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以下の小説にはBL・やおい・耽美と呼ばれる表現が含まれています。

リズム(仮)

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 会社というところは本当に面白いよね。学生時代とは違って色んな世代、色んな考えの人たちとの出会いがあるから。年上からのウケは昔からいいし、コツさえ抑えればこんなに付き合いやすい人たちはいない。気に入られれば、仕事は助けてくれるし世話も焼いてくれるしね。新人としてこの会社に入社した時は喋り方とか髪の色とか散々注意されたものだけど、最近は苦笑い交じりで「お前はホント仕方がない奴だなー」なんて言いながらも許してもらってる。まあ俺が甘えているんだけなんだけどさ。仕事は確かに忙しいし、いつも楽しいわけじゃないけど、それ以上に有り余る楽しさがある。
 ところがそんな俺とは対照的に愛想のカケラのない人もいる。俺がいる総務課とその人のいる経理課はドアを隔てた隣の部署なんだけど、現金を扱う為にいつもドアが閉じられていてあまり頻繁に出入りすることもない。ただでさえ顔も合わせないのに、終業後はさっさと帰って行く。俺みたいにだらだらと誰かとお喋りをしたりしない。飲みに一緒に行くこともない。
「愛想ないけど悪い奴じゃないから」
 お人よしの一人、秋山主任はそうその人のことをフォローする。結構正直な人だから本当なんだと思うけど。
 俺がその人、多田さんというんだけど、と初めて話したのは、入社してから一ヶ月とたった時だった。経費の書類が間違っていたらしく、隣の部屋から出てきた多田さんは少し時間を割いて丁寧に説明してくれた。
 なんというか、その喋り方で人となりというのが分かった。俺みたいに誰にでも不躾に話しかけたりしない静かな人で、要点だけを端的に話す。でも目はしっかりこちらを向いていて、俺が本当に理解しているのか逐一確認している。そんな人だった。
 俺はこういう人に憧れる。好かれたいな、と思ってしまう。でも昔から嫌われるんだよね、こういうタイプには。俺は沈黙ってやつが大嫌いでいつも喋っているし、嫌われるのが嫌だからいつもにこにこ笑っている。どうやら聞くところによると多田さんとは一回りも歳が違うらしいし、きっとあの人から見れば、俺みたいな人間はただのはしゃいだ餓鬼にしか映ってないだろう。
 そんな多田さんの意外な恋愛遍歴を聞いたのは、俺が入社してから初めての忘年会の席でのことだった。みんな一次会から結構お酒が入っていて、二次会になだれ込んだときには皆が好き好きに席に座って秩序なく喋っていた。俺は例のごとく皆に囲まれていて陽気に喋り、多田さんはバーカウンターのあたりで数名の偉い人たちと話しをしていた。
 なんで多田さんの話題になったかなんて分からない。きっと潜在的にあの人に興味があったから、酔った勢いで聞いてしまったに違いない。すると主任が「噂だけどな」なんて面白可笑しく喋り出したんだ。
「いや意外とプライペードで何やってるか分かんないぞ。男も女もイケるらしいし」
 女たちはキャーなんてヘラヘラ笑っていたし、俺も「またまたーまじっすかー」なんて合いの手を打ったけど内心は動揺して酷かった。なんだか色恋沙汰が全然想像できない人だったから。よせばいいのに主任は酔った勢いで、カウンターの向こうの多田さんに向かって大声を張り上げた。
「なぁー、多田ぁ、お前男とやったことあるって言ってたよなぁ?」
 その時は確実に空気が凍った、気がした。だって普段そういう下世話とは縁のない人相手に、しかも酔った勢いとはいえ皆がいる時に。しかし多田さんは大人だったようで、カウンターから苦笑しながら振り返ると、酒が回って陽気になっているこちらに向かって叫んだ。
「お前ら飲みすぎだ。まとめて朝まで介抱してやろうか?」
 まさかこんなノリのいい答えが返ってくるとは思わなかった。もしかして住む世界が違うだなんて卑屈になってたのは俺だけだったのかも。
「あ、オレ、オレ!介抱されたいっす!」
 馬鹿正直に立ち上がって右手を上げた俺こそ空気を読んでいなかったらしい。主任は馬鹿笑いをしながら俺の手をすごい力で引っ張ってくるし、多田さんは多田さんで全然会話したこともない俺なんかがそんなことを言い出したものだから、ぽかんとした顔をしていた。でも俺はこの時ホント気分よく酔っていて、明日は日曜で遠慮する必要もなかったので、この勢いのまま多田さんと仲良くなれたらいいなーなどと本気で思っていたのだ。
 会社の経費で落ちるのは二次会までだったので、三次会以降は各々が仲のいいメンツ同士で散っていった。俺はもちろん皆から誘われて行く気満々だったのだが、遠くで帰ろうとしている多田さんを発見するなり、彼の背中に飛びついた。
 ぎょっとして振り返った多田さんは俺の顔を見るなり「えっと梶取くん。なに?」と優しく笑顔を返してくれた。まあ今思えば酔っ払い相手だったからだと思うけど。
「多田さんもいきましょーよー。ワンコインバーですって!」
 俺がしつこくスーツの裾をぐいぐい引っ張るものだから、彼は呆れたらしい。遠くのメンバーに目を向けて苦笑いするとしぶしぶ三次会に付き合ってくれた。俺はこのことに更にテンションが上がり、多田さんの横に座ってべらべらと一人で喋り続けた。今まで少し苦手意識があったこと、でも憧れていること。今日は仲良くなるのが野望なこと。
「ずいぶん懐かれたもんだなー、多田」
 多田さんと同期の秋山主任はそうニヤニヤしながら、俺たちを放っておくことに決めたらしい。遠くの席で同期の女性たちと楽しく飲み出した。俺は主任たちと席が離れたことで、しめたと思った。
「ねえね」
「なんだい?」
 やれやれと苦笑いのまま多田さんは頷く。
「さっき言っていたことホントすか」
「さっき?」
「主任が言ってた、男の人とやったことあるって」
 ああ、そういうこと、と多田さんは苦笑いの上に、少し眉を潜める表情をした。一瞬のことだったけど。
「興味ありそうだもんね、キミ」
 多田さんが俺に対してそういう評価をしていると知ってちょっとショックだったけどあながち否定もできない。自分で言うのもなんだけど、上司に甘やかされていることをいいことに俺の外見はすこぶるだらしない。ベリーショートの頭は明るい茶色だし、いつもカラーシャツを着ているし、見る人が見ればきっとチャラチャラしているように思うだろう。まあ現にそういう下ネタ大好きだし。
「いいよ。聞きたいことがあったら答えてあげる」
「いいんすか?」
「だってそれ聞きたいから誘ったんでしょ」
 違う、と俺は言いたかったけど、聞きたかったのも事実なので「はあまあ。へへ」と笑いを返してみた。
「で、何を聞きたいの?」
 そんな呆れた顔の中に優しさを感じて、俺はべらべらと質問を並べた。馴れ初めからエッチの仕方まで。女役だったのか男役だったのか、本当に気持ちいいのか。
 噂では聞いていたけど、本当にアナルセックスは癖になるものらしい。でも残念ながらエッチというのは一人では出来ない。一人用の道具とか売ってるけど、俺趣味じゃないし。かといって知らない男とかとヤルのは怖すぎる。
「それで?」
「あのー、やっぱり知らない人より知ってる人の方が安心かなって」
 何よりも多田さんは俺の不躾な質問にも丁寧に答えてくれるくらいいい人だし、エッチも丁寧そうだし。べらべらと会社で噂するような人でもないし。ずいぶん自分勝手な主張だって思われるだろうけど、断る断らないは多田さん次第で、もしオーケーならラッキーぐらいのノリだったんだけど。
「キミの情熱に感服するよ。ま、嫌なら止めればいい話だしね」
 そうやって笑って承諾してくれた。
 三次会の後、俺は自分の1Kアパートに多田さんを誘った。
 お互いにスーツの上着を脱いでハンガーに掛けると、多田さんは俺の出方に合わせようとしているのか「さあどうしようか」と言って来た。
「あー。えーと」
 俺はどうしようかとテレながら思う。だってエッチの時ってそういう流れの中でするもので、さあやるか、ってもんでもないと思うし。
「お、お任せで」
 俺はガラにもなく上がってしまって、なんだか初めての風俗に行った童貞みたいに万年床の布団の上に正座すると、うつむいて目を閉じた。
 多田さんの気配は、ゆっくりと空気を揺らしながら俺の隣に座った。優しく大きな手が俺の頭を撫でている。よしよしって子供にするみたいで、俺がどうしようかと思っていると、ふいに右側の熱い体温を感じた。そういえば男とこんな近くで座ったことなどない。至近距離だと触れてもいないのに、こんなに体温が伝わるのかとドキドキしていると、頭を撫でていた指が耳に触れてきた。
「可愛い耳」
 そう、俺の耳は前に向いていて、ベリーショートの頭もあって猿みたいで、昔からからかわれていた。俺は恥ずかしくて「どうせ猿ですよ」と文句を言って顔を上げると、想像以上に近くに顔があった。
 多田さんという人は、本当に地味な素朴な顔をしていて、黒髪を後ろに流していていつも皺のない白いシャツとネクタイをきっちり締めている人で、隙がなくて、バリバリの堅物という印象の人で、でも目元は何だかいつも優しく微笑んでいて、怒ったところなんて想像できないひとで。
 あ。奥二重だ。このひと。
 そう思った時に、ゆっくり唇を奪われた。薄い唇だと思っていたのに触れたら結構弾力があって、何だかグロスまみれの女の唇よりもよっぽどよくて。
 すぐに離された唇が名残惜しくて。
 もっとしたいな、と思わず言ってしまった。
「抵抗ない?」仕事を確認するみたいに多田さんは優しく問いかけてきた。
「はい」
「そう」
 じゃあ次のステップに行こうといったみたいに、今度は少し角度が深くなって、ちろりと舌が俺の口の中に入ってきた。ゆるりゆるりと互いの舌を絡ませていると、いつのまにか目を閉じて夢中になってしまって、鼻からへんな声が出た。「っん」

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