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雨が、やんだら。





 19歳の誕生日に、銀のリングをもらうと、幸せになれるよ。
 誰が言い出したのか、どこから広まったか知れない、何の根拠もない「ジンクス」。
 けれど、信じたくなるのは。

 リングをかざして眩しい空を見上げて。
 銀のわくでまるく切り取られた空が、どこまでも深く明るく見えるように。
 無垢な銀の色にうつる空のきらめきのように。
 くもりない幸せを、誰もが希うから。


 銀のリング。

 雨がやんだら。
 空を、見上げて。

 幸福の輪を、そらにかざす。



「おい綾子」
「なによ破戒僧」
 カップ片手に、切れ長の瞳がずいと乗り出した茶髪の男に流される。

 ここはどちらかの家でも喫茶店でもなく、某事務所のオフィスで、調査員の少女は買い出しに出かけていて、敏腕事務員の青年が来るにはまだ早く───つまり、二人しかいない。
 ちなみに、出かけるねーと言った彼女は、お客に留守番させるわけ?と聞いた綾子に、にこりと笑って所長室を目線で示して、アレに任せるよりはまし。ときっぱり言って出ていった。二人して納得してしまったのがおかしいところではある。

「19歳の誕生日に、銀の指輪を貰うと幸せになれるって本当か」
 いきなり、まったく何の脈絡もなく、しかも異様に真剣な目で問われて、綾子は問い返すよりなにより思わず脱力した。
「………いったいなんだってのよ?」
「言葉通りだよ。本当なのか?」
「…………馬鹿?」
 まともに返答が帰ってきて、彼女は額を抑えて呆れたような溜息をつく。
「なにが馬鹿なんだ。今日スタジオで聞いたんだよ、俺は」
 そう言えばこの男、高野山の修行僧だったと思い出して、綾子はもう一度溜息をつくと、気を取り直して座り直した。
 あんなところに籠っていれば、世間に疎くなるのはある意味仕方がない。

「単なるジンクスよ。例によって日本限定だと思うけど、ね」
「ジンクス?」
「そ。女の子が19歳の誕生日に、シルバーのリングをもらうと幸せになれる、っていうの。プレゼントするのはもちろん男ね。父親ってきいたこともあるけど、あくまでジンクスだから根拠は知らないわ」
 肩を竦めた美女と対照的に、男はがっくりと肩を落とす。
「………………麻衣の誕生日。指輪にすれば良かった…………」
 ぐずぐずとソファに沈み込んだ滝川に、綾子は呆れた顔をした。

 またこの男は、と思うが、今更だ。
 それに、幸福が多いとはどうひいき目に見ても言い難い麻衣に、ジンクスだろうがなんだろうが、少しでも幸せをと願う気持ちは理解できる。

「よかったはいいけど、あんた、麻衣の指のサイズ知ってんの?」
「………知らん」
「じゃあどうしようもないじゃないの。………どうしてもあの子にあげたいなら、また今度あげればいいんじゃない?真砂子の誕生日も近いし、別にぴったり誕生日にこだわることもないでしょ」
 いっそ意外かもしれないが、こんな商売をやっていれば、ジンクスを厳密に実行することなど馬鹿馬鹿しくなってくる。
 銀のリングと幸運を結びつけたのは、銀の「守護の力」の信仰からだろう。それが何故19歳なのかは知らないが。

「それは、そうだな。麻衣のことだから、ひとりより、二人お揃いでやったら、喜ぶか」
 めり込んでいた男が、いつのまにか復活している。
「ナルは無理として、リンは巻き込むか。少年は……」
「最初から無視はやめたほうがいいんじゃないの?ものが指輪だし」
  一応、アレでも、恋人だ。
 気にするとは到底思えなかったが、大人として一応礼儀は守るべきだろう。
 軽く眉を寄せた滝川は、渋面にちかい表情で、頷く。
「まあ、それはそう、だな」
「それとなーくあの子の指のサイズ教えとかなきゃいけないしね♪」
「……………」
 楽しげな綾子の言葉には言葉を失い、それでもなんとか対抗する言葉を探す滝川を置き去りに、綾子は楽しそうに言葉を続ける。
「それじゃ、リンと安原君にはあんたが話つけんのよ。二人のサイズは調べとくから」
「ああ。頼む」
 素直に頷いた滝川に、綾子は少し首を傾げた。
「ところであんた、店のあて、あんの?」
「………店?」
「プレーンなわっかでも渡すつもりなわけ?………別に私はいいけど」
 ちょっと呆れたような口調の美女に、滝川は数瞬考えてから頷く。
「いや。あてはある。シルバーを扱ってたかどうか自信はないが、聞いてみる」
 創作アクセサリーの作家に知り合いでもいるのだろう。別に意外なことでもない。
「わかったわ。ナルには私から話しておいてあげるわよ」
「いや、俺から……」
「だって、あんたにさりげなく指輪のサイズ教えるなんて芸、あるわけ?アレ相手に」
「なんでそんな必要があるんだよ」
 一応の断りをいれるとはいえ、綾子だってはなから、今回の計画にナルを巻き込めるとは考えていないだろう。
 憮然とした滝川に、黒髪の美女は婉然と笑って、言った。
「だって、基本でしょ?」



 からん。
 オフィスのドアベルが鳴って、入ってきたのは馴染みの気配。
 座っていた麻衣が、満面に笑みを浮かべて立ち上がる。
「綾子」
「あら、真砂子もいたの。それにしてもあっついわね」
 ソファに座っていた、純和風美少女は、微笑んで軽く会釈する。きょうの彼女は、若草色に流水のような白い絞り縞を描いた小紋を着ていた。涼しげな地は、多分絽だろう。大人向けの柄ゆきを、おかしくならずごく自然に着こなしているのはさすがだ。
 黄緑色のカシュクールのカットソーにひざ下丈の白いパンツスタイルの麻衣は、それとはまったく対照的で、それでいてふたりの空気はごく自然にとけあっている。
「もう梅雨明けだもんね。冷たいお茶がいい?」
「頼むわ。………お土産、あるわよ。あんたここのケーキ好きでしょ」
「わー!ありがとう!すぐいれてくる。真砂子は?」
「あたくしも冷たいお茶、いただきますわ」
「了解。ナルとリンさん呼んでくるね」
 麻衣はにこりと笑うと、フィットする服のせいで余計に際立つ細い身体をくるりと翻して、まず資料室のドアに声をかけ、所長室に滑り込んでいった。

 どういう言葉を弄したのか引きずり出した漆黒の青年の前に白磁のカップ、他の全員の前には冷たいお茶の入ったグラスを置いて、麻衣はあいていた自分の定位置にすとんと座って、となりの所長をちらりと見た。
「協調性のないのがいたから手間取っちゃった。ごめんね」
 ナルはひとり、熱いダージリンのカップを手にとっている。所長室は、地球にまったくやさしくない温度に冷やされていたから、そのくらいでちょうどいいのだろうが。
「いいわよ。ナルは食べる?」
 ケーキを示されて、美貌の青年は漆黒の瞳を軽く麻衣に当てた。
「いい」
 予想していた返答が帰ってきて、麻衣は頷いて視線をその横に移す。
「リンさんは?」
「美味しそうですね、少しだけ頂きます」
 やわらかい微笑みが、普段は鋭利な口元にふわりとのぼる。麻衣はにこりと笑って切り分ける。
「さすが、リンは礼儀を心得てるわね。私ももちろんもらうわよ」
 皮肉めいた口調は主に正面に座ったナルに向けられている。
 後半の言葉を受けて、麻衣は了解、とうなずいた。
「真砂子と安原さんは食べるよね?」
「頂きますわ」
「喜んで。間に合ってラッキーでした」
 麻衣が「協調性のない誰か」のために時間を費やしている間にオフィスに到着した敏腕事務員は、衒いのない笑みを浮かべる。
「じゃあ、あたし入れて、残り四等分………だとちょっと大きいかな。ぼーさんきっと来るよね、五等分にしよ」
 誰に言うともなく確認して、麻衣は慎重に残りを切り分け、皿に載せると、銀のフォークを添えてそれぞれにまわす。
「あ、冷たい、おいしーっ!」
 まっさきに口に入れた少女が、顔を綻ばせる。
「本当。美味しいですわ。あまり甘くなくて」
「白桃のプディング風のアレンジですか。これは良いですね」
 リンにまで賞賛されて、買ってきた綾子はにこりと笑った。
「良かったわ、口にあって」

「ナル、一口食べてみない?桃だよ?甘くないよ?」
 フォークの上に既に一口分載せて、麻衣が漆黒の瞳を覗き込む。
「桃は甘い」
「甘いけど、自然のだよ。果物の甘みは嫌いじゃないでしょー?」
「…………」
「ひと口だけ。ほらせっかく買ってきてくれたんだし」
 琥珀色の瞳が、じっと見上げる。…………多分に戦略的なものを含んでいたにせよ、その意図に悪意や含みは欠片ほどもない。
 だから、ナルは溜息をついて、フォークを構えた麻衣の手から銀のフォークを取り上げた。
「食べる?」
「一口なら」
 冷えた声が低く応えて、彼は銀のフォークを口にいれた。
 口の中で、冷たい甘さが溶ける。
 桃の甘い香りと、やさしい甘み。思ったほどくどくはない。後味も悪くない。
 銀のフォークを麻衣の皿に返して、ナルはテーブルに置いていたカップをとった。
「美味しいでしょ?」
「…………………一口なら」
 沈黙と、かなり消極的な肯定が帰ってきて、麻衣は小さく笑って自分の口にもひときれを入れた。

 思わず手を止めてしまっていた綾子が、疲れたように口を開く。
「………なんか局地的に温度が上がった───いいえ、下がった気がするわ」
 普通なら、あーあつい、とぱたぱた煽いで笑う場面なのだろうが、この二人だと、何となく微妙に見てはならないもの(恐怖系)を見てしまった気になる。できれば記憶からさっさと追い払いたい。
 遠い目をした綾子に、同じく視線を逸らしていた真砂子が空気だけで同意して、そして無言のリンのかわりに安原が話題を変えた。
「美味しいのは本当ですからね、甘いもの嫌いの所長でも美味しかったってことで。……原さん」
「はい?」
 突然名前を呼ばれて、真砂子が驚いたように安原を見た。
 肩をこすくらいで切り揃えられたきれいな黒髪が、さらりと揺れる。
「もうすぐお誕生日ですよね」
「あ、ええ。覚えていてくださったんですか」
「もちろんです」
 越後屋安原の眼鏡のふちがきらりと光った。
「基本を逃すわけないじゃないですか♪」
「基本ね、基本よね、確かに」
「この間は麻衣のパーティーをしたばかりですから。あたくしのことはお気遣いなく」
「そういうわけにはいかないわよ、真砂子」
 綾子がきっぱりといい、麻衣も頷く。
「そうそう。あたしのとは話が別だよね、楽しみにしててね♪」
 こづくりの顔に、すこし悪戯っぽい笑みが咲く。ありがとうございます、とほんのわずか、色白の頬が染まって、真砂子は軽く会釈した。
「………ところで真砂子、あんた指輪のサイズいくつ?」
 唐突に綾子に問われて、真砂子は軽く首を傾げた。
「指輪?」
「そうよ、指輪。サイズ、知らない?」
「いえ。普段はしませんけど、時々使いますから知ってますわ」
 一応仮にも芸能人。和装ばかりとはいえ、たまにはアクセサリーをつけることもあり、自分のサイズはしっかり把握している。
 答えた真砂子に、綾子はさらりと問う。
「いくつ?」
「正確には8号ですけれど。だいたい7号か9号で間に合わせてますわ。………でも、どうしていきなり?」
「指細いわねー。……大したことはないのよ、私があんたたちくらいの時に持ってたアクセサリーね、気に入ったらあげようかと思ったのよ」
 言いながら、実際に綾子はテーブルの上にちいさな箱をおいた。
 ふたを開けると、カジュアルなアクセサリーがガラスのテーブルに並べられる。一応厳選してきたのだろう、どれもかわいらしいものばかりで、麻衣と真砂子は小さく歓声をあげた。
 可愛いシェルパールと金の粒が房になってついているリング、とペンダントのセット、ターコイズカラーのビーズのブレスレットとリングのセット、かわいらしいピンクのガラス玉が銀の鎖でつながれたネックレスと、お揃いのブレスレット。
「二人ともピアスはしてないでしょ。だからとりあえずこれだけ」
「うっわー可愛い!」
 目をきらきらさせた麻衣の横で、余計なことを呟いたのは珍しく安原だった。
「かわいらしいですね、本当に。……松崎さんがつけてらしたんですか?」
「…………似合わないとでも言いたいわけ?」
 返ってきた視線に、安原は目を逸らす。
「いやそういうわけじゃないですが………今つけてるのとはだいぶ傾向が違うなーとか思ったりしたので」
 確かに、迫力美女の綾子には、これはかわいらしすぎる。
 それは綾子自身も重々承知の上で、だから持ってきたのだ。
「私にも可愛い時代はあったのよ、少年。…………でも、確かに今の私には可愛すぎるのよコレ。でも可愛いのは可愛いでしょ?」
「うん可愛い」
「ですわね。…………あたくしむきではないようですけど」
 麻衣は素直に頷き、真砂子はくすくすと笑った。
「そうねぇ。………カジュアルとはほど遠いわね、あんたは」
 ほぼいつも、しかもかなり上等の和装の少女に、こういう類いのアクセサリーは似合わない。
「麻衣、あんたには似合うわよ」
「え。でも………あたしだけ貰うのって」
「悪くないわよ。というか、あんたがつけなかったらこれがかわいそうでしょ。行き場ないんだから。麻衣、あんたは指輪のサイズは?」
「え。……………知らない」
 思わず両手をひらいてじっと見て、麻衣は首を振った。指輪なんてつけたこともないし、買おうと思ったこともない。
「ナル、あんた指輪のプレゼントくらいしなさいよね」
 軽口を叩いた綾子に、漆黒の視線が滑って、何のコメントもなく自分の横で手を開いた麻衣に留まる。
「まあいいわ、これ9号。だいたい普通サイズね。はめてみなさい」
「ふうん」
 麻衣の手が伸びて、一番近くにあったターコイズビーズのデザインリングを手に取る。
 なにかひどく真剣な表情で右手の薬指にそれを通した。
「あ。ほとんどぴったり。……中指でも大丈夫みたい」
「あらよかったわ。持って返りなさいね、それ、箱ごと」
「…………ホントにいいの?」
「いいの」
 さらりと答えた綾子に、麻衣は気恥ずかしそうに笑って、そして満面に笑みを浮かべた。
「ありがとう、綾子」
「どういたしまして」
 綾子はにっこり笑ってアクセサリーを箱に戻すと麻衣に渡し、リンに軽く視線を流して、任務完了を告げた。



 いつもより奮発したお茶、評判のお店のケーキ。
 いつもよりもほんの少し贅沢なお茶会は、真砂子の誕生日を祝うためのもの。最初は例の如く夜の宴会になるはずだったのだが、当の真砂子の都合が悪く、昼間のお茶会になった。
 持ち歩きやすさを考慮したのか、主に小さな箱に詰められた贈り物が手渡され、お茶を配った麻衣がにこにことケーキを切り分ける。
 そこで、滝川がごほんと咳払いをした。
「あー。真砂子、麻衣」
「はい?」
「なあに?ぼーさん」
 きょとんと振り返った麻衣と、顔を上げた真砂子を均等に見てから、滝川が二人の前に小さな箱を置いた。
「麻衣には遅くなって悪かったな。19歳のお祝いだ」
「え?あたし、もらったよ?」
「わたくしも今……」
 麻衣は目を瞬き、真砂子も、ついさっき滝川から渡されたばかりの箱を指差す。
「それとは別に、だ。俺と、リンと、少年と、それからジョンから」
 ナルを除いた男性メンバー全員からと聞いて、二人の少女は戸惑ったまま顔を見合わせる。
 二人して箱をあけて───ラッピングは簡単だった───、麻衣が目を瞬く。
「銀色の、指輪?」
 そっと取り出した指輪は、ちいさな四葉のクローバーの意匠のしゃれたリング。
「シルバーだよ。19歳の誕生日に貰うと幸せになれる、て聞いてな。麻衣にはちょっと遅れたが」
 きれいな四葉に、細い茎がくるんとリングを描いて結ばれている。かわいらしい意匠のリングは、銀色だけで、十分存在感があった。
「かわいい………」
「お揃いですわね、麻衣」
 同じようにリングを取り出した真砂子が、そっと麻衣の手のひらに触れる。
「デザイン、違う方がいいかとも思ったんだが、あえて同じにしたんだが………」
 すこし自信なげに語尾が消えて、滝川は目をみはったままの麻衣に聞く。
「麻衣、気に入らないか?」
 問われて、麻衣はぶんぶんと首を降った。
「ありがとう。すごく、かわいい。おそろいも、うれしい」
「あたくしもうれしいですわ、とても。ありがとうございます」
 軽く頭を下げた真砂子の頬で、黒髪がさらさらと揺れる。
「ジンクスなんて、と言われるかもとか思ってました」
「あら安原さん、幸せになれる、というジンクスは信じても嬉しいですわよ?」
 それは、幸せになってほしいという願いを込めて渡されるものだから。
 真砂子は、端正な美貌に絶品の微笑を浮かべる。
「ありがとうございます」
 白い頬を黒髪が滑り落ち、さらさらと揺れた。
 麻衣は真砂子が顔を上げるのを待って、リングを宝物のように手のひらにのせ、滝川、安原、ジョン、そしてリンの順にじっと見つめる。
「みんな、ありがとう。すごく、嬉しい」
「喜んで頂けて、こちらこそうれしいですよ」
 リンが、硬質の容貌に淡い微笑を浮かべる。
 ジョンが天使のように微笑むと、差し込む陽光が金髪にリングを作った。
「僕は、ちょっとしたお祈りをさしてもらいました。銀は聖なる力を持つと言われてますよって」
「ありがとう」
 麻衣が、光に指輪をかざす。
 ちいさな銀色のリングが、光を吸い込んで。
 きらきらと、輝いた。

 繊細なクローバーの葉。茎の部分は十分に細いけれども、強さを損なわないぎりぎりのところで保たれている。
 真砂子が帰り、他のメンバーも帰り、残ったのはSPR正規メンバーだけになった。リンと安原は資料室に入ってしまったから、オフィスには麻衣だけが残っている。ひどく静かになったオフィスの窓際で、麻衣は一心にそれを空にかざした。
 梅雨が明けた明るい青の空と、眩しい夏の光に、銀の光がきらきらと反射する。
「………いつまでやってる」

 背後から響いた声に、麻衣は我に帰って振り向いた。
 怜悧な瞳にぶつかって、麻衣はリングを手に持ったまま、首を竦める。
「ごめん。………仕事戻ります」
「………………そんなに指輪が欲しかったのか?」
 凪いだ、声。
 滝川が列挙した贈り主に名を連ねなかった美貌の青年は、身を翻しかけた麻衣を声音だけで引き止める。
「そういうわけじゃ、ないけど」
「………僕が参加しなかったのは不満か」
 僅かに皮肉の混じった声。
 それに敏感に反応して、麻衣は首を振った。方向を変えて、ナルのすぐ前に立つ。
 手を伸ばせば、届く距離をおいて、漆黒の瞳をまっすぐに見上げる。
「何度も言ってる気がするけど。あたし。ナルから、ものを貰おうって、思ったことないからね?」
「僕からは何も要らないか」
「そうじゃないよ。貰えれば嬉しいけど、ナルから欲しいのはものじゃないし」

 欲しいのは、かたちにできないもの。
 ことばにならないもの。
 それは多分どんな高価な宝石よりも、貴重で得難いから、自分は贅沢だと思う。

「四葉のクローバーは幸福、でしょ。で、ぼーさんが言ってたジンクスも知ってる。だから、もらえたのはほんとに嬉しい。これ、きれいだし」
 麻衣は、ナルの目の前にリングをかざしてみせる。
 小さく笑って、リング越しに深い漆黒の瞳を見つめる。
「嬉しいのは、みんながこれに込めてくれた気持ちだよね。これ自体もかわいいけど、それだけだったらこんなに嬉しくない」
 麻衣はリングを右手の薬指にはめて、ナルの漆黒の髪に触れると視線を合わせた。
 視線が絡まれば、吸い込まれるように心まで囚われる。

 まわりの空気さえ、時間が止まったように、静寂がふたりを包む。

「それなら麻衣は、僕からは何が欲しい?」
 ごく低く。抑制した声が、静寂を破る。
 誕生日のプレゼントさえ渡さなかったナルに、麻衣はふわりと笑った。
「だから、ものは要らないってば」
「ものじゃなければ?」
 重ねて問われて、麻衣はかすかに微苦笑を浮かべた。
 
 欲しいのは。
 何よりも欲しいのは、目の前の青年。
 彼の瞳と、手の温もりと、触れる指の優しさ。
 そう言ったら、どんな顔をするだろう。
 思っても、絶対に、言葉にするつもりはないから、麻衣は軽く首を傾げて問いを返した。

「………………じゃあ、質問。ナルなら何が欲しい?」
 反問されたナルは、応えなかった。

 表情すら変えなくても、渦を巻く感情に、眉を顰めたくなる。自分を、嗤いたくなる。
 欲しいものは。
 考えなくても分かっている。自分が何を心の奥底で渇望しているか、十分に知っている。
 
 目の前で自分を見上げる少女を、いま彼女を包む陽光から切り離したい。
 彼女が大切そうに指にはめた銀色のリングを───ただ幸福を願って贈られたそれさえ奪って、脆いガラス細工のように粉々にしてしまいたい。
 衝動に近い昏い感情を、無表情の裏に隠して。
 悟らせることなくゆっくりと口を開く。

「なにも」
「でしょ」
 短い答えには、やはり短く応えが返る。
 
 麻衣は、ナルの目の前で一度はめた指輪をとって、そして小さく微笑んだ。
「雨が、やんだから」
「雨?」
「うん。…………空が、綺麗だよ」

 雨が洗った空はきれいに澄んで、夏の青い色を映す。
 光が溢れて、眩しく照らし出す。

「脈絡がない」
「いいの」
 小さく頷いて、麻衣は外に視線を滑らせた。


 雨がやんで、青い空が広がる。
 明るい光に、世界が満ちる。

 その背後に、深い翳を灼きつけて。
 眩しい光が視界をふさいだ。








 麻衣ちゃん誕生日ができなかったのでリベンジ………のはずがこのオチは何なんだ師走。…………あああああ。軽く終わる予定だったのに!!!!←予定は未定。
 いや単に私的時系列を考慮したらこうなったってだけなんですけどね……。(まだ二人とも悟りきってない。)
 銀リングのジンクスはどのくらいポピュラーなんだろうと素朴な疑問を抱きつつ。
2005.7.25HP初掲載
 
 
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