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もう、何回目になるか分からない溜息がこぼれた。 躊躇いがちにのばした華奢な指は、冷たく硬い感触に触れる前に戻される。 これも、溜息と同じくらいに繰り返した、動作。 目の前においたシルバーグレーの電話を、まるで敵かなにかのようにきっと睨みつけ、彼女はまた、ゆっくりと溜息をついた。 べつに、電話に恨みがあるわけではない。 きわめて正常に機能しているそれを、正当な理由で使いたいだけだ。 別になにも、電話番号が問題なわけではない。 電話をかけようと思ったのが数日前、それから何十回と繰り返したシュミレーションで、覚えてしまった。 それでなくても、15桁以上の数字の羅列は電話のメモリにとっくに登録済みで、ひと動作でかけられるようになっている。 かけたいのは国際電話。 だから、時差は問題かもしれない。 今は朝、7時半をまわってしまった。 時計の短針を9戻す、かの地の時刻は、夜、10時半をまわったところ。 問題はないだろう。 恐らくもう帰宅しているだろうから、自宅にいるはずだ。 そして、たとえいなくても。 自宅に電話して、まだ帰っていなかったら、研究所に電話すればいいだけのことだ。 離日前に手渡された上質のメモ用紙には、見慣れた流麗な筆跡で10桁ほどの数字が書かれている。 オフィスのメンバーの中で、多分自分しか知らない、直通番号。 それは、麻衣だけに許された、仕事中の彼を仕事以外の理由で妨げることの出来る、特権だった。 ─────綺麗な指先が紙片を差し出したときの、漆黒の瞳の深い色。 甦りかけた記憶を、寸前で抑え込む。 麻衣は華奢な手で思わず胸を押さえた。 走った痛みの切なさを、無視する。 滲みそうになった涙は、唇を噛んで気付かない振りをする。 一瞬だけ目を閉じて。そして開いて。 ふいと視線をテレビに滑らせて、時間を見る。 7時、45分。 深刻な表情でしゃべり続けるニュースキャスターは綺麗に無視して、リモコンで電源を切った。 もう、出かける支度を始めなければ間に合わない。 結局、今朝も触れなかった電話を見つめて、麻衣は立ち上がった。 琥珀の瞳がひどく切なく潤んだことは、自身でも気付かないまま────。 電話をしたい。 何故? 話をしたいから。 どうして? 声を聞きたいから。 それならどうして、電話をかけないの?電話番号も、時差も、問題はないでしょう? ない、けど‥‥‥‥‥。 それとも、電話をかけて、拒まれることを恐れているの? 拒まれることはないってことも分かってるけれど。 それなら、何をそんなに怖がっているの? 自問自答を繰り返す。 糸口はあるはずなのに、それが見えないのは何故なのか。それとも、見えないのではなく、無意識に目を逸らしているだけなのか。 部屋を出際に一瞬だけ、もういちどちらりと電話に視線を滑らせて、麻衣は静かに扉を閉めた。 電話をしたい。声が聞きたいから。 それなら、声を聞いてしまったら‥‥‥? 抑揚を欠いた、けれど声質だけは美しい落ち着き払った声を、聞いてしまったら? 電話は出来ない。声を聞いてしまうから。 声を聞けば、気付いてしまうから。 胸に根付いてしまった、寂しさという感情に。 あいたい、と、泣きたいほどに希う想いに。 気付かぬまま、切ない渇望は、募る。 |
いつもとかなり毛色が違うかもしれません。短編です。 書きたい心情を上手く書けない未熟さ加減が口惜しかったりもします(苦笑) 読んでくださってありがとうございましたv 2001.2.3 HP初掲載
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