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「起きているかい?」
男が声を掛ける。
「痛くて眠れない」
上から声がする。
月明かりに照らされた多くのベッドは主人を失い、ただそこに存在し続けている。
いびきはほとんど聞こえず、隙間風も今日は音を発していない。不気味に静かな夜だった。
「何か臭わないか?」
男はすんと鼻を鳴らして言った。
「俺が腐っていく臭いさ」
上の兵士は言った。
「冗談だろ」
「いや、本当さ」
「軍医にいったほうが」
「行きたくないんだよ」
「なぜ?」
「医者が嫌いなんだ」
「なにを馬鹿な!」
男は思わず声を荒げて身を起こす。
ぼそりと上の兵士が何か言った。
「人間のまま死にたい」
「眠っている?」
下から声がする。
「いや、眠れないんだ」
上の兵士は呟いた。最近、ベッドの柵に刻まれた言葉がいやに目に付くようになっていた。
"我が国家に栄光あれ"
前の使用者の最期の言葉。
"我死するも魂は永遠なり"
その前の使用者の言葉。
さらに前の、ずっと前の、前の、前の、前の、・・・。
ベッドの枠や壁にびっしり刻まれている呪いと賛歌。
「お願いがあるんだ」と下の兵士に言う。
「何だ?」
「君の顔が見たい」
「今更なぜ?」
戸惑ったような声がした。
「今だからさ」
上の兵士は言う。視線をベッドの柵から強引に引き剥がす。
「明日」と口から言葉が出た。
「明日?」
「ナイフを持って来い」
「ナイフ?」
「・・・そうしたら----」
下に寝ているはずの男は、左手にナイフを持ち、二段ベットの梯子に片足を乗せていた。
「来いよ」と上から誘う声がした。
梯子を三段ほど上ると、人影が見えた。
月明かりがその人物を不気味に照らしていた。
常に自分の上から語り掛けてきた兵士は、白い壁に寄りかかり、黄ばんだ包帯の間からこちらを見つめている。
「初めましてというのはおかしいな」
包帯の向こうでそう笑ったらしかった。
男は梯子を上り詰め、対峙し、無言のままナイフで包帯に切れ目を入れた。
全身を解包すると、焼け爛れた肉体がそこにさらけ出された。
両腕なし。右足なし。
「医者は嫌いなんだ」
瞳をぎらつかせてそれは言った。血走った白目ばかりが闇に目立っていた。
「俺は人間だと思うか?」
肉塊はそう尋ねる。
瞳がまるで生きているかのように濡れていた。肉塊がまるで意思があるように震えていた。
「怖いんだ」とナイフを持ったまま呟く。
「怖い?」
「・・・君が怖い」
下に寝ているはずの男は、じっと何かを見つめていた。
彼の目の前には、目にナイフが突きたれられた死体がある。壁には血糊がつき、目からは赤い筋が流れていた。
朝日が差し込んでゆく中、男はゆっくりと頭を垂れる。そして、彼女の唯一きれいな左の乳房に歯を立てる。
彼女の肉を口に含み、男はナイフをゆっくり抜いた。
ずるりと死体が壁を滑る。
男は白亜の壁に咲いた深紅の華を見た。それは朝日に照らされて、てらてらと濡れている。
「あ、」
男は動きを止めて耳を澄ました。
「ねえ、今、蝉の鳴き声が聞こえなかった?」
・・・返事は無い。
男は笑った。
了
戦争というのは幼少の頃から私の中で渦巻いているものの一つで、おそらく一生消えることのないテーマです。
実は二回ほど原文を書き直しています。本筋は変わらないのですが、あまりにも文章が稚拙だったもので。
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