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「こんにちは失礼しますー!こちらSPRさん、ですよね!」 かららん、とドアベルが鳴って、安原は溜息をついて立ち上がった。 またか、という呟きはとりあえず心の中にしまって、来客応対用の笑顔を扉に向ける。戸口には紺のエプロンをした青年が大きな白い箱を抱えていて、片手に持った伝票とオフィス内を見比べていた。 「はいそうですが」 「ああよかった。こちらの、たにやま、まい、さんにイギリスからお届け物です。受け取りお願いします。………中身、アレンジですからお取り扱いにご注意くださいね」 海外から花を贈れるなんていうシステムを作ったのはどこの誰だとやはり内心だけで呟いて、安原は笑顔は崩さずオフィスの印鑑を出した。 差し出された伝票にぺたりと捺印して、大きな箱を受け取る。 ありがとうございましたーと一礼して出ていった配達員を見送って、安原は大きな箱を慎重にソファ前のセンターテーブルに置いた。ソファには既に似たような箱が二つ鎮座していて、もはや置き場所がない。 「これ以上来たらほんとに置き場所ないな」 呟いて、苦笑する。 また、からんとドアベルが鳴って、振り返った安原は笑顔に微かな安堵を滲ませた。 「ああ、リンさん。こんにちは」 「こんにちは。………何事ですか、これは」 黒い隻眼がソファセットに向けられていて、安原は苦笑する。 「花です。全部谷山さん宛で、全部イギリスからです。………差出人、読み上げましょうか」 「いえ結構です。……それにしても何でまた…………ああ、バレンタインでしたね」 自分の疑問に自分で答えを出して納得したリンに、安原は頷いた。 「はい。そうです。…………やっぱりバレンタインだからですか」 「そうとしか」 リンは硬質な唇にわずかな笑みをのせる。 「やっぱりそうですか。……谷山さん宛だから、最初何でか分からなかったんですよ」 「あちらでは男性から女性に贈る方が多いですから。………この前のクリスマスで………」 言いかけたリンの言葉は、再びドアベルの音で遮られた。 からからん、と鳴ったベルの音と一緒に、今度は顔なじみの国際宅配の配達員の青年が顔を出す。 「こんにちはー!」 見慣れた制服に、抱えた箱が大きい。 リンと安原は一瞬顔を見合わせて、それから応えた。 「こんにちは」 「今日は比較的軽いですよ、SPRさん」 「そうですか………あ、ほんとだ」 サイズだけはいつもと同じくらいの箱を受け取って、安原はわずかに目を瞠った。普段の、本や資料の詰まった箱はかなり重いが、これは片手で持てそうな程度には軽かった。 「本じゃないみたいですねー。……あ、受け取りお願いします」 伝票を眺めて内容物を確認していた彼は、はっと気付いたように伝票を差し出した。 安原は持っていた箱を床に置いてから印鑑を捺して、にこりと笑う。 「お疲れさまでした」 「ありがとうございました。それではまたー!」 帽子を取ってお辞儀をしてから出ていった彼を見送って、期せずしてほぼ同時に二人の視線は伝票に集まった。 「…………これは、SPRあてですね」 「ですね」 「勝手に開けるのはまずいですよね」 「……一応ナルに断った方がいいかと」 「……………でも、なんとなく、あれと似たような内容な気がするんですけど」 視線を背後のソファセットに流した安原を見やって、リンは嘆息した。 おもむろに口を開く。 「なおさらです」 低い声が韻いて、沈黙の空隙が落ちた。 「………ですね」 「はい。……ナルはまだですか」 「ええ、もうすぐ来ると思うんですけど」 ちらり、と視線を扉に流して、安原は大きな箱を今度はとりあえず自分のデスクの上に置いた。今は何も置いていないから不都合はない。 「それにしても、なんでまたこんなことになってるんでしょう。彼女がイギリスに顔出したのは今年に始まったことじゃないと思うんですけど」 「………たぶん、クリスマスパーティーの余波でしょう」 クリスマスにナルに伴われて渡英した麻衣は、彼のパートナーとしてSPRのクリスマスパーティーに出席した。 その結果、それまではごく限られた研究者に、デイヴィス博士の被験者もしくは協力者としてしか認識されていなかった彼女が、SPRの主要メンバー全体に「認知」されたのだ。 上流階級とは縁もなく、国籍も違う彼女が、反感をほとんど持たれなかったどころか人気を集めたのは、人徳としか言いようがない。 「…………ここまでいくと才能ですよねえ」 「まったくです」 ちいさく苦笑した安原に、リンはかなり真剣な表情で頷いた。 彼自身驚いたことでもあったから、安原の言うことはリンの思いでもある。 いつのまにかこのオフィスの求心力となり、日本人は嫌いだと今でも明言するリンの心を和らげた、そして感情の存在すら疑わしいと目されていた天才博士の心を占めた彼女の存在の大きさを、実感してはいたけれど。 イギリスでまでそれが「有効」だとは考えていなかったのだ。実際、彼女を被験者として見ていた研究者の間で麻衣が個人として特に話題になることはなかったのだから。 「これも一種の特殊能力ですか」 「………かもしれませんね」 微かな苦笑をうすいくちびるに乗せたリンが、はっと振り返った。 ドアベルさえ鳴らさずに、オフィスのとびらが開く。 「…………これは一体何事だ」 「あ、所長。こんにちは」 「全部谷山さんへのプレゼントのようですよ」 「麻衣へ?」 秀麗な眉が顰められた。 「何処から?」 さすがにその程度は気になるらしい。 内心だけの笑みはおくびにも出さずに、安原は束にしていた伝票を見直した。 「ほとんどイギリスからです。詳細は伝票ですが、見ますか?読み上げた方がいいですか」 「結構です。僕宛ではありませんから」 冷えた声が玲瓏と響く。 その話題には興味を失ったように、漆黒の瞳が直属の部下に向けられた。 「リン」 「はい」 「何か報告は?」 「特にはありません」 「それなら僕は所長室に」 「あ、ちょっと待って下さい所長」 踵を返しかけた所長は有能な事務員に呼び止められて動きを止めた。闇色の瞳だけを安原の顔に向ける。 「この箱なんですが、SPR宛になってますが、どうしましょう」 「本では?」 「たぶん違うと思います。軽いですから」 「……………開けてみて下さい」 「はい」 頷いて、安原は手回し良く持っていたカッターナイフで手際よく段ボールの箱を開ける。 緩衝剤代わりに入っていた透明な袋をいくつか除けると、内容物が明らかになる。 入っていたのは、大きな書類封筒が二つと電化製品のものらしい箱、それに辞書サイズの本らしい包みが一冊分。 「えっと。封筒は……カードが山ほど、ですね。所長宛と、谷山さん宛です。この箱は所長宛で、………ICレコーダですね。森女史のメモがついてます。本は谷山さん宛で………すごい、サー・ドリーからですよ」 軽く目を瞠った安原に、ナルは一瞬名状しがたい表情を浮かべた。 「………一体何事ですか?」 「バレンタインですよ。………あの花も、全部それのプレゼントみたいです。人気者ですね、谷山さん」 「クリスマスの余波でしょう」 補足説明したリンに、ナルは深く溜息を落として、結局何も言わずに踵を返した。 「所長?」 所長室の重いドアに手をかけたナルの背に、安原が声をかける。 声に滲んだ面白そうな響きを感知したのかしなかったのか、ナルは振り返らない。 「所長はどうなさるんですか?」 焦点になっている少女は、彼の本拠でも既に「公認」のパートナーだ。 贈り物を送ってきているSPRのメンバーも、さすがにナル自身が何一つしないとは思っていないだろう。「オリヴァー・デイヴィス博士」の一種特殊な性格はよく知られていても、恋人に対する態度まで知られているわけではないから、その件に関する発想については「常識」が優先するはずだ。 ただし安原は、プライベートでどうかはともかくとして、ナルの麻衣に対する態度はよく知っている。 「ここまでやられて、なにもしませんか?やっぱり」 「特に必要を感じませんね」 さらりと応えて、美貌の博士は漆黒の長身を所長室に滑り込ませた。 † 「そんなわけで、全部谷山さん宛なんですよ」 オフィスに着くなり目を瞠った麻衣は、一通りの説明を受けて苦笑した。 「うわあ。ほんとにすごいですね」 「すごいです。何が起きたのかと思っちゃいました」 「どうしよう。………リンさん、お返しとかしたほうがいいですよね」 「いいえ、バレンタインに関してはその必要はありません。受け取っておけばいいんですよ」 困ったような琥珀色の瞳を穏やかな表情で見下ろして、リンは安心させるように頷いて見せた。 「大丈夫です」 「………良かった。でも、あとでお礼のメールくらいは頑張って書きます」 「喜ぶと思いますよ」 にこりと笑って、リンは付け加えた。 「車を出しますから、運ぶのは心配しないで下さい。……それとも花はオフィスにおきますか」 「………うー……。せっかくだから、ルエラからのだけ部屋に持って帰って、あとのはオフィスにおこうかと。車、甘えちゃっていいですか」 「もちろんです」 「ありがとう、リンさん」 ほっとしたように微笑んだ彼女に、安原は悪戯げな笑みを浮かべて訊ねた。 「ところで谷山さん」 「なんですか?」 白いコートをようやく脱いでコートハンガーにかけていた麻衣はくるりと振り返って同僚を見やった。 「これだけプレゼントもらって、所長からはなにも?」 問われて、ぱちりと目を瞬いて。 麻衣は笑いだした。 「そんなわけないじゃないですか!だいたい、日本じゃバレンタインって、女の子があげるものでしょ」 「それじゃ、何か用意したんですか?」 「今は何も」 今年は、ではなく、今は、と言った麻衣の言葉と、にこりと笑った麻衣の表情。 それに、微妙な含みを感じとったけれど、安原はそれ以上追求しない。 プライベートを追求するつもりはない。ナルと麻衣の関係は、オフィスにいる限り「公的」なものだが、そうでなければ完全にふたりだけのもので、自分たちが介入していい領域ではない。 「それでは谷山さんは、ナルになにかほしいとかないんですか?」 珍しくリンに問われて、麻衣はコートをハンガーにかけるとにっこり笑ってくるりと身を翻した。 「全然」 「全然ですか」 「うん。………そばにいられれば充分だから」 付け加えられた言葉は、それまでの応答とは一線を画してひどく真摯に韻いて、リンと安原はかるく息を飲む。 麻衣の華奢な手が所長室の扉を叩いて、重い扉を開く。 「ナル、来たけど、お茶いる?……………………うん、わかった。ちょっと待ってて」 ごく短く言葉を交わして、麻衣はいつものように給湯室に向かった。 † Dear Maiden. 誰よりきよらかな少女へ。 あなたの存在自体がなにより貴重なもので、それ以上のものは望めないから。 たったひとりの存在にとって。 そばにいて、そのぬくもりだけが至上のものだから。 あなたの存在そのものに感謝して、愛を象徴する日を迎える。 |
目指せ、甘くないバレンタインSS!←バレンタインにする必要が何処にあるのか言ってみろ。 ナル×麻衣サイトのバレンタインSSでナルと麻衣がほとんど出てこないのも珍しいだろうvとか。(当たり前だ)ちょこっと趣向として楽しんでいただけると嬉しいです。 …………さて。麻衣ちゃんはいったい何を用意しているんでしょうか(笑) 2月16日いっぱいまでの期間限定掲載です。 15万ヒットお礼企画につき再掲載します。馬鹿ですみません……。 2003.2.14 HP初掲載
2003.8.24再掲載 |
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