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あの頃の松田へ

 中学時代の溜まり場は、屋上の貯水タンクの陰だった。教師たちは、屋上へのドアの南京錠が壊れていることも知らず、俺達がそこを溜まり場にしていることも知らなかった。
 俺がセブンスターで、松田がショートホープ、小林がマルボロ、橘がマルボロのメンソールを吸っていた。
「お前、メンソールはヤバイだろ」
「いい加減やめろって。アソコが駄目になるって話マジだって」
と、いつも橘のメンソールを攻撃することから始め、あきるまでそこで馬鹿話をしては解散した。一体何の話をしていたのかは、よく覚えてない。
 確か、あの当時、グリコ森永事件が世間を賑わしていて、どう考えても担任の佐伯がその指名手配のポスターにそっくりだ、犯人じゃないのかと校内で盛り上がっていた。誰か警察に通報しないかと密かに期待していたが、どうなったのだろう。犯人は捕まらぬまま時効を迎えた今、相変わらず謎のままだが。
「あーいう風にさ」と松田がぼんやり言ったのを覚えている。
 その時は、他の二人と別れて、ちょうど俺と松田が家に帰ろうと歩いている時だった。話題は実に最近の犯罪事情。別に社会が悪いとか、どうして減らないのかなどという、真っ当な話はしていなかった。ただ、俺たちが関心があったのは、平等に訪れるであろう「死」という符号だった。
「もし死んじまったら、一体何人が泣いてくれると思う?」
 難しい質問に、俺は「うーん」と唸った。取りあえず無難なところから攻めてみる。
「まずオヤは泣くだろ、間違いなく」
「ああ、それはなー。泣くぐらいしてくれるだろ。俺いい息子だし」
 松田は賛同した。
「あとはなあ。お前、姉ちゃんいたろ?家族は泣くだろ、フツウ」
 俺は松田を見て言い、「あとはなあ。マキちゃんとか」
 正直苦しい。具体的に言おうと思うと出てこず、松田の彼女をとりあえず上げてみた。
「ああ、女は泣いてくれるな。全然話したことなくっても」
 松田はうんざりした顔をした。そういえば、最近マキがよく泣いてどうしたらいいか分からないとこぼしていた。
「そんぐらいかあ?」と俺は言う。
「あとは、橘と」
「ああ、橘は号泣だな。小公女セーラで大泣きしたって言ってたしな、あいつ」
 松田は思い出して笑っていた。
 小学校の隣の駄菓子屋を通りすぎ、大きな白樺の木の向こうに松田の家が見えてきていた。雲が出てきていて、そういえば天気予報で雨だと言っていたなとぼんやり俺は思った。
「お前は?」
と、急に松田は言った。
「あ?」
「お前は泣いてくれねえの?」
 松田が俺を見ていた。今まで笑っていた軽い話題だったのに、急に重苦しい空気が漂った。気持ちが悪かった。
「泣くんじゃねーの?」
「なんじゃその疑問形は」
「縁起でもねえよ」と俺は言い放った。「ばっかじゃねえの」
 俺は苛々して言った。何急にマジになってるんだ、こいつ。
 家に着いたから松田は立ち止まったが、俺は何だか腹が立ったので挨拶も交わさず無視して歩き続けた。
「よう、明日全校集会あって30分はえーからな。忘れんなよ!」
 後ろから声が聞こえた。俺は振り返らず、「うっせーんだよ、ばーか」と返してやった。
「じゃあな!」と声がして、松田が家に入っていく音を聞いた。俺はふと立ち止まって振り返る。

 "なあ、死んじまったら俺のために何人泣いてくれるんだろうな"

 俺は自分のことで考えてみたが、情けないことに片手だけで事が済んでしまった。

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