back to novel_index |
back to index |
ああもう、予定外だよーーーー!!!と。 天に向かって意味もなく絶叫したかった。本当に。 真冬。 幽霊とは縁遠い季節のはずだった。 日本の幽霊はなぜか夏に出る。 毎年この時期は確実に依頼は減るし、結果的に事務所に籠もっていることが多くなる。新規の依頼がなければ事務仕事ももちろん減る。人は集まっても仕事は集まらないはずだったのだ。 それが、今年は事情が違った。 確かに依頼は殆どない。 それだけは例年通りだったが、年が明けてからすぐに所長の同僚その他の研究書の新刊が偶然連続し、その整理が一段落したかと思ったら、SPR本部から膨大な資料の山が送りつけられてきた。 デジタル・アナログ両方にわたるそれは、つい最近行われた調査のデータで、上司である博士にとって非常に興味深い内容を含んでいた。 当然、山のようなデータ整理は研究員や事務員にも回ってくる。 かくして、本来なら閑古鳥が鳴いている季節だというのに、SPR日本支部は2月中旬にさしかかってもフル稼働状態になっていた。 別に、仕事があるのが不満な訳じゃない。 それは真実で、自信を持って断言できる。 むしろ、相場より遙かに高い時給を貰っている身としては、仕事がさっぱりないよりはあったほうがいい。それに、今も忙しいけれど、調査に追われているときのような殺人的なスケジュールな訳ではない。 上司の機嫌も良く、適度に忙しい職場はそれほど悪いものじゃない。 内心で呟いて、麻衣はもう一つ溜息をつく。 問題はただ一つ。 今が、2月のはじめであること────ひらたく言ってしまえば、バレンタインが近いということ。 つまりはそういうことに収束する。 一応「恋人」であるところの所長様は、もとよりそんな年中行事に関心はない。 彼よりよほど楽しみにしているメンバーには、とりあえず目星をつけてあるものを買ってお茶の時間に渡すことにしている。綾子も真砂子も何か持って遊びに来るだろうから、やはり例年通りティーパーティになるだろう。だから、それは問題ない。 けれど、他の人に渡して本命を抜きというわけにはいかないのだ。 彼は日本人ではないから、女の子が好きな人にチョコレートを渡す、という日本的バレンタインに拘泥するとは思えないが、れっきとした日本人の女の子である自分にはどうしても気になる。 自己満足なことは間違いないけれど、やっぱり「本命」にチョコレートくらい渡したい。 暇ならば、手作りとかも考えていたけれど、とてもそんな時間はない。 買いに行くにしても、時間的制約を考えれば、今日明日中には買わないと間に合わないし、明日時間が取れるという保証も実はない。 普段なら百貨店に出店などしていないチョコレート専門店のカウンターの前で、麻衣はひたすらぐるぐる回る思考を半ば持てあましつつ、困り果てて溜息をついた。 「………なにか、お伺いしましょうか?」 唐突に声をかけられて、麻衣ははっと顔を上げた。 殺人的に忙しいこの時期に、店員側から声をかけてくることは実は結構珍しい。お客の切れ目を狙ったのだろう、自分とおそらく大差ない年齢のアルバイトらしい店員に、麻衣は僅かに焦って謝った。 「すみません。さっきからうろうろして」 「気にしないで下さい。………気持ちわかりますよ」 「………あはは。すみません」 軽く会釈した麻衣に、にこにこと、彼女は笑って首を振る。 今は売り手側の彼女も、誰かに渡すためのチョコレートを用意するために悩んでいるのかもしれない。 「どんなものをお探しですか?」 「………あんまり甘くないのがいいんですけど」 「甘いの苦手な方なんですか?」 「苦手って言うか、好きじゃないんです。で、困ってるんですけど………」 はあ、と溜息が漏れる。 麻衣は白いコートを着た華奢な肩を殆ど無意識に竦めた。店員は一瞬言葉を選んで、躊躇いがちに口を開く。 「………それは、チョコレートはやめた方がいいんじゃないですか?………チョコレート屋の言うコトじゃないかもですけど」 「……思いますけど。でも、せっかくバレンタインなんだし」 バレンタインなんだから、チョコレートを渡したい。 「バレンタインにはチョコレート!」、というこの国独自の図式がお菓子屋の思惑であることも、それに踊らされているということも分かっていても、物心つく前からある慣習はすっかりインプリンティングされてしまっている。 それは店員の少女も同じらしく、こくこく頷いた。 「あ。それは思いますよねー。男の人って甘いもの嫌いそうで悩みますけど、やっぱり」 「そうなんです。やっぱり一つくらいは食べさせて、ちょっとは美味しいと思わせたいじゃないですか!」 握りこぶしで力説、という勢いの麻衣につられて、彼女も真剣な顔で頷く。 「そうですよね!…………あ。でも、それって………彼氏さん、ですよね?」 片思いの人へ告白、するのにそれでは、さいしょからふられてしまう。 かなり真剣な危惧を浮かべた店員の目を見返して一瞬きょとんと首を傾げた麻衣は、僅かに苦笑して頷いた。 「え。あ、そう、ですけど」 「あ。よかった。………でも、いいですね」 「え?何がですか?」 「嫌いだってわかってるものを渡して食べさせちゃっても、絶対大丈夫ってことですよね?羨ましいですよー」 笑顔でそう言いきってから、わずかに言いよどんで制服のエプロンを見下ろして───。 店員の少女は思いきったように、けれど声を潜めて尋ねた。 「………失礼なんですけど。もしかして、あの、すっごくきれいなひとですか?いつも黒い服で、お客様と一緒にいらっしゃる」 「え!?」 麻衣は思わず目を瞠る。 店員の少女はえへへ、と悪戯っぽく笑った。 「あ、びっくりされました?すみません。でも、いっつもここ、おふたりで一緒に通るじゃないですか?あれだけ美形な人だと、覚えちゃいますよ〜」 毎日、ではない。 せいぜい三日に一度程度、思わずはっとするほどの美貌の青年が通るのに彼女が気付いたのは、バレンタイン期間限定のバイトに入ってすぐだった。バイト仲間の間で話題になるのと同じ頃、彼のそばに少女がいるのに気付いた。 ほとんど無彩色の風景になりそうな間断なく流れていく人混みの中で、漆黒の青年と白い少女は、二人の纏う周囲の空気ごと鮮明に浮き上がって見えた。 そして、いつの間にかその姿を結構楽しみにするようになって、もうすぐ単調なバイトが終わるのが残念な気さえしていた。 だから、その片割れの少女が、遠目で見るより綺麗な瞳を、かなり真剣に商品に注いでいるのを見つけたときには、ちょっとどきどきしたのだ。 「って、そんなに目立ってます………?アレ」 「アレって。………はい、密かにみんなで楽しみにしてます。あんまり気分良くないですよね。すみません」 「いいえ。気にしないで下さい……」 くすくす笑う彼女に、麻衣は溜息をついた。 善し悪しは別として、彼が非常識な美貌を誇っていることは確かで。 そしてその彼が、人の目を惹くことは分かっている。 麻衣は軽く首を振って、言葉を継いだ。 「………あんまり甘くないの、心当たりあります?」 「あ、はいすみません」 すっかり脱線していたことに気付いて、彼女は首を竦める。 「えーっと。これとかこれなんか、かなりカカオ分が多いビターですから苦めです。甘さも結構控えめだと思います」 本来の話題に戻って、麻衣の前には綺麗なサンプルがいくつか並べられた。 さほど迷わず、シックなイメージにラッピングされたシンプルなチョコレートを選ぶ。 ありがとうございました、と言葉を添えて手渡されたちいさな手提げに一度だけ視線を落として、麻衣は軽く会釈した。 「ありがとう、助かりました」 「いえ、お役に立てて嬉しいです。………バレンタインまではやってますから。また通られるのを楽しみにしてますね」 にっこり笑った店員の言葉に、麻衣は小さく笑って身を翻す。 華奢な姿はすぐに雑踏に紛れて、視界から消えた。 + バレンタインの装飾が賑やかに目に入る。 いくら慣れても好きにはなれない雑踏の中で、麻衣はちいさく笑った。 いくらビターでもチョコレートが甘いのは当然。 そのチョコレートを、嫌いだと分かっていて差し出しても、絶対大丈夫。 自信とか、そういうわけではないけれど、あの美貌の天才を相手にそれを確かに信じられるのは。 ───深く考えると結構謎だよね。 心の裡に呟いて、くすりと笑う。 さて、今日も仕事だ忙しい♪ 光沢の強い水色の空に向かって頷いて、麻衣は足を速めた。 |
去年もやった、プレバレンタイン話です。今年は麻衣ちゃんだけですね〜(他人事かい。/遠い目)去年と違って、バレンタイン話に続きます。当日のアップをお待ち下さい……いや、どうせまともにつづきゃしないんですが(吐血) それはともかく、少しでもお楽しみいただければ幸いです。 2002.2.12 HP初掲載
|
back to novel_index |
back to index |