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red roses




「なあ、ナル」
 声をかけられて、ナルは視線だけを滝川に向けた。
 返答はもとより期待してなかったらしく、滝川は上機嫌で続ける。
「クリスマスイブの夜、麻衣のこと借りてもいいか?」
「………麻衣は貸借物件なのか?」
「そーゆー意味じゃねーだろーよ………」
 麻衣は、仮にも彼の「恋人」だ。だからこその貸し出し許可申請だったというのに、さっぱり通じてくれなかったらしい。
 がくり、と脱力した彼は、しかしさほど時間をかけずに復活した。溜息は禁じ得ないが、はっきり言えばいつものことだ。
 資料室から出てきて会話を聞いていた長身の調査員が、くすりと笑って上司に補足説明をする。
「もちろんそういう意味ではありません。滝川さんと私とで、谷山さんと、それから原さんにちょっとしたクリスマスプレゼントをしようと思いまして。彼女のお休みを頂きたいんですよ。私も、24日は年休を」
 リンの休暇申請をナルが蹴ることはまずない。
 漆黒の美貌の青年はかるく頷いて、優雅な動作でファイルをめくった。

「麻衣からその話はきいてない。だから即答はできないが、麻衣から申請があれば僕はかまわない。今年は帰国する予定もないし、特に調査も入っていないから、一日の休みくらい大したことはない」
 毎年クリスマスには帰国していたが、先月末から今月にかけて一時帰国したから、今年は日本にいることになっている。事務処理を急ぐ必要はない。
 そして、麻衣の処理能力はここ数年で相当上がっている。溜めている仕事はなく、したがって一日休んだ程度では支障にはならない。
 低い、凪いだ声を、綺麗に澄んだ高い声が遮った。

「ちょっと待ってよ!」

 お茶の追加を運んできた麻衣が、相好を崩した滝川の頭をぺし、とはたく。
「あたし、そんな話聞いてないよ」
「そりゃ、ナルの許可を貰ってからって思ってたから……イヤなのか?」

 心配げな顔になった滝川に、麻衣は溜息をついてから、黙ったままお茶のサーブをはじめた。
 白磁のカップをナルの前に、リンが座る席にも同じものをおき、滝川の前にアイスコーヒーのグラスをおいてから自分のマグカップを持ってソファに座る。

「ご迷惑でしたか」
 リンが苦笑しながらソファに座って、麻衣は二人の顔を見比べてもう一度溜息をついた。

「あのね。真砂子だって予定あるんだよ?」
「23日午後と24日、それに25日午後は大丈夫だとおっしゃってましたが」
「てことは真砂子にはちゃんと事前に話したんだ」
「………あのお嬢ちゃんは仕事詰まってるからな。……気に障ったのか?悪かった、麻衣。ごめんな」
 悄然、という形容にぴったりあてはまりそうな反応に苦笑してかぶりをふってから、麻衣は、自分に視線を向けている正面の白皙の美貌を一瞬見つめて。
 そして、宣言した。

「ごめんね、リンさんもぼーさんも。イブはあたし、外出ないから」
 絶対に、という台詞を言外に含ませて、にこりと笑う。

 ここまで強硬な反対は、完全に予測外だったのだろう。
 リンは軽く瞠目してから、溜息をつき、そして滝川は絶句してからなんとか言葉を絞り出す。
「………でもな」
「だってクリスマスだもん」
 理由にならないような理由で、主張をくりかえした麻衣を、低く凪いだ声が名前を呼んで、制する。

「麻衣」
「なに?」
「この調子だと予約や準備もしてあるんだろう。お前だけならともかく、原さんの予定もある。行って来い」
「だって」
「僕のことを気にしているのなら、構わない」
「だって、今年は……」
 言いかけて、麻衣は周りをはばかったのか口を噤んだ。
 俯いた彼女を見やって、軽く息をつく。彼女の逡巡の理由は知っているから、ナルは視線を滝川に転じて言葉を継いだ。

「ぼーさん。その、クリスマスプレゼントとやらは何時までかかるんだ?」
「あ、えーと。そんなに遅くは」
「10時までにはきちんとお送りします」
 リンの助け船に頷いて、ナルは淡々とした口調は変えないまま、続ける。

「だそうだ、麻衣。僕は本を読んでるから、構わない」
「でも」
「……………………」
 納得しない麻衣に、ナルは最上級の溜息をついて、そして、最大限の譲歩を見せた。
「それに、クリスマスは24日ではなくて25日」
「………ナル」
「だから、気にしないで行ってくればいい。行きたくないなら無理に行く必要があるとは思えないが」

「………麻衣。正直に言ってくれていい。来たくないか?」
 滝川が真顔に戻って麻衣に尋ねた。
「都合の問題じゃなく、麻衣がどうしたいかを確認してから決めるべきだった。それは俺たちが悪かった」
「ええ、そうですね。無理強いする気はありませんよ」
 リンは柔らかい微笑みで、同僚の少女を見やった。
 何も気にすることはないのだと、視線だけで意志は伝わる。
 麻衣はリンと滝川の顔を、そしてナルの瞳を見つめて、そして軽く俯いた。
「真砂子も来るんだよね」
「ああ」
「綾子とかは?安原さんとか」
「今年はお姫さま二人、と思ってたんだが……………」
 滝川の言葉が、途中から弱くなった。

 麻衣はうつむけていた貌をふい、と上げて、笑う。
 ふわりと、細い髪が幾筋か散った。
「10時くらいには帰れるんだよね?」
「はい。ちゃんとお届けしますよ」
「何時から?」
「昼過ぎだな。2時過ぎ待ち合わせ」
「谷山さんは1時半頃お迎えにいきますよ」
「それじゃ、ナルのご飯作れるかな。………所長、24日、一日おやすみ貰えますか?」
「どうぞ。…………それならオフィスは二連休だな」
 25日は本国、いや本部の上司から休みにするよう言われている。
 そして、本を読むなら自宅の書斎の方が移動時間がない分効率がいい。

「ありがとう、ナル。………それじゃ、行く。ぼーさんもリンさんも、ありがと。それから、せっかく計画してくれたのに、すぐありがとうって言えなくて、ごめんね」
 ぺこりと頭を下げた麻衣に、滝川はほっとしたように笑った。
「いやいや。麻衣が謝ることじゃないだろー」
「そうですよ、谷山さん。もともと、こちらが無理をお願いしているんですから」
「そ。無理言ってるのはこっちだからな。だからもちろんナルちゃんへのお土産も考えてあるからな?」
「そうなの?」
 きょとんと目を瞠って。
 それから麻衣は笑いだした。


     †


 リンが運転する車が滑り込んだのは某高級ホテルのエントランスで、そこでドアマンにキーを渡して車を降りる。
 リンは案内を断ってフロントで二言三言話をすると、麻衣を連れてエレベーターに乗り込んだ。機械音のほとんどしないエレベーターは、特有の不快感をほとんど感じさせずに高層階で止まった。
 毛足の長い絨毯が敷かれた静かな通路のむこうで、見はからったように扉が開く。

 見慣れた茶髪がまず見えて、滝川が顔を覗かせた。
「お、麻衣」
「ぼーさん。なに?これ」
「お楽しみお楽しみ♪お姫さまって言っただろ?」
「そりゃ聞いたけど」
「真砂子ちゃんはもう着いてるからなー。何でも使って良いから、3時半までに着替えてくれな」
「それでは、私たちは別室待機、ですので」
 くすりと笑ったリンが補足する。
「それじゃな」
 それだけ言い残して、麻衣と入れ替わりに滝川は部屋を出ていった。

 肩を並べて廊下を歩いていく二人を半ば茫然と見送って、麻衣は部屋の中に視線を転じる。
 セミスイートらしき部屋には、スカートにセーターという珍しい姿の真砂子が、困惑を滲ませた苦笑を浮かべて立っていた。
「麻衣、こんにちは」
「うん、けっこう久しぶりだよね、真砂子」
「そうですわね。このところ年始年末番組の収録が多かったから、そちらに行けなかっのですわ」
「ひと段落ついたの?」
「ええ。昨日のでだいたいは終わり。あとは生中継が一本あるそうですけれど。………あたくしは別にタレントじゃありませんのに」
「仕方ないよ。真砂子って美人だもん」
 霊能者、という点を差し引いても、充分以上に画面の華になるのだ。年始年末、着物の映える彼女が引っ張りだこなのはむしろ当然かもしれない。

 苦笑した麻衣の表情が、纏った気配ごとぱっと変わった。
「あ、そう。あのね、真砂子にも会えるんならってクリスマスプレゼント持ってきたの」
 笑顔を咲かせて、手に持っていたコートをソファの背に掛けてバッグを開いて。ちいさな包みを取り出して、差し出す。
 それを苦笑しながら受け取った彼女は、自分もテーブルにおいてあったハンドバッグを開いた。
「ありがとうございます。………あたくしも同じこと考えてましたのよ。はい、これ」
 白い包みを渡されて、琥珀色の瞳が輝いた。
「ありがとう!なあに?あけてもいい?」
「どうぞ。あたくしも開けても?」
「うん。気に入ってくれると良いんだけど」

 頷いて、麻衣は渡された包みの白いリボンをそっと解いた。
 プレゼントのリボンをほどくのは何か特別な気がする。勿体ないような、けれどもどかしいような、そんなどきどきがたまらなく嬉しい。
 やはり白い箱、それを、やはりどきどきしながらそっと開く。

 細い銀色の大きな輪が、最初に目に入る。
 細い指先がそれを持ち上げると、数粒通されたパールがするすると動く。

「チョーカー?」
「ええ。………こちらはイヤリング……イヤークリップって言うんですの?可愛いですわね。ガーネットですの?」
 真砂子が開けた小さなジュエリーケースには、小さな蝶に小粒の赤い宝石があしらわれた金のイヤークリップがおさまっていた。
「うん。ガーネット。ルビーにしようと思ってたんだけど、ガーネットの宝石言葉教えて貰って、こっちが良いと思ったの」
「何でしたの?」
 まっすぐに見つめる真砂子の黒い瞳。
 麻衣はにこりと笑って、応えた。
「色々あるみたいだけど、真実、って」
「それは褒められているんですわよね?」
 真砂子は真顔のまま問いかけて、それからあでやかに笑った。
「ありがとう。耳飾りってはじめてですわ。それにこれなら和服にもつけられそうですわね。考えてくれたんでしょう?」
「うん、一応」
 ピアスホールのない彼女には、ピアスは贈れないけれど、和服にも合うものをと探したのだ。
 よかった、と笑顔と一緒に息をついて、麻衣は銀色のチョーカーを捧げ持った。

「これ、ありがとう。凄く綺麗」
「気に入って貰えました?麻衣には真珠だと思いましたのよ」
「………なんで?」
「麻衣じゃありませんけど。宝石言葉」
「なんだっけ」
「健康」
 即答に、麻衣は一瞬絶句した。
「………そりゃそうだけど!」
 予測通りの反応にくすくす笑いながら、真砂子は続ける。
「それから、純粋。ぴったりでございましょ?」
「…………………なんか褒められてる気、しないんだけど。でも、ありがと。嬉しい。あたしには勿体ないくらい」
「それじゃ、勿体なくないように成長してくださいな」
 きれいに切り返して、美貌の少女は艶やかに笑った。

「えっと。そういえば着替えだったよね」
 一呼吸おいてから話題を変えた麻衣に、真砂子はツインのベッドを指してみせた。きちんとメイクされたベッドの上には、箱入り紙袋がふたつ置かれている。
「ええ。それだそうですわ」
「3時半だっけ」
「ええ」
 頷いて、真砂子は言葉を続けた。

「左があたくし、右が麻衣の、だそうです。…………一緒に開けてみたくて、待ってたんですのよ?」
「あ。それはごめん。…………このサイズだと、片方が服で、片方は靴?」
「だと思いますわ」
「………………」
 麻衣はかるく溜息をついて、そしてベッドの上の巨大な箱を、えい、と開けた。


     †


 煌めくシャンデリア。
 盛装した、男女。
 若いカップルが多い、否、ほとんどを占めているのは日本独特の光景だろうが、クリスマスイブとあれば仕方ないのだろう。お陰で折角の盛装も、「精一杯の」という形容をつけたくなるものもないではないけれど、一流ホテルメインダイニングの華やかさは、一応損なわれてはいない。
 ―――欧米のそれと比較すれば、多少騒がしく、かなり品が欠けてはいるにしても。

 何だか自分がとんでもなく浮いている気がして、どうしても落ち着けない。麻衣は緊張で固くなっている身体をすこしほぐそうと努力した。
 はー、と溜息をついて、ぎこちない手つきで銀のフォークを操る。少し気を抜けばオードブルの皿の上でとんでもない音を立てそうで、はっきり言って怖い。

「麻衣、顔が強張ってますわよ」
「う。……………場違いなんだもん」
「大丈夫ですわ」

 にこりと微笑んだ真砂子は、深紅のベロアのカクテルドレスを綺麗に着こなして、同じ深紅の薔薇でまっすぐの黒髪を飾っている。
 上品でシンプルなラインのドレスは、並はずれた美貌を誇る彼女にとてもよく似合っていた。間違いなく、この中で一二を争う「美女」ぶりで、優雅な所作もその「場」にしっくりとはまっていた。
「だって、真砂子は浮いてないもん」

「麻衣も大丈夫だぞ。可愛い可愛い。リンの見立ては確かだ」
「私の見立てはとにかく、良くお似合いですよ」
 拗ねたような麻衣の口調に、仕立てのいいスーツを着た二人が宥める。
 リンはともかく滝川がスーツを着こなしているのは多少意外で、麻衣はすこし笑った。
「ぼーさんも似合ってるよそれ」
「麻衣もな」
 真砂子と同じ赤、けれど色調は随分明るいカーマインレッドのドレスは、肩のラインが開き気味で綺麗な鎖骨のくぼみと白い肌をみせているけれど、やわらかくふわりとしたかたちを描いていて、どちらかといえば可愛らしい印象を醸し出している。
 光沢を抑えた布地の効果もあるのだろう、サーモンピンクの小輪のバラの髪飾りと相まって、真砂子とは違って彼女のイメージは「少女」だ。

 ぬばたまの黒髪と黒曜石のような瞳、それに硬質の美貌の真砂子にはシックな大人の。
 やわらかな淡い髪と琥珀色の澄んだ瞳、それにどちらかといえば愛らしいこづくりの容貌の麻衣には明るい少女の。
 選んだリンのセンスは確かに賞賛されるべきだろう。

 対のように目を惹く二人は確かに目立っていて、そして実際真砂子に負けず劣らず、麻衣も魅力的だった。
「だからな、力を抜く。今日は二人ともお姫さまだからな」
「そうです。食事を楽しんでください。マナーを気になさっているんでしたら、同席者は私達ですから緊張する必要はありませんし、あんなものは楽しく食事ができればそれで良いんです」
 縁起の良い笑顔。
 そう呼んでいる同僚の表情と、隣の席の親友のくすくす笑いにようやく緊張がほどけてきて、麻衣はかるく溜息をつく。

「そうだよね。めったにない機会だもんね」
「ええ、そうです。楽しまなければ損ですもの」
 真砂子はにっこり笑って、綺麗な赤に透けるワイングラスを掲げてみせた。


 どうでもいいことだが、フルコースのディナーというものは、おそろしく時間を要する。
 ひとつひとつの料理の量そのものは少ないのだが、皿数は多い。必然的に、持ってきて、食事をして、下げて、また持ってきて、と、同じことを繰り返すうちに、どんどん時間は経っていく。

 最後の料理の皿が下げられた時に、何の気もなく時計に目をやって、麻衣は瞠目した。
 着替えを済ませてからスタイリストのところに連れて行かれた時にも同じことに驚いたのだけれども――――その時は、化粧とヘアメイクが終わったら一時間が経過していた――――食事をはじめたのは確かに午後6時すぎだったのに、8時を回っている。

 彼女が時計に視線をやって驚いたのに気付いたリンが、微笑して口を開いた。

「楽しめましたか?谷山さん」
「うん、最初は緊張したけど」
 料理は美味しかったし、会話はもちろん楽しかった。
 目を奪うようなきらびやかさも華やかな雰囲気も行き届いたサービスも滅多にない経験で、どきどきした。
 ほとんどワインには手をつけなかったから酔ってはいなかったけれど、白い頬は淡く上気して、瞳はきらきら輝いている。

「それは良かった」
 リンは目を細めて笑って、そして腕の時計にちらりと視線を走らせる。
「あと、デザートとお茶だけですから、大丈夫ですよ」
「………そんなに心配してないのに」
「大丈夫だと言っただけです」

 リンはくすりと笑って、運ばれてきたデザートワゴンを視線で示す。
 さあ「お楽しみ」ですよ、と隻眼が笑って、麻衣と真砂子はすぐに色鮮やかなケーキに目を奪われた。


     †


 ホテル最上階のラウンジバー。
 カウンターではなく、夜景のパノラマが眼下にひろがる窓際の瀟洒なテーブル席で、豪奢な美女がカクテルを傾けていれば嫌でも目立つ。端正な容貌の、明らかに年下の青年を連れていればなおさらだ。

 バーに入った瞬間二人を見つけて、滝川は苦笑した。
 寄ってきたウエイターを手でおさえて、真砂子をエスコートして二人に歩み寄る。安原が先に二人に気付いて、椅子を降りて笑顔を見せた。
「お待ちしてましたよ」
「お前さんが待ってたのは真砂子ちゃんだけだろ」
「そんなことはありませんよ、滝川さん」
 にやりと笑った滝川に、一筋たりとも表情を変えずに鉄壁の微笑で切り返して、安原は視線を真砂子に向けた。
「さて、姫君。すぐに帰られますか?それとも軽いカクテルでも?」
「もう遅いですから」
「では、お送りします」
「あの部屋、一応明日までは押さえてあるから泊まれるけどな?」
 口を挟んだ滝川を軽く睨んで、真砂子は差し出された安原の腕をとった。
「荷物はフロントでしたわよね?リンさん」
「はい、原さん」
「では、今日は失礼しますわ。明日はオフィスはお休みですの?」
「ええ、一応本部からの通達で」
「では、明後日あたりにケーキでももってお邪魔いたします。………安原さん」
「はい、参りましょう。それでは失礼します、松崎さん、滝川さん」
 軽く会釈して、安原は注意深く一歩踏み出した。
 真砂子の靴のヒールは良くみるとかなり高い。そうでなくても洋装に慣れているとは言い難い彼女を転ばせては大変だった。

「ほんとは、麻衣と真砂子、今日はここに泊まらせるつもりだったんでしょ?」
 安原の座っていたスツールに腰掛けて年少組の背中を見送っていた滝川は、唐突に問われて苦笑した。
「まあな。…………麻衣があんなに嫌がるとは思わなかった」
「当たり前だと思うけど?あんなでも一応恋人よ?」
「でもな。去年まではあんまり拘らなかったと思うんだよ。だからこんな計画立てたんだけどな。だいたいナル坊はイギリスだったし」
「今年に限ってってこと?」
「ああ。………ちょっと変だったんだよな。絶対にイブからクリスマスは家から出ないって言い張って」
「ナルのそばから離れないってこと?実質は」
「だろな。………ちょっと変だろ?」
「…………まあ、珍しいわね」
 クリスマスだから、という理由であそこまで固執するほど、麻衣は記念日好きとは思えない。ナルをひとりにしたくないという気持ちが強いのかもしれないけれど、むしろそれよりも、彼女は仲間の気遣いには過敏なほどなのだ。普段なら、無下にすることなど考えられない。

「その上、あのナルが、麻衣が拘ってる理由を分かってて、しかも納得してた」
「分かってたの?しかも納得?」
 綾子は眉を顰める。
「何それ」
「でもそうとしか思えないんだよなあ。で、ちゃんと了承の上でナルちゃんがなんと御自ら説得して、それで、麻衣はこっちに来たんだぜ?」

 折角のあでやかな美貌だというのに、眉間に皺を寄せた綾子は苦虫をかみつぶしたような顔になる。
「………………………変だわ。なにそれ。気持ち悪いわよ」

 麻衣が拘ってるのも変なら、それを分かっているナルも変だった。
 しかも拘っているのをナルが納得しているのもおかしい。
 麻衣を説得するナルに至っては、どう考えても異常としか言いようがない。

「どう考えたって異常だわ。何だっていうの?」
「俺が知るかよ」
 どこか投げ遣りに返して、注文を取りに来たウエイターにバーボン、と告げる。
「何かあるんだろ。………リンに聞けば分かるんじゃないのか?」

「そのリンはどうしたのよ。一緒じゃないの?」
「麻衣を送りに行った。あいつもほとんど飲んでないからな、戻ってから飲むだろ」
「戻ってはくるのね?」
「ああ。混んでなければもうじきだろうさ」
「あんたたちはどうするの?今夜」
「シングルふたつとってある。お前も泊まっていけば?どうせ遅くなるし、麻衣たちにとった部屋、あいてるぜ?」
「そうね。そうさせてもらうわ。その方が、話も気が済むまで聞けるわね」
 綾子はかるく溜息をついて、滝川のバーボンを持ってきたウエイターにカクテルの追加を告げた。


     †


 気配。
 
 先刻読み終わったばかりの文献の補遺にざっと目を通していたナルは、部屋を支配していた気配がふ、と変わったのを感じて、顔を上げた。一瞬目に入った時計は9時半をすこし過ぎた時間を指していて、かるく眉を眇める。

「ただいま」
 密やかな声が、広いリビングに韻いた。
 細心の注意を払ったのだろう。鍵の動作音はともかく扉を開ける音も足音も忍ばせてリビングの扉を開いた少女は綺麗な笑みを浮かべて、そこに立っていた。

「早かったな」
「うん。予定よりね。………シチュー、食べてくれた?」
 コートも脱がずに尋ねた麻衣に、ナルは溜息を返す。
「あれだけ煩く言われればな」
「良かった」
 ふわり、とこづくりの白い貌が緩む。
「リンはどうした」
「ホテルに戻ったよ。今日は三人で飲むんだって。………ふたりでどうぞって、かるいオードブルとスパークリングワイン貰っちゃった。お土産って」
「……………」
「あ、ちゃんと、ベジタリアン用って頼んだから大丈夫だって言ってたよ」
「そういう問題じゃない」
「そう?」
 麻衣はくすりと笑って、センターテーブルの上に「お土産」を置く。衣類の入った紙袋を床に置いて、それからコートを脱いだ。
 明るい赤のドレスが顕れて、空間の彩が変わる。

 ほんの一瞬。

 けれど確かに一瞬息をのんだナルは、溜息に変えて口を開く。
「………それが、リンのプレゼントか?」
「うん。そうだって。…………おかしい?この格好」
「別に」
「よかった」
 さらりと応えたナルに、麻衣も衒いのない笑みを返す。
 そのまま、ソファに座ったままのナルの足元に座り込んで、漆黒の瞳を見上げた。

「麻衣?」
「あのね、髪の花、とってくれる?自分じゃ取れないの。傷付けそうで怖い」
「……………」
 答えは返らない。
 それでも長い指先が、淡い色彩の髪に留められたサーモンピンクの薔薇の花を外して、センターテーブルに置いていく。

 やわらかな髪も、繊細な花も。
 どちらも傷付けないように。
 細心の注意を払って。

「ごめんね」
「何が」
「結局遊びに行っちゃったし。ナル、ひとりで」
「行けといったのは僕じゃなかったか」
「そうだけど、でも」
「同じことを繰り返すのは好きじゃない」
 冷えた声が言葉を遮る。

 麻衣は声を飲み込んで、そして口調を変えた。

「………お土産のワイン、開ける?シャンパンじゃないけど、お薦めって」
「……………そうだな」
「着替えようか」
「苦しいのか?」
「ううん。別に、そんなことないけど」
「それならそのままでいい」
 最後の薔薇をテーブルに置いて、そしてついでのように冷えた唇が首筋の白い肌に触れて離れる。

「花はいけてくるんだろう?」
「うん。花瓶あったから。……お茶は?」
「ワインを開けるんだろう?」
「うん、そうだね」
「それなら今はいい」
「それじゃ、このお花、花瓶に入れたらすぐ来るね」
「それからグラスを二個」
 ナルに指摘されて、麻衣は小さく笑った。
 了解、とこたえて、立ち上がる。

 通り過ぎるついでのように、冷えた額に赤い唇がキスを落として、麻衣は花を抱えてふわりとひろがるドレスの裾を翻した。
 鮮明な彩が踊る。

 あなたと過ごす、この場所では多分最後のクリスマスの夜に。

 何よりもあざやかな気配とたいせつなぬくもりを。
 それだけが唯一在るかのように、自らの意志で心を満たした。




 な、なんでこんなに長くなったんだ………?(お前が聞くな。)
 ええと、なんとか間に合った、クリスマスSSです。一応クリスマスです。でも意味不明です(乾笑)セルフ設定ふたつも密かに伏線張った上に(張ってどうするよ)、エピソードがふたつ。ああ、わけわかんない……(涙笑)絞れば良かった……。あう。おまけにファイル名で裏タイトルまでついてるし?(遠い目)←言わなきゃ誰も気付かない。
 毎度言ってることですが、最後まで読んでくださった心の広く優しい方は、ついでに掲示板とかメールとかで、批判でもなんでもいいのでひとこといただけると嬉しいです。よろしくお願いします。
2002.12.24 HP初掲載
 
 
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