※このページは郁カイリのホームページの一コンテンツです。
以下の小説にはBL・やおい・耽美と呼ばれる表現が含まれています。
園田は最初から妙だと気づいていた。いつもなら嫌味なくらいスマートに自分を抱く男がうわの空で、ちっとも自分を見ようとしないからだ。そんなことは付き合ってきて一度だってなかった。彼は支払う金額分のいい仕事をしてきたのに。
「一体、どうしたっていうの?」
園田はコンドームを捨てに行った男の背中にそう聞いた。こちらはきちんとホテル代も身体の代金も払っているのだ。質が落ちてしまっては困る。
「何が?」
男は訳が分からないというように首を傾げた。元々嘘をつかない男だ、無意識でやっていたことらしい。
ビジネスホテルの一室。仕事がようやく終わり、今日は美味しい食事というより温もりを求めた。彼はいつも優しく抱いて気持ちよくさせてくれる・・・そんな予定を壊されて園田はすっかり気分を害した。
「話にならないわね」
ベッド上で身体を起こすと、園田は煙草に火を点けた。こんなことなら新見と食事をしていた方がよかったなどと後悔した。彼は綺麗な外見で食事の所作も美しかった。味覚のセンスも自分に似ている。
園田はちらりと時計に目を向けた。まだ十一時にもなってなかった。食事をするには時間が遅いが、酒を飲むには丁度いいくらいだ。新見とはグラスワイン程度の付き合いしかないが、酔った彼はどうなのだろう?
園田は興味がわいた。
「今日はもうやめましょ。さっさと服を着て帰ってくれる?」
「え」
男は戸惑った。彼としてはいつもと違うように彼女を抱いたつもりはさらさらなかった。
「ちょっと待ってくれ。一体どうしたんだ?」
園田は呆れて裸のまま突っ立っている相手を見上げた。年は四十を越えていると思うが、身体つきはモデルというだけあって美しい。体の相性も今までで一番よかったというのに。
「どうしたんだ何てこっちの台詞でしょ?何か考えながら私を抱かないでって言ってるの」
「俺は考えてない」
「あらそう。だったら今日でさよならよ」
園田はいらいらして煙草の火を消した。理由なんて本人が分からなければどうしようもない。それが分からなければ、彼は何の魅力もないどこにでもいる男だ。
園田がさっさとベッドから降りて下着を着けていると、今度は男がベッドに座って頭を抱えていた。
「何悩んでんのよ」
「悩むさ」
「真剣に悩んで繋いでおく関係でもないじゃない」
園田は彼以外にも寝る相手はいたし、彼も金銭的な付き合いである以上、客は自分以外にもいるはずだ。一人減るぐらいの感覚であると園田は思っていた。
「俺はあんたが好きなんだ」
急に真剣な視線を受けて園田はしばし唖然とした。四十代の男から出た言葉だとは思えなかった。
「あなた何言ってんの」
思わず彼女は言った。言葉は冷たく軽蔑がこもっていた。「子供じゃあるまいし、割り切った関係でしょ」
その台詞に男は慌てた。「いや、そういうことじゃなくてだな」
「じゃあどういうことよ」
園田ははっきりしない男に苛立った。さっさと男と別れて新見と酒を楽しみたかった。
「俺はあんたが人間として好きなんだ。そりゃあ大して会話もしてないし、会えばセックスしかしてないが、うまく言えないが何らかの形でも繋がっていたいと、そう思っている」
園田はうんざりした。セックスにそんな理屈など彼女には必要なかった。精神上の付き合いなど、モメる素だ。
「うざいわね」
これだから年をとった男は嫌いだと園田は思った。どんなに大人になってもロマンチストなのは年寄りだ。若者の方がよほど打算的で付き合いやすい。テクニックを追求した自分がマヌケだったのだと腹立たしく思う。
さっさと服を着ると、ベッドに腰掛けて真剣な顔でこちらを見ている男を見下ろした。
「実に残念だけど、今日で終わりにしたいの。あなたとはベッドの上以外で付き合う気はさらさらないし、プライベートを分かち合いたいとも思わないから」
街中で隣にいて欲しいのは、こんな冴えない中年男ではない。もっと華やかで美しく、自分を引き立ててくれる男だ。
「そうか」
男は指を組んで、じっと園田を見上げていた。その表情は言葉とは裏腹に落ち着いたものだった。「今まで楽しかったよ」
どうして先ほどもこうやってスマートに決めてくれなかったのだろう。そうすればまだ続いていたかもしれないのに。
「私も楽しかったわ。ありがとう」
園田は皮肉を込めて笑顔を返した。またセックスの巧い人間を探さなくては。身体だけの快楽だけを純粋に与えてくれる男。
財布を開けて規定の金額を男に渡すと、彼は相変わらずの落ち着いた態度でこう言った。
「君はかわいそうな女だね」
園田はかっとしたが、何も言わなかった。いつも男は負け惜しみのようにそう言うのだ。仕事で負けた時も、恋愛で振られたときも。彼女はその台詞に慣れていた。
「あなたもかわいそうな男ね」
精一杯馬鹿にした口調で園田は言い、踵を返してドアに向かった。彼女は心底この男と愛想が尽きた。
振り返らずにドアノブを握った時に背後に声が掛かる。
「園田くん」
男が自分の名前を呼ぶのは初めてだった。
思わず立ち止まると、彼の言葉は続いた。
「快楽だけを求めるなら人形でいいんじゃないのか。どうして君は男に抱かれる?その意味をもう一度考えてみたまえ」
くだらない、園田はドアを開けた。
どうしてそうも干渉するのだ。どうして黙って私を抱いてくれないのだ。
そして、どうしていつも私はこうも傷つくのだ?
園田は溢れてくる涙を相手に気づかれないように「さよなら」というと、乱暴にドアを閉めたのだった。
*
「振られたよ」
新見が電話をとった時、第一声がそれだった。
携帯が鳴った時、見慣れぬ番号に彼は戸惑ったが、名刺に載せている以上客の誰かからだろうと予想がついた。しかし、そんな台詞を聞くとは思いもしなかった。
「えーと、失礼ですが」
やんわりと尋ねると、「ああ俺だよ。伊勢崎だ」とがっかりしたような声が返ってきた。
イセザキ、イセザキ・・・と新見はしばらく考えてようやく思い出した。あの男だ。
「ああどうもお久しぶりです」
正直彼は忘れていた。あれから一週間たっていたし、仕事もたて込んでいた。
「どうなさいましたか?・・・もしかしてあのシーツで何か問題でも」
新見は自分の腕時計を覗いてぎょっとした。もう日付が変わろうとしているのに、彼はまだ会社で書類整理をしていたのだった。
「そうじゃない。さっきも言ったろう。振られたんだよ」
「えーと」
新見は判断に困った。「それで私はどうすれば」
「慰めに来てくれよ」
「は?」
「だから、この前出会ったのも何かの縁だ。シーツを買ったオプションってことで、自棄酒に付き合ってくれないかって言ってるんだ。いいだろ?」
この中年は頭がオカシイのではないだろうかと新見は本気で思った。一度会ったセールスマンの言葉を真に受けてグチをこぼすとは。
彼は連日の残業でくたくただったし、今は早くこの電話を切り上げて風呂に入りたかった。
「お言葉ですが、お客様」
「イセザキだって言ってるだろう」
「・・・伊勢崎さま」
「おう」
「私はあなたと違って明日も仕事でして」
明日は営業報告会がある。その書類を作るのに残業していた。他の部署の人間もまじえての会議だ。課長と共に営業代表として彼は選ばれたのだった。
「随分嫌味を言うじゃないか」
「そうではなく、事実を言ったまでです。明日は発表もしなくてはならない会議があるんですよ。未だに資料も出来上がってないし、早朝出勤で完成させる必要があるんです。伊勢崎さまに構っている暇がありません」
自分で反芻してうんざりした。元々デスクワークが苦手で営業にいるというのに何と言うザマだろう。とりあえず今日は上がった方がいい。集中力を欠き、ミスが出るのも時間の問題と思われた。電車だってそろそろ最終だ。
「好都合じゃないか」
伊勢崎は電話の向こうで嬉々とした声を上げた。新見は耳を疑った。
「なあ、あんた家はどこだ?」
「T町ですが?」
「だったらそろそろ電車は最終だな。長々と揺られるよりこっちに来たほうが楽できるぞ。俺は実はTホテルにいるんだ」
Tは新見の会社から目と鼻の先だった。思わず後ろの窓に目をやると、ホテルの窓に所々明かりが漏れているのが見えた。
「そんなところで何やっているんです?」
モデルはホテルに用はないはず、と考えて伊勢崎のもう一つの職業を思い出した。
「お仕事ですか?」
皮肉まじりに言い、新見は片付けを始めた。電車の最終に乗り遅れて徹夜で仕事をするのは御免だった。
「だから振られたって言っただろうが。そんなことはいいんだ。それよりこっちに来いよ。疲れているんなら無理に酒に付き合せないさ。ゆっくり寝ればいい」
「あなたの隣で寝ると危険そうです」
前回彼の家を訪れた時の事を思い出した。伊勢崎は新見の腕を掴んでキスをし、そのまま抱こうとしたのだった。
「安心しろ。おまえさんが思っている通り仕事でここに来てたんだ。さすがに一晩で二人は抱けないさ。おっさんなんでね」
新見はファイルを棚に仕舞いながら眉を寄せた。
「誰かを抱いたベッドで寝ようって誘ってるんですか?最低ですね」
「そういうなよ。俺はお前さんの顔を見て癒されたいだけなんだ。ちょっと来て俺の頭を撫でてくれるだけでいいんだよ。後はとっとと寝てくれていいから」
新見は出したファイルを全て仕舞い終わると、事務所の電気を消して鍵をかけた。その間電話を肩に挟んで返事をしなかった。
「おい、もしもし?」
「聞こえてますよ」と新見は言い、エレベーターで1階まで降りようとした。ところが乗ったところでプツリと電話が切れてしまった。電波が届かなくなったらしい。
どうしたものかと新見は迷った。着信が残っているから掛け直すのは可能だが、わざわざそんなことをする必要はない気がした。
しかし。
エレベーターは不気味なモーター音を響かせて降りてゆく。S生命保険ビルの6Fが新見の勤めている布団屋だった。個人会社だが小規模ながら売上は上々で、今度支店を出そうかというところまでいっていた。新見個人の意見としては、まだまだ子会社経営するほどの売上ではないと思うのだが。
しばらくして1Fにつき、ぼんやりとした明かりに照らされているロビーを横切っているところで電話が鳴った。
やっぱりきた。と新見が腹を括って電話を取った。
「ああ、すみません。エレベーターに乗ってしまったので電波が・・・」
そこまで言って、返ってきた言葉に絶句した。相手は男ではなく女性だった。
「あら、そうなの?まさかまだ仕事していたの?」
誰だ、と新見は一瞬混乱したが、すぐに平静を装った。掛かってくる時間帯が違うが、何度も話している相手だった。
「こんな時間にどうしたんです、園田さん」
改めて時計を見ると深夜0時に間違いない。こんな時間にしかも急に電話を掛けてくるような女性ではないはずだった。だからこそ園田と新見は続いてきたのだ。
「あら、びっくりした?実はちょっと事情があって予定がキャンセルになったのよ。それでね、あなたとはお酒を飲むことがなかったからどうかしらと思って」
酒?園田も酒か、と新見はこの不思議な偶然に呆れた。それにしてもどうしたというのだろう。急に電話してきた伊勢崎の非常識ぶりは理解できるとして、問題は園田の行動だった。彼女はいつも相手の都合を考えて事前に食事の約束をする。こんなに急な話を持ってきたのは初めてだった。
彼女との食事や会話は楽しくて好きだったので普段ならすぐにオーケーを出していただろうが、この日は勝手が違った。明日の慣れない会議を控え、連日の残業の疲れが残っていた。
「すみません、園田さん。今日は・・・」
「あら、断るの?」
園田の口調は意外そうであった。
「実は今まで残業していて、明日も早朝に出勤して残りを終わらせないとならないんです。会議がありまして」
口にするたびにうんざりした。そしてまた時計を見る。これからだと駅まで走れば何とか最終に乗る事ができるが、街灯に照らされている夜道を歩いて園田の誘いを断っているうちにどっと疲れが押し寄せてきた。
「そうなの・・・残念だけど仕方がないわね」
いつもの園田らしからぬ口調だった。過去何度か食事を断ることがあったが、もっとさばさばした調子で返事をする女性のはずだった。
「本当に申し訳ないです。園田さんとゆっくり飲むのも興味はあるんですが、ちょっと今日は」
新見はどうして自分が謝っているのか分からなかったがそう口にしていた。この種類のやり取りは過去付き合ってきた女性相手に何度もしてきたことだ。これっきりにして欲しかった。園田がこれからこういうことをやるようなら、彼は付き合っていく自信がなかった。
「そう・・・仕事なら仕方ないものね。こちらこそ悪かったわ、急に電話なんかして」
「いえ、こちらこそすみません。また誘ってください」
本当は誘ってなど欲しくない。新見は苦笑いを湛えて言い、電話を切った。
気づけば回りには誰もいなく、夜道に自分しか立っていなかった。車の通りすらぴったりとなくなっていて、不気味にしんと静まりかえっている。信号機の明かりと街灯がささやかに辺りをてらしていた。
急に押し寄せる孤独感。
そうだ、電車に乗らなくては。
片足を踏み出した瞬間、又電話が鳴った。
「よう、大分話し中だったが、女か?」