back to novel_index
back to index


  
ホワイトデーの悪夢。





 なにも、期待はしていなかった。
 というよりも、彼にそんな概念があるとは欠片ほども思っていなかった。たとえ、チョコレートをあげた他のメンバーにお返しというプレゼントをたくさんもらっても、「彼から」なにかもらうという発想は、ほんとうに全然全く持っていなかった。今まで貰ったことはなかったし、ホワイトデイなどという菓子屋の戦略としか思えないイベントは、彼の故郷にはない、日本だけのものだから。───つきあいのいいジョンは毎年心のこもったお返しをくれるし、密かに思いやり深いリンは、いつも心配りの行き届いたプレゼントをしてくれるけれど。

「えっと。この紅茶は安原さんから、こっちのぬいぐるみはぼーさんから。……あたしのこといくつだと思ってるんだろうね。まったく」
 眉をしかめて見せても、声は弾んでいて、うれしさには曇りもない。
「ジョンからはねー、タッジー・マッジー。ちゃんと生花なんだよ。ジョンが選んでくれたんだって」
 みせられた小さな花束には、ハーブや花がこじんまりとまとめられている。愛や守りの花を多用した、心づくしのお守りなのだろう。
「このまま吊して、ドライフラワーにしたらいいんだって」
「そうだろうな。……多分祈祷もしてあるだろう。護符のかわりに、寝室にでもおいておけ」
「………………わかるの?」
「一応は。ルエラにたたき込まれたからな」
 庭のハーブガーデンで、指さしながらひとつひとつ教えられた。おぼえる気はなかったが、優秀な記憶力は勝手に働いて網羅したらしい。
「そうなんだ。………で、リンさんはこれ。かわいい?」
 ちいさな箱から、色違いの小粒の真珠が揺れるピアスが現れる。
「ナルに怒られるかもしれませんね。とか笑ってたけど?」
 麻衣は、くすくすと笑う。窺うように覗き込んだ闇色の瞳は予想通り何の表情も示していない。
「怒らないでしょ?」
「別に、僕が怒るような問題とは思わないが?」
「だよね」
 麻衣は、くすくすと笑う。リンからのアクセサリーのプレゼントは、なにも今回が初めてではない。
「で、こっちは真砂子と綾子から。春のワンピースだって。………いいっていったのに、ワードローブ少なすぎって、なんか問答無用で貰っちゃった………」
 彼の部屋で、いつものように、貰ったプレゼントを嬉々として広げていても、おねだりのつもりはまったくなかった。
 だから。
 ナルが突然ソファから立ち上がって、麻衣は驚いて彼を見上げる。
「…………ナル?」
「すぐ戻る」
 突然の行動に戸惑った彼女を振り返りもせずに、ナルはリビングを出て行った。



「麻衣」
 からん、とドアベルを響かせて入ってきた親友の姿に、振り返って笑顔になる。
「真砂子!どしたの?今日仕事っていってなかった?」
「帰りに寄りましたの」
「………今日、安原さん来てないんだけど…………?」
「余計なお世話ですわ」
 麻衣の言葉に、つんとすまして真砂子が答える。
 承知済みのようだ、と麻衣は安堵する。もし、真砂子が期待して来たのだったら、あとで「安原が」気の毒だ。
「じゃ座ってて。この前のお菓子まだあるし、お茶淹れるよ」
「ありがとうございます。玉露がいいですわ」
 にこりと笑った美貌の親友に、麻衣は肩をすくめて給湯室に入っていった。

 しばらくの間をおいて。
 小さな玉露用の茶碗をふたつトレイに載せて、麻衣が戻ってきた。
「あら。今日は麻衣もですの?」
「うん。たまにはいいでしょー」
「…………ナルはどうなさいましたの」
「今いないから平気。帰ってきたらまた紅茶淹れるし」
 麻衣は肩をすくめて、真砂子の向かいにぽすんと腰をおろす。
 ふ、と。
 真砂子のぬばたまの髪を飾る花飾りに目がいった。
 控えめな、けれど丁寧なつくりの、桜の花を散らした飾り櫛。
「それ、可愛いね。はじめて見る」
「……………」
 真砂子が一瞬言葉に詰まって、麻衣はぴんときて笑った。
「あ。わかった。安原さんに貰ったんだ」
「………そうですわよ。ちなみにこの半襟もそうですわ」
 桜の刺繍が施された、きれいな半襟。
「なんで、いる時に着てこなかったわけ?」
「恥ずかしいからですわよ!」
 珍しく、白磁の頬がわずかに染まっている。
 麻衣はくすくす笑いながら携帯電話を取り出した。
「メールしちゃえ♪」
「麻衣!」
「だって、喜ぶよ?」
 きっと。
 悪意の欠片もない琥珀色の瞳を、むしろ恨めしげに見返して、真砂子は溜息をついた。
「直接は見せたくなかったから今日来たんです。どうせオンエアされるんですから見ますわ。………それより、麻衣はなにも貰いませんでしたの?一応、バレンタインに渡しはしたんでしょう?」
 真砂子にとっては単なる話題転換だった。彼女だって、あのナルが、ホワイトデイになにか贈り物をするなどとは考えてもいない。
 まさか、とさらりと流されると思った彼女は、いまだ可憐な趣のある顔に複雑怪奇な表情を浮かべた親友を見て、驚いた。
「まさか、頂きましたの?」
「…………………………………まあ、一応、ね」
 渋々、という口調の返答に、真砂子は驚いて目を瞠った。
「凄いですわね。………何を貰ったのか、聞いてもいいですわよね?もちろん」
「……………聞いてどうするの?」
「麻衣だけが知ってるのは不公平ですわ」
 真砂子は、自分の頭を示してにこりと笑う。
 麻衣は溜息をついて。
 ソファから立ち上がった。
 自分のデスクから分厚い本を取り上げて、ソファに戻ると真砂子に渡す。
 ハードカバーの重厚な本は、明らかに新本ではなかったが、それなりの趣を醸し出していた。
「……………なんですの、これ」
「だから、これ。もらったの」
「…………英語の、本?」
「うん、そう。統計に関する初歩的な教科書だと思えって所長様は仰ってたけど」
 麻衣の口調が皮肉になるのは致し方ないのかもしれない」
「リンさんに、郷に入っては郷に従えとか言われたらしくて。………で、これ。ナルがパブリックスクールの時に使ってたらしいんだけど、まだきれいだから勉強しろ、今のままでは使えないってさ」
「…………………」
 半ば溜息混じりの説明に、真砂子はきれいな瞳を瞠ったまま声が出ない。
「で、これ、宿題なわけ。春休み中に、ある程度は目を通せって。…………素敵なプレゼントもあったものだと思うよねえ………」
 麻衣は、溜息をついた。


 本を渡された時の戸惑いは、まだ忘れない。一体なにがおこったのかと思ったのだ。
 思わず固まった麻衣に、ナルは怜悧な声で告げた。
「これをやる」
「これ?………ナルの本?」
「統計処理の入門書だ。パブリックスクールで使ったものだから、お前でもなんとかなるだろう。今のままでは、SPRに入った時に困る」
 さらりと答えられて、麻衣は返す言葉を完全に失ったのだ。


「……………で、でも。自分の使った本をあげるのって、なんだか素敵じゃありません?」
「じゃ、真砂子、貰いたい?こういうのとか。そうじゃなくても、安原さんの司法試験の参考書とか?」
「…………………あたくしには必要ありませんもの」
 真砂子はにこりと笑って、回答を回避した。

 真砂子には不必要、でも、麻衣には必要。
 それなら、真新しい本より、彼が使った本がいい、かもしれない。

「でもね。ホワイトデイに貰いたいものじゃないよね。別に期待してたわけじゃないけど」
「貰えただけいいじゃありませんの」
「そういう問題じゃないの!」
「すこしはホワイトデイらしいロマンチックが欲しかったところですの?」
 臈長けた少女は、極上の笑みを浮かべて、言った。
「まあ、仕方ありませんわね。相手を選んだのは麻衣じゃありませんこと?」
「それとこれとは問題が違うと思う………」
 麻衣は情けない表情で。
 難物な「宿題」を、見直した。

 必要なものを、自分の手のぬくもりを残すように伝えて。
 それは、確かにある意味の思いやりだろうけれど。

 やっぱり、ものは選んで欲しいものなのだった。








 初・ホワイトデイ小説。………いままで縁がなかったというか、故意に無視してきた行事ですが、なんとなく思いついたので話にしてみました。博士は非道なのか、それともひっそり優しいのか(笑)でも、欄外に幼い日の彼の書き込みがあったりなんかしたら、いいなあとか(爆)
2004.3.19HP初掲載
 
 
back to novel_index
back to index