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以下の小説にはBL・やおい・耽美と呼ばれる表現が含まれています。

桜舞う

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「おはよう獅子原。今日も暖かいな」
 俺は新しいターゲットである獅子原の後頭部に今日もそう挨拶し席に付いた。すっかりこの声掛けが日課になった。
 彼はいつも頬杖を付いて窓の外を眺めている。それは校門付近を眺めているのか、それとも満開の桜を眺めているのか分からないが、大抵俺とは逆の方を向いている。寝ている時は顔をこちらに向けて突っ伏しているで、寝顔はよく見ているんだが。そう思い出して俺は一人でこっそり笑う。きれいに寝るときもあれば、袖口に涎を垂らしながら寝ている日もある。そしてそれに気づいて飛び起きて、何食わぬ顔で口を拭っていたっけ。
 獅子原と目が合ったのはあの日から一度もない。
 茶色の大きな二重。オーロラのように虹彩から光が広がっていて吸い込まれそうな魅力があった。きっと彼が黒髪でメガネを掛けていようが、おそらく目立っていたことだろう。獅子の名に恥じないオーラが彼にはある。なぜ面接で受かったのか疑問だったが、その点が評価されたのではないか。今でこそその存在感ゆえに孤立しているが、強引にでも部活か何かで活躍する場を作れば、彼は化けるような気がしてならなかった。
 俺は放課後職員室に出向き、早速そのことを担任に伝えたが、彼は俺の話を真剣に聞いているようで、まるで聞いていないようだった。つまりは理解しなかった。担任も獅子原の外見しか見てない一人だったわけだ。俺が早々にこの担任の能力に見切りをつけていると、彼は「そんなことより」と言い出した。
「男鹿、お前まだ部活に入ってないだろう?中学のように生徒会に入ったりしないのか?」
 俺は痛いところを付かれて困り果ててしまった。確かに俺は役員漬けで、毎回当たり前のように生徒会やらクラス委員などに所属していたので今回もその気であったのは事実だ。しかし入学して蓋を開けれ見れば、私立の生徒会ですら先任の仕事をなぞっているだけで、何一つ自主的な行動をしていないではないか。俺は現実に呆れ、さりとてやりたいことも見つからず今に至っていた。
「二年からでも遅くないぞ。お前真面目で評価高いからな。クラスも上手くまとめているようだし」
 つまりは獅子原に気にも掛けているし立派だと褒めているらしいが、俺としてはその評価こそクソ喰らえなのだ。俺は真面目でもなんでもない。ただ興味があるから獅子原に構っているだけで、委員長もやる奴がいないからしているだけである。面倒なことを押し付けられて、立派立派とはやしたてられる人生などもう沢山だ。まあそんなことは担任には言わないが。
「考えておきます」
 俺は担任にそう愛想笑いを浮かべて職員室を辞した。逃げ出したといったほうがいいかもしれない。途中から生徒指導担当の古川が加わってきて話が込み合ってきたからだ。いい加減な合いの手を打って誤魔化せる相手ではない。
 俺は職員室のドアを閉めて一息つくと、教室に戻ろうと足を進めた。日が傾いていて、夕日のせいでオレンジ色に染まっていた。皆下校したり部活に行っている時間帯で、教室には誰もいないだろうと思っていたので油断した。
 思わず出入り口で立ち止まってしまう。
 獅子原が相変らず席に座っていて、窓の外を眺めていた。授業が終わって結構経つが一体彼は何をやっているのだろう。近づいて自分の机の鞄を取ったが、俺に気づいているのかいないのかまるで動こうとしない。
 春風が時折吹いて、獅子原の金髪を揺らしている。その度に彼は目を細めて気持ち良さそうにしていた。窓からヒラリと何枚かの桜が舞い、机に散っていた。
「獅子原は本当に桜が好きなんだな」
 俺はいつもと同様のトーンで話しかけた。どうせ無視されるか鼻を鳴らされるぐらいだと思っていたのだが、彼は「あ?」と不快そうな声を上げてこちらを振り返った。俺はこの行為に内心動揺してしまった。今まで何の反応も示さなかったというのに、今日はどうした。
「なんだって?」
 しかも聞き返してきた。俺は興奮してしまったが、とりあえず何でもない振りを装い、当たり障りのないことを言った。
「ほら。いつも桜の木を見ているだろう?」
「あぁあ」と獅子原はつまらなそうに呻くと、「そんなんじゃねぇよ」とまた再び窓の方に顔を向けてしまった。しまった。せっかく獅子原が話に乗ってきたのだからもっと気の効いたことを言えばよかった。
「また間違えたか」
 俺は思わず自嘲した。もう何を言っても無駄だろう。俺は苦笑を浮かべながら踵を返そうとしたのだが、どうも獅子原の反応がおかしい。そっぽを向いていたはずの顔が少しこちらを向いて落ち着きがない。もう諦めていただけに、彼のこの反応は意外だった。
 もう少し待ってみるか。と俺が意味もなく突っ立ていると、獅子原は意を決したように急にこちらを振り返った。あの茶色の瞳が俺を捉えて心臓を鷲づかみにされたような息苦しさを感じた。ところが、それも一瞬のことで彼は急に目を瞬かせた。振り返ると同時に強い風が吹いたので、そのせいであるらしかった。
「砂入った?」
 獅子原が大きな手で必死に目の辺りを擦っていたのでそう声を掛けると、「見てわけんねぇか」とドスのきいた声が返ってきた。
 時折細目を開ける彼の下睫毛に涙が光り、細いごつごつした指でそれを拭う。何度も繰り返している行為を見ながら、俺は彼の唇に桜の花びらがくっ付いていることに気づいた。見ればデスクに散っていた花びらが風で飛ばされている。それが舞って唇に付いたのだろうか。
 俺は少し可笑しくなって獅子原の唇に手を伸ばした。指先から温かさと柔らかさが伝わって、ああ男でも唇はこんなに弾力があるのかと不思議に思った。
「な、な、なんだよ!」
 獅子原は飛び上がって身体を仰け反らした。
「なにって。桜、ついてる。唇」
 俺は獅子原の大げさなリアクションに驚きながらそう説明すると、彼は乱暴に唇を指で払いだした。それはまるで子供ようのに幼稚で大雑把な動きだった。俺は外見とのギャップが可笑しくて遠慮なく笑いながら「とれてないよ」ともう一度彼の唇に手を伸ばした。爪で軽く引っ掛けるように花びらを取ると、俺は先ほどの彼と同じように唇に花びらを当てておどけて見せてやった。
「なあ、花びらの感触って気持ちいいと思わないか?ベルベットみたいで」
 俺は獅子原とようやく会話らしい会話が出来て浮かれていたのだが、彼はどうやらそうではないようだった。見る見るうちに顔色が変わっていく。
「どうした、顔すごく赤いけど?」
 怒らせるようなことをした覚えはないので気楽に尋ねたのがいけなかった。彼の地雷がどこにあるかなんて分かりもしないのに。
 獅子原は顔を真っ赤にして震えながら「うるせぇよ!」を怒号を吐いた。
 俺は彼に初めて怒鳴られて頭が真っ白になってしまった。彼の声は、怒鳴るというより吼えると表現したほうがいいくらい完全な腹式呼吸で内臓に響いた。呆然とした俺を尻目に、獅子原はそのまま教室を飛び出していく。
 いったい何だったんだ。
 俺はしばらくその場から動けなかった。いや、腰が抜けて思わず自分の椅子に座り込んでしまった。我に返ったのは数分後で、俺はのろのろと立ち上がると、委員長らしく窓の戸締りをして教室を後にした。我ながら几帳面だ。
 獅子原は飛び出したきり戻ってこない。いったい何が悪かったのかと自己反省していると、そういえば今日は一度もトイレに行っていなかったことを思い出した。人間とは不思議なもので、意識すると今までなかった尿意が急に湧いてくるものだ。俺は廊下に鞄を置くと教室から一番近いトイレに立ち寄った。いざ放尿を始めると中々終わらず苦笑いする。
 その時だ。
「っ、ふ」
 まるで止めていた息を吐くような声が聞こえて俺は振り返った。気づかなかったが、個室の一つが使用中になっていて、そこから苦しそうな荒い呼吸音が響いてくる。誰だか分からないが、便秘にしたってこの息遣いは異常だと思った。
 俺は慌てて一物を仕舞うと、心配になって個室のドアを叩いた。「おい、大丈夫か?」
 しかし返事はない。俺が二度目のノックをしようかと拳を振り上げた時に、か細い声が聞こえた。それは鼻に掛かった低い声で、俺の頭の中で一人の男が思い浮かんだ。
「獅子原?」
 俺がまさかと思ってドア越しに声を掛けた時に、さらにまさかな匂いが漂ってきた。その独特の匂いは間違えようがなく、どうやらドアの向こうで獅子原は射精したらしい。個室の狭さからいって女を連れ込んでいるわけでもないだろうし、そうなると彼は自慰に勤しんでいたことになる。見上げれば天井の蛍光灯は煌煌としていて、こんな明るいところで立ったままベタベタな一物を握る彼を想像すると、笑い出しそうになった。
 そっとドアに耳を当てて中の様子を探ってみるが、物音一つしない。
 どうした獅子原。早く拭いた方がいいんじゃないのか?糸を引いて残滓が垂れてくるだろ?
 一向に反応がないので俺が頭の中でそう呼びかけると、腹立たしくドンとドアが叩かれた。
 おっと。
「出てけっていってんだよ!」
 いったいどんな顔で怒鳴っているのやら。
「具合が悪いんなら保健室に行くんだぞ」
 虐めるのも大概にしてやろう。俺は空々しく声を掛けると、トイレを出て行くことにした。
 それにしても先ほど怒鳴り散らしていた彼がまさかトイレで自慰していたとは思いも寄らなかった。不良って奴は暴力的な部分と性的な部分がどこかで繋がっているのかもしれない。じゃなければこのタイミングで勃起するほうがどうかしている。
 廊下に置いた鞄を手にとって、帰ろうかと階段に足を向けたが、せっかくのチャンスを無駄にすることもないかと思いなおす。つまりはあの獅子原がいったいどんな顔をしてトイレから出てくるのか拝んでやろうと思ったのだ。俺は廊下の壁に寄りかかって彼が出てくるのを今か今かと待ち続けた。想像より時間が経ってから彼はトイレから出てきた。せっかくだから声を掛けることにする。
「大丈夫か?」
 色んな意味を含んで俺は言ったが、笑いを堪えるのに随分苦労した。獅子原は俺と目が合うなり顔色を変えた。人間というのはこんなに真っ赤になるのかというぐらい頭に血を昇らせていた。
「うぜぇんだよ、バァァカ!」
 腹に響く低音を浴びて俺は反射的に身体を硬直させてしまった。さすがにこの声の迫力は慣れようがない。固まった俺を確認すると、獅子原は脱兎の如くその場から走り去っていく。
 俺はその背中が視界から消えると、ぷっと吹き出してしまった。逃げる彼の学生服が白く汚れていたことを思い出し、腹を抱えて笑ってしまった。
 言ってくれればキレイに拭いてやったのに。
 案外可愛いね、獅子原。

続?

読了ありがとうございます!

外見と中身の腹黒いギャップを楽しんでいただければ幸いです。

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