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以下の小説にはBL・やおい・耽美と呼ばれる表現が含まれています。

1.優しい指先

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「もちろん金持ちのご夫人相手にね。若さはないがテクはあるから。きちんとビジネスライクに考えられるからトラブルもないし」
 詫びいれず男は話し出す。どうりで平日に酒を飲んでいられる訳だ。
「情が深そうな人間はこちらから断ってるから気楽でいいのさ。まあ金額も食える程度にしかもらってないからこんな暮らしなんだが」
 そう言うと可笑しそうに笑った。
 新見はそれを聞いて、この男に抱かれる女性を想像した。定職にするくらいだからリピーターが多いのだろう。
この大きなもので女を悦ばせているのかと下卑た想像をする。
「おい、どうしたよ。俺が犯罪者だから、びびっちまったか?」
 犯罪者がこんな愛想のいい顔をするだろうか。と訝しげな顔をすると、男はぽんぽんと新見の頭を叩いた。
「ま、ヌードモデルの仕事とかもしてるし、そればっかりじゃないけどな」
その台詞に「そのほうがしっくりきます」と思わず言った。先ほどから裸でいてもこちらが照れないのは、彼が堂々としているのもそうだが、妙に色気がないからだった。
 それを男に伝えると、「何か嬉しいやら悲しいやら」と複雑に笑った。
「褒めてます」
 新見は言う。
 自分などは上司から色がありすぎると言われる。セクハラ紛いも多い。男が特に寄って来る。これほど気持ちの悪いものはなく、自分を見る目はまるで麻薬患者のようだ、と過去を思い出し、不快になった。
「まあ俺もお前さんを女と間違えてナンパした一人だからなあ」
 申し訳なさそうに男は頭をかき、煙草を咥えた。そしてこちらに傾ける。
「あ、吸わないんで」
「そうなの?」
 男は意外そうな顔をすると、煙草とビールを交互に嗜んだ。新見も付き合うようにビールを飲んだが、自分が車で来ていることを思い出し、途中からは口をつけるのをやめた。
「何で飲まないの」
 男は不思議そうに聞き、新見は「車なんで」と苦笑した。飲んだ後に気づいても後の祭りなんだが。
「そうか、商売に来たんだもんな」
 男はそう呟くと、自分の尻に敷いている数枚のシーツに目を向けた。
「・・・一つ質問なんだが、この最初に出したピンク。サンプルってことだったが、どうしてこの色なんだ?」
 安物は白だったのに、という疑問を聞いて新見は微笑んだ。
「そうですね。基本的に白っていうのはオシャレというところから外れている感覚があります。カラーのセレクトもこの商品では重要なものですから。それで数枚用意している訳ですけど、このピンクカラーに至っては私に合うカラーを持ってきてます。例えばですね・・・」
 新見は若草色とピンクのシーツを引っ張ると、己の顔に近づけた。
「いかかです?印象が違って見えると思いますが?」
 新見の言葉とは裏腹に男の反応は鈍かった。確かに顔の一部を比べたらよく分からないかもしれない。一番いいのは、先ほど男がやったように裸で寝れば、一発なのだが。
「私も裸になればよく分かると思うのですが、そうもいきませんので」
 男はそれで合点がいった顔をした。
「そうか、お前さんがいきなり色を変えたのはそういうことだったんだな?」
 新見は感心した。この人は頭がよい。
「ええ、そうです。サンプルなので肌触りだけと思って、いつものピンクを出したのですが、今日持ってきた中の色でもっとお客様にしっくりくるものがあったな、と思い出しまして」
 そうである、彼自身で見ればよいのだ。
「鏡、あります?」
 大きな姿見があったので、新見は男をその前に座らせ、彼の後ろでピンクと緑のシーツを広げた。
「やっぱり緑がお似合いだ。そう思いませんか?」
 新見が鏡を通して男に尋ねたが、彼は目が合うなり視線をさ迷わせた。
 どうしたのか、と尋ねる前に彼は言った。
「なんか、このアングルってちょっと、な」
 そして苦笑い。いや、照れ笑いか。
 確かに真っ裸で胡坐をかいて、鏡に向かって座るなんてことはあまりないだろう。下半身が西日を浴びて、より大きさを誇示しているようだった。
「モデルさんでしたら照れることないでしょう」
 新見は照れた男の肩越しに顔を近づけて、もう一度シーツを見せた。
「それよりこちらを見て。ほら、先ほどのグリーンよりピンクの方が私の血色がよく見えると思いますが、いかがです?」
 男は言われた通り鏡越しに新見を見たが、その視線を浴びて、今度は新見自身が視線をそらした。先程と状況が逆になって内心苦笑い。裸の男と鏡越しで見つめるというのを意識すると、妙に照れる。
「・・・本当だな」
 吐息のような男の一言にどきりとした。
「え?」
 誤魔化すように聞き返す。その途端に男の顔が横を向いた。唇同士が微かに触れた。
「ピンクの方がきれいに見える」
 間近で男はそう新見に言う。瞳は怖いくらい真剣で、熱を帯びていた。
 新見はあまりのことに驚いて身動きがとれずにいた。頭の中では冷静に、今朝の上司のセクハラ発言が再生されていた。
 自分はこの外見で仕事を取るつもりはない。むしろ、男になど。
 そう思っていても、この真剣な目つきには負ける。敵うわけがない、体格が違いすぎる。
 男はそのままゆっくりとピンクのシーツの上に新見を押し倒した。
 緩やかな西日に照らされている男の顔は芸術作品のようだったが、視線を少し下に向けると、それはすでに勃起していた。
「何を、なさるつもりです?・・・お客様」
 ようやく新見は掠れた声を出す。あまりの緊張で口が異常に渇いていた。
「違う」
 男は新見の両手を上げさせると、自分の手と重なり合わせた。「伊勢崎だ」
 一体、何を言ったのか、新見は理解できぬまま唇を合わせた。男の縦横無尽に動く舌が潤いを運んでくるようだった。新見は懐かしいその感触に、思わず舌を絡ませた。
一体キスなど何ヶ月ぶりにしただろうと新見はうっとりとした。上等な口付け。ソフトで上品で、癒される。
それにしてもこのざらざらした感触は初めてだな、などとのぼんやり思った。
 唇が離され、新見もゆっくりと目を開けると、そこには無精ひげを生やした大男がいた。
「・・・ん?」
 余韻に浸る間もなく、新見はこの状況に混乱した。さっと血の気が引くのが分かった。
「お、お客さま!」
「お客さまじゃねえよ、伊勢崎だっていってるだろう?」
 そうか、イセザキっていうのは、この男の名前なのだと新見はようやく理解したが、彼の行動はまだ続きがあるらしかった。優しく新見を見つめると、掴んでいた手を放して、ゆっくりと優しく頬を撫でた。
「やっぱり声掛けて正解だったな。男と分かってもあんたはきれいだよ」
 満足気な笑顔を見上げ、新見はその台詞を咀嚼した。
 きれい?誰が?まさか、そんな女みたいな形容を自分はされているのか?
 新見は一気に熱が冷めるのを感じた。伊勢崎は人間としては好きなタイプだが、恋愛相手としての興奮はない。現に、新見のモノは勃つどころか縮こまっている。
「ご冗談はおやめください」
 自分でも冷たいと思われる台詞が新見の口から突いて出た。その台詞と視線の気配に伊勢崎もすっと身体を起こす。
「どうした、いい雰囲気だったのに」
 無理強いする気はないらしく、伊勢崎はさっさと新見の上から降りると、また胡坐をかいて不思議そうに彼を見た。
「鏡で興奮したのはお客様で、私はしてません」
 乱れたネクタイと髪を直しながらそういうと、伊勢崎の鋭い目つきとぶつかった。
「おい」
「な・・・なんですか」
「伊勢崎だって言ってるだろう」
 この人は。と新見は呆れた。自分のしたことを反省するどころか、呼び方が気に入らないらしい。
「伊勢崎さま、私が言いたいのは」
「さまじゃねえ」
「あのですね」と新見が頭を抱えると、伊勢崎は繰り返した。
「もっとフレンドリーに出来ないのか、営業だろうが」
 どうして売春夫に説教されているのか、と不快に思った彼だったが、そんなことで意地を張っても仕方がないので「伊勢崎さん」と言い直した。
「おう、なんだ?」
「なんだ、じゃありません」
「だから言いたいことを言えよ」
「ですから、私は営業するのに身体を利用する気はありません。もし、私の態度が許せないとおっしゃるのでしたら、商品を買ってもらわなくても結構です。これが私の言いたいことです」
 新見は伊勢崎の正面に正座し、彼の目を見ながらはっきりと言った。最初のナンパに便乗したのが誤りだった。今度から気をつけなければならない。そうである、新見としては自分にも否があることを承知していた。伊勢崎としても女と思ってナンパした以上、どうにかするつもりだったに違いないのだから。
「お前さん、そんなナリのくせに言うねえ」
 伊勢崎は顎のひげを撫でながら感心したような声を上げた。
「安心しろよ。俺は身体を資本にしてるが強姦する気はないし、商売とプライベートを混同する人間でもない。シーツは純粋に気に入ったんだ。買わせてもらうよ」
 買ってくれない方がよほど気分が楽だったのに、と新見は複雑な思いだった。相手が客だと思うと強気に出れないではないか。
 ふと空を見ると、日は落ちていて薄暗くなっていた。窓と玄関をひんやりとした心地よい風が通る。苦痛ではない沈黙が続き、遠くの方で風鈴の音がしていた。
 おもむろに伊勢崎は立ち上がって電気をつけた。新見の正面に丁度股間が来る形になり、いたたまれなくて目をそらした。彼のそれはまだ勃ったままだった。
「あの、お支払いのお話をさせていただいても宜しいでしょうか」
 新見はそう切り出した。さっさとこの家から出て行った方がよいように感じた。居心地が妙にいいのが、逆に彼自身を不安にさせた。
「ああ、構わんよ。キャッシュで払おう。いくらだ?」
 身体の反応に対して、伊勢崎の声は冷静で知的だった。脱ぎ捨てたジーンズのポケットから札を数枚取り出すと、新見が伝えた金額を手渡した。そして、先ほどと同じように窓の桟に裸のまま腰掛け、外側に右足をだらりと投げ出した。煙草を新たに咥え、美味しそうに煙を燻らす。
「ようやく気持ちのいい温度になってきたな」
 伊勢崎のその声を受けて、新見も立ち上がり窓際に立った。心地よい風が吹いていた。
「本当ですね」
 多くの建物から明かりが漏れ、家族団らんの声が聞こえた。
「なあ」と伊勢崎が言ったのは何分たった頃だったか。「悪かった」
「こちらこそ申し訳ありませんでした」
新見も返す。
お互い何に対しての謝罪だか分かっていなかったが、この妙な空気を打開したいという気持ちは同じだったようだった。
 まあ、それでもいいか。新見は自嘲すると、腕時計に目を走らせる。帰社するのにいい時間になっていた。
「そろそろ」と新見は言い、散々広げた商品をかき集めた。その間、伊勢崎は彼を眺め続けた。そんな視線を新見自身気づいていた。
「伊勢崎さんは男もいけるクチですか」
 ずっと見つめられて居心地が悪くなったので、新見は努めて明るくそう聞くと、伊勢崎は慌てて視線を外して「さあて、試したことはないからなあ」と頭をかいた。
「お前さんはどうなんだ?」
 意外にも真剣な声が返ってきたので、新見は内心戸惑った。「さあ」と誤魔化す。
「返事になってない」
 伊勢崎の語気が強くなった。
「どうしてそんなに聞きたがります?」
 不審に思って聞き返すと、返答はあっさりしたものだった。
「気になるからに決まってるだろう」
「男もいけるなら、やらせてくれとでも仰りますか?では、返答はノーです」
 女扱いなどまっぴらだった。先ほどの拘束された手首は未だに痛い。拘束され上に乗られることがどうして気持ちがいいと言えようか。
「そうじゃねえよ。純粋にお前さんが好きなんだ」
「顔がキレイだからですか」
「それもあるな」と伊勢崎の言葉は躊躇いがない。「まあ、そのツラをずっと眺めていたいっていうのと、なんだ・・・その、どうも感覚的に合うなと」
 巧くいえないが、と最後に付け加えた。
 なるほどと新見は思う。感覚的に相性がよさそうだというのは理解できる。
 付き合ってみるのも面白いかもな。
 新見は元々妙な人間に興味を持つタイプだ。園田とて一般的に言えばまともではないかもしれないが、考え方が面白く、いつも新鮮な付き合いが出来ている。一人の人間として、貴重な出会いをしたと思う。
「一期一会」
 思わず言うと、伊勢崎は首を傾げた後、「ああ、そうだよ」とにっこり笑った。どうやら新見の言葉を肯定と受け止めたらしい。
 これは都合がいい。別に会わなくても、自分は何も言ってないと言い訳できる。
「では、また」
 新見は荷物を両手で抱えて、今度こそ帰ろうと立ち上がる。伊勢崎は止めなかった。また会えると思っているからだろう。
「おう、電話するから」
 名刺をひらひらさせながら言う軽快な声を聞きながら、新見は笑い、伊勢崎家を辞した。

 外に出た後、家を見上げると、彼はまだ窓枠に裸で腰掛けて煙草を吸っていた。
 夜明かりと部屋の明かりに照らされる裸体は、相変わらず美しかった。モデルの仕事をしているのも見てみたいなと新見は思った。芸術家のタマゴたちはあの裸体をどう描くのだろう。バランスの取れた男の美を。
 そうかと新見は気づく。自分が伊勢崎の肉体に感激したのと同じような感覚を彼は自分の顔と体型に抱いたのかもしれない。
憧れと好奇心。
新見は最後に伊勢崎と目を合わせると、丁寧に頭を下げたのだった。

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