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以下の小説にはBL・やおい・耽美と呼ばれる表現が含まれています。

20.未来を描く

20-2/2

「ちょっと、何やってんのよアンタ」
 急に声を掛けられて顔を上げると、腰に手を当てて踏ん反り返っている坂下が立っていた。下から見上げると、SMの女王のような威圧感がある。
「えーと。・・・いや、別に」
「は?なんでもないのに廊下に座り込む馬鹿がどこにいるのよ」
 せっかく心配してやったのに、と坂下は唇を尖らせた。そして腹いせに回りに散らばっている資料を踏んづけ出す。
「あ、わ、なんてことすんですか」
 溝口は目の前の惨事に慌て紙をかき集めた。途中何人もの社員が苦笑いを浮かべて通り過ぎていく。とにかく目立つのは御免だと溝口は乱暴に資料を抱えると素早く立ち上がる。ドアの向こうが気になって仕方がないが、ここで耳をそばだてるわけにもいかず。
 坂下を無視して資料を抱えたまま企画課に戻ろうとしたのだが、彼女は「ちょっと待ったぁ」と溝口の耳を引っ張った。
「い、いてて。なにすんですか」
「アンタ、一つ忘れてるでしょ」
「は?」
「昼間の報告がまだよ。わざわざアンタのこと帰らないで待ってたんだから」
 こりゃあ解放されるのにはしばらく掛かりそうだ、と溝口は観念した。報告するといっても一体電話で何を話していたっけと記憶を探る。ずいぶん上條が親しげで、嫉妬する様子もなく新見の動向を、とまで思い出し、思わず「あ」と声を上げた。
「なによ?」
 坂下は急に声を上げた溝口に戸惑った顔をしたが、彼自身、これを彼女に言っていいものか迷った。昼間の電話で、上條は相手の男にアカシヤで待っているように告げていたのだった。上條の言うとおり男が待っているとは限らないが、今何かが行われているドアの前で長時間立っているのは居心地が悪い。というか落ち着かない。
「実は、例の男がアカシヤで新見のこと待ってる、かも?」
 溝口がぼそりと呟くように言うと、坂下は途端に目の色を変えた。
「どーしてそれを早く言わないのよッ!」
 興奮したように声を上げると、坂下は今にも走り出しそうな体勢になった。
 溝口がやっと解放される、とほっとしたところで「何やってんのよ、アンタも来るのよ」と再び坂下に怒鳴られた。
「ええ?」
「アンタだって気になるでしょ。行くわよッ」
 ええっ?と溝口は半ば引きずられるようにしてアカシヤに向うことになってしまった。それでも溝口は、ドアの向こうの二人のことを彼女に知られなくてよかったとホッとした。これ以上話をややこしくすることはない。
 それにしても上條の態度に溝口は納得がいかなかった。どうしてあんな敵意を見せられたのか。仕事とプライベートは区別するタイプだと思うが、翌日以降もあれをやられてはたまったものではない。
「参ったな」
 そう一人呟き溝口は頭を抱えたのだった。

 その頃、伊勢崎と川村はアカシヤに到着していた。伊勢崎はスーツ姿。川村は相変らずのラフなTシャツ姿で、傍から見れば不思議な取り合わせである。
「なんで俺まで」
 アカシヤに入るドアに手を掛けながらも川村は唇を尖らせていた。
 なぜ彼がこの場にいるのかといえば、それは伊勢崎に猫撫で声で頼み込まれたからであった。
「だって気まずいんだもん」
 だもん、じゃねーよ。と川村は文句を言ったが、目の前の伊勢崎がここ数日どれだけ一喜一憂していたのか知っていただけにむげにはできなかった。しかし、電車に乗ってわざわざT町くんだりまで来ると、やはり自分のお人よし加減にウンザリしてくる。
「オムライスね!奢ってよ!」
「もちろんだとも」
 任せとけとばかりに胸を張った伊勢崎を見て、川村ははぁとため息をついた。なんと手のかかるオッサンなのかと。
 アカシヤという店は、昔ながらのレストランという風情だった。椅子とテーブルが均一にならんでおり、四人掛け、六人掛け、カウンター席とあったが伊勢崎は一番奥ばった六人掛けの席に腰掛けた。広さを取ったというよりは、窓側で一番隣のビルを観察しやすい席を選んだだけのことだった。
 店は夕飯には少し早い時間だったので閑散としていた。水を持ってきた店員にコーヒーとオムライスを注文すると、伊勢崎は必死に窓の外に眼を凝らし、新見を見逃すまいと視線を動かす。
 そんな姿を横目で見ながら川村は呆れてため息を付いた。この伊勢崎というオッサンはよほど新見にご執心らしい。なにせ、今日はいざ会いに行くと決まったときから眼を輝かせて、いそいそと身支度を始めたのだから。
 川村はその豹変ぶりにずっと口を開けていた。なにせ普段はだらしない男が髭を剃り、髪を整え、ブランドスーツに袖を通したと思ったら、目の前にはモデル並みの長身が立っていたのだから。たまに女性と歩いているのを見たことがあるが、間近に見ると更に迫力があった。新見は中性的な美形であるが、伊勢崎の場合は、男らしさが前面に出ている。隆々とした厚い胸板も広い肩幅も、男の自分がうらやむくらい。
「さぁ行くか」
 そう笑った顔を見て、こりゃあ並大抵の女はイチコロだろうなと思った。そう女なら。
 川村は伊勢崎という男が節操がないのを知っている。なにせ、何度か町で出くわした時は老若男女、一度として同じ相手と歩いていなかった。まるで雑誌の表紙を飾るがごとく、女性に腕を貸して優しげに笑いながら颯爽と歩くその姿は、本当にあのボロ屋に住んでいるオヤジと同一人物かと自分の目を疑うほどだった。
 だから伊勢崎が新見という男にご執心なのも頷ける。男であろうと美しい人間を振り向かせたいと必死になるのは伊勢崎の性なのかもしれない。
 でもなぁ。と川村は危惧することが一つある。
 伊勢崎はゲーム感覚で挑んでいるかもしれないが、川村の勘から言って、新見は本物である。本物というのは、本当に男性でもイけるクチということであり、しかも素直に従うような人間ではないということだ。新見がもし伊勢崎の好意を受け入れたとして、本当に肉体関係にまで発展したとしたら、伊勢崎の貞操こそが危ういことをこのオッサンは認識しているのだろうか。余計なお世話かもしれないが、川村は川村なりに伊勢崎を心配しているのだった。
 注文したオムライスが届くまで川村がちびちび水を飲んでいると、隣のビルから続々と退社する職員が溢れてきた。伊勢崎は待ってましたとばかりに携帯に手を伸ばした。新見に連絡をとろうとしたらしいが、今回もまた無視されたのか小さな舌打ちと共にテーブルに携帯が放り出された。そして再び目を皿のようにして退社していく面々を見詰めている。やれやれ、と川村がその熱心ぶりに呆れていると、一際目立つ一団がこちらのビルに向かって歩いてきていることに気がついた。女性三人に囲まれて茶髪の男性が歩いてくる。一見するとモテているように見えるのだが、近づいてくるにつれてどうやら違うらしいことが分かった。明らかに男性は迷惑そうな表情で、女性たちが強引に男性の両手を掴み引きずっている。
 アカシヤのドアが開くと同時に女性特有の甲高い声が店に響き渡った。
「あーっ、もう、往生際が悪い!男なら対決してやるってぐらいの勢いがなくてどうすんの」
 赤縁の眼鏡をつけた女性が喚き、ショートカットの女性は「全くイライラさせるわね」と眉間に皺を寄せていた。もう一人の背の低い女性はきょろきょろと落ち着きなく「ね、いるかな。いるかな」と楽しそうだった。
 四人は身体を寄せ合ったまま店内を歩いていく。うるさいなぁと川村が視線を向けると、その男に見覚えがあった。あの時新見と電車に乗っていたイケメン係長がそこにいた。
「あ」と川村は思わず溝口を指差した。その声に反応したのは伊勢崎で、どうしたとばかりに店内に視線を戻す。見れば、テーブル脇に女性三人をはべらせた茶髪の男が突っ立っていて、自分を見下ろしていた。三十台半ばぐらいの優男で軟派な印象が漂っている。
 どこかであったことあるかな、と伊勢崎が記憶の引き出しを開けていると、どん、と脇腹を川村が肘で突付いてくる。そこは過去新見の回し蹴りを喰らってヒビが入った場所であり、伊勢崎は顔をしかめながら「お前、わざとだろ」と文句を言った。
「何言ってんの。この人だよ、例のイケメン係長」
「なに?」
 伊勢崎が改めて男を見ると、彼は何か思うことがあるのか途端に顔色を変え、額に冷や汗を吹きあがらせた。
 ふぅん?
 伊勢崎は嫉妬心を腹の奥に押し込めて笑顔を作ると、立ち上がった。
「どうも初めまして伊勢崎です。どうやらこの小僧がお世話になったようで」
 伊勢崎は溝口と握手をかわすと、隣の川村の頭を強引に下げさせた。もちろんグイグイ頭を押された川村はたまったものではない。
「別にお世話になってない」
 テーブルに頭を押し付けられて憤慨しながらも川村は文句を言う。それを弁護するように溝口も慌てて口を開いた。
「あ、彼の言うとおり一度電車内でお見かけした程度でして。確か彼がライブ会場に向う途中だったと思うんですが」
「ライブっていったら」と伊勢崎は視線を動かして川村を見た。「ああ。N町んとこの」
 伊勢崎は納得したように川村の頭から手を外す。途端に憤慨した川村が唇を尖らせたが、伊勢崎は意に介さず。
「N町の路線といったら、確かO線ですよね。ご出勤大変ですね」
 確かに郊外行きの電車ではあるが、それほど溝口のアパートは遠くない。首を振ってそう答えると、
「とするとS町、H町辺りですか」
「え、ええ・・・そうです」
 頷いてから、溝口はどうにも居心地の悪さを感じていた。川村と出会った時の経緯を話しているはずなのだが、なんだか危うい方向に誘導されているような。
 そんな溝口の不安を他所に、伊勢崎は楽しそうに言葉を繋ぐ。
「H町といえば、数ヶ月前に花火大会があったでしょう?私、そこに行ってましてね。河川敷に座りながら見る花火は絶景でしたよ。行かれましたか?」
「いえ。あいにく」
 菅野たちが行ったと言っていた花火大会のことだ。新見と身体を交わした日の話題を持ってくるとは心臓に悪い。いや、本当に偶然か?
「おや。お近くなのに勿体無い。私だったら年に一度のイベント、絶対に逃しませんけどね。そういや連れを家まで送っていく帰りにS町で新見を見かけたんですよ。彼の家、もしかしてあの辺だったのかな。ご存知ですか?」
 この一言に溝口は言葉を詰まらせた。どう答えるべきかを一瞬にして考える。
 知らぬ存ぜぬでいるべきか。しかし電車で一緒だったことを川村青年に見られているので全く知らないというのも不自然である。ではあの近くだと嘘をつくか。その場合、もし伊勢崎が実は新見の住所を知っていたら益々おかしな具合になる。ここは一つ本当のことをいうべきではないのか。もちろん伏せるべきところは伏せて。
「ああ。あの日は俺のうちでメシを喰う約束をしてまして。花火大会があったならそっちに行くのもよかったですねぇ」
 我ながら害のない言葉だと安心したのも束の間、伊勢崎の目つきが急に変わった。口元は口角が上がったまま。
「へぇ。なるほど。ずいぶん仲がいいんですね。メシの後にシャワーをお貸しになるぐらい」
「へ?」
「彼、出会った時に髪が濡れていたんですよ。家が近くじゃないのならあなたのところで入浴でもされたのかと。違いました?」
 溝口は頭が真っ白になった。完全に嵌められた。目の前の伊勢崎という男はこういう知略に長けた男であるらしかった。精悍な顔立ちの裏に嫉妬に燃える炎が見える。
「で?いかがでした?」
「い、いかがとは?」
 分かっているが聞かずにはいられなかった。
「もちろん新見ですよ」
 笑顔で尋ねてくる伊勢崎の何たる威圧感。奥の椅子に座る川村青年は呆れた様子でこちらを見詰め、周りの菅野たちもどうするつもりなのかとこちらをうかがっていた。溝口は正直この場から脱兎のごとく逃げ出したい衝動に駆られた。新見の誘いに気軽に受けたのが間違いだったのだ。
「ち、違うんです」
「違う?何が?」
「ご、誤解ですよ。俺はあいつに手を出してなんか」
 そうである。誘いに乗ったのは自分だが、最初にアプローチしてきたのは自分ではないことを告げれば、少しは収拾がつくかもしれない、と溝口は混乱した頭で考えた。そして咄嗟に出た言葉が。
「だってやられたの俺の方ですもん!」

読了ありがとうございます!

溝口のヘタレ具合に笑っていただければ幸いです。

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