back to novel_index |
back to index |
一瞬。 目の前に、天使でも降りてきたのかと。 そう、思った。 いつも通る道筋にある、教会。さして気に留めたこともない───外国の教会みたいに美しく飾られているわけでも、有名なわけでもないその建物に少女が入ったのは、たまたま正面の扉が開いていたからだった。 広い空間に、子どもの歌声が響いていた。 壇上のオルガンを優しげな年輩の男性が弾いている。 中央には十字架にかかったキリストをおいた祭壇があって、そこに向かって子供たちが一心に楽譜を追っていた。 ときどき音程を外した、けれどどこまでも澄んで広がる声は、無心に一つにまとまって、堂内に独特の空気を作り上げる。 そこに存在する透明な空間は、人を拒絶するものではなかったけれど入り込むのは気が引けた。けれど、立ち去る気にもならなくて、入り口に隠れるように立ち止まっていた。 それがいきなり、声をかけられたのだ。 「こんにちは」 歌の邪魔にならない程度に抑えられた声に、ぱっと振り向いた。 きらきら輝く金色の髪に優しげな瞳。 すぐにそれが天使でなく自分と同年輩くらいの男性だとはわかったけれど────本当に天使のようにやわらかな気配。 一瞬だけ息を飲んで、彼女は意識して声を抑えた。 「あ、ご、ごめんなさい。入って来ちゃって」 表情を、罪悪感が掠めるのに気付いたのだろう、彼の笑みが一層優しくなる。 「いえ、大丈夫です。子どもらの歌ですけど、聞いていってください」 微妙に関西風なイントネーションがおかしくて、少女はくすくす笑った。 「すみません。あれ、賛美歌なんですか?」 「ええそうです。もし良かったら歌っていってください」 「………私、キリスト教徒じゃないです」 少女の表情がわずかに硬化する。 神父服を着た金髪の青年は困ったように微笑した。 「それはそう思いますけど………何か、お顔が曇っているようですから。すみません」 表情の翳り。 それを指摘されて、彼女は驚いて目を瞠った。 「え?わかるの?」 「なんとなく、というくらいですけど。もし悩み事があって、それでこちらに来られたのなら、お助けできればいいと、ぼくは思います」 「それ、懺悔とかってやつ?……ですか?」 驚いたあまり口調が砕けているのに気付いて、彼女は慌てて付け足した。 金髪の神父はゆっくりと首を振る。 「普通に話してもろて構いませんよ。それと……お嬢さんはキリスト教徒やないんですから、ぼくが懺悔を聞かせてもらっても意味がないです。話して気が済むならいくらでもお相手しますけど、ほとんど初対面のぼくにそんな話したくないんやないですか?」 「…………」 「教会で、肩肘はらんでええんです。賛美歌は、心を落ち着かせるための歌でもありますから、気が晴れるかな、と思っただけですから」 どこまでも穏やかな声音と、優しい微笑。 何故か、肩から力がすとんと抜け落ちて、少女は笑った。 「歌詞も音程も知らないから。………でも、しばらくここにいていい?」 友達の、無神経な笑いや噂の中にはいたくない。 けれど、ひとりにはなりたくない。 彼女の心を掠めた感情を悟ったのかそうでないのか、毛筋ほども変えずに彼はふわりと笑って頷く。 「どうぞお好きなだけ。何かあったら声かけてください」 軽く会釈して、金髪の神父はゆっくりと踵を返した。 祭壇上部のステンドグラスから差し込む光の筋が伸びて、天使のリングのように金髪にまとわりついて光彩を放つ。 まだ響いていた透明な歌声が、変わらず聖堂を満たしていた。 ひとりになりたい。 けれど、ひとりにはなりたくない。 だから、そばにいてください。 あなたが私のそばに居て、祝福を賜るならば、 私はいかなる敵をも懼れはしません。 病は何の憂いにもならず、 涙は少しも苦くはありません。 過ぎゆきた全ての時の間に、 私にはあなたの存在が必要なのです。 祈りの対象が神であれ人であれ、その願いは変わらずに、ときのめぐりをみたす。 Through cloud and sunshine, abide with me. |
久々の短編です。ジョンの話。実は初めて(遠い目) ちょっと反則ワザをつかったよーな気がします(滅)最初は最後に麻衣ちゃんがでてくる予定だったんですが、くどくなるだけだなと思って切りました。。←そういうことをばらすんじゃないよ自分……。 ちなみにタイトルとラストの短い引用は、賛美歌からです。引用部は自分で訳したので、公定訳とは違うと思います。 2002.3.6 HP初掲載
|
back to novel_index |
back to index |