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以下の小説にはBL・やおい・耽美と呼ばれる表現が含まれています。
電話に出るなり耳をくすぐる軽薄そうな声。
伊勢崎だ。
新見は思わずほっとした。ゆっくりと歩きながら心地よい低音を楽しむ。
「仕事の電話ですよ。それより先ほどは失礼しました、エレベーターに乗って電波が途絶えたみたいで」
「はは、そうだったのか。俺はてっきり怒って切ったのかと思ったよ」
電話の向こうで伊勢崎の特徴ある笑いが聞こえた。
「そう思ったならどうしてまた掛けて来ました?」
「諦めの悪い男でね」
新見の足は自然と彼のいるTホテルに向けられていて、玄関前の煌煌とした明かりに吸い込まれていった。ロビーには、突っ立ったまま携帯電話を掛けている男が一人。
がっしりとした体型に上質なスーツを着ていた。以前の無精ひげは綺麗に剃られていて別人のよう。
そんな伊勢崎の姿を見るなり、新見は思わず立ち止まって見とれてしまった。電話越しに尋ねる。
「女性相手にはスーツなんですね」
伊勢崎は小首を傾げた。
「え、何で」分かっているのかと続けようとしたらしいが、ようやく自分に近づいてくる人物に気づいて、にっこり笑った。
「いつもの俺はこんな格好だよ」
そしてお互い電話を切る。
新見を嬉しそうに見る伊勢崎の視線は、思った以上に暖かく。
「お久しぶりです」と新見も微笑んだ。
「うん」
伊勢崎はそう返事をして、自然に新見の腰に手を回した。いつもの彼ならそんな行為を許すわけがないのだが、この日ばかりは居心地がよかった。
「よっぽど疲れてるんだな」
伊勢崎もこうもあっさり接触を許した新見が意外で素直にそう言うと、新見も苦笑い。
「よっぽど疲れていたみたいですね」
エレベーターに乗り込んで部屋に着くまで二人は無言で、新見にいたっては伊勢崎に完全に身体を預けていた。いつもならこの逆をやっていたのだな、とぼんやり彼は思い、居心地のよさに酔った。
「さあ、着いた」
鍵を開けて部屋に入ると、セミダブルのベッドがあるシンプルな室内だった。
「ビジネスホテルだから色気はないけど許してくれ」
新見の考えを察したように、伊勢崎は言ったが、彼は笑った。
「あなたの家のほうがよっぽど色気がありません」
「はは、言うじゃないか」
そう笑い合って、ふと視線が絡まった。
自然と伊勢崎の顔が近づき、新見も瞳を閉じた。
「う・・・ン」
しっとりとしたキス。新見はこのキスは嫌いじゃなかった。伊勢崎の手は新見の腰をしっかり抱き寄せていた。腰と腰が密着して、相手の硬さを新見は感じた。
「ふ」
自分の鼻に抜ける声で興奮してくる。自ら舌を絡め、戸惑う伊勢崎の口中を弄る。
相手の硬さに興奮して、自分も硬くなるのが分かった。伊勢崎は気づいたのだろう。新見が薄目を開けると、相変わらず戸惑った顔をしていた。
唇を離すと、彼は予想通りの台詞を吐いた。「疲れていたんじゃなかったのか?」
「疲れているからこそってありませんか?」
腰を抱かれたまま新見は意味深に笑って見せた。
「ベッドに行く気は?」
「ないですね」
それで二人の意志は通じたらしい。
伊勢崎はそっと新見の股間に触れると、その形を確かめるように指を動かす。
「いやらしい触りかた・・・するん・・あっ」
新見は急に乱暴に握られて思わず声を上げた。
「硬くなってるよ」
ゆっくり長い指がスラックス越しに新見のそれに触れている。一体どれくらいしていなかったっけ、と新見は考えながら、股間に集まってくる快感を追いかけていた。
「呼吸が荒いね、もっと触って欲しいのか?」
こういういやらしい聞き方は本当にオヤジだな、と彼が思わず苦笑すると、伊勢崎は何かを察したらしい。ぎゅっとまた握られた。
「あっ、」
「・・・今馬鹿にしただろ、俺のことを」
「そ、そんなこと・・・な」
伊勢崎は苦しげな新見を楽しげに見つめた。肌が女のそれより綺麗で、苦しそうに寄せられている眉間の皺が興奮を煽った。ほんのり赤い唇からは常に荒い呼吸が漏れていて、舌が見え隠れしている。
思わず乱暴に口付けをすると、驚いたように握っているものがぴくんと跳ねた。
伊勢崎は相手の口中を蹂躙しながら、ゆっくりと新見のそれを取り出した。自分以外のものを触ったことはなかったが、意外と抵抗はなかった。硬く暖かいそれを擦ると、自分のものも興奮した。
「あっ、もっと、もっと強く・・・!」
新見の乱れ方は自慰のそれに似ていると伊勢崎は思う。新見の手は自然と温もりを求めて伊勢崎のシャツを捲って背中に触れる。立てられる爪。
「あっ、あっ、あっ」
伊勢崎の手の動きに新見のリズムが合ってくる。腰が勝手に動き出し、手の動きとシンクロする。ガタガタを崩れていく膝を庇いながら、伊勢崎は彼の体重を支え、扱き続けた。
「ああっ、いいっ、いい・・・ん」
男がここまで色気を出していいのか、と伊勢崎は眩暈がした。新見は顔を伊勢崎の胸に押し付けて「はあっはあっ」と荒い息遣いをはき続けた。
やばいな、と伊勢崎は思っていた。彼自身は一回イッているので、まだ新見よりは冷静だった。このまま続けていればスーツが汚れることを危惧した。自分のものはいいとして、相手は明日も会議だといっていた。一度汚すと簡単には落ちないことを彼は経験上知っていたのだが、新見はもう止められない状態にまで昇りつめている。それは伊勢崎の手の中にあるものの熱さが物語っていた。
しかたないかなと伊勢崎は内心苦笑いしながら、そっと支えている腰の手を緩めた。
がくがくいいながらも新見の膝は彼の体重を支え続けた。ゆっくりと気分が萎えないように、伊勢崎は姿勢を低くしていく。そして彼は膝を床につけると、新見のそれを咥えた。
「ああっ」
新見はその瞬間、思わずぐいと腰を進めて、伊勢崎の口中にそれを押し込んだ。そして今度は間髪いれずに彼の頭を持って前後に動かす。
「はあっ・・ああ、あぁ・・・んぅ」
本当に俺はセンズリの手伝いだな、と伊勢崎は口を犯されながら思っていた。喉の奥まで突付かれて、ぐうと吐気がこみ上げたが、それ以上に下から見上げる新見の姿は扇情的だった。こんな姿が見れるなら、もっと奉仕してやりたいとさえ思い、自ら新見のものに舌を絡ませ、しゃぶった。
しゃぶり、舐め上げ、優しく噛むと、新見はびくっと腰を振るわせた。
「ああ、いく、いくっ・・・う」
と、泣きそうな悲鳴を上げ、勢いよく口中にその精を開放させる。伊勢崎の喉に初めてそれは注がれ、その苦味と独特の匂いに犯された。ところが、彼は嫌がりもせずそれを味わい、舌で綺麗に掃除までした。初めての行為だったのにもかかわらず、伊勢崎は満足で、しかも幸福感を感じていた。女を抱いていてもこんな感情にはならなかったな、と意外な感情に戸惑ったりするほどに。
そして新見もまた、自分の行動に戸惑っていた。放心したように、伊勢崎の頭を抱えたままだったが、ふと我に返って目の前で膝をついている男の髪を整えた。会った時とは違い、後ろに撫で付けた髪が乱れていた為だ。
視線が交差する。
「すみませんね」
真っ赤な顔、潤んだ瞳、赤く充血した唇を新見はしていたが、出てきた言葉はひどく冷静だった。
「どうして謝るの」
「あなたを利用してしまったようで」
彼は甘い嘘をつくような男ではなかった。現に伊勢崎のことを特別視する気は相変わらずない。この行為を勘違いして、今日のように急に電話をされては甚だ迷惑なのだった。
スーツ姿でそんな新見に跪く男は、そんな言葉を受け止めて、別に気にした風でもない。
「まあ、いいさ。俺も下半身に対してはだらしないからな」
などと自嘲した。伊勢崎自身、これが新見の好意から発生したものだとは思っていなかった。あの欲望の追いかけ方では、相手は誰でもよかったのだと簡単に想像できる。
「お互い疲れていたのさ」
伊勢崎はゆっくりと立ち上がると、そう慰めるように新見に言った。彼もまた疲れていたのだ。あの園田との一件で精神的に。
「シャワー借ります」
新見は伊勢崎の瞳の奥によぎった憂いを見て見ぬふりをしてユニットバスのドアを開けた。振られたと言っていたから、彼もまた特別な心理状態にあったには違いないが、そんなものに馴れ合うつもりは更々ない。
新見はスーツを脱ぐと、ハンガーにかけてトイレの天井につるした。そしてバスタブに足を入れると、勢いよくカーテンを引く。
シャワーを浴びながら先ほどの行為を反芻すると、また熱いものがこみ上げてくるのを感じた。
「信じられないな」
新見は自分の欲望の炎がまだ消えきっていない現実を突きつけられて、一人愕然とし、そして嘲笑った。
新見がシャワーを浴びている頃、伊勢崎は同じくスーツを脱いでトランクス一丁のままベッドに腰掛けていた。
行為に没頭していた新見は激しく淫らだったというのに、終わった途端のあの冷静さは何だろう。まるでオンとオフのスイッチでもあるかのような反応だった。過去自分が抱いた相手でもあれだけ露骨な表現をした相手はいなかった。伊勢崎は少なからず傷ついていた。
「まあ分かっていたことだがなあ」
頭をばりばり掻き、自棄になって布団に潜りこむ。新見とてベッドから追い出すことはしないだろう。この部屋にはソファーすらないのだから。
心が寒いねえ、とオヤジくさく独白していると、ドアが開いた音がした。何気なく目をやると、全裸の新見の姿。
「あ、あれ?」と動揺すると、軽蔑したような目で新見は伊勢崎をねめつけた。
「勘違いしないで下さい」
「え、」
「着る物がないので裸で寝るしかないでしょう。もう僕は本当にクタクタです。お約束通り寝させていただきますよ。明日は早いんです」
「ああ。そうだね・・・」
あまりの剣幕に伊勢崎は辟易したが、新見はそんな彼の反応を無視してベッドに潜りこんだ。
伊勢崎に背中を向けて新見は眠った。相手を意識して眠れないのではないか、という危惧は徒労だった。自分以外の体温は暖かく、癒されることを彼は知った。性別なんか関係なく、スキンシップっていうのは大切かもしれないと眠りに落ちる刹那、彼は思った。
置いてきぼりを食らった伊勢崎は、宣言通りあっという間に寝てしまった新見を見て、よほど疲れていたんだなと苦笑した。
ぐっすり警戒心なく眠るその顔は、少年のようにあどけない。伊勢崎は目の前の綺麗な白い背中にそっと触れた。その肌は吸い付くように彼の手に馴染んだ。思わず背中から抱きしめてみる。暖かい新見の体温を感じて、幸福感を感じた。
なんでだろうな、と伊勢崎は首を傾げる。今まで男なんかに興味はなかったし、女性に不自由もしてなかった。しいて言うなら、園田と同じような立場であったはずだった。事実今まで、そう、本当に今朝までは園田の論理を理解していた。
けれども彼女とのセックスが終わった途端何かが変わった。眼前の女性の考えがまるで理解できなくなった。
きっと俺の想いは、今度も届かないだろうと、伊勢崎は目を閉じる。
恋のように新鮮で分かりやすい感情がなくなったのはいつの日だろう。自分の気持ちが表現できないという日がくることなんて、若い頃には思いもしなかった。
胸に新見を抱きながら、伊勢崎はゆっくりと深い眠りに落ちた。
朝、最初に目覚めたのは、新見だった。眠る時確かに彼は、伊勢崎に背中を向けていたのに、起きて見れば目の前に無精ひげの生えた男の顔があった。
その寝顔を見て、彼は微笑み、そっとベッドを抜け出した。時計を見ると、朝6時。
カーテンから漏れる細い光を見て、今日は晴れていることを知る。そして、予想外にすっきりしている自分に驚いていた。
顔を洗って歯を磨き、ヒゲを剃りながら昨日吊るして置いたスーツ類をチェックする。ほどよく湿気ていたせいか、きちんと皺が伸びていた。
ざっとスーツを羽織り、ネクタイを締めかけた所で、しまったと気づいた。せっかく皺が伸びてもネクタイが同じではまた何らかの嫌味を課長から言われそうだった。取引相手の男とホテルにいました、と言ったら彼はどういう顔をするだろうか、と自虐的なことを考えながらも自然と身体が動いていた。
乱暴に丸められた伊勢崎の抜け殻の奥で、彼が昨日締めていたネクタイを引っ張り出した。よく見ればそれはブランド物で手触りが良かった。
「お借りしますよ」
口を開けてだらしなく寝ている裸の男にそっと言う。手早くネクタイを締めると、スーツの色によく合った。
さて、今日も頑張ろうか。
部屋を出る際、姿見で自分の格好を再度チェックすると、新見は何事もなかったように、軽い足取りでドアを開けた。
了