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以下の小説にはBL・やおい・耽美と呼ばれる表現が含まれています。

桜舞う

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 どうにも気になって仕方ないことがある。
 高校二年になってクラス替えがあったのだが、隣に座る不良が俺のことを見ているようなのだ。いくら思い返しても彼に絡まれる要素はないと思うのだが、如何せん不良の考えていることなど知りようがないので、もしかしたらとんでもない理不尽なことで睨まれているのかもしれない。第一、進学校だというのに金髪で、耳はピアスで穴だらけ。下唇にもフープのピアスがついていて、全く恐ろしいったらない。なぜあんなにも威嚇した外見をしなくてはならないんだ。俺に言わせれば、本当に強い人間ならあのようなランドマーク的外見にする必要などないだろうし、そう考えるなら彼は心が繊細で、実は弱虫である計算なのだが、それが分かっているとしてもデカイ態度をとれるはずもない。
 つまりは俺は苛々しているのだった。何もしてこない静かな獅子に怯える自分に対して。もしかしたら、自分の名前が影響しているのかもしれない。俺の名前は男鹿で、彼の名前は獅子原だ。どう考えても俺の方が被捕食者であるのは間違いないというすり込みがある。そして嫌だ嫌だと思っているからこそ、彼のちょっとした視線に怯えているのかもしれない。
 俺は頬杖を付きながら授業を受けていたが、ちらりと視線を左に送ってみた。窓側に座る獅子原はいつも通りデスクに突っ伏していたが、顔はこちらを向いていた。細面に高い鼻梁、二重で茶色の瞳。俺は素早く目をそらしたが、しばらくは動悸が治まらなかった。
 初めて目が合ってしまった。
 これで彼が俺を見ているというのが勘違いじゃないことが分かった。いったい、俺が何をした?
「諦めろよ。きっとアイツは鼻が利くんだ」
 小学の時から腐れ縁である吾妻は休み時間に俺にそう言った。鼻が利く?
「お前がいい子臭いってことだよ。風紀委員とか委員長とかって不良の天敵だろ?だから」
 つまり吾妻曰く、俺が小中で児童会長だったり生徒会長だったりしていたことを獅子原が何となく察しているんだろうというのだ。そんな馬鹿な。
「お前面白がってるだろ」
 俺が言い返すと、吾妻は詫び入れる事もなく笑い「お前なら大丈夫だって」と太鼓判を押した。軽薄な友人の言葉に俺はため息を付き、何の打開策もないまま一週間が過ぎたのだった。
 その日も俺は左側から強い視線を浴びていた。もちろん見たわけではないが、この全身の悪寒がそれを証明している。なるべく気にしないように授業に集中したいところだが、こういう時に限ってシャープペンの芯が切れて、しかも予備が見当たらない。どうしたもんかと苛々とペンをノックしていると、予期せぬことが起こった。何と予想だにしない方向から手が伸びてきたのだ。
 俺は左から伸ばされた手に驚いてしまい、文字通り固まってしまった。どうにか視線だけ動かすと、獅子原がシャープペンの芯の入ったケースをこちらに傾けている。一般的に考えると、これは俺に使えと言っていると考えていいと思うのだが、これを手に取ったが最後難癖をつけられたりはしないだろうか。いや、そんなことよりもこの居心地の悪い「今」を打開するのが先決か。
「ありがとう」
 俺は動揺を見破られないように冷静に言うと、彼のケースから一本芯をもらってそれを返した。獅子原は俺から返されたものを無言で受け取ると、何事もなかったかのように正面を向いて授業を静聴しだした。俺の方といえば、この青天の霹靂の出来事に動揺してしまい、かえって授業どころではなくなってしまった。一本の芯がここまで重いのは人生で初めてだった。
 さて問題はこの後だ。俺は悩んだ。普通の友人同士なら芯の一本や二本、「ありがとう」で済むだろうが、はたして彼はどうか。借りたものを返すのは当たり前のことなのだし、ここは一つ返しておこうと、翌日俺は登校してきた彼に芯一本を差し出して礼を言った。さぁ文句はないだろう、と思っていたのだが、見る見るうちに獅子原は不機嫌になっていった。もともと釣りあがっている目は益々釣りあがり、眉間の皺も益々深くなる。俺は選択を誤ったことを瞬時に悟ったが、この日を何度繰り返すことが出来たとしてもこの選択をしただろう。なぜなら「返さない」という選択の方が俺にとって苦痛だったからだ。
「いらねぇよ」と獅子原はドスのきいた声を上げると急に立ち上がり、不機嫌なオーラを出したまま教室を出て行ってしまった。残された俺は勿論、唖然呆然である。結局獅子原はその日教室に戻ってくることはなかった。
 それから数日後、俺は再び彼と言葉を交わす機会を得た。もちろん休み時間などではなく、今回も授業中のちょっとしたハプニングが原因だった。いつもは寝ているか外を眺めている獅子原が、この日は真面目に起きて熱心に板書をしていた。珍しいと感心しながらも、俺はといえば単調な授業に飽き飽きで、頬杖をつきながら欠伸をした。授業も後半に差し掛かった頃、視界の端で彼が動いた気がした。
 ん?と横を見れば、また目が合ってしまった。なんというか、この男の瞳は明るい茶色でどきっとする。
 獅子原は俺と目が合うと少し動揺したような顔をしたが、徐に俺の椅子の下辺りを指差した。俺は指示された通り自分の椅子の下を眺めたが、そこには何もない。しいて言うなら綿ゴミやら消しゴムカスやらがあるだけだ。俺は意味が分からず獅子原を再び見たが、彼は相変らずの仏頂面でこちらを見詰めるばかりだ。いったい何をして欲しいのか口に出してくれればよいのだが、授業に遠慮しているのか口を開こうとしない。不良が気にすることか。
「おい。男鹿、さっきから何やってる?」
 俺は教師に声を掛けられて反射的に顔を上げた。メガネを掛けている痩せぎすな化学の担当教師だ。名前は確か、えっと何だっけ。
 そんな風に俺がどうでもいいことを思い出している時に、隣からけたたましい音が鳴り響いた。驚いて隣を見れば、獅子原が不機嫌そうな顔で机を蹴飛ばしたようで、反動でしばらく机はガタガタと前後に揺れていた。
「何かね。獅子原・・・くん」
 メガネ教師は獅子原の突然の暴挙に震えた声を上げたが、獅子原自身は質問に答える気はないようだった。徐に鞄に教科書を詰めると立ち上がり、呆然とする我々を無視して教室を横断。勢いよく教室のドアを閉めて出て行ってしまった。
「なんだあれ。おっかねぇ」
「怖ぇええ」
 彼が去った教室内は一時騒然とした。俺はといえば、獅子原の行動よりも彼が伝えたかったことが気になって仕方がなかった。結局授業はざわついたまま終了し、俺は休み時間に席の下を改めて覗きこんだ。丁度、俺の足があった辺りに丸くて小さな消しゴムが一つ落ちていた。ゴミといえばゴミだが、使おうと思えば使えるサイズだった。
 俺が拾い上げて眺めていると、吾妻がやってきて「なにそれ?」と声を掛けてきた。俺は「何に見える?」と尋ね、彼は「消しゴム」と答えた。やはりこれはゴミではなく、消しゴムで、獅子原が指差したのはこれのことだったに違いない。それにしてもあの大きな手が、ちまちまとこんな小さな消しゴムを後生大事に使っているのを想像すると笑えてくる。おっと、表現を間違えた。微笑ましい。
 これは明日返してやろう。前回はどうやら怒らせたが、今回は本人が欲しているのだが返して正解なはずだ。
 俺はそう思い、翌日彼の机に消しゴムを置いた。
「昨日はすまなかった。気づかなくて」
 一応昨日のことを謝りつつ俺は言ったのだが、獅子原は今度も眉間に皺を寄せて俺を睨みつけてきた。そして消しゴムを摘むなり、開いていた窓の外へポイと放り投げてしまった。
「なんだって?」
 なんだってとはこちらが言いたい。
「あれじゃなかったのか」
 俺は未練がましく窓の向こうに消えた消しゴムの行方を追いながら思わず呟いてしまった。外は桜が満開で、おだやかな風が吹いていた。
「すまなかった」
 俺は謝った。そりゃそうだ。あれじゃなかったなら、ゴミを彼に渡したようなものだったからだ。結局その後、俺は教室の床をそれとなく見て回った。けれども清掃が入っているし、獅子原が指差したものが分からないので、無駄な作業とも言えた。俺は何だかわだかまりが残ったまま一日を終えた。何度も獅子原の方を見たが、彼はその日は一日中机に突っ伏して居眠りをしていた。いつもはこちらを向いている寝顔が、今日に限って窓の方を向いていて、ああ俺はまた彼の怒りを買ったのかと憂鬱な気分になった。
 俺は獅子原という男が理解できなくて悩んでいた。確かにまだ一度もまともに会話したことがないが、それにしても彼はどうもよく分からない。不良なのに真面目に板書している姿を見たり、そうかと思えば実に不良らしく授業中に大きな音をたてたりして、俺の中のイメージがどんどん歪んでいく。そのしっくりこない感じが不快で仕方がない。
 高校二年になって二週間が経過すると、初めてのホームルームが開かれ、クラス委員の選出を話し合った。俺は当たり前のように委員長に選ばれた。もちろん吾妻の推薦と元クラスメート達の投票によるものだ。まあ半ば諦めていたので引き受けることにする。推薦という形式が変わらない限り、俺は委員関係から抜け出せないだろう。本当はこういう面倒な役回りは嫌いで、クラスを一つにまとめるとか苦手なのだが。
「ウソウソ」
「なにが?」と俺は吾妻の一言を聞き流すことができなかった。ホームルームが終わって休み時間の出来事だった。
「小学の時から、お前ってああいう奴大好きじゃん」
「誤解だ」
「そうか?傍から見てて絶対近づかない奴にわざわざ寄っていくタイプだろ。で仲良くなって、ホラどうだと周りに自慢するじゃないか。西城だろ?牧野だろ・・・あと、今野」
 吾妻が俺に上げた面々は確かに孤立していたが、金髪じゃなかったし、ピアスもつけちゃいない。
「同じ同じ。お前だったら獅子だって飼いならすって」
「だったらお前が行け」
 俺は吾妻にヘッドロックをかましてやった。吾妻は「ギブギブ」と笑いながら俺の腕を叩いてくる。ふと遠くの方で視線を感じて顔を上げれば、窓際の獅子原がこちらを見ていた。机に突っ伏したままだが、明らかに目が開いている。
 俺たちは顔を見合わせた。思わず声を潜めてしまう。
「アレ嫉妬してるんじゃね?」
「だれが」
「獅子原くん」
「ないわ」
「なんか、くぅーん、くぅーんって顔してね?」
 俺は吾妻の比喩に笑った。それでは犬だ。獅子は猫科だろ。
「頭撫でてみたら?」
 そう言われて俺は吾妻の短い髪をかき回してやった。彼は「俺のじゃなくて」と苦笑していたが、なかなかいいかもしれない。吾妻と違って獅子原の髪はふわりと柔らかそうで、撫で甲斐がありそうだ。触らせてもらえるかはかなり疑問だが。
「大丈夫さ。お前なら」
 ニ度目の友人の一言に、俺はふんと鼻で笑ってやった。
 吾妻に触発されたわけではないが、俺は獅子原に積極的に話しかけることにした。回りの面々は、俺に責任感があると思っているらしいがそれは誤解で、ただ単に面白がっているというのが正解だ。吾妻はそんな俺の底意地の悪さを理解しているのだ。俺がかつて出会った、西城、牧野、今野の三人は、虐められていたり無視されていた連中だった。俺は親切面で近づいて優越感に浸っていたのだ。中学の時、吾妻はそんな俺を批判してきた。偽善的な正義を振りまくな、八方美人は勘に触る、踏み込むなら最後まで付き合え。確かそんな内容だったように思う。主張する権利は彼にはある。実は、例の三人と同じ立場だったのが吾妻なのだ。彼は虐める側の人間でいつも仲間に囲まれていたが、学校を離れると一転して孤独な男だった。俺はそんな所につけ込んで土足で吾妻の私生活に踏み込み、かき回した。そしていざ彼が心を許したと気づくや否や距離を置いた。自立するまでの手助けをしたのだから後は自分で努力するべきだというのが俺の主張であり、今もそれは変わっていない。しかしそれが偽りだと吾妻は怒るわけだ。付き合うのが面倒になったというのが本音だろう、と。
 俺と彼はよく喧嘩をする。単純な内容ではない。根底の考えの違いからくる言い合いだ。俺はその都度彼と連絡を絶つ。もうこれで関係が切れたと毎回思うのだが、しばらくすると吾妻は一番親しい友人に戻っている。どうやら彼は主義主張通り、俺と最後まで付き合う腹積もりらしい。本当によくやる。

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