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以下の小説にはBL・やおい・耽美と呼ばれる表現が含まれています。

20.未来を描く

20-1/2

 新見が終業後にアカシヤに立ち寄ると、その妙な状況に絶句して立ち止まった。お世辞にも広いといえない店内の一区画で、見慣れた顔がずらり。
「あ、来た来た。新見くーん」
 アカシヤの六名掛けのテーブルから身を乗り出して手を振ってくるのは、経理の菅野だ。おそるおそる近寄ってみると、菅野の隣にはもちろん坂下や坂東もいる。いや、新見が驚いたのは彼女らの向かい側に座っている三人だ。
 真ん中の伊勢崎の左隣には、強引に肩を組まれてゲンナリした顔の溝口がいて、右側には川村が大口を開けてオムライスを食べていた。
 どうしてこの面子が一緒にいるのか混乱した新見だったが、様子を見る限り、伊勢崎は機嫌がいいらしい。鼻歌を歌うような調子で溝口をからかっている。
「あの、もう勘弁してもらえませんか。俺まだ仕事の途中でこれから工場の奴らと打ち合わせが」
「あっそう?新見も来たことだし、頑張ってね、仕事」
 伊勢崎は上機嫌のまま溝口を解放した。彼は逃げ出すように椅子から立ち上がると、新見の不思議そうな視線を避けるように出口に向おうとする。思わずすれ違い様に新見が腕を掴むと、溝口は困った顔をした。
「手ぇ放して?」
「この状況を説明してくれたら」
「あのオッサンの目が怖いから勘弁して」
 言われて振り返ると、伊勢崎が暗い目でこちらを見ていた。新見と目が合うなり、過剰なほどに笑顔になったが。
「説明してください」
「察してくれ」
 情けない声を出して眉をへの字に曲げた彼を見て、新見は顔をしかめた。「まさか喋ったんですか?全部?」
 責めるような新見の声に溝口は両手を挙げた。改めて回りのメンツを見回して、伊勢崎や彼女らがニヤニヤと笑っているところを見るとどうやら筒抜けのようで、これには新見も呆れてしまい、思わず「プライドはないんですか」とぼやいてしまった。
「まぁまぁ新見くん。溝口くんを責めないであげて。それだけあなたに魅力があったってことなんだから。ねーぇ?」
 にっこり笑って同意を求めた菅野の言葉に溝口はがっくりと項垂れたのだった。

 ことの起こりは、昼休中の溝口に内線が掛かってきたことだった。
「はい。企画課」
 溝口は、今度の新製品の書類を眺めながらおざなりに内線電話を取った。番号通知を見れば総務課からで、おそらく工場からの外線だろうと思った。新製品の企画を工場に上げると、二三回、あるいはもっと電話がくる。ほとんどが「無理だ。ふざけるな。現実を考えろ」という工場長からの文句ばかりだが、それを上手く言いくるめて折り合いをつけるのが、係長たる自分の役目だった。
 時間的にそろそろ来てもおかしくなかったので、てっきりそうだと思っていたのだが、耳をついたのは興奮した女性の声だった。
「ちょっと、大変ッ、大変ッ」
 いきなりそんなことを言われて溝口は改めて電話を眺めた。確かに総務課の番号が表示されている。いったい何を言っているんだ?と首を傾げたところで、「ちょっと聞いてるの溝口くん!」と叫ばれてようやく理解した。
「もしかして坂東さんですか?」
「そう!わたし!ねぇ!今上條係長が電話で喋ってるでしょ?」
 興奮そのままにそうまくし立てられて、溝口は呆気に取られながらも営業課の方に視線を向けた。確かに上條が電話で喋っているようだが。
「そうみたいっすね」
「なにのん気な声出してるのよ!ライバルなんだよ!溝口くんの!」
「は?」
「だーかーらぁ。絶対新見くん狙いの男の人なんだって」
 その根拠は何かと尋ねると、明らかに取引先の相手ではない二人が電話口で言い合っていたからだという。
「ふたり?」
「そうなの。一人は喋り方から言って学生かなー。もう一人は低い大人な感じの声でぇ。あ、もしかしたらさ。前に、ここに新見くんを迎えにきた男性がいたって坂下ちゃんが言ってたでしょ。あの人かも。声のイメージぴったりだしー。でもちょっと口調が軽いかなぁ?」
 ぼそぼそと思案しているらしいユリカの声を聞きながら溝口は呆れた。イメージといっても会ったこともない相手をよくそこまで妄想できるもんだ。しかしながら、電話の相手が誰であれ、どうやら新見の知り合いであるのは間違いないらしい。新見の職場以外の交友関係か。確かに気になりはする。
「どうせ溝口くんご飯行かないでしょ?ちょっと分かる範囲でいいから観察しておいてよ。ねぇ聞いてるー?」
 ユリカが何か言っていたようだったが、溝口は「あーはいはい」とぼんやり口にしながら電話を切った。彼女に言われるまでもなく、溝口の注意力はもう上條の方に向いていた。微かに聞こえる上條の応対は、新見の不在を告げているようだが、知らぬ相手と話しているにしては口調が砕けていて、何よりも弁当を食いながら片手間に応対するなどいつもの上條にはありえないことだった。どうやら電話の主は上條の知り合いでもあるらしい。
 彼にばれないように書類に何かを書くふりをしながら耳をそばだてていると、なにやら楽しそうに会話が聞こえてくる。皮肉った笑いを交えつつも親しげなその様子に溝口は複雑な思いがした。内容を聞く限り、上條は相手の男が新見と特別な関係であることを知っている口ぶりだ。新見が以前口を滑らせたところによれば、上條も新見とキスぐらいはしている間柄だそうだが、嫉妬している様子はない。
 もしかして意外にそういうことに寛大なのかな、と溝口が何気無く上條の左手に目をやったところで絶句した。いつも薬指に嵌めていたはずの結婚指輪がなくなっていた。いったいいつからだ?と動揺しながらも記憶を探ったが思い出せない。もしかしたらあの噂が流れたときにはもう家庭とは疎遠になっていたのだろうか。 
 溝口は初めて新見に触れた時の事を思い出した。妖艶な空気。酔って潤んだ瞳。隣に寄り添う熱い体温。滑らかな肌。湿り気帯びた喘ぎ声。
 まさか新見に誘惑されて離婚したわけじゃないだろうな。
 溝口は他人事ながら心配になった。新見は自分と同じで中々の博愛主義者だ。セックスしたからってイコール恋人だという発想ではないだろう。しかし上條はどうだろう。いかにも堅そうな頭でそれが理解できるだろうか。
 新見ぃ、お前罪だよ。
 勝手に上條に同情しつつもデスクに頬杖をついて、右手でくるくるとボールペンを回していると、耳に大きな上條の笑い声を受けてぎょっとした。見れば、あの上條が米粒を飛ばしながら大声で笑っているではないか。
 溝口はあまりの珍事件に固まったが、上條自身は周りの反応など意に返さず電話の向こうの相手に「いい年して何をやってる」と笑いの残った顔で告げていた。そして左手を感慨深げに眺める。
 本当に仲がいいんだな。と溝口は上條の横顔を見ながら思った。乱れなく整えられている黒髪。銀縁の眼鏡の向こうにある切れ長の瞳が今は下がっている。口元と目尻に笑い皺。ああ、あのいつも嫌味しか言わない課長でもこんな一面があったのかと溝口は新鮮な思いがした。
 そんな風にぼんやり見ていたのがいけなかったのか、上條の視線が一瞬こちらを向いた。
 あ、やべ。
 盗み聞きしているのに気づかれたら後で何の嫌味を言われることか、と溝口が慌てて視線をそらすと、上條は不愉快そうにクルリと椅子を回して背中を向けてしまった。会話も一段と小さな声になり、以後一切聞こえなくなってしまう。
 あーあ。
 溝口がため息を付くと、昼休みが終わったらしく続々と企画課の面々が戻ってきた。
「係長、工場長から電話ありました?」
 普段から工場長に口うるさく言われている後輩の言葉に溝口は「あーまだ来てないな。そろそろじゃないか」と相槌を打った。ちらりと横目で営業課を見れば、上條は既に電話を切っていて視線をデスクに向けていた。しかし先ほどの明るい雰囲気とは違い、ピリピリとした近寄りにくいオーラを出している。
「なんか、上條課長怒ってません?また何かあったんですかね」
 溝口の視線に気づいて後輩がこそっと言い、怯えた顔で席に戻っていった。溝口は首を傾げる。先ほどまで楽しげに話していたのに一体何があったのだろう。急に空気が変わっている。
 気になってはいたが、本人に問うわけにもいかない。
 電話が鳴り、受話器を手にすると、今度こそ工場長からの外線だった。周りの面々にようやく来た、と苦笑いを向けると、溝口は「繋いでください」と交換係に告げた。
「おいお前何考えてやがるんだ?何度も言わせんじゃねぇよ!」
 間髪いれず耳をつんざいた工場長の怒鳴り声に、溝口は広げていた資料を見ながら説明を開始した。予想通り何度も電話は鳴り続け、重箱の端をつつくような質問を繰り返す工場長との問答は途切れることはなかった。
 そんな問答が途切れたのは終業過ぎで、溝口は壁の時計を見て、ようやく終わったかとため息をついた。 
 毎回のやり取りとはいえ、何とかならないものなのかとうんざりした。新商品の立案をするだけで翌日は電話対応で一日が潰れる。お陰でやりたかった仕事は一つも手につかず。
「お疲れ様です」
 同僚や後輩たちは溝口に同情の視線を向けながらも席を立った。
「じゃあ、すみません。お先に失礼します」
 遠慮がちに頭を下げていく面々に「明日は我が身だぞ」と冗談めかして送り出してやる。彼らは彼らで、今後上層部、営業相手のプレゼンテーションの準備がある。休めるのは今しかないのだった。
 溝口はもう一度電話を眺め、鳴らないことを確認すると席を立った。口に煙草をぶら下げて喫煙所に向う。古ぼけたソファーに腰掛けて火を点けると、どっと疲れが出た。 
 煙草を咥えたまま天井を仰ぎ、ふうと煙を吐くと緊張が解れていく。しかしそれと同時にカッカしていた頭が冷静にもなってきた。先ほどまで一方的に工場長に怒鳴られて反論ばかりしていたが、彼の言い分にも一理あることに気づいたのだった。
「くそぅ」
 溝口は一人声を出すと、煙草を灰皿に押し付けた。工場長に言われた部分の確認をしようと腰を上げる。終業時間を過ぎてはいるが、気になるのだから仕方がない。溝口はいつもそうだった。何だかんだいって一、ニ時間は平気でサービス残業で、それというのも彼自身、気になることを放っておけない性質なのだ。
 足早に企画課に戻り、デスク周りの資料を確認する。しかし、肝心の問題部分の説明がのっている資料がない。
 こりゃ資料室か。
 溝口は今度は資料室に飛び込んだ。埃っぽい個室の電気をつけて、背の高いキャビネットから資料を出してその場でパラパラとめくる。なるほど、あれがこうなっている為か、と納得しながら、今度は別の資料を手に取る。そうやっているうちに段々足が疲れてきた。資料も分厚いものが多く、手まで疲れる。
「俺、何やってんだろ」
 ふと我に返って溝口が苦笑いしたところで、資料室のドアが開いた。こんなところにくる人間など珍しい、と顔を上げると、そこには新見の姿が。
「よ」と溝口が手を上げると、新見は不思議そうな顔で「どうしたんですか?」と尋ねてくる。
「ちょっと新製品の繊維の件でねー」と溝口が言うと、「お疲れ様です」と新見が同情した声を上げた。工場長が厳しい人間であることは社内では有名であったので「はは」と溝口は苦笑を返してやる。
「お前の方は?」
 新見がキャビネットから資料を取り出しているのを見て、溝口が尋ねると、彼もまた商品についての資料を探しているのだという。
「今日、営業にまわったんですが、繊維に練りこんである、香料の、えーと何でしたっけ」
 溝口はその続きを待ったのだが、彼はそれ以降資料に目を落として言葉を切ってしまった。どうやら探しているものを見つけたらしく無我夢中で読んでいる。彼も自分と同じで資料を立ち読みするタイプだと知って溝口は思わず笑ってしまった。
 邪魔しては悪い、と溝口はニ三資料を取ると、脇に抱えた。自分はゆっくり自分のデスクで読むとしよう、とドアを開ける。そこで思いもよらない人物と鉢合わせした。
「おっと」
 まさか出入口に誰かが立っているとは思っていなかったので、溝口は虚を突かれた。脇に抱えた資料がずれたので慌てて抱えなおすと、目の前には上條が突っ立っていた。
「あの?課長?」
 一向に動かない上條に不安を覚えて溝口が声を出すと、その薄い唇がふいに歪み、急に溝口の手に持っている資料が叩き落とされた。
 ファイリングしていたそれはバラバラと散らばり、溝口は慌ててしゃがみこむ。一体何が起こったのか分からなく、上條を見上げると彼は蔑むような目つきをしてこう言った。
「ホント、君じゃ役不足だ」と。
 白い細面の顔。銀縁眼鏡の向こうの瞳が暗く、冷たく自分を見下ろしていた。それは明らかに憎悪からくるもので溝口は言葉を失った。
 上條は静かにドアの向こうに消えた。鍵の掛けられた音が耳に響く。
 溝口はその場にへたり込んでしまった。一体何が起こったというのだろう。自分は彼に何かしただろうか、と考えて、資料室に新見と二人きりでいたことを誤解されたのかもしれないと思いついた。
 待て待て、と溝口は頭を抱えた。
 自分と新見が関係を持っていることなど、上條は知らないはずである。二人とも社交的なタイプだし、仲良く会話をしていてもそんな関係があるなど誰も勘ぐったりはしないだろう。第一、実際関係がありそうな男とは平気に話していたというのに、なぜ自分にはあんな敵意を見せるのか溝口には分からなかった。

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