back to novel_index
back to index


  
happy birthday





   それはきっと、トクベツな日。


「ナル、今日、何の日か、知ってる?」
 午後五時ちょうど、ノックもせずに部屋に入ってきた麻衣に問われ、ナルは眉を寄せた。
 キーボードを叩いていた手を止め、漆黒の瞳をいぶかしげに麻衣に向ける。
「何か用があったか?」
「そう、なんっにも、予定入ってないの」
 にっこりと、どこか誇らしげに微笑まれて、そういえば、とナルは思った。
 今日は、朝から静かだった。リンがいつものとおり黙々と仕事をしているのはいつものことだが、イレギュラーメンバーは誰一人姿を見せず、安原も来たのは来たようだったが、特に騒ぐこともなく帰って行ったらしい。
 さらにいえば、珍しくノックもせず入ってきた麻衣も、こちらがお茶を求めたとき以外は、珍しくも干渉をしてこなかった。
 夕方からの予定は一切入っていないし、ついでに調査もない。
 こんなに「何事もない」日は、それこそそうそうあるものではない。
「そういえば、何事もなかったな」
「そう。で、今日、何日?」
「9月19……………?」
 途中で気付いたナルは、軽く眉を顰めた。
 自分の、誕生日。
 麻衣が気付いていないはずがない。確か去年は日付変更線でジーンと最速争いをしていた気がするし、ついでに滝川たちに祝杯だと強引に連れ出された。その前は、あれやこれやとプレゼントを持ってこられ、いちいち対応しなければならず、辟易した。滝川はあしらえても、女性に贈り物をされて無視はできないという、叩き込まれた礼儀があれほど鬱陶しく感じたことはない。
「………………これからどこかに行くのか?」
「ナルが行きたければね」
 麻衣は悪戯っぽい笑顔を浮かべたまま、答えを返す。
「ナルはどうしたい?」
「………………あと少しでこの報告書が終わるから、それを終えたら片付けて帰るつもりだったが」
「じゃあそうしよ。ご飯は家で食べる?」
「ああ、それはそれで構わないが」
「分かった。じゃあそれくらいを見計らってあたしも仕事片付けてくる。リンさんにも言っとくね」
「…………ああ」
 ナルの返答を待って、麻衣はにこりと笑って、踵を返すと扉から滑り出た。
 誕生日だと指摘しながら、おめでとうという言葉一つ言わなかったのは、初めてかもしれない。なんとなく腑に落ちないものを感じながら、ナルは作業中の報告書に意識を戻した。


 リンが何かを言うこともなく、麻衣もそれからは何も言わず、いつものように夕食の支度を整え、席に着く段になって、ナルはなんとなく胸のあたりに不快なわだかまりがあるのを無視できなくなった。麻衣がなにを意図しているのかまったく分からないことが、苛立たしい。
 涼しい顔でサラダボウルを持って席に着いた麻衣は、正面のナルの顔を見て、にこりと笑った。
「ええと、それ、カボチャのスープね。それからそっちのパンはクルミ入り。そこのキッシュはこの前見つけた堅いお豆腐と、ほうれん草と、チェダーチーズが入ってる。サラダは見たまんま。なんか他に出す?あ、キウイとグレープフルーツのフルーツサラダ作ったからあとで出すけど」
 まったく、何も説明する気はないらしい麻衣に、ナルは深くため息をついた。
 どうやら、麻衣は自分から尋ねるまで何も説明するつもりはないらしかったし、このまま麻衣の意図が見えないのは、どうしても不愉快だった。何が不愉快なのか自分でもよく分からないまま、とにかく彼女が何を考えているのかさっぱり見えないことが、あまり記憶にないほど苛立ちを募らせた。
「一体どういうことだ?」
「何が?」
「所長室で、今日は何の日、と聞いただろう。何日、とも。一体何がしたいんだ?」
 怜悧な漆黒の瞳を過る強い苛立ちの色を見て、麻衣は小さく笑った。
「ナルは、どうしてほしいの?」
 思いがけない反問に、ナルは思わず答えに詰まる。適当な答えが見当たらなかった。
「ナルは、どうして欲しい?………………あのね、あたしはあたしのできることをしたんだよ?」
 澄んだ声音に笑みが含まれていて、ナルは軽く眉を寄せた。
「どういうことだ」
 麻衣は、特に答えは期待していなかったらしく、軽く肩を竦める。
「去年、どうだったか覚えてる?」
「……………日付が変わるところからお前とジーンの意味不明な競争、本部からのファックス、あげくにぼーさんに引きずられてバーだったな。お前まで連れて」
「そう」
 麻衣は楽しそうな口調で同意した。
「そのあと、ナル、自分でなんて言ったか覚えてる?」
 ナルは軽く眉を寄せたが、天才の記憶力は、数秒の検索で答えを見つけてきた。
「……………二度とごめんだ、と言ったな。こんなばか騒ぎにつき合うくらいなら………」
「誕生日なんてないほうがいい。そう言ったんだよ」
 麻衣の口調は、どこか楽しげだ。
「だから、みんなには、悪いけど今年は、誕生日祝いはパスしてほしいって頼んだの。リンさんにも安原さんにも、一言も言わないように頼んだ。まどかさんには、ファックスは仕事に来たすし、騒がれるのはいやだから、まとめて、イギリス時間で19日のお昼になったら、ここに送ってって頼んだ。ちなみにオフィスは今日はclosedだったの。一応リンさんの許可は取ったけど、ナルには言わなかった。まあ、誰も階段のぼってこなかったから大丈夫だと思うけど」
 麻衣は、この日ばかりはナルを引っ張り出してもいいだろうと大騒ぎするメンバーを、全部牽制し、ナルにとっての一年に一度の「無礼講」を、普通の日と同じにしてみせたのだ。
「まあ、だから、そのうちファックスは来ると思うけど、遠慮してほしいっていう意図は伝えといたから少しは遅らせてくれるかな?」
 麻衣は楽しそうに言い、それから軽く首を傾げた。
「種明かしは以上。スープ、冷めるよ?」
 麻衣はごく普通の口調で言い、いただきます、と言ってスプーンを手に取った。


 食事を終え、後片付けを済ませた麻衣は、リビングに座っているナルの姿を見て小さく笑った。
「ナル?」
「…………………今度ばかりは、お前の勝ちだな?」
 苦笑まじりの声音に、さっきまでの苛立ちは、ない。
 どうやら、片付けている間に、彼は自分の中の感情を整理してしまったらしかった。
「勝ちって、何が?」
「誰も彼も、特別な日だ、今日だけは、と言って何かと騒ぐのが恒例になっていたのを、お前が見事に止めた」
「気に入らなかった?」
「いや。静かだったのは有り難い。ばか騒ぎは好きじゃないからな」
「じゃあ何であたしの勝ち?」
「………………お前も、何も言わなかっただろう」
 誰一人、騒がない代わりに。
 麻衣も、何も言わなかった。去年、一分一秒を惜しんで言った「おめでとう」という言葉さえ、今日はまだ口にしていない。
 食事も、ごく普通の献立で、特別なものは何もなかった。ワインを出すことさえ、しなかった。
「気付いた」
 麻衣は、とろけるような声で囁き、座っているナルの横に座って、肩に頬を寄せる。
「言いたかったんだよ。本当は。でも、それじゃ、徹底的に排除した意味が無くなる。みんなに頼んで、そりゃ文句も言われたけど」
「文句?」
「ナルには迷惑でも、お祝いしたいのはみんな本心なの。だけど、何もない日にしたかったの。だから、あたしも黙ってたっていうか、黙ってなきゃ意味がない。…………でも、ナルが、いいって言ってくれた」
 まっすぐにナルの瞳を見つめた麻衣の瞳は、蕩けるように煌めいている。
「何も言わなかった、って、言ってほしかった、って聞こえた。違う?」
「…………しばらく考えたんだが、どうもそのようだ」
 柔らかい肩を抱き寄せて、ナルは苦笑する。
「我ながら………………信じられないが」
「進歩って言うんだよ」
 麻衣は小さく笑って、ナルの耳元に口づけた。
「ナル。誕生日、本当におめでとう。心から、言いたかった。…………………遅くなって、ごめんね」
「まったくだな」
 微苦笑を含んだ呟きを落とし、彼はゆっくりと恋人の身体を引っ張り上げてひざに載せる。かなり強引といえば強引な動きだが、麻衣が痛いほど引っ張ることはない。
「ナル?」
「おかげで、まだこんな時間なのに書斎に行く気にならない。どう責任をとってくれる?」
 時計は、午後九時を回ったところだ。
 普段のナルのタイムスケジュールなら、これから書斎で資料に没頭し、日付変更線あたりで麻衣に口うるさく言われて、一時前に諦めることになるのだが。
「いい傾向だね」
 麻衣はくすりと笑い、手を伸ばして、整いすぎた彫刻のような頬に触れた。
 ナルの腕に身体を預ける格好だから動けないが、手は動かせる。触れられる。
「責任、とってもいいけど。どうして欲しい?」
「ワインでも一緒にとでも言うのが洗練された態度なんだろうが」
「洗練された態度?あたしはナルに聞いてるんだけど?」
 ナルが、洗練されていないわけではない。
 洗練された行動をとれないわけでもない。
 単に、ナルは、麻衣の前では、繕わない。最初からヴェールを無視した麻衣だけには、彼は何の抵抗もなく自分を見せることができる。
 妍麗な顔に微笑がよぎり、ナルは麻衣の唇を塞いだ。
 柔らかいキスを甘く深めて、唇を解くと、濡れた唇で耳元に口づける。
「そういえば、このところ書斎に籠りすぎたな。考えてみればまともに寝てない」
「自覚があったとは驚きだけど」
 頬を上気させながらそう言った麻衣は、ふわりとした浮遊感と一緒に、視界が高くなって驚いた。音もなく立ち上がったナルは、麻衣を抱いたままリビングの照明を切り、防犯システムを就寝時設定にしてから、柔らかい月の光が差し込む寝室に入った。
 麻衣は、思わず息を飲み込み、ナルの顔を見上げる。
 ここで眠るのは既に日常化していても、同時にベッドに入るのは、既に一ヶ月は前の話だ。
 そして、急に艶を増した漆黒の瞳を見れば、彼の意図は明らかで、けれど、麻衣は離れることはできなかった。
「ナル」
 縋るように腕を伸ばした麻衣の手をとり、ナルはベッドカバーを引きはがしたシーツの上に細い身体を下ろす。ネクタイとベルトを外して少し離れたテーブルに放ると、彼女のとなりに片膝をついた。
 麻衣の瞳を見つめ、闇色の瞳が融ける。
 耳元に口づけて、彼は、ささやいた。
「もう一度、言ってくれ」
「え?」
「言いたくて、我慢していたと言っただろう?」
 遠回し過ぎる自己主張に、麻衣はくすりと笑って、自分から彼の首に腕を回して、囁いた。
「お誕生日、おめでとう、ナル。大好きだから、やっと言えて、ほんとに嬉しい。おめでとう」
 やわかかく、甘く、ささやく声は彼の耳だけに韻く。
「ありがとう」
 そう、返して。
 彼は、白いシーツに柔らかな髪を散らした麻衣の瞳を見つめて、ゆっくりと唇を重ねていった。








 ハロウィンSS。突貫…………(汗)ってゆーかなんでシリアス落ちになるのさ自分(滅)
 10月31日〜11月2日まで限定掲載します。25万ヒット御礼で再掲載しました。
2004年10月31日 HP初掲載
2005年6月11日 再掲載



back to novel_index
back to index