたた寝をしていたみたいだった。
「大変お手数なんですけど、こちらの色で寝てもらっても宜しいでしょうか?」
 新見が取り出したのは淡い若草色のシーツ。色的にも珍しいそれを見て男も眉を上げる。
「こちらの色の方がお客さまにお似合いだと思いまして」
 我ながら何をやっているのだろうと新見は苦笑した。しかし、そう思ってしまったのだから仕方がない。オンリーワンのコンセプトのもと、研修でカラーセラピーの講習を受けた人間としてはどうしても似合う色で寝てもらいたいという欲求があった。
 男は新見から若草色のシーツを受け取ると、それを広げて寝転がった。白、ピンク、緑と色合い的に美しかった。
「ん?何か草の香りがするな」
 男は目を閉じてまるで昼寝でもする態勢になった。現に日が翳って大分涼しくなってきていた。
 新見は立ち上がって、男とシーツの色合いのバランスを見た。予想通りしっくりと来ている。男らしい逞しい体と草原のような緑。芸術作品のような感じがした。
「あああ、いいですね・・・」
 新見の口から吐息に似た感想が漏れた。ぜひ、このシーツで寝てもらいたいと思った。
「おおい、見とれるなよ。照れるだろうが」
 じっと見下ろす新見を下からからかう声。
「そ、そんなんじゃないですよ」
「やあ、照れるな照れるな。この体は俺の資本だからなあ。自慢できるのはこれぐらいなのよ。見せて金もらえるんだから、親に感謝しないとな」
 見せて金?と新見が首を傾げると、男は起き上がって胡坐をかき「こっちにこい」と手を振った。新見が大人しく男の傍らに座って耳を貸すと、とんでもない台詞をこの男は吐いた。
「俺、実は売春してるの」
 新見は驚いて男をまじまじと見つめてしまった。確かに整った顔立ちをしているが、見るからに四十代の男である。

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